陰陽Gメン警戒中!









29










「……え?」

固まった暦に、栗栖は「気付いていなかったんですか?」と少々呆れた顔で言う。

「こいつが屋根の上で怒り狂った時に、僕、生成りって言葉が頭を過ぎるって言ったじゃないですか? 生成りって、鬼になりかけた女性の事ですよ?」

「え……」

「まぁ、仕方ないと言えば仕方ありませんけどね。こんな恰好している上に、自身が男に間違えられるのを喜んでいるフシがありますから」

はー……と、今までで一番の深い溜め息を吐くと、栗栖は「つまり」と言ってニヤリと笑った。

「こいつに踏まれていた本木さんは、こいつが女性だという事を知っている者が見れば完全に女王様と下僕の図だったって事です」

「……その情報は知りたくなかった……」

がくりと肩を落とす暦に、栗栖は苦笑し、そして表情を引き締めた。

「それはさておき、とにかくここから出る方法を考えなければいけませんね。こいつを物理的に叩きのめせないとなると、やはり内部から調伏する他無いわけですが……」

言いながら、呪符を一枚放つ。呪符は閃光を放ち弾けたが、その後何も起こらない。栗栖は無言のまま、同じ場所にもう一度呪符を放った。今度は、激しい稲妻が走る。

「……あれ?」

稲妻が消えた後に同じ場所を見て、暦は首を傾げた。少しだけ、先ほどまでと印象が違っている。真っ暗闇だった場所が、ほんのりと明るくなっている。

「やっぱり……栗加解尊とは言え、同じ場所を続けて攻撃されれば、ダメージは受けるようですね。頑張れば、穴を空けるぐらいはできそうです。もっとも……少し時間を置けば、すぐに再生してしまうようですが……」

薄明るくなっていた場所が、あっという間に元の暗闇に戻る。

「つまり……こういう事? 同じ場所を集中的に攻撃し続ければ、いつかは外に出られるぐらいの穴が空くかもしれない?」

「はい。……外に出た後、栗加解尊をどうするかは……外に出てから考えましょう」

それだけ言うと、栗栖は怒涛の攻撃を一箇所に集中して浴びせ始めた。呪符を投げ続け、九字を切り、真言を唱え、時には祝詞を朗々と読み上げる。

だが、栗加解尊の再生スピードが速いのか、元々頑丈で傷付き難いのか。遅々として作業は進まない。

「天津君……その、大丈夫なの? このまま続けて……」

そう、問わずにはいられない。栗栖は、内部から調伏するには膨大な霊力が必要と言っていた。それはつまり、こうして術を使い続けていれば体力的な何かを消耗してしまい、最悪命にも関わるのではないか、という事。それに、呪符だって無限にあるわけではないだろう。いつかは、尽きる。

栗栖は、答えない。額に脂汗が浮いている。既に相当の疲労が溜まっているようだ。暦は、堪りかねて栗庵に視線をやった。特に何をするでもなく、ボーッと栗栖のやる事を見詰めている。

「あの、裏天津君……さん?」

おずおずと呼び掛けると、栗庵はすい、と視線を暦に寄せた。

「初見時からの呼び方で構いませんよ。何かご用ですか、本木さん?」

「あぁ、うん……あのさ……」

言葉を探しながら、もう一度栗栖に視線を遣る。耳に届く声にも、疲労が混ざってきているのがわかる。

「裏天津君は、やらないの? 取り込まれて出られなくなっちゃったのは君も同じなんだし、協力してやれば……」

「表天津家が、素直に私の協力を受け入れるとは思えませんがねぇ」

たしかに、協力しようとしても

「余計な事をしないでください。裏天津家の力なんか必要ありません」

などと言い出しそうだ。

「……と言うか、天津君が拒否しないなら、協力する気はあるんだ?」

「そりゃあ、このままでは私まで取り込まれっ放しになってしまいますからね。一時的にであれば、協力しない事はないですよ」

「ふぅん……」

ちょっとだけ、意外だ。てっきり一人でも充分だから、まずは手古摺って無様な様子の栗栖を眺めて楽しむ、ぐらい言うものだと思っていた。

「そう言えば、この前音妙堂で会った時が初対面ってわけじゃなかったみたいだよね。互いに顔、知ってたみたいだし。術の気配っていうの? それも知ってるみたいだし。天津君、裏天津君が女性だって事知ってたし」

「そうですね。幼い頃から度々、親同士の戦いの場で顔を合わせていましたから。こうして直接戦うのは初めてですが」

親同士も、くだらない言い争いをしていたのだろうか。そして、それだけ長い付き合いがあるからこそ、あれだけ阿呆な言い争いもできるし、栗栖は栗庵を煽るような発言を繰り返すのだろうか。

「……ん?」

自らの思考から疑問が湧き、暦は首を傾げた。そして、黙って栗庵の様子を見る。

興味無さそうに栗栖を見ているが、よく見るとそわそわしているようにも見える。

「……裏天津君、ひょっとして、なんだけどさ……」

「な、何ですか!?」

きょどった。暦は増々、己の推測に確信を得る。

「ひょっとして君達……実は仲良しでしょ?」

「は?」

栗庵の顔が、不機嫌そうに歪んだ。暦は「あれ?」と再び首を傾げる。勘違いだったのだろうか。

「いや、だってさ。戦ってる時に、素人の俺でも避けれるような場所に呪符投げてくるし。天津君が来るの、正味四日間も何もしないで待ってたし、俺達がダンプカーに轢かれないように空地に誘導してくれたし。本当に敵同士だったら、そこまでしたりは……」

そこで、暦はハッと口を噤んだ。赤くなっている。栗庵の顔が、真っ赤に染まっている。

「あー……ひょっとして、図星?」

「違いますよ!」

暦の声をかき消すように叫び、栗庵は呪符を投げた。呪符は寸分違わず、栗栖が攻撃していた場所に当たり、ドカンと派手な音を立てる。栗栖がビクリと体を強張らせ、暦達の方をちらりと見た。

栗庵は、栗栖が見ているのにも気付かずに、どんどん呪符を投げ続ける。

「な、ななな何を言っているんですかねぇ、本木さんは! 私とお、おお表天津家がななな仲良しだなんてそん、そんな事ああるわけななな無いじゃあないですかっ!」

もの凄くわかり易く動揺している。そして呪符は一枚も逸れる事無く、同じ場所を攻撃し続けている。見ていないのに、だ。すごい。

「ちょ、ちょっと本木さん! それに裏天津家も、さっきから何やってんですか!?」

栗栖も動揺し始めた。ひょっとして、栗庵に協力されるというのが初めてだからだろうか。

「あは、あはははは! べべべ、別に特に意味は無いんですよっ! ただこの本木さんが! 私とあなたが実は仲良しなんじゃないかなどという愚か且つ滑稽な事を言いだしましてね、付き合い切れないからとっととこの場からおさらばしたいと思って協力して差し上げる事にしたので候ですよ。納得したらあなたもさっさと元の作業に戻って術を使い続ける事ですね、それとももう限界ですか? これだから華奢で非力でとんまな表天津家は! とんまなあなたについでに教えてあげますがね、二週間前に負傷してあなたが運ばれた病院も裏天津家の力が及んだ場所なのですよ! 傷跡が残らないよう最大限の治療をするように口添えしてあげたんですから、あなたは私に感謝すべきですね! まったく気付かなかった? まったく気付かなかったでしょう? そりゃそうですよ、気付かれないようにやったんですから。まぁ、それでなくてもあなたは昔から超がつくほどのニブチンですからね! 気付くわけがないですよね!」

裏天津家、何気に顔が広い。それはともかく、栗庵はもの凄く動揺している。そして、その動揺して喋った内容から、常日頃より音妙堂スタッフ達に鈍いと言われている暦でもわかった。

「あー……裏天津君。天津君の事好きなんだ?」

「ふざけた事を仰ってるんじゃありませんよ!」

最大級の術が狙い通りの場所にぶつけられた。既に、人間の足一本ぐらいであれば出られそうな穴が空いている。これは、このままの調子で栗庵が頑張れば、割とあっさりと出られるのではないだろうか。

態度から、どうやら栗庵が栗栖に好意を持っている、という事は確定のようである。ならば、このまま栗庵にやる気を持続させるためには、栗栖に応援などさせると良いかもしれない。

「……あ、天津君?」

「はい?」

恐る恐る声をかけてみれば、栗栖は「わけがわからない」と言いたげな顔をしている。まさかとは思うが、今のやり取りでも気付かなかったのだろうか。

「何かさ、裏天津君……天津君の事、実は好きみたいなんだけど……」

「……それは、本木さんのさっきの発言も聞こえてましたけど……」

困惑した表情で九字を切っている。集中していないせいか、先ほどまでよりも威力が弱い。ただし、会話をしてある意味リラックスしているせいか、多少余裕を取り戻した顔をしている。

「うん、だからつまりね……先代まではどうか知らないけど、裏天津君が色々と迷惑な事してるのって、天津君の気を引きたいから……っていうのもあるんじゃないかと思うんだけど。ほら、当主同士だし、裏天津君が何かやれば、表天津家は天津君が直々に出てくるでしょ?」

「あぁ、つまりお気に入りの玩具を召喚するつもりであんな愚かな事をやってたって事ですか」

違う!

「臨める兵、闘う者、皆陣破れて前に在りっ!」

栗庵が自棄になったような声で叫んだ。今度ばかりは、彼女に同情する。

「……いや、だからね? 天津君の態度が軟化すれば、裏天津君も少しは大人しくなるんじゃないかなー、と思うんだけど……」

「そんな事言われましても。幼い頃、父親達の戦闘が終わるのを待っている間に、何度も蛇を投げられ、ひっつき虫を背中とシャツの間に入れられ、犬のウンコ踏まされたりしたんですよ? こちらの態度を軟化させたところで、何も変わらないと思いますけど」

相当なアグレッシブ幼女だったらしい。ひょっとして、栗栖が二川や西園のような押しの強い女性に対して恐怖を抱きやすいのは、そうした過去があっての事だろうか。

「何を言っているんですか! 投げたのは蛇ではなく、金運が上昇する蛇の抜け殻ですよ! ひっつき虫を背中に入れたのは、邪悪なるモノの残滓に呑み込まれた時のあの嫌な感覚に慣れさせてあげようとしただけです! ウンコは、運がつくようにしてあげただけですよ! ウンコのウンは、運勢の運です!」

非常にわかりにくい愛情表現だったようだ。……と言うか、それが伝わるような相手なら、愛情表現せずとも相思相愛だろう。

「今更十年以上前の事でそんな後付け感甚だしい言い訳なんか聞きたくないですよ!」

「十年以上前の事を今更持ち出したのはあなたですよ、表天津家!」

互いに怒鳴り合いながら、呪符をバンバン投げ付け続けている。外へ通じる穴はガリガリと削られ、もう人一人ぐらいなら通れそうな程に巨大化している。本来の意図とは違うが、栗栖をけし掛ければ順調に穴が広がりそうだという暦の読みは当たったらしい。言い争いの内容に関しては……勝手にやってろ、という感想しか抱けない。

「大体、恋愛感情のような物を持ち出す前に、一度己の服装を顧みたらどうですか! 何なんですか、その真っ黒づくめで中学生の罹患するような病をこじらせたとしか思えない服装は! お前、僕と同じだったと思いますから、今年数えで二十一でしょう!? いい歳して恥ずかしくないんですか!」

つまり、今は十九か二十か。

「女性の歳を数えで表すなんて、デリカシーが無いにもほどがありますよ! 大体、あなたは人の服装の事を言えるんですか? 平成の世になって狩衣を着て町中を歩くなど、滑稽の極みですよ!」

「やる気を出すためですよ、お前を叩きのめすためですよ! というか、どうせこじらせたような恰好するにしても、何で男装なんですか! ややこしいんですよ! 現に本木さんが間違えたじゃないですか!」

何故か暦に矛先が向いた。

「その方が似合うからですよ! 自分でも、生まれる性別を間違えたのではないかと思うほどです!」

性別よりも人としての根本的な倫理観だとか、正義の味方の認識だとかを間違えている事に気付いて欲しい。

服装に関しては……黒尽くめに大量のシルバーアクセサリーを身に付けている様は目立って仕方がないのだが、一応人目を忍ぶべきであろう活動をしているのにこれは良いのだろうか。

天津家同士のやり取りに付き合い切れず、あらぬ方向に思考が逃避してしまう。

「大体、何なんですか、今更好きだの何だの! そういう事言うなら、もっと早い段階で回りくどい事をせずに直接言ってこいって話ですよ!」

「言い出したのは本木さんです! 私は隠していましたよ! 大体、直接言ったところで、受け入れるのですか? 受け入れないでしょう! あなたと私は、裏天津家と表天津家! 敵同士なのですから!」

「当たり前です! お前相手にロミオとジュリエットになる気は毛頭ありません!」

「そうでしょう!? だったら私は裏天津家の総力をもってして、表天津家に戦いを仕掛けるしかないじゃないですか! 平和だったらあなた、私に見向きもしないでしょう!?」

「ヤンデレも要りません!」

ヤンデレ……病んだデレ。精神的に病んだ状態で、他人に愛情表現をする事だったか。言葉の選び方から、松山の影響を受けてしまっているなぁ、と思わざるを得ない。

「ヤンデレとはなんですか、ヤンデレとは! 私は病んでませんよ! その証拠に、邪悪なるモノを生み出した事は一度もありません!」

「邪悪なるモノを養殖しまくってる奴が何を言っているんですか!」

ぎゃあぎゃあと賑やかに喧嘩をしていて、ある意味二人とも邪悪なるモノなんぞ生み出しそうにない状態である。そして、穴は順調に広がっている。そろそろ二人ぐらいなら同時に通れるかもしれない。

なら、もう術を使わなくても三人とも外に出れるのではないだろうか。それを、喧嘩で周りが見えなくなっている二人に教えてやる必要がある。

「あ、あの……二人とも? もう、外に出れそうだよ? 喧嘩はそろそろその辺りで……」

「ちょっと黙っていてください!」

「本木さんには関係ありません!」

ここまで巻き込んでおいて、今更それは無いんじゃないだろうか。二人は騒ぎながらも呪符を取り出し、互いに構えている。

「やはりお前は、ここで叩きのめさなければいけないようですね!」

「面白い! やってみると良いですよ! 私が勝ったら、お前は明日一日、遊園地で私の下僕です! 良いですね!」

デートぐらい普通に誘え。

もう本当に付き合い切れない。どうやら既に暦の相棒としての仕事は終わっているようだし、先に外に出ていようか。けど、出ても栗加解尊の本体がいるし、どうしたものか。

そう考えて、暦が腕を組みつつ唸り始めた時だ。ズズン……と辺りが揺れた。

「なっ……何!?」

暦が目を白黒させていると、栗栖と栗庵の顔が険しくなった。

「これは、まさか……」

「栗加解尊が動いている? 馬鹿な……召喚者である私の命令も無いのに、何故動いているのですか……!?」

どうやら、相当まずい状況だ。栗栖が苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「どうせ、お前の術式不備が原因でしょう。それよりも、ここから出ませんと。栗加解尊が勝手に動いているとなれば、一刻でも早く止めなければ。今は裏天津家の領内にいても、そこから出れば一般人を巻き込みかねません!」

ここに、既に巻き込まれている一般人がいるのだが。釈然としない物を覚えつつ、暦は二人を見た。

「それで……どうするの?」

「まずは、外に出ます。幸い穴は充分に広がっていますから。問題は、誰から出るか……」

そうだ、たしかに順番の問題がある。一番手は危険だ。何しろ、今外がどうなっているかもわからない上に、出た途端に栗加解尊に攻撃される恐れがある。

「戦えない本木さんは二番目以降に出てもらうとしまして、僕と裏天津家、どちらが先に出るか……」

栗栖の目が、迷っている。迷うのも無理は無い。最初に出るのは、怖い。だが、仮にも女性である栗庵を最初に出させるのにも抵抗はある。

「裏天津家を最初に出させると、外で何を仕掛けて待ち受けているかわかったものじゃありませんし……かと言って、裏天津家と本木さんを二人きりにして、今度こそ本木さんがMに調教されたりしても個人的に嫌ですし……」

そっちか。心配するところがおかしくはないだろうか。特に、後者。

「……天津君? 流石に、今この状況で罠を仕掛けたりとか、俺に何かしようって事は無いと思うよ? ……と言うか、この慌ただしい状況で外に出て罠を仕掛けたりできたら、かなりすごいよね……?」

「……それもそうですけど……」

栗栖は、まだ迷っている。それ以上どう言葉をかければ良いのかわからず、暦は栗庵の方を見た。すると、何故か栗庵は勝ち誇った顔をしている。

「まったく……こんな状況でスパッと判断をする事ができないなんて、表天津家は当主に恵まれませんねぇ!」

今この状況でわざわざ敵を煽る裏天津家も、当主には恵まれていない気がする。……と言うか、もう色々とバレているので、喧嘩を売らなくても良い。

栗庵は勝ち誇った顔のまま、右手の親指で己を指差して見せる。そして、左手の人差し指で外へ出るための穴を指差した。

「良いでしょう。決めれないのであれば、私が決めてあげます。最初に外に出るのは私! 次に、表天津家と本木さんが同時に出れば良いでしょう! 優柔不断で臆病な表天津家に一番手など、荷が重いでしょうからねぇ!」

つまり、危険な一番手は私に任せて、栗栖は安全を確認できてから出てこい、と。翻訳するとこんなところだろうか。本当に、面倒臭い。

「天津君、裏天津君に今回は任せようよ。どっちにしろ心配ならさ、どっちでも変わらないよ。ね?」

「……はい……」

これ以上の面倒を避けたい暦の言葉に、栗栖は不承不承ながら頷いた。それを確認してから、暦は栗庵に視線を送る。栗庵は、相変わらず勝ち誇った顔で頷いた。

「仕方ありませんねぇ! 情けない表天津家のために、私が一番手で出てあげますよ! 良いですか? これは貸しです! 悔しければ、今度アイスクリームを食べに行くのに付き合いなさい! あなた方の働く本屋で買った雑誌に載っていた、最近人気のアイスクリーム店です! 女性だらけの店で一人男性がアイスクリームを食すという拷問に、あなたは耐え切れますかねぇ!?」

だから、デートぐらい普通に誘え。あと、お買い上げありがとうございます。

「……仕方がありません。受けて立ちましょう……!」

こっちはこっちで、デートのお誘いだという事に気付いていない。だから、普通に誘え。

悔しそうに俯く栗栖を見て、頬を染めて嬉しそうに頷きながら、栗庵は穴に向かった。そして、外での高さだけを確かめると、一気に飛び降りる。その瞬間。

辺りの闇が、一気に晴れた。

「……へ?」

「は?」

暦と栗栖は顔を見合わせ、目を瞬かせる。次の瞬間、二人は落下した。

……そうか。拳から取り込まれて、外に出る事ができなかったのだから。栗加解尊が腕を振り上げれば、中にいた暦達は持ち上げられた状態になるわけだ。

三メートルほど落ちたかと思えば、地面にぶつかる衝撃が襲い掛かってくる。痛みに顔を顰め、どこも折れていないかを確認しながら、暦は体を起こした。

「ちょっと……一体何が起こったの……?」

言いながら辺りを見て、暦は目を丸くした。何もいない。あんなに大きかった栗加解尊の姿が、跡形も無く無くなっている。

「……天津君?」

声をかけてみるが、栗栖も唖然としている。ただふるふると、首を横に振るだけだ。

「……って言うか、裏天津君は?」

飛び降りた後、どうなったのか。首を巡らせて探してみると、いた。数メートル先で伸びている。そして、その横に佇む人影が三つ。

「……誰?」

「あれは……大丈夫です、本木さん。味方です!」

言うや、栗栖は人影の元へと走り寄った。暦もついて行くと、次第に弱い月明かりで三人の顔が判別できるようになる。

まだ、若い。十五から十七歳ほどの少年少女が三人ばかり、曖昧な笑顔を浮かべてこちらを見ていた。

「栗栖さん、ご無事でしたか」

最年少と思わしき少年に声をかけられ、栗栖は頷いた。そして、暦に向き直る。

「彼らは、表天津家の使用人兼術師です。別の地域で裏天津家を止めるよう頼んでおいたのですが……」

「こっちは全部終わったよ。だから援軍に来てみたら、あんなでっかい怨霊が現れてるからさぁ」

「勝手ながら、私達の判断で調伏致しました」

「目を狙ったら、案外簡単にダメージ受けてくれたよね。でっかい敵は目を狙えって、よくアニメとかで言ってるの、本当なんだねぇ!」

二人の少女が口々に言い、栗栖は「助かりました」と頭を下げる。

「ところで……裏天津君はどうしちゃったの、それ?」

暦が恐る恐る問うと、少年が苦笑しながら「あぁ……」と呟いた。

「俺達があの大きな怨霊と戦い始めて暫くしたら、突然姿を現したんですよ。あの時は地上から、高さ三メートルぐらいだったかな? 勢いよく飛び降りたは良いんですけど、着地に失敗したらしくて……」

「打ち所が悪くて、気絶しちゃったみたいなんだよねぇ」

「彼女が気絶した途端に、あの大きな怨霊も消え失せました。つまり、彼女があの怨霊を呼び出した術師だったという事でございますね」

そう言えば、ここに来たばかりの時に

「あなたは、私がこのまま屋根から飛び降りて、あなたの目の前に着地できるほどの運動能力を有しているとお思いですか?」

などと言っていた。本当に、運動能力が無かったわけだ。三メートルの高さで着地をしくじり、気絶してしまうほどに。

「……えぇっと、つまりその……とりあえず終わったって事で良いのかな……?」

三人の少年少女と同じように曖昧な笑みを浮かべながら問うてみれば、栗栖は渋い顔をして頷いてくる。

「そういう事になりますね。非常に不本意ではありますが」

そりゃあ、裏天津家を叩きのめすのは表天津家が、などという家訓があるほどだ。あれだけ大騒ぎをやっておきながらとどめを地面に取られた……と言うか、栗庵の自滅で終わったとなれば、素直に喜ぶのも難しいだろう。

「ところでさ、終わったのは良いんだけど……この後、どうするの?」

「……と、言いますと?」

栗栖の問いに、暦は難しそうな顔をする。

「天津君達表天津家の目的って、簡単に言っちゃうと裏天津家の暴走を止める事なんだよね? とりあえず今回は止まったから良いとして、その後は? 天津家が表裏に分かれちゃった平安時代なら、殺しちゃったり一生監禁したり……とかしたかもしれない。けど、今の時代、そんな事したら駄目なのはわかってるよね?」

例え駄目でなくても、止める。どうすれば止められるのかなどわからないが、とにかく何としてでも止める。

栗栖達に人殺しをさせたくないし、そんな事をしたって邪悪なるモノが増えるだけだ。それに、栗庵だって半ば栗栖への慕情が過剰に募って暴走してしまった面がある。万引きや暴力事件に発展させてしまったのは許せないが、だからと言って殺したり、一生閉じ込めたりしても良いとまでは思えない。

そう言うと、栗栖は「そうですね……」と呟いた。

「たしかに、その収束は頂けませんね。皆さんは、どう思います?」

問われて、少年少女達は顔を見合わせた。

「どう、って言われましても……」

「再び野放しにするわけにも参りませんからね」

「まだ小さい子どもだったら、思いっきり叱って反省文を書かせて、あとは無罪放免でも良いと思うけど……良い大人なんだしねぇ」

「やっぱり、再教育……しかないですかねぇ……?」

はぁ……と深い溜め息を吐き、そして栗栖は、暦に向き直った。

「……というわけで、本木さん。明日から、お願いします」

「へ?」

何が? と問う前に、三人の少年少女が同情するように、暦の肩をぽん、と叩いた。










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