陰陽Gメン警戒中!









28










暗い。とにかく、暗い。邪悪なるモノの残滓に呑み込まれた時などとは比べ物にならないほどだ。

暦は身を起こし、辺りを見渡した。当然ながら、何も見えない。

「天津君? どこ? いるの?」

「ここです! ちょっと、待っててください!」

どこからか声が聞こえ、ごそごそと何かを探る音も聞こえてきた。

「……あった! 疾く照らせ、急急如律令!」

短く唱える栗栖の声が聞こえ、ボッという音が聞こえたかと思うと、三メートルほど離れた場所で明かりが灯った。明かりの元には、墨染の狩衣を身に纏った栗栖の姿。手には「燈明符」と書かれた呪符を持っている。どうやら、光を発しているのはこの呪符らしい。

「ご無事みたいですね」

ホッとした様子の栗栖に、暦は頷いた。

「そうみたい。けどこれ……一体何が起こったんだと思う?」

問われ、栗栖はこめかみを掻きながら考えた。掻いた拍子に烏帽子が落ちそうなものだが、上手い具合に被っているのか、微塵もズレそうにない。

「恐らく、ですが……。裏天津家の呼出し手順に、何か問題があったのかもしれません。そのため、栗加解尊が不完全な状態で顕現してしまったものと思われます」

「不完全っていうのは……?」

「要は、実体が生まれなかったって事です。邪悪なるモノの大きなバージョンが現れただけになってしまったようなものですね。前に説明したと思いますが、邪悪なるモノに攻撃されても、物理的なダメージは受けません。だからこうしてすり抜けて、栗加解尊に取り込まれたような状態になってしまったんでしょう」

「……って事は、どこかに向かってまっすぐ歩いていれば、そのうち無事に外に出れる?」

一縷の望みを託して、暦は問うた。だが、栗栖は残念そうに首を振る。

「それは、恐らく無理ですし、できたとしてもやめた方が良いでしょう。栗加解尊が僕達に攻撃の意思を持っている以上、取り込まれた僕達をそう簡単に出してくれるとは思えません。それに……闇雲に歩いていると、この辺りを昼夜問わずに走行しているらしいダンプカーに轢かれかねません」

「……そうだったね……」

「その通りです! 大人しくしていた方が身の為ですよ、表天津家!」

突如声が聞こえ、暦と栗栖は揃って「へ?」と間抜けな声を発した。数メートル先で、もう一つ光がボッと灯る。栗庵が、栗栖と同じように光る呪符を持って立っていた。

「裏天津家! どうしてここに……!」

「まさか、栗加解尊に取り込まれた天津君にとどめを刺すために……!?」

警戒する二人に、栗庵は緩く頭を振った。そして、フッと笑って見せる。

「うっかり、私も取り込まれました」

「……は?」

二人が怪訝な顔をすると、栗庵はムッとした。そして、自棄になったように叫ぶ。

「だから! 私も取り込まれてしまったんですよ! 仕方が無いでしょう? 栗加解尊の拳が予想以上に大きくて、気付いた時には脱出不可能になっていたんですから!」

「……まぬけ」

栗栖が、ここぞとばかりに呟いた。瞬時に、栗庵の額に青筋が浮く。

「何ですって? 二キロ歩いても裏天津家の家がそこかしこにある事に気付かなかったとんまには言われたくありませんよ!」

まぁ、正論だ。返す言葉も無い。

「まったく……何でこんな事になってしまったのか……。記録と同じように辺りを破壊されてしまってはたまりませんから、表天津家だけにダメージを与えるようアレンジしたつもりでしたのに……」

「やっぱりお前のせいですか!」

栗栖が目くじら立てて怒鳴った。暦も、できれば同じように怒鳴りたい。……が。

「今はいがみ合ってる場合じゃないでしょ? ……裏天津君、ここから出る方法は無いの? 栗加解尊を呼び出した裏天津君なら、消す事も……」

「できませんよ」

胸を張って堂々と言われ、暦はがくりと肩を落とした。傍らでは栗栖がため息を吐いている。

「前にも言ったと思いますが、裏天津家に問題処理能力はありません。呼び出したら呼び出しっ放し。消す事なんて考えずに呼び出すから、こんな事になるんです」

これに関しては、栗庵が返す言葉を見付けられなかったらしい。ムスリと黙り込んでいる。

「じゃあ、天津君? 天津君は、どうしたら良いと思う?」

「……考えられる方法は、二つあります」

右手の人差し指と中指で二を示しながら、栗栖は言った。

「まずは、この栗加解尊を内部から調伏してしまう、という方法。内部からとなると膨大な霊力が必要となりますし、あまり気乗りはしません」

そう言って、指を一本折る。

「二つ目。僕としてはこちらを推奨したいのですが……そこにいる裏天津家を、意識が飛ぶまでボッコボコに叩きのめす方法です。呼び出した術者の意識が途切れれば、栗加解尊が消える可能性は高いです」

「いや、その方法もどうなんだろう……?」

「まったくです! 暴力でしか物事を解決できないとは……本当に表天津家には呆れ返りますよ」

「心が弱っている人を操って罪を犯させているお前には言われたくないですよ。……そうそう、二週間前の、音妙堂書店での大量万引き。あの時、僕、壁に頭を打ち付けられたんですよ? 本当に痛かったです!」

「暴力を振るったのは私の指示ではありません。術で理性が弱くなって、抑圧されていた欲望が噴き出ただけです。つまり、あなたを壁に打ち付けた方は元々誰かを傷付けたいという願望を持っていたんですよ。私のせいではありません」

「そうだとしても、お前の術で折角抑えられていたものが抑えられなくなってしまったのは事実でしょう!?」

堪忍袋の緒が切れたのか、栗栖が右腕を振り上げた。狩衣の袖が翻り、暦達の視界をちらつく。

「天津君、ストップ!」

叫び、暦は思わず栗栖の腕を横から掴んだ。五十嵐にやった時と同じように捻り、押し下げる。栗栖が、痛みで呻いた。

「本木さん……放してください!」

「二人を離しはするし、話もする。けど、君が落ち着くまで放しはしないよ。……俺の言っている意味、わかる?」

「意味は分かりますが、理解はできません! そいつは、全ての元凶ですよ? そいつのせいで、多くの人が犯さずに済んだ筈の罪を犯してしまいました。本を盗まれて、松山店長や、他の音妙堂スタッフ達だって悔しい思いをした筈です! 本木さんだって、そいつに散々痛めつけられたじゃないですか! なのに、何でそいつを庇うんですか!?」

栗栖の顔は、鬼もかくやと言わんばかりに歪んでいる。折角悪くない顔が、台無しだ。暦は軽く息を吐き、「あのね……」と優しく声をかけた。

「天津君、今、鏡持ってる? 持ってたら、自分の顔、見てみて? 今にも邪悪なるモノを生み出しそうな顔、してるよ?」

栗栖の顔が、ハッと強張った。そして、みるみるうちに泣きそうな顔になる。

もう大丈夫だと判断して、暦は栗栖の腕から手を放した。だらんと垂れ下がった栗栖の腕を、ぽんぽんと優しく叩いてやる。

「ムカつくのは仕方が無いよ。あれだけの事をされて、挑発されて、こんな事になって。それでなくても、天津君は表天津家の当主として、小さい頃から頑張ってきたんだもんね。これを機に、裏天津君を何とかしてしまいたいって思うのも、わかる気はする」

けどね、と、暦は言葉を続けた。

「それでも、過剰な暴力は駄目だよ。いくら相手がどうしようもない人で、色々と迷惑な事をやらかしちゃってて、戦い慣れた男性でも、手酷く殴るのは駄目だと思う。結局それって、新しい負の感情を生む事になっちゃうんじゃないかな?」

「……」

栗栖は、黙り込んだ。難しそうな顔をしている。そして、少ししてから「ん?」と首を傾げた。

「? どうしたの?」

不思議そうな顔をする暦に、栗栖は「あの……本木さん……」と言い辛そうに声を発した。すると、栗庵が後を引き取るようにズバリと言う。

「勘違いしているようですが、私は男ではありませんよ。本木さん?」

空気が凍り付いた。









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