僕と私の魔王生活











 朝食後、やる事が無くて暇だと訴え、優音は城のあちらこちらを掃除する権利を得た。

「折角なんですから、のんびりすれば良いのでは……」

 などとメトゥスは言ったが、まだこちらの世界でのんびりする方法を確立できていない以上、何かしら働いていた方が良い。人間の世界であっても、例えば就職したての頃は中々リラックスなどできないものだ。だから肩に力が入りやすい。雑用なり何なりをして、社内で一応自分の立場や仕事を手に入れる事ができれば、多少力の抜き方もわかってくる。……と、優音は思っている。

 だから、掃除の権利を手に入れた。掃除であれば元の世界とそれほど勝手は違わないだろうし、物の場所を覚えるのにも役立つ。それに何より、掃除をすれば客室が使えるようになり、一応は異性であるメトゥスとの相部屋状態を解消する事ができる。

 そう言ってみると、城の主であるメトゥスは「たしかに!」と言って全面同意してくれた。仮にも魔王が、こんなに扱い易くて良いのだろうか、という疑問は今更である。

 この話をした際に、傍にいたクロが

「良いのか、メトゥス。娘っ子が客室に移れるようになるって事は、共寝のチャンスが無くなるって事だぞ。魔王らしく襲っておかなくて本当に良いのか?」

 などと下卑た心配をしていたが、言われた魔王はと言えば

「だから、そういう発想はサイテーですよ、クロ!」

 などと言って顔を真っ赤にしていた。本当に、神様とやらは何故彼をこの世界の魔王に生まれさせたのだろうか。完全に人選ミスではないか。

 様々な事を考えながら、水で満たされたバケツと雑巾を持って客室の扉を開ける。メトゥスの部屋から最も近く、それでいて内側から鍵をかける事ができる客室だ。

 扉を開けると、思わぬ物が視界に飛び込んできた。

 羽根……と言うか、翼だ。

 翼と言っても、クロがそこにいたわけではない。人だ。

 人の姿をしていて、翼の生えた者がそこにいた。

 一言で言い表すのであれば、天使。しかし、天使のイメージである清らかさが、その天使のような見た目の者からは感じられない。

 歳の頃は、十代後半ぐらいだろうか。性別は男とも女とも取れる。光り輝くような銀髪で、翼は白くも黒くもない、灰のような色。横顔を見る限り、顔は整っている。そして、口許は笑っているのに、目が笑っていない。

 思わず立ちすくんでその姿を凝視していると、その天使のような何かが振り向いた。「やぁ」と軽やかに言ってくるその声も、男なのか女なのか、判別ができない高さだ。

 その天使のような姿の者は優音の姿を頭からつま先までサッと素早く見通し、「ふぅん」と呟いた。

「この世界の魔王が昨日から人間と暮らし始めたって聞いたから見に来たんだけど……君の事で間違いないみたいだね?」

 問われ、優音は思わず頷く。何故だろう。この天使のような姿の何かには逆らえないという感覚が非常に強い。

 警戒する優音に、それは「そんなに警戒しなくても」と笑いながら言う。

「別に、君に害を与えようってわけじゃない。ただ、この世界の魔王――メトゥスはいつまで経っても事を始めようとしない上に、やっと腰を上げたと思ったら人間と暮らし始めたって聞いたものだからね。何をやってるんだと思って、様子を見に来た。それだけだよ」

 そう言ってから、再度優音の姿を見る。そして、何に気付いたのだろうか。その目は次第に丸く見開かれていく。

「……君は。そうか、だからここの魔王は……」

 その妙に思わせぶりな言い回しが気になって。優音は、顔を顰めながら問うた。

「……私に、何か? その口ぶりだと、私とメトゥスに、私が知らない何かがあるの?」

 するとそれは、「あぁ」と一人呟き頷いて、優音の顔を真正面から見た。

「そうだね。この世界の魔王には早いところ事を進めて欲しいし、そのためにも話しておこうか。君は……」

「何をやっているんですか、ニンブス!」

 言葉の途中で、メトゥスが部屋に飛び込んできた。

「やぁ、久しぶりだね。メトゥス」

 にこやかに言う天使のような者――ニンブスを、メトゥスは睨むように見ている。たった一日の付き合いだが、彼でもこんな顔をする事があるのか、と優音は目を見開いた。

「久しぶりだね、ではありません。あなたの気配が突然現れたと思ったら……ユーネに何の用ですか?」

「用と言うほどのものではないよ。ただ、君が昨日から一緒に暮らし始めたって言う人間がどんな者なのか……仮にも魔王である君に、やっと始まるかに思えた人間世界への侵攻を止めさせるほど魅力がある者なのかどうかを、見てみたかっただけでね。別にちょっかいをかけようというわけじゃないよ」

「充分、ちょっかいをかけているように見えましたけど?」

 険のあるメトゥスの物言いに、ニンブスは「おや、そうかい?」などと言っている。随分と余裕がある様子だ。

「……さっきから、話についていけていないんだけど。メトゥス、この……人? 何なの?」

 勝手に話を進められて置いてけぼりにされてはたまらない。優音が思わず話に割り込むと、メトゥスは「あー……」と何やら困ったような声を発した。……いや、困っているというよりも、「こいつを紹介したくない」と言いたげとでも言おうか。

「ほら、彼女が知りたがっているよ。隠したところで何の得があるわけでもなし。早いところ、僕を紹介しておくれよ、メトゥス」

「……僕があなたを苦手としている事を知りながら、よくそういう事をしゃあしゃあと言えますね、ニンブス……」

 溜息を吐きつつ、メトゥスは優音に向き直った。

「このヒト……あー、その……人間じゃないんですけど、敢えてこのヒトって二人称を使わせてください。このヒト、性別が無くて彼とも彼女とも言い難いので。まぁ、簡単に言うと天使です。神様の使い、という意味での」

「つまり……今朝言っていた、この世界の更に上にある、魂の管理をしている世界の住人で、極端に言うとメトゥスの上司みたいなもの、って事?」

「話が早くて助かります……上司、と言うよりはクライアントですけど」

 魔王と勇者の戦いを求める神様の使いであれば、たしかにクライアントという言い方の方が近いかもしれない。

「とは言え、僕は神様の使いであって、魔王達にとっての直接のクライアントじゃない。だからこうして気軽にお喋りもできるし、メトゥスも僕の事を苦手だと言ったり、露骨に来るのを嫌がったりできるわけだね。僕が神様だったら、メトゥスもとてもじゃないけどこんな対応はできないよ。下手に逆らって不興を買ったりしたら、自分の世界が滅ぼされてしまうかもしれないからね」

 相変わらず口許しか笑っていない顔で、ニンブスはさらりと怖い事を言う。そして、それに対してメトゥスは苦い物を噛み潰したような顔をしている。

「これでも、大分譲歩してるんですよ。神様の使いじゃなければ、力尽くで追い出しています。僕、本当にこのヒト苦手なので……」

 押しの弱そうな彼がこれほどはっきり言うのだから、相当苦手なのだろう。……と言うか、何故ここまで苦手意識を抱いているのだろうか。

「相変わらず酷い事を言うね。君と僕の仲じゃないか。小さい頃、魔王なのにオバケを怖がる君をお手洗いに連れて行ってあげただろう?」

「ほら! こういう事を言って、僕をからかって遊ぼうとするんですよ、このヒト! 幼い頃の様子を知られている、神様という名のクライアントの使い、他者……と言うか僕をからかうのが好き、気さくに見せかけて腹では何を企んでいるかわかりませんし、口だけ笑っていて目が笑っていない! どう思います?」

 それはまぁ……自分をメトゥスの立場に置き換えてみると、かなり嫌かもしれない。そして、たしかにメトゥスとの相性は良くなさそうだ。そして、それを目の前で言われたニンブスはと言えば、楽しそうに笑っている。なのに、相変わらず目は笑っていない。流石に、怖い。

「今回は本当に、彼女に興味があって来ただけだよ。メトゥスに遅くやってきた春を寝取ろうとか考えているわけじゃないから、安心して欲しい」

「その発言が既に安心できないんですけど。何でクロと言いあなたと言い、隙あらばそっちの方面に話を持っていこうとするんですか」

 ささやかながらも言い返しができているあたり、苦手と言いながらそれなりに良好な関係が築けているのでは? と思わなくもないが、それを口にしてはいけないのだろうと優音は口を噤む。人付き合いには色々あるものだ。

「今まで異性に興味を示した事の無いメトゥスが女性を連れてきたってだけで、話題性は充分なんだよ。そりゃあ、色々からかいたくなるし、訊いてみたくもなるさ。……というわけで、ユーネ? 君、何歳? 何月生まれ? メトゥスに興味はあるかな?」

「歳は二十六で、八月生まれ。異性への興味は無いわ。……と言うか、そういう事を訊くの、人間の世界ではセクハラやパワハラに該当するんだけど。魔族や神様にはそういうのは無いの?」

 そう言うと、ニンブスは「はっきり言うなぁ」と言ってまた口許で笑う。

「簡単に言うと、無いよ。不快だと思ったら相手を力尽くで降すのが魔族だし。神様の不興を買わない、立場が上の者には逆らわない、の二点さえ押さえておけば何やっても良いのが僕のとこのルールだからね」

 現代の人間世界で生まれ育った者の感覚からすると、とんでもない世界だとしか言いようが無い。しかし、とりあえず何故メトゥスがクロとニンブスに下方面でからかわれがちなのかはわかった気がする。

 こちらの世界のルールで言えば、問題が無いからだ。ニンブスはメトゥスよりも立場が上だから、やりたい放題。クロが言う事が不快なのであれば、メトゥスは魔族のルールに則って力尽くで降せば良い。魔王なのだから、その力はあるはずだ。……となると、やはりメトゥス自身が精神的に強くなる他は無いのだろうが……現状、難しそうである。

 様々な思考を巡らせる優音を他所に、ニンブスは何やら楽しそうだ。

「二十六歳なら、メトゥスとは同い年だね。生まれ月も同じとなると、何か運命めいた物も感じるんじゃないかな?」

「だから! そういうのはやめてくださいってば!」

 顔を赤くして怒っている。そういう反応をするから、より一層からかわれるのではないだろうか。……いや、どちらが悪いかと言えば、嫌がってる相手をからかう方が悪いのだが。少なくとも、優音の感覚では。

 しかし、更にからかうのかと思いきや。流石に、からかい過ぎたとでも思ったのだろうか。ニンブスは「ごめんごめん」と言うと、窓枠に腰掛けた。苦笑しながら、顔を優音に向けてくる。

「これ以上メトゥスを怒らせる前に、今日は帰るとするよ。ユーネ、また今度ね」

「……はぁ」

 また来るつもりらしい。

 優音の曖昧な返事に頷くと、ニンブスはふて腐れた様子のメトゥスに向き直り、やや真剣な顔をして言った。

「……メトゥス」

「……何です?」

「理由が何であれ、人間をこちらの世界に住まわせる事にしたんだ。このまま留め置くつもりなら、彼女を魔族化する事だけは、ちゃんと考えておかないと駄目だよ。魔族と人間では、体の作りが違うからね。魔族化しなければ、そのうち不具合が出るよ」

 言われて、メトゥスの顔がハッと強張った。少し、青褪めているようにも見える。

「……わかって、います……」

「なら、良いんだ。それから、人間の世界への侵攻も、もう少し真剣に取り組むように。僕は良くても、上がそろそろ業を煮やし始めているからね」

「……わかりました」

 神妙な顔をして素直に頷くメトゥスに、ニンブスは頷き返す。そして、「それじゃあ」と言うと、ニンブスは灰色の翼を広げ、窓から空へと飛んでいってしまう。

 そう言えば、メトゥスが話に割り込んでくる前。ニンブスは、優音に何を言おうとしたのだろうか。気になったが、当のニンブスは既に空の上まで飛んでいってしまい、問う事はできない。

 では、メトゥスは何か知っているのだろうか。彼なら、教えてくれるのだろうか。

 そう思ったが……メトゥスの様子を見てみれば、顔は先程よりも青褪め、体は小刻みに震えている。とても、真剣な話をできる状態ではなさそうだ。それどころか、すぐに横になって休んだ方が良いように思える。

「……メトゥス?」

 恐る恐る、声をかけてみる。するとメトゥスはハッと我に返り、優音の方を見る。そして、「ユーネ……」と小さな声で呟くように言った。

「あの、すみません……今の話、どこから説明すれば良いか……」

「後で良いから、今は休んだ方が良いんじゃないの? 顔、真っ青よ?」

 そう言うと、彼は「そうですか……」と呟いて、黙り込む。

 しかし、やがて意を決した顔で優音を見ると、意外にもはっきりとした声で、言った。

「でしたら……今夜、僕の部屋に来てください。その時、色々と話しますので。ただ、その……入った時、扉は開けっ放しで。僕からも、ある程度距離を取った上で話を聞いてください。一歩や二歩で詰められるような距離にならないように。……良いですか?」

 意味がわからないが、今は頷くしかあるまい。

 優音は曖昧に頷くと、顔が青いままのメトゥスを、彼の部屋へと連れて行く。とにかく今は、休ませるべきだろう。

 彼が部屋でベッドに潜り込んだのを確かめてから扉を閉め、元々やろうと思っていた掃除作業に戻る。

 今夜、どんな話を聞かされるのか。不安と緊張に、包まれながら。











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