僕と私の魔王生活











 夜になった。

 優音はメトゥスの部屋を訪れ、指示通り扉を開け放したまま、部屋の内へと足を踏み入れる。そして、ぎょっとした。

 メトゥスは部屋で待っていた。体調は元に戻ったのか、もう顔色も悪くない。それは良いのだが……。

「……何やってるの?」

 問うて、優音はまじまじとメトゥスの姿を見る。

 恰好に変わった点は無い。ただ……左手首を、ロープで椅子の背もたれに縛り付けていた。簡易的ではあるが、自ら拘束されている形である。

「いえ、その……これからする話を聞いてもらうには、こうしておいた方が安心かと思いまして」

 一体どういう話をしようと言うのか。訝しみながら、これまた昼間の指示通り、メトゥスから数歩分距離を取って、辺りにあった椅子に座る。

「それで……話って?」

 話を促すと、メトゥスはしばし、話し辛そうな顔をして言葉を探した。やがて、「その……」と口を開く。

「昼間の、僕とニンブスの会話で……聞こえましたよね? 魔族化、って言葉……」

 その問いに、優音は黙って頷いた。

「ニンブスの言葉からも大体察しはついていると思うんですが……人間と魔族では、体の作りが違います。そして、人間の世界と魔族の世界は、似ているようで、細部が異なる。空気の質が少しだけ違ったり、食べ物も似ているようで成分が異なったりします。魔族は魔族の世界の環境に、人間は人間の世界の環境に適応して生きていけるよう、これまで進化を続けてきました。それが、急に住む世界が変わったりしたら……どうなるかは、想像がつきますよね?」

 再び、優音は頷いた。

 人間の世界の中でだって、急に環境が変われば体調を崩す。ましてや、住む世界すら変わってしまったら、どうなるか。想像するに、難くない。

「ですから……このままこの世界で暮らしていれば、いずれユーネは、体を壊します。治す方法は無く、そのまま死んでしまうかもしれません」

 最初にその可能性を伝えられずにいて、すみません。そう、メトゥスは謝り、頭を下げた。

「それで……その問題を解決する方法が、魔族化……?」

 推測で、優音は呟いた。話の流れを考えるに、それしか考えられないだろう。案の定、メトゥスは頷いた。

「魔族は人間の世界に侵攻して、支配する計画を立てていますから。……そういうイベントを起こすように、神様から求められていますから。だから、そのための能力をいくつか与えられているんです。例えば、人間の世界を魔族が住める環境にするための魔法とか」

 ただしこれは、魔族が実効支配している土地にのみ使える魔法だ。その辺りのルールは厳格で、ただ現地に行って魔法を使用しただけでは効果が無い。

「あとは、支配した土地の人間を連れてきて奴隷……いえ、家来にしたいと思う魔族がいる事も想定しているんでしょうね。人間を魔族にして、魔族の世界に適合させる方法も、あるにはあるんですよ……」

 そう言うメトゥスの顔は、どこか暗い。あるにはあるが、使いたくない。そう言いたげだ。

「だから、ユーネがこのままこの世界で暮らす事を望むのであれば、この方法を使って魔族の体になって頂く必要があるわけですが……」

 言葉を濁すメトゥスに。優音は顔を顰めた。メトゥスの説明は相手の反応を窺い過ぎるばかりに遠回りになりがちだと昨日から感じてはいたのだが、今回はまた格別にまどろっこしい。

「随分言い淀んでいるけど……危険な方法なの?」

 水を向けると、メトゥスは「うー……」と唸り、言おうかどうしようかと迷う様子を見せる。どの道話さなければいけない事なのだし、ここまで話してしまったのであれば覚悟を決めて最後まで話してもらいたいところだ。

「あの、ですね。すっごく言い辛いんですが……その……人間に魔族の体液を一定量与えると、魔族化するんですよ……」

 その説明に、優音は「え」と短く呟く。体液、という事は。

「それは……血液とか、唾液とか、そういう……?」

「まぁ、それでも良いんですけど、人間一人に注ぎ込む量としては必要量がちょっと多くて。……どの体液かによって必要量も変わってくるようなんですけどね。唾液だとそれだけの量を出すだけでも時間がかかり過ぎますし、血液だと魔族側の生命維持にも関わってきますから、おいそれと出せないんですよね……。あとはその、せい……あー……」

「……精液?」

 顔を顰めて言うと、「あーっ!」という叫び声が返ってくる。

「折角濁したのに、ズバリと言わないでくださいよ!」

 顔を真っ赤にして、メトゥスは近くにあったクッションを抱えると顔を埋めた。

「嫌でもこの話になるから、こうしてるんですよ……。僕が椅子に繋がれていてすぐに動き出せない状況で、一息に詰めれる距離じゃなくて、扉も開けっ放しですぐに部屋から出られる状況なら多少は安心できるんじゃないかと思ったので……」

 要は、この話を口実に手籠めにされる心配を優音がするのではないか、と心配したわけだ。慎重過ぎる気もするが、その気遣いはありがたい。

 たしかに、すぐに逃げられると思えば、落ち着いて話も聞けるというものだ。優音の部屋はすぐ隣で、内側から鍵をかける事もできるわけだし。

 ただし、この城の主はメトゥスであり、彼はこの世界を統べる魔王でもあるので、彼が本気を出したら逃げ切れるわけがない筈なのだが。……まぁ、彼の性格が性格であるので、この点については気付かなかった事にしておこう。……と、優音は一人納得して頷いた。

「それで、つまり?」

 今回この部屋に呼び出された話のまとめを、優音は求めた。大体察しはつくが、この話の主導権を握っているメトゥス自身の口から聞いておきたい。

「……優音には今、選択肢が四つあります。一つ目は、人間の世界へ戻って、これまで通りに暮らす事。二つ目は、魔族化せずにこのままこの世界で暮らし、元の世界にいた時よりもずっと早い寿命を迎える事。三つ目は、僕から致死量ギリギリの血を抜いて飲み、魔族化する事。ただしこの方法を実行すると、恐らくユーネは他の魔族達の手で殺されます。仮にも魔王に大量の血を流させる事になってしまうので。……それで、四つ目が、その……」

「メトゥスと閨を共にする、という事ね」

 敢えて言葉をぼかしてみた。すると、メトゥスはあからさまにホッとした顔をしている。この話題を出すのを、相当躊躇っていたらしい。

「そう……なんですけど。好きでもない相手とそういう事になるのは嫌でしょうし、僕も無理強いはしたくありません。それに、魔族化すると見た目も変わってしまいます。ですから……」

 言い掛けたメトゥスを手で制し、優音は立ち上がる。そして、ツカツカとメトゥスに近寄ると、その場にしゃがみ込み、メトゥスと視線を合わせた。

「戻るか、死ぬか、あなたを殺して私も殺されるか、そういう事をしても良いと思えるほどあなたを好きになるか。私に残された選択肢はこの四つ。そういう事ね?」

「ちょっ……ユーネ!」

 視線を逸らしながら、どこか怒っているような声をメトゥスは発した。

「今までの話を聞いていて、どうしてこう迂闊な行動を取るんですか? 僕が貴女を絶対に襲わないという保証は無いんですよ?」

 近寄った事を言っているのだろう。たしかに、今までに二人きりで襲われなかったからと言って、今後もそうならないという保証は無い。だが。

「私が絶対に逃げ切る事ができる道を用意して、自分を拘束までして。こうして私の事ばかり心配していて……少しは、自分の心配もしたら?」

 そう言って、メトゥスの頭を撫でる。

「……え?」

 戸惑う様子のメトゥスに、優音はため息を吐いて見せる。

「推測なんだけど、頭、いっぱいいっぱいになっているんじゃないの? 性格的に向いていないみたいなのに、魔王の責任からは逃れられない。同じ魔族なのに、仮にも魔王であるあなたを完全にナメている者もたくさんいる。絶対にやらなければいけない人間界への侵攻も上手くいっていないし、計画は私が駄目出しばかりしちゃったし。ニンブスや神様からも急かされてるし、おまけに私の処遇まで考えないといけない」

 つらつらと言いながら、メトゥスの様子を見る。瞳が、揺れている。動揺している様子だ。優音は、再度ため息を吐いた。

「私もね、一昨日までは同じだったから。周りに仕事は頼まれて、けど、ナメられていて。全部自分がやらなきゃって、焦ってた」

 それで、全部が嫌になりかけていた。自分で死ぬ事はしたくないが、死んでも構わないと思っていた。

「あなたから致死量の血を抜くなんて選択肢があるのに、それを隠そうともしないし、やめて欲しいとも言わない。……同じように、死んでも構わない、って思っちゃってるんじゃないの?」

「……」

 メトゥスは、何も言わない。図星のようだ。

「私が言えた義理じゃないけど……一人で抱え過ぎだと思うわ。せめて、クロあたりに相談してみたら?」

 そう言うと、メトゥスは力無く苦笑して、呟いた。

「本当に……たった二日で変わり過ぎですよ、ユーネは。まるで、水を得た魚じゃないですか」

「自分でも不思議に思ってるわ。……それだけ、元の世界での暮らしが合ってなかったのかもしれないわね」

 そう言って、メトゥスの左手首と椅子の背もたれを結び付けていたロープをほどき、立ち上がる。

 呆然と自身の左手首を見詰めるメトゥスに背を向けると、優音はさっさと部屋の扉まで移動し、一度だけ、振り向いた。

「そういうわけだから、選択肢のうち、元の世界に戻るのだけは最初から考えていないわ。三つの選択肢からどれを選ぶかは……少し、考えさせてちょうだい。それじゃあ……おやすみ」

「え? ……あ、はい。おやすみなさい……」

 言い切る前に、扉はバタンと音を立てて閉じられた。

 閉じられた扉を、メトゥスはぼうっと見詰め続ける。そして、しばらくしてから視線を移し。再び、己の左手首を、じぃっと見詰めた。

 一体、どれほどの時を、左手首を見詰めて過ごしただろうか。かなりの時が経ってから、メトゥスは左手首から視線を外し。そして、深い溜め息を吐いた。











web拍手 by FC2