僕と私の魔王生活











 目覚まし時計が鳴ったわけでもないのに、目が覚めてしまった。

 朝早く起きる事に慣れてしまった体は、寝坊をする気が更々無いらしい。

 起き上がって、辺りを見渡す。

 シンプルながら、高価な物であるとわかる品で構成された広い部屋。窓の向こうに見える、見慣れない風景。ゆっくりと、昨日の記憶が蘇っていく。

 あぁ、そうだ。魔族の世界に連れてこられたんだった。けど、元の世界での生活が息苦しいと感じていたから、何だかホッとしてしまって。なんやかんやと色々あった末に元の世界に戻らなくても済んで、魔王の城に住む事になったのだった。

 ……言葉にしてみると、あまりにも非現実的だ。しかし、体の一部をつねってみれば痛いし、目覚めた時特有の渇きの感覚もリアルだ。これは現実だと、早めに認めておいた方が良いだろう。

 横にあるベッドを見てみれば、己をこの世界へ連れてきた張本人、魔王のメトゥスが気持ちよさそうに眠っている。こうして眠っているところを見ると、角が生えている事を除けば、人畜無害な人間にしか見えない。

 ……いや、眠っていなくても、彼は人畜無害なのだろう。己とのやり取りや、クロという名のカラスとのやり取りを見ていれば、彼が真面目で大人しい、魔王にはてんで向いていない性格だという事がわかる。

 向いていないと自覚もしているようだし、魔王なんてやめれば良いのに……と思わなくもない。だが、真面目で大人しい人間ほど、周囲の期待に応えようと無理をしてしまうのが世の常だ。それはどうやら、魔族の世界でも同じらしい。

 元の世界では自分もそうだった、と優音は目を細める。息苦しいと感じながらも、周りから浮いてしまうのが恐ろしくて。何でもかんでも頑張った。辛くても苦しくてもそれを顔に出さず、常に笑顔でいようと努めた。

 それが増々苦しさを募らせる事になっても、やめる事はできなかった。やめる事で、周りから責められるのが怖かった。いっそもう死んでしまいたいと、心の中で何度も願った。だが、失敗した時の事を思うと、自死に踏み切る事もできなかった。それほどまでに、追い詰められていた。

 それが何故か、魔族の世界に来てからそのような恐れを抱かなくなっている。初めのうちこそ、追い詰められて病んだ精神を引き摺っていたものの……時間が経つにつれ、どんどん言いたい事を言えるようになっていった。

 まるで、実家に帰った時のような気安ささえ覚える。不思議だ、と思いながら、優音はベッド代わりのソファから立ち上がった。

 多少の物音を立てても、メトゥスが起きる気配は無い。よっぽど疲れているという事か、魔王である自覚や緊張感が足りないのか……。まぁ、どちらでも良い。

 昨日教えてもらった手洗い場へ行き、洗顔をはじめとした朝の身支度を済ませる。意外な事に、水は綺麗だ。

 誰が気を利かせてくれたものか、昨日案内してもらった時には無かったように思う、化粧水や乳液らしき物があった。女性の魔族用だろうか。少しだけ手の甲に出してみて影響が無いか確かめてから、顔に施す。

 化粧は自分の物が鞄に入っていたはずだが、何だか面倒に感じてしまう。元から薄化粧で、化粧をしようがしなかろうが、顔の印象はさほど変わらない。ならば化粧は省いてしまおう、と決めた。

 さて、朝の身支度が終わったところで、暇だ、と感じた。

 暇ならのんびりすれば良い、と考えられれば良いところだが、それができないのが人間の世界で真面目を取り得にしてやってきた者の悲しさである。とにかく、何かやっていないと落ち着かないのだ。

 何かやる事は無いかと考えた結果、思い付いたのが料理である。とりあえず朝食を作っていれば、やる事はある。掃除など、他にやれる事が無いかも、後で確認しよう。

 台所――厨の場所は、昨日軽く案内されたため知っている。行ってみれば、ちょうど調理担当者がやってきたところだった。

 自分の分の朝食を自分で作りたいから調理スペースを一部貸して欲しいと言ってみると、意外にもあっさりと許可された。それどころか、どうせなら魔王さまの分も一緒に作ってやってくれ、などと言われる。

 調理担当者の、職務放棄感が甚だしい。そして、メトゥスのナメられっぷりも相当だ。

 クロも大概馬鹿にし過ぎだろうとは思うが、それでも発言には温かみが多少なりとも感じられた。城に来てから出会った、メトゥスの臣下達も同様だった。だが、この調理担当者の言葉には、それが無い。身分の差――延いては、普段メトゥスとどれだけ親密な付き合いがあるかの差、なのかもしれない。つまり、多くの魔族はこの調理担当者と同じような印象をメトゥスに抱いているわけで……。

 これが、一般的な魔族から見た最弱の魔王(メトゥス)の評価なのか。彼はいつも、このような評価に晒されながら、気性に合わない魔王などという役目に就いているというのか。

 どこの世界も、本質は変わらないな……と、優音はため息を吐く。そして、メトゥスの分の朝食作りも請け負うと返した。何か仕事が欲しいと思っていたところだし、一人分も二人分も、それほど手間は変わらない。

 そう言うと、調理担当者は喜び勇んでさっさと帰ってしまったではないか。よっぽど働きたくないらしい。

 帰ってしまうのは構わないのだが、帰る前に調理器具の使い方とこちらの世界の食材の特色ぐらいは教えて欲しかった……と心の中で呟きながら、優音は食料置き場を漁ってみる。

 肉はあるが、何の肉かわからない。卵もあるが、殻が緑と紫のまだら模様だ。野菜は……葉物野菜らしき物と、根菜らしき物はあるが、元居た世界の野菜と比べると妙に大きくわさわさしていたり、妙に根が絡み合って何なら顔らしき物が見えたりと、味も調理方法も未知数な物ばかりだ。

 そう言えば、昨日の夜出してもらった軽い夕食も、何も考えずに食べたが材料はさっぱりわからなかった。今思うと、よく何も考えずに口にできたな、と思う。それだけ、心身共に疲れていたという事か……。

 調理台も、どうすれば点火する事ができるのかすらわからない。

 これでは、とても調理などできそうにない……と、思ったのだが。ここで優音は、再び不思議な感覚を味わった。

 この野菜は、人間の世界で言うならあの野菜に味や食感が似ている。この肉に一番味が近いのは、あの肉だ。……と、勝手に頭の中に情報が流れ込んでくる。

 調理器具も同様だ。こうすれば火が点く。ここを捻れば火力を調整できる。などと、まるで体が元々知っているかのように動いて試しに点火をし、火力の調整をし始めた。

 これなら、朝食を作る事に関しては問題無くできそうだ。しかし、本当に何故、初めて見たこの世界の食料や調理器具の事がわかるのだろうか?

 首を傾げながらも、手早く野菜スープと、ベーコンエッグもどきを作る。パンのような物も見付けたため、火の上に網を載せ、その上で炙った。

 粗方準備ができたところで、廊下が騒々しい事に気付く。誰かが、大きな足音を立てながら走ってくるのがわかった。

 この城で、こんな音を立てて移動するようなのは彼ぐらいだろうな、などと考えながら、皿をテーブルの上に置く。椅子もあるし、厨の主は帰ってしまったし、このままここで食べてしまっても問題あるまい。

 二人分の皿を配膳し終えたところで、厨の扉がバンッと音を立てて開いた。視線を巡らせてみれば、そこには予想通り、息を弾ませたメトゥスが立っている。何をそんなに慌てているのか、寝巻の上に上着を引っ掛けただけだ。

「ユーネ! 何してるんですか!」

「何って、朝食の準備だけど?」

 事も無げに返すと、メトゥスは気が抜けたようにがくりと肩を落とし、ため息を吐く。

「……お願いですから、何も言わずにいなくならないでください……。何かあったかと思っちゃったじゃないですか……」

 ぐっすり眠っていたから声をかけなかっただけなのだが、たしかに書き置きぐらいは残しておいた方が良かったかもしれない。一応は、捕虜と言う体でメトゥスに保護されているようなものなのだし。

 そう、反省し。謝罪の言葉を口にすると、メトゥスはホッと胸を撫で下ろした。本当に、魔王なのに至る所で気を使い過ぎなのではないだろうか。

 ホッとしたからだろうか。メトゥスの腹が、ぐぅ、と大きな音を立てた。恥ずかしそうな顔をする彼に、優音は少しだけ苦笑して、テーブルの上を指差した。

「……朝ご飯。一応、メトゥスの分も用意してあるけど?」

 そう言うと、メトゥスは驚いたように目を丸くし、次いで、ふにゃりと嬉しそうな顔をして、言った。

「ありがとうございます。いただきます」











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