駆出し陰陽師と夜桜の君




















「おい、季風。ちょっとツラ貸せ」

陰陽寮の一角に急ごしらえ感満載で作られた、調伏を専門とする陰陽師達の室。そこで式神作りに勤しんでいた季風に、上司が手招きと共に声をかけてきた。

上司の名は、瓢谷隆善。元々、この部署ができる前から陰陽師として活躍していたそこそこの実力者のはずなのだが……季風の姉に弱味でも握られているのか、恩でも売られたのか。色物集団として名高いこの部署の統括役を本来の業務と兼任で担っている。

尚、季風の名は本来であれば〝すえかぜ〟である。しかし、勤務中は〝きふう〟と有職読みで呼ばれる事が多い。隆善も本来なら〝たかよし〟だが、普段は〝りゅうぜん〟と名乗るようにしている。

本来の読み方が相手に知られる事で、呪われてしまう事もあるからだ。呪詛や解呪、調伏を行う陰陽師は、死と隣り合わせの危険な仕事なのである。少なくとも、季風の感覚では。

それはさておき、その上司のお呼びである。季風は恐る恐る小刀と紙を机に置き、隆善の許へと足を運んだ。

「何でしょうか? あの……先日の報告書に誤字があったとか……?」

「このクッソ忙しい時に誤字なんてつまんねぇ失態やらかした奴を、こんなに優しく呼ぶわけがねぇだろ?」

「別に優しくはなかった……いえ、それで、何の御用でしょうか?」

ここのところ依頼が立てこみ、下っ端の季風は勿論、上司の隆善もかなり忙しい。寧ろ、統括役である隆善が一番忙しいだろう。

つまり、最近の隆善はとにかく機嫌が悪い。元々機嫌の良い日の方が少ないぐらいなのに、輪をかけて少なくなっている。そして、隆善は元来気が短く、怒るとすぐに手が出る。手が大きくて握力が強いので、頭を掴んで五本の指で圧力をかけてくる事もあり、これがまたすこぶる痛い。

また、忙しい時に上司に呼ばれる、という事ほど嫌な予感がする事は無い。こういう時は大抵、余計な仕事が増えるものだ。

何が言いたいかと言うと、隆善と話をするのが怖い。

しかし、だからといっていつまでも引き延ばしていると更に怖い事になりかねないので、季風はすぐさま本題を問うた。

すると、隆善はぴらりと一枚の紙を手渡してくる。反故らしいその紙を裏返して見てみると、そこには走り書きで誰ぞの邸の所在が簡単に書かれていた。

「新しい依頼だ。お前、こないだまで受け持ってたがしゃどくろの調伏が終わったところだし、今なら手ぇ空いてるだろ。今からちゃちゃっと行ってこい」

その言葉に、季風はがくりと項垂れた。「やっぱり……」という言葉が、呻き声と共に口から漏れる。

助けを求めて回りに視線を配ってみるが、誰も彼もが忙しそうだ。調伏以外の能力が著しく怪しい者が多い部署とは言え、報告書ぐらいは自分で書かねばならない。そして、ここのところ依頼が立てこんでおり、いつでも必ず誰かが外に出向いている状態であり、手が空けばすぐさま次の依頼を担当させられるという具合であり。

つまり、ここに居る者は全員、報告書の作成中か、現在抱えている依頼を片付けるために調べものをするか誰かに相談している者なのである。暇な人間がいるはずがない。

隆善の方を見てみれば、目が「ぐずぐずしてねぇでさっさと行け」と言っている。このまま季風を呪い殺せそうな眼力だ。

命の危険を感じ、季風は即座に机の上を片付けた。

「それじゃあ、行って参ります!」

そう言うと、返事も待たずに室を出る。

このままぐずぐずしていたら、冗談抜きで己が調伏される側の存在にされかねない。





  ◆





「桜の木の下に、女の鬼が出るのじゃ」

訪ねた邸の主人が、季風が問いかけるのも待たずにこう言った。そんな彼が指差す先には綺麗に整えられた庭があり、ちょうど満開を迎えたらしい桜の木が見えた。中々立派な木で、年季を経ていそうだ。ちょっとした古木である。

ひとまず桜の木について問うてみると、数年前に山から運び出してきて植樹した物だと言う。どこの山かと問えば、覚えていないという答が返ってきた。

「それで、出るんですか? あの桜の木の下に……」

本題に移ったところ、邸の主人は首を千切れんばかりに勢いよく振って見せた。

「そうなんじゃ! 桜の花が咲き始めてから、毎晩毎晩! 最初のうちこそ、見目麗しい女人よ、どこの姫が忍んで来たのかと思うておったが、家人でその女の事を知る者は誰一人としておらぬ! 誰の手引きも無しに敷地に入り、毎晩桜の木の下で一晩中立ち続けておる! ここまで来ると、見惚れる前に気味が悪くなってしまってのう……」

まぁ、たしかにその状況では、ただの人ではあるまい。ただの人であっても無断で敷地に入ってこられたら薄気味悪い。

「家人達も次第に気味悪がりだして、里に帰るの帰らないのと言いだす者まで現れてのう。それで、何とかあの夜桜の君を調伏して欲しいと、陰陽寮に頼み込んだ、というわけじゃ」

「夜桜の君?」

突然出てきた単語に季風が首を傾げると、主人は「おぉ、うっかり」と苦笑した。

「あの女を美しいものと思って見惚れておった頃に、戯れに名を付けたんじゃ。夜にのみ、桜の木の下に現れる、夜桜の君、とな」

「なるほど……」

頷き、そして季風は靴を履いて庭に降りた。すぐに結界を張れるぐらいには警戒しつつ、桜の木に近付く。

そして、桜の木の真正面まで進んだ時、季風は唖然とした。

木の周りに、全体的に掘り起こされたような跡がある。土竜などの動物では、このような跡はできない。明らかに、人が道具を使って掘り起し、再び埋めた跡だ。

「……あの、これは……?」

恐る恐る季風の後ろから様子を窺っていた主人に、木を指差して問うてみる。すると、主人は事も無げにこう言った。

「いや、何。いきなり呼び付けてしまっても悪いと思ったものじゃから、まずは自分達で調べてみたのじゃよ。ひょっとしたら、屍か、呪いの品か……何か埋められておるのやもしれんと思うてな。わしは、こう見えて書を読む事が趣味でな。呪術に対抗するすべも、いくつかは知っておる。じゃが、何も出てこなかった。ひとまず埋め戻して塩を撒いておいたが……」

その言葉に、季風は思わず頭を抱えた。こういう、中途半端に知識を持つ素人が一番怖い。

何故こういう人種は揃いも揃って半端に手を出して事態をややこしくしてから本職を呼び付けるのか。下手に手を出さず、最初から丸投げしてほしい。その方が、まだ面倒が少なくて済むというのに。

しかし愚痴を言ったところで始まらない。季風は、さっさと仕事に取り掛かる事にした。

ざっと見たところ、木自体に呪がかかっている様子は無い。周囲の土も同様だ。特に何かが仕掛けられている様子も無く、妙なものが巣食っているわけでもなさそうだ。

「……となると、夜を待ってみるしかないか……」

そう結論付け、季風は邸の主人に、庭で夜明かしする許可を求める。要望は、勿論即座に受け入れられた。

全ては、夜になってから。

夜を想い、気を新たに引き締めつつ。季風は桜の木を見上げた。

雪と見紛うような花びらが、ひらひらふわふわと、舞い落ちている。

綺麗な桜だな、と、季風は何気無く思った。





  ◆





陽が落ち、夜はすぐにやってきた。

庭石に腰掛けたまま、季風は桜の木を見張っている。薄暗くなった中、白い花びらがふわふわと舞い落ちる様は昼とはまた違った美しさがあると、季風は思った。

やがて、ひらひらふわふわと。舞い落ちる花びらの量が増え始めた。

ひらひら、ふわふわ。ひらひら、ふわふわ。

花びらはどんどん増える。大雪かと見紛うほどに降り注ぐ。咲いている花よりも多く、これ以上落ちたら木が丸裸になってしまうのではないかというような量が。止む事無く、降り続く。そして、咲き誇る花は減る様子が無い。

奇怪な。だが、不思議と恐ろしさは感じない。それどころか、闇夜に降り続ける花の雪、その光景の美しさに酔いそうだ。

やがて、吹雪のようなその花びらの中に、うっすらと人の姿が見えるような気がし始めた。それは次第に、見えるような気がする、から、見える、に。

薄花桜の襲。黒く流れる髪には、何で作られているのか淡い白の髪飾り。

儚げな顔。切なげな表情で、一点をじっと見詰めている。

季風は思わず、息を呑んだ。

その、美しさに。夜桜の君と呼ばれる彼女が纏う、気の清浄さに。

……そう、清浄だった。穢れを知らぬであろう、純粋で、清浄な気。

あまりに清浄故に、その気だけで彼女が人ではないのだと知れる。そしてそれと同時に、鬼でも有り得ないと、季風は感じた。

多くの鬼は、人に害を成すもの。もしくは、人が人を呪う気持ちが姿形を得、人々の目の前に現れ出たもの。それがこんな清浄な気を発しているとは考えにくい。

悪いものではない。

そう判断した季風は、警戒をやや解き、ただ夜桜の君自信と、その周辺へと視線を配った。悪いものではないとは言え、彼女が現れるようになった原因、どうやったら現れなくなるのか、を見極めなければ、依頼を解決した事にはならない。

依頼をいつまで経っても解決できないと、隆善に何を言われるかわかったものではない。ひょっとしたら、拳も飛んでくるかもしれない。仕事で苦戦していると知られれば、姉にも小言を言われるだろう。

それらの恐怖が頭を過ぎり、真剣に観察する。幸か不幸か、夜桜の君は季風に一切興味が無いらしく、ずっと見詰めていたところで、怒りだす事も無い。

季風はまず、夜桜の君が何を見ているのか。その視線の先を追ってみた。

門だ。この邸に入るための、門が見える。門の周辺には何も、誰も見えない。だとすると、彼女が見ているのは門そのものか、門の先にある物か。

夜桜の君に、突然消えてしまいそうな様子は無い。そこで、季風は少しだけ桜の木から離れて、門の先を見に行った。

何も無い。門を開けてみても、そこにあるのは路だけだ。

首を傾げて木へと戻り、そしてまた夜桜の君や木の周辺を観察する。夜桜の君は、一向にこちらの興味を示す様子が無い。すこしだけ、寂しい。

木を調べていて、季風は「ん?」と呟いた。何となく、だが、木の内側から何者かの気配を感じる。それは、今そこに見える夜桜の君と同種の気配のような、違うような……。

よくわからない事に固執して考え続けていても効率的ではない。その点を考えるのは後回しにして、季風は更に辺りを調べ続けた。

だが、調べども調べども、特に何も見付からない。ただひたすら、地面に花びらが降り積もり続けているだけだ。

そうこうしているうちに、空が白み始めてしまった。舞い落ちる花びらの量が次第に減り、夜桜の君の姿も透けていく。

そして、鶏の鳴き声が聞こえて……夜桜の君は、完全に姿を消してしまった。それと同時に、あれだけ降っていた花びらもまるで見えなくなってしまう。これまでは地面が見えないほど積もっていた花びらが無くなり、今では土の面の方が多いぐらいだ。

何の成果も無かった事に溜め息をつきつつ、季風は辺りに散っている花びらを何枚か拾い始めた。どう見ても普通の花びらだが、陰陽寮に持ち帰って調べれば、ひょっとしたら何かがわかるかもしれない。

一枚一枚を丁寧に拾って、懐紙に載せていく。そして、ある花びらを手にした時、季風は眉をひそめて首を傾げた。

今手に取った花びら、感触が植物のそれではない。ざらざらしているし、持ち方を変えるとつるつるともしている。

徹夜明けの頭ではそれが何なのかすぐに判断する事が出来なかったが、それでも少し間を置けばわかる。

「……何で、こんな物がこんなところに……?」

呟き、季風は手に取ったそれをまじまじと見る。

それは、桜のようであれど桜にあらず。桜の花と似た色をした、貝殻だった。





  ◆





「何なんだろうな、これ……」

陰陽寮に持ち帰った花びらと貝殻を眺めながら、季風はぽつりと呟いた。

調べてみたところ、これらに特に呪のようなものはかかっていないようであった。ただの花びらと、貝殻。ひとまず、安心である。

しかし、呪がかかっていなかったとなると、この貝殻は何故桜の木の下にあったのだろうか。誰があの場に置いた? 何のために?

「そもそも、これってどういう貝なんだろう?」

ふと、まず季風がこの貝そのものについての知識も持ち合わせていない事に気付いた。どういう名の貝なのか、という事すら。名も知らぬのでは、この貝に何があってもわからないのも当然ではないか。

名というのは、呪を扱う者にとってはいわば、個人情報の塊だ。名を知る事で正体も知る事ができるし、相手を支配下に置く事だって実力次第ではできる。それを避けるために、季風や隆善は仕事の時に名前の読み方を変えているのだ。

だから、相手――今回の場合は、この貝――の事を知りたければ、まずは名を知らなければならない。

まずは、貝の名を調べよう。行動の糸口を掴んだ季風は、若干顔を明るくして、立ち上がった。だが、その顔からはすぐに明るさが消える。

どうやって調べれば良いのだろう? 貝の絵が載っている書物など、あっただろうか?

誰かに訊いた方が早いかもしれない。だが、わかりそうなのは誰がいるだろうか? そもそも、周りを見渡せば誰も彼もが忙しそうだ。中には忙しさのあまりに殺気立っている者までおり、下手に声をかけたりしたら呪殺されかねない。

「おう、季風。どうした? 何か面倒事になりそうなら、本当に面倒になる前に誰かに相談しろよ」

困っている気配を察知したのか、隆善が声をかけてくれた。普段は口が悪く手も早くて怖い人物だが、こういう時は良い上司だな、と思う。

「はい、実は……」

「たかよしさまー。何か来客らしいですけどー?」

季風が相談しようとしたその瞬間、間延びした声で隆善を呼ぶ者があった。それも、本名で。あっという間に隆善の顔は恐ろしく歪む。

「仕事中はたかよしじゃなくて、りゅうぜんだ、っつったろうが! あと敬称嫌々言ってんのが透けて見えてんのはわざとか? 真面目にやらねぇと呪い殺すぞ、このくそ野郎!」

最早、隆善に季風の姿は見えていない。そうでなくても来客があったようだし、当分相談に乗ってもらう事はできないだろう。

なら、結局季風はどうすれば良いのか? 誰に相談すれば良いのか?

考えに考えたが、結局思い浮かぶのは一人だけだった。

「姉上……以外にいないよなぁ……」

博識な姉の事だ。貝の名にも通じているかもしれない。だが、今から邸に帰って、姉に相談しているとなると、移動に費やす時がやや惜しい。昨晩は徹夜だったのだ。余分な時があるのであれば、その分どこかで仮眠を取りたい。

そこで、季風は文を書いた。貝の名や、それに関する知識を得たい旨を、どうとでも取れるように遠回しに書く。下手に仕事のためだとはっきり書くと、話を聞かせろ今すぐ聞かせろ、知識を得たくば帰って来い、ぐらい言いだしかねない。

あの何でもできる姉であればそれも可能だろうが、季風には無理だ。そんな時があるなら仮眠を取りたい。だが、何でもできる姉にはその理論が通用しない。自分にできる事なら他人にもできるだろうと、世間一般的には無茶に分類される事を要求してくるのが姉――らんの君という人なのだ。

書き終えた文を折って、鳥を形作る。そして、その背に落ちないように件の貝殻を載せた。

その鳥を机の上に置き、季風はさっさっと手早く印を切る。そして、小さな声で何事かを唱えると、「疾っ!」と鋭く声を発した。すると、紙の鳥は命を得たかのようにぱたぱたと羽根を動かし、宙へと浮き上がり、そして空へと飛んでいく。

こうして、姉に力を貸して貰うための文は姉の許へと飛んでいった。あとは返事を待つ他無い。そう結論付けた季風は、辺りの道具を一旦片付け、机の位置を少しだけ動かした。姉から返事が来るまで、ここで仮眠を取っておく事としよう。

そう決めて、仮の寝床を整えて。さぁ寝ようと横になった、その時だ。

さきほど鳥を見送った場所から、鳥が入ってきた。季風の鳥が戻ってきてしまったわけではなさそうだ。季風の鳥は白い紙で作った物だが、この鳥は模様が入っていて趣のある紙を折り作られている。

「……早過ぎる……」

唖然として、季風は右手を差し出した。鳥は迷う事無く季風の手に載り、そして動かなくなる。もう、ただの紙で折られた鳥でしかない。

開いてみれば、ころんと先ほどの貝殻が転がり出てきた。そして、文の中身はたしかに姉の手による物で、ご丁寧に彼女が普段愛用している香まで焚き染めてある。

読むのは早いわ、答えるのも早いわ、文を書くのも早ければ、それに短い間に香まで焚き染めてしまい、挙句自分自身も術を使って文を送る事ができる。

本当にあの姉は、色々と有能過ぎてもう意味がわからない。

兎にも角にも、折角送ってもらった文だ。仮眠を取るのは後回しにして読み、内容によっては礼の文も書いて送らねばなるまい。

そう思って、折角移動した机を元の位置に戻し、姿勢を正して姉からの文に目を通す。そして、何度も何度も読み込み、やがて。

「そうか……」

と、声が漏れた。

「そういう事だったんだ……。だとすると、夜桜の君があの邸に出ないようにするには……」

ぶつぶつと呟きながら、考えた事を反故に書いてまとめていく。そして、書き終え、筆を置くと同時に「よし」と頷いた。

「上手くいけば、今夜中には何とかなりそうだ。それにしても……」

独り言を言いながら姉の手紙に再び目を落とし、季風は苦笑した。

「ここまで想定して手を回してくださるとは……。本当に、姉上は有能と言うか何と言うか……何者なんだろう……?」

考えたところで答えが出るわけではないし、今考えるべき事はそれではない。季風は首を振ると立ち上がり、丁度戻ってきた隆善に一言声をかけて外へと出た。

仮眠など取ってはいられない。

今夜、夜桜の君に関する全てを解決するために。手に入れておかねばならない物があるからだ。

季風は、目的の場所に向かってずんずん歩く。

夜な夜な現れる美しい夜桜の君。その謎が解けるまでの時は、あと僅かだ。











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