13月の狩人
第三部
11
「あれは……テレーゼ……?」
テオが、自信無さげに呟いた。その横ではエルゼが、困惑した顔をしている。
無理も無い、と、カミルは思う。
今そこにいるのはテレーゼだが、テオの知らないテレーゼだ。
気配は間違いなくテレーゼの物だと、レオノーラは言っている。だが、顔立ちがカミルの知るそれより若干幼い。かといって、テオほど幼くもない。そして何より……渡してからはいつも着けてくれているらしい花のバレッタを、着けていない。
そっと、カミルは左腕に手を遣った。アミュレットの感触が、カミルの考えは間違っていないと後押ししてくれるようだ。
「多分あれは、二年前のテレーゼだね。それで……テオにとっては、三年後くらいのテレーゼだ」
テオには聞こえない程の声で呟き、レオノーラがそれに頷く。
二年前のテレーゼ。北の霊原へ続く道。そして、コロコロと変わる風景。
間違いない。これは、二年前の十三月だ。テレーゼが代行者となり、フォルカーを襲い、二人してカミルとレオノーラを目覚めさせようとしていた時の。
……という事は、近くに二年前のフォルカーもいるはずだ。カミルはテオ達を促し、そっとテレーゼの後を尾ける。
フォルカーの姿は見えないが、テレーゼは何かを発見したらしい。腰から杖を引き抜き、構えている。だが、躊躇っているのか……その杖は中々振り下ろされず、固まっている。ちらりとではあるが、顔に迷いがあるのが見て取れた。
それと同時に、カミルはテレーゼの立ち位置に既視感を覚え、そしてすぐに思い出す。
ここは四年前に、カミルがテレーゼ達に一芝居打った場所だ。代行者として、狩人のフリをして、テレーゼ達に矢を射かけ、そして助けるという演技をした。
そんな場所で、代行者であるテレーゼが杖を構え、迷う様子を見せている。何をやろうとしているのかは、明白だった。
このまま、躊躇って動かなければ良い。そうすれば、彼女は友人に矢を射かけるなどという行動を起こさずに済む。そう、カミルは思わずにはいられない。だが、その反面、彼女が行動を起こさなかった場合、どうなるのだろうという疑問が頭に湧いた。
二年前の十三月については、テレーゼとフォルカーの二人からある程度の話を聞いている。このままテレーゼが行動を起こさずとも、フォルカーは迷わず進み、そして南の砂漠へと行くだろう。だが、もしテレーゼが迷いを払しょくできず、砂漠に行かなければ? 狩人は、フォルカーの前に現れるだろうか? 現れたとして、フォルカー一人で狩人を倒せるのか?
狩人を倒せなかったとして……その時、自分はどうなる?
テオの存在から、今回の十三月は時空がねじれて繋がっている世界である可能性がある。……いや、ひょっとしたら元々繋がっていて、今までは気付かなかっただけかもしれない。
その世界でもし……二年前のフォルカー達が十三月の狩人を倒し損ねたら? カミルとレオノーラは、目覚めないままとなるのではないか? そうなったら、今ここで動いている自分達はどうなる?
多分大丈夫だろう、などという楽天的な考え方をする事はできない。ここは狩人の創った世界で、今は十三月なのだから。
背筋が冷たくなるのを感じながら、カミルは思考を巡らせた。フォルカーには悪いが、テレーゼにはフォルカーを攻撃し、カミルが話に聞いている通りの行動を取ってもらわなければならない。そのためには、どうすれば良いのか。
まずは、テレーゼをたき付ける必要がある。
だが、どうやって? カミルやレオノーラが出て行って「早くやれ」と言うのは論外だ。
元気に動いているカミル達を見た時点でテレーゼやフォルカーの目的は達成されてしまうも同然。かと言って、「このままではカミルが目覚める未来が消えてしまうから攻撃してくれ」と伝えるのを、狩人が見逃してくれるとも思えない。
……となれば、できる事は一つ。誰かが先にフォルカーを攻撃して、テレーゼを焦らせるしかない。
誰がやるか? 位置的に、カミルには難しい。フォルカーの姿を確認できない上に、恐らくテレーゼを挟むようになってしまっている。移動しても良いが、その行動をテオにどう説明すれば良い?
……一芝居、打つしかない。幸か不幸か、それに打ってつけの役者が、恐らくこの近くにいる。
「レオノーラ」
小さな声でレオノーラだけに話し掛けながら、カミルは鞄を探る。
「ブルーノ、まだ近くにいるかな? わかる?」
その問いを受け、首を傾げながらもレオノーラは辺りの気配を伺った。そして、険しい顔でこくりと頷く。近くに、いる。レオノーラが指差した方角を確認し、カミルもまた頷いた。
「テオ、良いかな?」
やや深刻そうな声で名を呼ばれ、テオは恐々とカミルを見た。それでも視線がちらちらと横に逸れるあたり、テレーゼ──テオから見ればテレーゼに似ている少々年上の女性の事が気になるようだ。
そんな彼の気を引き寄せるように、カミルは短く言った。
「ブルーノが近くにいる」
ヒュッと、テオが息を飲む音が聞こえた。彼に深く考える暇を与えぬよう、カミルはいつも装着している結界を張る魔道具を手渡しながら、矢継ぎ早に言う。
「ここは僕が何とか食い止めるから、テオは先に行っててくれないかな? この魔道具をつけていれば、多少の攻撃は防ぐ事ができるから。あと、逃げる時の注意点なんだけど……あそこに女の人がいるよね? あと、逃げている時にひょっとしたら獣人にも会うかもしれない。その人はひょっとしたら、君の知っている人に似ているかもしれないけど……彼らに、声をかけたら駄目だよ。かけたら……多分、大変な事になる」
一気に指示を出した後に、たっぷりと間を持たせて言う。恐らく……いや、絶対。これでテオはカミルの指示通りに逃げるし、テレーゼ達に声をかける事も無い。何ものでもない、過去の自分の事だ。どのように言えば彼がどう動くのか、カミルにはよくわかる。わかってしまう。
気が弱く、流されやすく、強く言われたら逆らえず、少し脅すような事を言われればそれに反するような行動は取れなくなってしまう。……あぁ、そうだ。このような性格を直したくて、カミルは狩人の代行者を引き受けたのだ。
しかし、今思い返せば、代行者として動いた時、その性格は多少改善されていた。テレーゼにもそのような事を言われたように思う。
代行者を経験しているうちに強気になれたのだろうか? ……いや、そもそも気が弱い人間が代行者を引き受ける事ができるのだろうか?
ならば、狩人に脅された? 宥めすかされ流された? ……記憶に無い。
どうやら、これもまた狩人に記憶を消されたかどうかしたようだ。カミルはため息を吐きながら頭を振り、テオに逃げるよう促した。
「そろそろ、本当に逃げて。……あ、もしあの二人のどちらかに姿を見られるような事があったら、喋らず、ただ笑って誤魔化すようにして欲しい。それできっと、何とかなるから」
テオはしばらく躊躇っていたが、やがて頷くと、エルゼと共に駆け出した。その後ろ姿を見送ってから、カミルはさて、と呟きつつ鞄の中から一つの魔道具を取り出した。小さなポーチに見えたそれは一瞬で大きくなり、カミルの顔より少し大きいほどのサイズになる。中には、正方形の薄い板が何枚も収納されていた。
カミルはそれらを、場所を選んで丁寧に敷き詰め、枯葉や土を被せて隠す。その場所は、レオノーラに探ってもらった気配から察知されるブルーノの進行方向上にある。そして、魔道具を敷き詰めた場所の更に向こうに、カミルは陣取った。
ブルーノがよっぽどおかしな進み方をしていない限り、彼は確実にこの場に現れる。現れた瞬間が……勝負時だ。
いくらカミルが十三月に慣れているとは言え、あちらは目的のためなら獲物以外にも平気で攻撃を仕掛けている様子のブルーノだ。カミルも獲物だと知られれば、容赦なく矢を射かけてくるに違いない。知られずとも、一つ間違えればこちらは命を落としかねない。
対峙の時を脳裏に思い描き、カミルは思わず、唾を飲み込んだ。