13月の狩人
第三部
12
ガサガサと音を立てながら茂みを掻き分け、ブルーノが姿を現した。
ブルーノは待ち構えるように立っていたカミルの姿を認めると、不機嫌そうに顔を歪めて、声を発する。
「お前……カミルと一緒にいた奴だな? 妙に似てるが、あいつに兄貴はいなかったはずだし……親戚か何かってところか?」
カミルは、答えない。無言のまま、先日ブルーノを追い払うのに用いた銃を取り出し、手で弄んで見せる。
威力の調整が済んでいないため、撃つ気は無い。だが、あの威力を身を持って感じたブルーノにとっては、銃の姿があるだけで警戒に値するらしい。腰が引けているのが視認できた。
「何とか言えよ!」
ブルーノは不機嫌に更に不機嫌を重ね、叫びながらクロスボウを構える。
あぁ、やっぱりそうか。と。カミルは心の中で頷いた。
弓と比べて、クロスボウは照準を定めやすい。勿論、個人の技量や腕力次第では撃った反動で狙いが逸れてしまう事もあるだろうが、それでも初心者がいきなり獲物を狙うのであれば、弓を選ぶよりは現実的だろうと思う。
そういった理由で、四年前のカミルもクロスボウを選択し、使用した覚えがある。
そして、初邂逅時に受けた攻撃の威力から考えるに、ブルーノは得意な武器だからクロスボウを選んだわけではない。カミルと同じように、初心者でも扱いやすいだろうと考えてクロスボウを使用している。
彼は、戦い慣れていない。だが、そういう者が得てして思いもよらぬ行動を取り、計画を狂わせる事も多い。
舐めてかかるな。気を引き締めろ。
そう己に言い聞かせる事で、何とか緊張を抑え込む。今やろうとしている事をしくじると、カミルとレオノーラは再び目覚めない眠りについてしまう可能性があるのだ。少しのミスも、許されない。
ブルーノは恐々ながらも、クロスボウを構えながら少しずつ近付いてくる。
……大丈夫だ。いつもの結界を張る魔道具はテオに渡してしまったが、他にも防御の魔道具は持っている。カミルがブルーノに傷付けられる事は無いはずだ。
タイミングさえ間違えなければ、問題無い。
そうこうしている間にも、二人の距離はどんどん縮まっていく。そして、カミルが魔道具を仕掛け、隠した場所にブルーノが足を踏み入れた時。カミルは、後ろ手に隠していた魔道具の発動機を機動させた。
魔道具を隠した地面が光り、辺りの小石や枯葉が浮き上がる。覆っていた物が全て浮き上がってしまい、魔道具はその姿を完全に現した。
この魔道具は、その上にある物を宙に浮かせてしまう効果を持っている。浮き上がる高さは変更できて、今は十メートルに設定してある。一度浮き上がったら、発動機を止めるか、充填してある魔力が枯渇するまで地面に下りる事はできない。
制作時の目的は大道芸や演劇の補助だったのだが、高く浮き上がって周囲の様子を確認したい事態が起こる可能性を考え、荷物に詰め込んでおいた。その判断は、正解だったようだ。
「なっ……てめぇ、何やった!」
石や枯葉と共に浮き上がったブルーノが、焦りと怒りがない交ぜになった声でカミルに問う。
それを無視して、カミルはブルーノに背を向けた。ブルーノに関する記憶は十歳頃で止まっているが、その時から性格が変わっていないようであれば、これで充分煽りになる。
案の定、ブルーノは宙に浮いた状態だというのに、クロスボウを構え、カミルに狙いを定めたようだ。へろへろとしてはいるが、カミルの背後に矢が迫ってくるのが気配でわかる。
カミルは、走りながら鞄の中をまさぐった。そして、一本の杖を取り出すと、レオノーラに向かって差し出す。
「レオノーラ! これに魔力の補充をお願い!」
「かしこまりましたわ。いかほどに致しましょう?」
「少しで良いよ。僕の位置をブルーノに示せる程度に光らせるだけだから」
レオノーラは頷き、飛びながらも杖に手を添えた。黄緑色の光が、杖に吸収されていく。
ある程度の魔力が杖に吸収されたのを見届けてから、カミルは杖を一振りした。四年前の十三月でも使用した、光を発する杖。多少改良して、光の量を細かく調整できるようになっている。
杖の先に光が灯された。いつの間にかまたも視界に入る様子が変わり、夜になっている。光を灯しているカミルの姿が、よく目立つ。木々に阻まれない上空からであれば、尚更だ。
恰好の的となったカミルに向かって、ブルーノが連続して矢を射かけてくる。宙でクロスボウを扱う事に慣れてきたのだろうか。段々、矢がまともに飛ぶようになっていく。
少々ヒヤリとした感覚を背中に覚えながら、カミルは走る。元来た道を走り、横目でテレーゼの姿がまだある事を確認する。己のするべき事、迷っている事で頭がいっぱいになっているのか、テレーゼはカミルに気付いていない。
……それで良い。気付かれないのは少々寂しい気もするが、今はカミルの姿をテレーゼに見られるわけにはいかない。〝そこにいるテレーゼの友人であるカミルとレオノーラ〟は、今現在、目覚める事無く眠り続けているはずなのだから。
大きな茂みに隠れながらぐるりと回り込み、テレーゼの視線の先が見える位置まで来る。
……いた。二年前のフォルカーだ。ここまでの道のりと替わり続ける風景に疲れ果ててしまったのか、いつになく疲れている様子だ。横には、話に聞いていたマルレーネだろうか。白い妖精を連れている。
その白い妖精の姿を見た瞬間、カミルはゾクリと、悪寒が体を貫くような感覚を覚えた。
何だろうか。あの妖精とは話をした事はおろか、会った事すら無いはずだ。姿を見たのさえ、今が初めて。それなのに、何故か……何か、覚えがあるような気がする。あの妖精に限らず、〝白い妖精〟に見覚えがあるように思えて、仕方が無い。
「カミル=ジーゲル様?」
レオノーラの声に、カミルはハッと我に返った。顔をしかめたレオノーラが、例え獣人であろうとも聞き取れないであろうほどの囁き声で叱責してくる。
「何を呆けていらっしゃいますの? 今この状況では、ちょっとした油断が命取りになってしまいますわ。考え事は後ほどになさってくださいませんこと?」
「……そうだね。ごめん」
謝ると、カミルはフォルカーのいる方角へ、気付かれないギリギリの距離まで近付く。ちかりと、先程までよりも少しだけ強く杖を光らせると、そのまま光を消した。
姿は見えないが、そこにカミルはいる。そのように、ブルーノは判断した事だろう。夜闇の中でも構わずに、矢を射かけてきた。
その中間地点には、二年前のフォルカーとマルレーネがいる。
「フォルカー兄?」
「ちびすけ! どっか隠れてろ!」
フォルカーがマルレーネを茂みへと投げ飛ばし、叫ぶや剣を抜き放った。
ブルーノの放った矢が、フォルカーへと襲い掛かる。これまでの経験から、カミルに対して一度に多くの矢を射かけた方が良いと判断したものか。今までになく、矢の量が多い。まるで雨のように降り注いでいる。
「それにしたって、今まで素人同然の腕前だったブルーノが、急にこんな量の矢を放てるものなのかな……?」
訝しげにカミルが呟くと、顔を険しくしながらもレオノーラが言う。
「恐らく、クロスボウの魔道具を使用しているものと思われますわ。普段は普通のクロスボウと変わりないのでしょうけれども、貯めこまれた魔力を一気に使えば大量の矢を放てるものかと。ただ……」
「うん。そんな魔道具、手に入れようと思ったら随分と値が張るはずだよね。……あぁ、そうか。金持ちの家の子だったかも、ブルーノ」
少しずつだが、ブルーノに関する記憶が戻りつつある気がする。そして思い出したところで、今のところ情報的にも精神的にも何の足しにもなっていないように思えるのが虚しいところだ。
とにもかくにも、ブルーノの矢は凄まじい勢いでフォルカーを襲っている。そしてそれを、フォルカーは剣を用いて叩き落とし続けている。相当疲労しているだろうに、あれだけの動きを見せてくれるのは流石としか言いようが無い。
フォルカーが襲われている事に触発されたのか、テレーゼも躊躇いを捨てて矢を射始めたようだ。横から飛んでくる矢に、マルレーネが悲鳴を上げながら上下している。
恐らく、今のテレーゼやフォルカーからは、ブルーノの矢は十三月の狩人が放ったもののように見えている事だろう、
テレーゼは、いつまで経ってもフォルカーを攻撃しないテレーゼに狩人が業を煮やした、と感じたかもしれない。だから、これ以上狩人にフォルカーを攻撃させないため、攻撃に移っている。
テレーゼをたき付ける必要があった。だから、ブルーノに狩人の代わりをさせようと目論んだ。カミルの計画は成功したと言えるだろう。
だが、全く嬉しいと感じない。カミルは、今の己のために、テレーゼがフォルカー達を攻撃するよう仕向けた。襲われているフォルカーを、助けず見殺しにしようとしている。
「どうしてこんな事になっちゃったんだろう……」
目の前の光景から目を離す事無く、カミルはため息を吐いた。その様子に、レオノーラは痛ましげに眉を顰め、同じようにため息を吐く。
やがて、ブルーノの矢が急に止んだ。
今まで襲っていたのが狙っていたカミルではないと気付いたか? 否、仮にそうだとしても、それが理由で攻撃を止めたわけでは無いだろう。ブルーノの性格上、相手がカミルでなくとも獲物であれば攻撃を続けるはずだ。彼は代行者。乱暴な言い方をすれば、誰であろうと獲物を殺す事ができれば良いのだから。
恐らく、クロスボウに貯めてあった魔力が切れたのだろう。時間で考えれば、宙に浮く魔道具の魔力が切れて、地面に落ちた可能性も考えられる。
とにかく、ブルーノの攻撃は止んだ。そのためか、テレーゼも攻撃を止め、辺りはシンと静まり返る。
「上からの矢、何で急に止んだんだ……?」
腑に落ちない顔をしながら、フォルカーは辺りに視線を巡らせている。そして、ある一点を見たところで、彼はぎょっと目を見開いた。
そこには、テオとエルゼが佇んでいた。友人に似た獣人が襲われている様子に、その場から離れられなくなったといったところか。そうして逃げるタイミングを失ったところを、フォルカーに見付かってしまったらしい。
「……カミル……レオノーラ!?」
フォルカーの呼びかけに、テオとエルゼはにこりと微笑んで見せた。事前にカミルが言っておいた「姿を見られるような事があったら、喋らず、ただ笑って誤魔化すように」という指示を覚えていてくれたようだ。
「……レオノーラ!」
「えぇ!」
小さな声で、しかし鋭くレオノーラを呼ぶと、カミルは鞄の中から素早く筒型の魔道具を取り出して掲げる。心得た様子で、レオノーラはすぐにその魔道具へと魔力を注ぎ込んだ。
カミルが魔道具をテオ達に向けると、筒の口から霧が吹き出し、テオ達を包み込む。……霧と言っても、ただの霧ではない。魔力の霧だ。吹出された後はすぐに色が消え、目には見えなくなってしまう。
そして、この霧に包まれた物は、一時的に姿が見えなくなる効果を持つ。短時間だけ物を隠しておきたい時に便利な道具だ。たしか、ヴァルターから酒樽を隠しておくために作ったものであったと思う。
テオ達の姿がフォルカーの視界から消えたところで、カミルは素早くテオ達の元へ駆け寄った。噴霧元である魔道具を持つカミルであれば、彼らの姿を見る事ができる。
「テオ、エルゼ、こっちへ。すぐにこの場所を離れるよ!」
「え? あ、はい……」
頷きながらも、テオはちらちらと背後を伺っている。フォルカーの事が気になるのだろう。それは、カミルとて同じだ。
ちらりと、カミルも後ろを振り返る。フォルカーは呆然と、先程までテオ達がいた場所を見詰めていた。
ぽつ、ぽつ、と雨が降り始める。この雨は、本物だろうか。それとも、幻覚だろうか。
できれば、本物の雨であってほしい。雨に打たれて、頭を冷やしたい。友人に友人を襲わせて、見殺しにして、何も知らぬテオ達やブルーノを利用して。頭を冷やさなければ、気持ちの整理がつきそうにない。
そんな事を考えながら、カミルはただ、テオ達と共に走り続けた。