13月の狩人
第二部
11
ガチャリ、という音に、マルレーネが目を開いた。
「あ、悪ぃ。起こしちまったか?」
水差しを手にしたフォルカーが、扉を閉めながら軽く詫びた。マルレーネは寝たまま首を横に振る。そんなマルレーネに、フォルカーは少々バツの悪そうな顔をしながら、言う。
「今後なんだけどよ。ちびすけの具合が良くなったら、東の沃野に行くのはどうだ?」
「東の沃野、ですか?」
マルレーネの言葉に、フォルカーは「おう」と頷く。頷き方が、どこかそわそわしているのは気のせいだろうか。
「東の沃野には美味いモンがたくさんあるって言うしな。少しぐらい楽しみも無ぇと、一ヶ月ももたねぇだろ?」
フォルカーがそう言うと、マルレーネは寂しそうな顔をした。
「フォルカー兄……私が真っ白い妖精だから、宿屋の人に何か言われたんですか?」
「……」
フォルカーは、答えない。肯定したも同然のその沈黙に、マルレーネは「そうですか……」と力無く呟く。
「そう、ですよね……。真っ白い妖精は、世間じゃ惑わしの妖精なんて呼ばれていますし……。宿屋にいて欲しくないって人がいても、おかしくないです」
「ちびすけ……」
労しげなフォルカーの声に、マルレーネは「良いんです」と言った。無理に明るく振舞っているような声だ。
「慣れてますから、こういうの。それよりも……フォルカー兄」
水差しを棚に置くフォルカーに、近くに来て欲しい、とマルレーネは頼んだ。フォルカーがベッドに腰掛けると、横になったままでマルレーネは言う。
「ちょっと……話を聞いてもらっても良いですか?」
「話?」
「はい」
頷き、少しだけ言葉を選ぶ様子を見せて……そして、マルレーネは言った。
「私が十三月に呼ばれる事になった、理由の話です」
その言葉に、フォルカーは息を呑んだ。今まで頑なに話そうとしなかったのに、何故今になって?
「……フォルカー兄。宿屋の人に、出ていくように言われた時……とっても怒ったんじゃないですか?」
「え? いや、まぁ……とってもって言えるのかはわかんねぇけど……」
睨んで、凄んだ。それだけだ。だが、マルレーネは首を横に振る。
「フォルカー兄が、私の事で怒ってくれたんだって事、気配でわかります。どんな行動を取ったかじゃなくて、フォルカー兄が何をどう感じて、どう思ったのか、が私にとっては重要なんです」
フォルカーがマルレーネのために怒りを感じた、酷いと思った、という事が、マルレーネには嬉しいのだという。
「フォルカー兄のその感情は、本当に私に、元気をくれます。それが嬉しくって、有り難くって……申し訳なくって……」
だから、事情を少しだけでも話す事にしたのだと、マルレーネは恥ずかしそうに苦笑した。こちらからは何も話さず、一方的に元気を貰ってばかりなのは悪いから、と。
マルレーネは飾られていた観葉植物の葉を一枚フォルカーに引きちぎって貰い、その上に水差しから水を少しだけ汲んでもらう。フォルカーは水を注ぎ過ぎて、一度は葉を水浸しにしてしまったが、それでも何とか適量を汲む事ができた。
受け取った水を飲み、マルレーネはほぉっとため息を吐く。そして、唇を湿して、口を開く。「どこから話せば良いのか……」と、その口調にはやや迷いが見えた。
「私は……私の一族の中では魔力が特に強いと言われていて……。それで、将来は一族の長になるようにって、おじじ様に小さい頃から言われ続けてきたんです」
言い切ってから、おじじ様とは現在の長の事である、と付け加えた。そこでフォルカーは、出会った時のマルレーネが何度もおじじ様、という言葉を口にしていた事を思い出す。
「けど、私は長になるというのがとても怖くて。……長がやらなければいけない怖いお仕事もありますし、他の皆を守るための責任なんて怖くて怖くて……」
だから、長にはなりたくないと。何度も何度も、おじじ様に言ってきた。だが、相手はそれを覚悟が無いためだと取ったのだろう。マルレーネの事を、甘ったれている、と言って突き放した。
「それで……紅塗月の終わりに、南の砂漠へ連れていかれて……一晩、放置されました。お前はきっと十三月に呼ばれる事になるから、その始まりを南の砂漠で迎えろ、と言われて。紅塗月から氷響月に変わる瞬間にいた場所が、十三月の始まりの場所になるから……というのは、フォルカー兄はわかっていましたよね……?」
「まぁな」
頷いてから、フォルカーは「ん?」と首を傾げた。
「っつーか、今の話だと……そのおじじ様? っていう長は、誰が十三月に呼ばれるのかわかってるみてぇじゃねぇか?」
「……そう、ですよね。私も、そう思います。ただ、その辺りの話は、実際に長になるか、せめて長の後を継ぐと決まらないと教えてもらえないと言いますか、私があまりに情けないので訊く機会を逸したと言いますか……」
情けなさそうに言うマルレーネに、フォルカーは「あー……」と間抜けな言葉にならない声を発した。
「……んで? 無事に十三月に呼ばれたって事は、最初に南の砂漠に放り込まれた時は何とかなったんだな?」
「はい……ただもうひたすら逃げて逃げて……だからその時は無事だったのですが、十三月が始まった時はいきなり目の前にモンスターがいたものですから……」
「あぁ、あのサソリか」
出会った時の事を思い出し、フォルカーは頷く。そして「ところで……」と言葉を続けた。
「何とか逃げ延びて、その後どうしたんだ? いきなり南の砂漠に連れていかれたりとかして……そのまま家に帰っても、気まずいんじゃねぇの?」
「はい……ですから、その後の一ヶ月は、ただひたすら各地を転々としていました……。転々と言っても、主に中央の街ですけど……」
人の多い中央の街はモンスターの恐怖が無いに等しいし、探せばどこかしらに食べ残しなどの食料が見付かる。体裁さえ考えなければ、体の小さな彼女にとっては非常に住むに容易い場所であった事だろう。
「……ってか、つまりじゃあお前……家出中かよ!」
思わず叫び、フォルカーは顔を右手で覆ってため息を吐いた。まさか、南の砂漠でモンスターに襲われていた妖精が家出娘だとは思わない。道理で事情を話そうとしないわけである。
「……まぁ、とにかくお前が何で十三月に呼ばれたのか、その理由はわかった。……それが正しいかどうかはわかんねぇけどな。それに、帰るのも難しいって事も」
そう言って、フォルカーはリンゴをもう一切れ、それに水を葉っぱにもう一度汲んで、ベッドサイドに置いた。マルレーネは、ベッドの上の枕をベッドにして横になっている。この距離なら、ギリギリ届くだろう。
「わかった。もう家族のとこに帰れとか言わねぇから。とにかく今は食って寝て、風邪を治せよ。治ったら、東の沃野に出発する。……それで良いな?」
「はい! ……ありがとうございます、フォルカー兄!」
嬉しそうに頬を赤らめるマルレーネに、フォルカーは「いいからさっさと食って寝ろ」と言いながら、ベッドサイドを指差した。
氷響月が――一年が終わるまで、あと二十日。