13月の狩人
第二部
12
マルレーネが調子を取り戻すのに数日を要したが、とにかくフォルカーとマルレーネは北の霊原を後にした。
「それにしても、ちょっと不思議ですよねぇ、フォルカー兄」
「不思議? 何がだよ?」
首を傾げるフォルカーに、マルレーネは「だって……」と困惑気な顔をする。
「私達、何日も宿屋で動けない状態だったんですよ? ……いえ、フォルカー兄は元気いっぱいであちこち見て回ったり、ちょっとしたモンスター退治でお小遣い稼ぎをしていたみたいですけど……」
マルレーネの指摘に、フォルカーは「そうだな」と頷いた。
「……で? それがどうしたんだ?」
「あの……私達、十三月の狩人に狙われてるんですよ?」
「……それは、わかってる。……で?」
「もし私が狩人か、その代行者だったら……病気になってる獲物を放っておいたりしません。絶対に襲い掛かります。私が病気で動けない分、フォルカー兄も戦うのが大変だと思うんです」
それは……たしかにそうだ。いくら体が小さいとは言え、動けないマルレーネを守りながら戦えるかと訊かれたら、少々……いや、かなり難しい。
唸るフォルカーを眺めながら、マルレーネは「なのに……」と呟いた。
「北の霊原に入ってから、今日出るまで……結局一度も、狩人に襲われる事はありませんでした。それが、どうしても不思議で……」
「たしかに、言われてみれば……」
そう言って、フォルカーはもう一度唸った。
「代行者は知らねぇけど、あの狩人が病人だからって手加減してくれるとも思えねぇしなぁ……」
「私は屋内にずっといましたけど……だからって襲われなかった理由にはならないと思うんですよね。十三月の狩人は、十三月に呼ばれた者にしか見えないと言われていて……それは襲撃に使われる矢も同様です。誰かに見られる心配が無いのなら、屋内に侵入して襲い掛かるくらい何でもないと思うのですが……」
精霊や亡霊に鍵が有効かどうかはわからないが、宿屋なのだから夜間以外は開けっ放しだ。侵入する時はいくらでもある。
二人して、考えながら先を行く。……と、そうしているうちに、フォルカーは「ん?」と顔を顰めた。
周囲が、赤い。視界に入ってくる木々や、山々が赤く燃え上がっている。
……いや、実際に燃えているわけではない。全ての木の葉が色付き、真っ赤になっているだけだ。それはまるで、世界に紅を塗ったかのような赤さで……。
「……噂をすれば、って奴だな」
「はい。……枯れ落ちた筈の木の葉が茂っていて、どれも真っ赤で……」
どう見ても、これは紅塗月の風景だ。
フォルカーが剣を抜き、マルレーネはその鞄の中に潜り込む。潜り込んだ途端に、鞄の中から「整理してください!」「これは捨てなきゃ駄目です!」と悲鳴のような抗議が聞こえてきた。
「悪ぃ、そのうち整理する」
全く整理をする気が無さそうな言葉を発して、フォルカーは辺りに気を配る。ヒュン、という風切り音が聞こえたのと、その耳がピクリと動いたのはほぼ同時だった。
銀の剣が、飛来した黒の矢を叩き折り、矢はその場で霧散する。消えたという事は、今矢を射てきているのは十三月の狩人本人か。それとも、代行者はこのような矢を放つ事ができる魔法使いか何かなのか。
現状の情報だけでは、判別できない。代行者なら逃げ切りたい、狩人本人であれば戦いたいのが本音なのだが。
先日のように、戦うべき相手が二人以上いる可能性だってある。それを考えると、ボロボロになって北の霊原に辿り着いた時の事が思い出され、冷や汗が出た。
まだ北の霊原を出たばかり。東の沃野に着くには、普通に歩いていたとしてもまだまだ時間がかかる。ここでボロボロになるわけにはいかない。
「けど……じゃあ、どうする!?」
矢を次々と叩き折りながら、フォルカーは呟く。呟くと同時に、ぐるぐると、様々な思考が頭を過ぎり始めた。
前の時は、どうしてた?
……そうだ、襲撃自体がそもそも少なかった。代行者であったカミルがフォルカー達を殺す事を迷っていて、生温い対応をしてくれたためだ。
襲撃された時は、カミルの杖で強烈な光を発すれば逃げてくれた。だが、それは全部カミルの芝居だったわけで、今回も同じ手が通用するとは限らない。
そもそも、今この杖は光らない。光らせるための魔力が補充されていない。カミル達が目覚めていないこの状況で、カミルが作ったこの杖に、レオノーラ以外から魔力を補充してもらう事に抵抗がある。
逆にテレーゼは、頻繁に様々な魔道具屋を訪れては、杖に魔力を補充してもらっているらしい。
ただし、訪れるのは、魔道具の自作は行わず、流通に特化している魔道具屋のみ。魔力の補充は、魔道具屋に杖を見せるための口実。
その気になれば、今のテレーゼなら瞬きする間に魔力の補充ができてしまう。その事実は伏せて魔道具屋に魔力の補充を頼む。すると、大抵の魔道具屋はこう言うそうだ。
「とてもよくできた魔道具です。それに、作りの丁寧さから、制作者の人柄もよくわかる。この杖を作ったのは、どこに住んでいる魔道具職人ですか?」
そしてテレーゼは、カミルの名を告げ、今は病気療養中だが、治ったら再び魔道具製作を行うであろう事を伝える。魔道具屋は、ならばその時には買い取りに行かせてもらう、と言う。
テレーゼは、カミルが目覚めた先の事を考えているのだ。眠りについてしまったこの時間が彼にとって不利に働かないように、カミルの技術を売り込みに行っている。
……そうだ。テレーゼはカミルのために、精一杯頑張っている。ならば、フォルカーも彼のために頑張らねばなるまい。そして、フォルカーがカミルのために今頑張れる事は……十三月を生き抜く事。そして、十三月の狩人を倒す事。
代行者など、相手にしている暇は無い。狙うは、十三月の狩人本人のみ。
ならば、どちらが襲い掛かってきているのかわからない今は……。
「とにかく逃げるか……!」
手ぶらの方が走りやすい。危険ではあるが剣を鞘に納め、フォルカーは勢いよく走りだした。飛んでくる矢は間一髪で何とか躱す。景色が紅塗月から夜育月、土起月に陽浸月とコロコロ変わるが、気にしている暇は無い。
幸い、矢が飛んでくる方角は一ヶ所だけだ。背後とやや上方にだけ気を付けていれば、何とか躱しきる事はできるだろう。
「! フォルカー兄、前! 前も見てください!」
鞄の中から、マルレーネの警告する声が聞こえた。だが、それにつられるように前を見たところで、もう遅い。勢いよく走っていたフォルカーの足は、何かに引っ掛かった。
恐らく張り出した木の根によって急に動きを止められた体は、しかし完全に止まり切る事はできず、そのまま前に投げ出された。そして、投げだされたフォルカーの体は、彼の背丈ほどの段差を飛び越えて下に落ちる。
段差の下は、小川だった。フォルカーが落ちた瞬間にザブンと大きな音を立て、水柱が立つ。
そして、水柱が収まってからしばらくして、小川の岸辺にずぶ濡れになったフォルカーが顔を出した。
「……久しぶりだな、ここまでのドジしたの……」
「前を全く見ないで走れば、こういう事にもなりますよ……」
マルレーネもずぶ濡れで、情けない顔をしながら鞄から這い出てくる。先日風邪をひいてしまった事を気にしているのか、ドレスを絞って水けを切り出した。
「……狩人は?」
ハッと気付き、フォルカーは辺りを見渡した。だが、小川に落ちた事で見失ったのか、はたまたあまりのドジに同情してくれたのか。狩人の気配は無くなっている。
ひとまず危機が去った事を確認し、フォルカーとマルレーネはホッと息を吐く。すると、ホッとしたからだろうか。フォルカーの腹が、大きな音を立てた。
「……まずい。今ので食料、全滅してるんじゃねぇのか……?」
慌てて鞄の中を確認してみれば、案の定パンも干し肉も水に浸かって駄目になってしまっている。数少ない野菜や果物は無事だったが、これでは腹の足しにもならないだろう。ついでに、火打石も湿っていて、しばらくは使い物になりそうにない。
「どっかで食料を調達しねぇとな。それに、早く乾かさねぇと、またちびすけが風邪をひくかもしれねぇし……」
だが、どうやって? 完全に川から上がったフォルカーが、腕を組んで考え始めた時だ。
「ちょっと、そこの君。大丈夫かい?」
段差の上から、声がかかった。どうやら、通りすがりの者が、フォルカーが川に落ちる様子を見ていたようである。
見上げてみれば、そこには四十代半ば頃の男性が一人。人の良さそうな顔立ちで、そして……何故だろう? どこかで見た事がある気がする。
フォルカーが男性をまじまじと見詰めると、男性もフォルカーをまじまじと見詰めてきた。そして「あぁ!」と突然大きな声を出す。そして、嬉しそうな声で言った。
「君、ひょっとしてフォルカー君だろう? フォルカー=バルヒェット君!」
「……は!?」
名前を呼ばれて、フォルカーは目をぱちくりとさせた。その様子に、男性は「あ」と呟くと、苦笑いをしながら言う。
「そうか、実際に会うのは初めてだね。……いや、フォルカー君は、僕の顔を見るのも初めてか」
言いながら、男性は慎重に段差を降りて、フォルカー達の元へとやってきた。そして、にこやかな顔で握手のために手を差し出しながら言う。
「僕は、ユリウス。ユリウス=アーベントロートっていうんだ。娘のテレーゼが、いつもお世話になっているね」