13月の狩人
18
ビシリと、急激に空気が冷え込んだ。年中暑く、人が住む事はできないとされている南の砂漠。それなのに、この寒さはどうした事だろう。
「……カミルとレオノーラが……十三月の狩人……?」
フォルカーが、呆然とした面持ちで呟く。そして、無理矢理苦笑いをして見せた。
「な、何言ってんだよ、テレーゼ? カミルが、そんな大それた事、できるわけねぇだろ? そもそも、十三月の狩人は亡霊とか精霊とか、そんな感じの奴で。……そう、それに、あんなにたくさんの矢を一人で射掛けてくるなんて、精霊とかでもなきゃ無理……」
「カミルのそばには、いつでもレオノーラがいるわ。膨大な魔力を持った、妖精が」
テレーゼの言葉に、容赦は無い。目も、ひたすらカミルとレオノーラを見据えている。フォルカーが、水面に顔を出した魚のように何度か口を開閉し、何度か言葉を飲み込んで……そして、狼狽えた様子でカミルを見る。
「か、カミル……何か言ってやれよ。馬鹿な事言うな、とか何とか……」
フォルカーの言葉に、カミルはにっこりと笑った。そして、言う。
「あーあ、バレちゃったか。今こうして聞いてみると、穴だらけだね、僕の小細工」
「!」
フォルカーの目が、見開かれた。言葉を失ったその様子に、カミルは済まなそうに笑う。
「そう……テレーゼの言う通り。僕が、十三月の狩人だよ」
「正確には、少し違いますけれども」
レオノーラが妖艶な笑みを浮かべる。テレーゼとフォルカーの緊張が高まり、顔が強張っていくのがわかった。
レオノーラは、しゃらりと美しく宙に舞い上がると、歌うように言う。
「十三月の狩人は、実在しますわ。カミル=ジーゲル様ではなく、本物の十三月の狩人が。ですが、狩人は自ら獲物を殺める事は致しませんの。目を付けた者に希望を与え、十三月の狩人を代行させる。……誰を獲物とするかは、代行者に一任されますわ。そして、事が成った時。あるいは、成らなかった時。代行者、もしくは獲物に、夢を叶えるための力を与えてくださいますの。それが、最凶の精霊にして、伝承の亡霊、十三月の狩人なのですわ」
歌っているようなのに、どこか演説めいた……その語りを終えて、レオノーラはカミルの肩に腰掛ける。それを確認してから、カミルが薄く笑ってテレーゼに言葉を向けた。
「十三月の狩人は、テレーゼ達を殺す気ではいるんだけど、十三月が終わるギリギリまでは殺さないようにしようとしているみたい……そう言ったよね? 当たりだよ、テレーゼ。僕は今日、十三月が終わるギリギリの時まで、君達を殺さないようにしようと決めていたんだ」
テレーゼとフォルカーが、顔を顰める。「何故かって?」と、カミルは楽しそうな顔をした。
「知りたければ、力尽くで聞き出してみなよ。そういうの、得意でしょ、フォルカー?」
「カミル!」
叫び、フォルカーは剣を抜き放つとカミルに斬りかかった。頭に血は昇っているだろうが、それでもやはり、迷いはあるのだろう。剣にいつもほどの勢いや鋭さは無い。
ガキン、という音がした。フォルカーの剣が、何も無いところで止まっている。カミルの結界だ。
カミルは笑うと、首からぶら下げているペンダントに手を遣った。あれも、以前中央の街の魔道具屋で見せて貰った事がある。たしか、大きな物を収納して持ち歩く事が出来るという便利な道具だ。
カミルはそこから、黒くて大きなクロスボウを取り出した。テレーゼとフォルカーの背筋を、今までに無いほど強烈な悪寒が走る。
全てに合点がいく。そうか、だから姿が見えないのに、矢が降り注いできたのか。だから北の霊原で、カミルが目の前にいたにも関わらず、矢は降り注いできたのか。こんなにも黒いから、夜闇の中では気付けなかった。
あれは。あのクロスボウは、きっと……。
レオノーラが、カミルの手にある黒いクロスボウを両手で撫でた。黄緑味を帯びた光が、クロスボウに注ぎ込まれる。レオノーラが、クロスボウに魔力を補充しているのだ。
「あれも、魔道具……!」
テレーゼが呟いたのとほぼ同時に、光が消えた。魔力の補充が終わったのだ。
カミルがニヤリと笑い、クロスボウを高く掲げる。フォルカーが、咄嗟に飛び退った。
クロスボウから、無数の黒い矢が放たれる。飛び立つ鳥の群れのように一斉に空へと上昇したかと思えば弧を描き、テレーゼ達に向かって降り注ぐ。
走っただけでは、とても逃げ切れそうにない。フォルカーが剣を振り、矢を叩き落とそうとする。
しかし、フォルカーの剣は空を切り、矢を落とす事ができない。その刃はたしかに、矢に当たっているように見えるというのに。
「……っ! 何だこれ……!?」
「目に見えるのに、触れない……まるで、実体が無いみたい……」
テレーゼの呟きに、フォルカーが「それって……」と反応した。
「幻って事か? この大量の矢、全部!?」
「それは……わからないけど……」
テレーゼは自信無く答えるが、フォルカーは「なら!」と叫んだ。
「幻だって言うなら、話は早ぇ! 当たる事なんて無ぇんだから、まっすぐカミルに近寄って、カミルをぶん殴れば終了だ!」
言うや否や、本当にまっすぐ、矢を恐れる事無くカミルの元へと突っ走っていく。
「ちょっと、フォルカー!」
「カミル! 目ぇ覚ませぇぇぇ!」
獣人のフォルカーが、強い力を秘めているその腕を振り上げて、躊躇いも無く一直線にもの凄い勢いで向かってくる。普通の者なら、それだけで怯えそうな図だ。
だが、カミルは怯えない。涼しい顔で、その場から一歩たりとも動こうとしない。それどころか、くすり、と小さな笑い声まで漏らした。
「フォルカー……いくら何でも、単純過ぎるよ。たしかに、このクロスボウから放たれる矢の殆どは幻だけど……」
けどね、とカミルは言葉を続けた。ほぼ同時に、フォルカーが急に膝をつく。その足に、背に、黒い矢が突き刺さっていた。
「フォルカー!」
「全部が幻とは、限らない。木を隠すなら森の中って言うようにね。本物の矢を避けられたりしないように、幻の矢で隠している場合だってあるんだよ?」
テレーゼの叫び声にも、フォルカーのうめき声にも反応する事無く、カミルはただ淡々と言う。そんな彼を、テレーゼはキッと睨み付けた。
「カミル、どうしちゃったの!? 十三月の狩人の代行者? 普段のカミルなら、そんなの絶対に引き受けたりしないでしょ? 私達を殺そうとしたり、フォルカーが苦しそうなのに何ともないような顔してたり……いつもの優しいカミルは、どこへ行っちゃったのよ!?」
「それだよ」
酷く冷めた声で、カミルが言った。テレーゼがハッと目を見開けば、カミルは苦い物を噛み潰したような顔をしている。
「優しい……と言うか、本来お人好しなんだよね、僕はきっと。それは人と付き合うには、悪くない性格なんだと思う。けどね……魔道具職人になって、自分の店を持ちたい僕には……それじゃあ駄目なんだ」
それだけで。その言葉だけで、テレーゼは悟った。何故、カミルが十三月の狩人の代行者など引き受ける気になったのか。
十三月の狩人は、代行者に対して希望を与えるのだと、レオノーラは言う。それは恐らく、代行者として使命を全うすれば――今回の場合、カミルが獲物と定めたテレーゼとフォルカーを殺す事ができれば、願いが叶う、という事なのだろう。
それは例えば、人にもっと強気に出る事ができるようになり、商売が上手くなる、というような。
逆に、恐らくテレーゼとフォルカーが逃げ切った場合には、十三月の狩人は二人の願いを叶えてくれるのだろう。
願いを叶えるために、狩人となって獲物を追うか、獲物とされて狩人から逃げ続けるか。どちらかを選べと言われたら、テレーゼだって恐らく狩人の代行者となる事を選ぶ。そして、カミルも同じように考えた。だから今、こうしてテレーゼ達を殺そうとしている。
仕方が無い、とは思う。魔道具職人となって、自分の店を持つのが幼い頃からの夢だったと、カミルは以前、何度もテレーゼ達に語っていた。その夢を叶えるために必要な物が手に入るかどうかの瀬戸際であれば、このような手段を取りたくもなるだろう。だが。
「けど、カミル……だったら、もう良いんじゃないの?」
「……は?」
テレーゼの言葉に、一瞬、カミルは呆気に取られた。「だって……」とテレーゼは言う。
「今のカミルなら……ナメてかかってくる商人とか、いなさそうに見えるもの。充分、強気になれているわよ? なら……私達を殺して代行者の仕事を完遂しなくても、カミルの願いは……」
叶うんじゃないのか? そう問うたが、カミルは首を横に振る。
「全然だよ、テレーゼ。僕は全然、強気になってなんかいない。強がっているだけだ……! 僕の願いは、夢は! このままじゃ、全然叶わない!」
叫び、カミルは再びクロスボウを掲げる。それに対して、テレーゼは杖を構えた。
「たしかに……そんなに簡単に、人が変われるわけじゃないみたいね。……カミル、気付いてないでしょうけど、さっきから声が震えているわよ? 私達を殺す事、今になって怖くなってきてるんじゃない?」
本当は、最初からずっと怖かったのだろうと思う。だから最初から、手加減し続けていた。
膨大な魔力を持つ妖精、レオノーラが近くにいるのだ。腕の良い魔道具職人なのだ。カミルがその気になれば、ドジな剣士と、魔力の少ない修行中の魔女なんて、一日とかからず殺せたはずである。
それなのに、カミルはテレーゼ達を殺さなかった。
西の谷での最初の襲撃は、テレーゼの風魔法で砂埃を起こしただけで逃げる事ができた。
中央の街では、危ない目に遭ったが、全て撒く事ができた。
北の霊原へ行く時は、狩人に狙われなくても死ぬかと思った。だが、ギリギリのところでカミルは狩人役からカミルに戻り、二人を助けてくれた。
カミルとレオノーラが姿を消して、再びテレーゼとフォルカーが二人で旅をするようになってからは、二度しか襲ってこなかった。それも、杖を光らせたり、少し戦ったりしただけで退いてしまった。
南の砂漠に入ってからは一度も襲ってこず、これが初めての戦闘だ。
どれを取っても、カミルには本気でテレーゼ達を殺す気は無いように思える。……いや、殺そうとは思っていたのだろう。思っていたのだが、できなかった。友人を殺める覚悟が……誰かを殺める覚悟が、できていなかったのではないだろうか。
北の霊原からこの南の砂漠へ来るルートを、ぐるりと東の沃野を回る道のりにするよう仕向けたのも、過酷な南の砂漠へ着くのを遅らせるため。豊かな東の沃野で、休息を取らせるため。
そうして殺める決断を先へ先へと引き延ばしにしているうちに、遂に十三月の最終日を迎えてしまった。そして、本当に決断をしなければならない時が近付いてきた時にテレーゼが十三月の狩人の正体を暴いてしまい、カミルは正体を明かす腹を決めた。そういう事なのだろう。
やっぱり、カミルは優しいんだと、考えを頭の中でまとめながらテレーゼは思う。だからきっと、カミルが自分達を獲物に選んだのも、優しいからなのだろうと思えた。
知らない人間よりも、よく知る人間の方が殺め難いだろう。そうしてカミルがダラダラと殺せずにいるうちにテレーゼ達が気付き、止めてくれるのを待っていたのかもしれない。
いや、きっとそうだ、とテレーゼは思った。根拠は無い。だが、そう思えて仕方がない。じゃなきゃ、声が震える筈がない。
テレーゼに様々な事を言われて心が揺れたのか、カミルはちらちらとフォルカーの方を気にし出した。何だ、やっぱり気になるんじゃないの、とテレーゼは苦笑する。
幸い、フォルカーの傷は痛そうではあるが、命に別状は無さそうだ。なら、フォルカーには悪いが、しばらく待っていてもらうしかない。
杖を構えたままカミルを睨み続けるテレーゼに、カミルは少し嫌そうな顔をする。
「テレーゼ……本気でやる気? いつもの口喧嘩とかならいざ知らず……今の状態じゃ、テレーゼは僕には敵わないと思うよ? 僕の魔道具の効力はテレーゼも知ってるでしょ? それに……テレーゼの魔法の実力は、僕もよく知ってる」
テレーゼの負けは確定している。だからせめて苦しまないように、戦うのは諦めて殺されろ、と。カミルが言いたいのはそんなところだろう。しかし、テレーゼは首を横に振った。
「嫌よ。それじゃあ、私もフォルカーも、きっと納得できないもの。理由がわかってたって、実力的に確実に殺されるにしたって、やれる事はやっておかないと」
「……うん。テレーゼは、そういう人だったよね。本当、何で十三月の狩人の獲物になったのか、わからないや……」
呆れたように言うカミルに、テレーゼは更に呆れた声で――しかし顔はカミルを睨み付けたままに言う。
「私を獲物に選んだのは、カミルだって話じゃなかったかしら?」
「最初に選んだのは、十三月の狩人だよ。僕は獲物の候補だってリストを見せられて、その中からテレーゼとフォルカーを選んだ。……本当に、何だってこんな……」
テレーゼ達が候補に入っていなければ、カミルはテレーゼ達以外を殺す事になったのに。そうすれば、これほど殺し難く感じる事も無かったろうに。そうすればきっと、容易に代行者としての仕事を終え、人知れず己が願う己になっていたろうに。
暗い一言に、それだけの思いが詰まっているように感じた。そして息を吐きだし、カミルは暗い面持ちでテレーゼを睨む。
「……無駄話はここでおしまいにしよう、テレーゼ。このまま真夜中を迎えて、日付が変わって花降月になって……代行者として失敗したら、僕の願いは叶わない。君達を殺さずに済む事でホッとするかもしれないけど……けどやっぱり、テレーゼの言う通り。やれる事はやっておかないと、きっと納得できないから」
そう言って、クロスボウをテレーゼに向けて真っ直ぐに構える。
カミルは本気だ。クロスボウを構える姿勢から、それが伝わってくる。
レオノーラが、クロスボウに魔力を補充した。黄緑味を帯びた光が発せられる。
それと同時に、テレーゼは杖を振り上げた。杖の先を、少しだけ動かす。
魔力の補充が終わったクロスボウを引こうと、カミルが力を込める。そしてその瞬間、フォルカーがカミルの頬を殴り付け、吹っ飛ばした。