13月の狩人
19
「なっ!?」
「カミル=ジーゲル様!」
吹っ飛ばされながらカミルが目を見開き、レオノーラが悲鳴を上げる。どさりと音を立てて、カミルは砂地に倒れた。落ちたクロスボウを、傷など初めから無かったような顔をしたフォルカーが踏み付ける。
「フォルカー……君、何で……? 矢は、たしかに当たったはずなのに……」
「よくわかんねぇけど、テレーゼが治してくれた。魔法で」
先ほど、テレーゼが少しだけ杖先を動かした。その時に治癒魔法がかかったのだと、フォルカーは言う。半信半疑の顔ではあるが。
カミルとレオノーラも、信じられないという顔をしている。それも、そのはずだ。
「何故ですの、テレーゼ=アーベントロート様。治癒魔法は膨大な魔力を使う物。先ほどのフォルカー=バルヒェット様が負っていた程度の傷であっても、貴女様の魔力では使う事などできないはずでございますわ。それなのに、何故……」
「何故って……」
テレーゼは、少し困ったような顔をして笑った。
「たしかに、普段の私の魔力じゃ無理かもしれないけど……」
そう言いながら、テレーゼは杖を目の前に掲げて見せた。それも、両手で一本ずつの、計二本。
「同じ杖が二本!?」
驚くフォルカーに、テレーゼは「ううん」と首を振る。そして、左手に持っていた方の杖を軽く振った。すると、右手の杖はあっという間に太くなり、元の杖とは似ても似つかぬ姿になる。現れたのは、カミルから貰ったあの光る杖だ。
「杖を、別の杖に見えるようにする事はできるから……。さっき構えて振ったのは、このカミルが作った杖だったのよ」
「け、けど……君達はたしか、北の霊原を出てからここへ来るまでの間に、杖を二回光らせたよね? テレーゼの杖も、フォルカーの杖も。襲ったのは僕だからわかる……。その杖は使い切りだから、一度使ったら魔力を補充しなきゃいけないし、魔力の補充はレオノーラクラスの妖精や魔女じゃないと……」
もう一度、テレーゼは首を振った。
「たしかに、一度に魔力を補充しようと思ったら、レオノーラじゃなきゃ無理よね。けど、少しずつ、分割して補充するなら……私でも、何とかなる。十日は時間があったのよ? それに、魔力は無くても、魔力を効率よく使うコツなら、この一ヶ月でしっかり覚えたんだから」
カミルの光る杖は、修行を積んだ魔法使いや魔女なら普通の杖の代わりとしても使える。そもそも、普段テレーゼが使っている杖だって、元をたどればカミルが親方と共に作ってくれた魔道具なのだ。
ただ、テレーゼの杖は、テレーゼの魔力を引き出して様々な魔法に変える事を想定して作られているのとは違い、カミルのこの光る杖は初めから魔力が補充されており、本来なら激しい発光の魔法にしか使えないようになっている。
ならば、魔法の修業を積んだ魔法使いならば、この杖でも様々な魔法が使えるだろう。それも、魔力が補充されている分、普段よりも強力な魔法が。
更に、杖として使えるという事は、光らせるために使う魔力の量も自分で調整できるという事。だから、この旅で魔力を効率よく使う事を覚えたテレーゼは、一度の発光では補充された魔力を使い切る事が無いように調整する事ができた。余らせる事ができたから、あとはテレーゼの分割補充でも充分な量を蓄える事ができたのだ。
カミルの杖を、普段の杖のように使える……。その事に気付いたのは、北の霊原で比較的平和な時を過ごしていた十日間の事。気持ちに余裕ができ、頭を余計な事に働かせる事ができたからこそ、その考えに至る事ができたのだ。
北の霊原での余裕を与えてくれたのは、カミル。そしてそのために、今形勢を逆転されてしまったのも、カミル。皮肉な話だ。
「……成長してたんだ、テレーゼも……」
少し、悔しそうに。しかし、大いにホッとした表情で、カミルが呟いた。その様子に、テレーゼもホッとしたように笑う。
「今なら、わかる気がするわ。私やフォルカーが、中々成長できなかった理由。多分……必死さが足りなかったのよね。頑張ってるつもりになっていたけど、まだまだ甘えがあったのよ」
魔力が増えなくても、ドジが直らなくても。二人には将来に別の選択肢があった。
テレーゼは家事全般をこなせるから、高度な魔法が使えるようにならなくても、働き口は探せただろう。
フォルカーはドジだから、剣を振らせると危なかったが……力や鼻を生かして、採掘人になるという選択肢もあった。
二人が魔法や剣を学んでいたのは、魔法が使えた方が将来良い仕事の選択肢が増えるから、単純に剣が好きだから。魔道具職人として店を持ちたいという具体的な夢を持っているカミルと比べて、必死さが足りなかった。どこかに、駄目なら別の道を探せば良いやという、甘えがあったのだ。
それが、十三月を迎えてしまい、一つ間違えれば死ぬかもしれない、友人を失うかもしれないという窮地に追い込まれて、必死で動くようになった。必死に考えるようになった。だからこそ、今、こうしていられる。
「そっか……最後は、僕に甘えがあったのかもしれないね。この戦力差なら、絶対に勝てるだろうって……多分、どこかで考えてた」
上半身を起こして、カミルは苦笑した。その笑顔がよく見えない事に気付き、ようやくテレーゼは辺りが真っ暗になっている事に気付いた。もう、夜だ。あと少しで、花降月になる。
テレーゼは杖に光を灯した。カミルの頬が、赤くなっている。フォルカーに殴られた部分だろう。ハンカチを取り出し、魔法で出した少量の水で冷やして、当ててやる。カミルは、嬉しそうに笑った。
「代行者としての仕事は失敗しちゃったし……願いは、自分で叶える事にするよ。……ううん、本当は最初から、自分で叶えるって思わなきゃいけなかったんだよね」
「もっと早く気付けよな!」
しゃがんだフォルカーに小突かれ、そしてカミルとフォルカーは二人揃って笑う。どちらからともなく、立ち上がった。
「帰るか」
「そうね」
「うん」
「左様でございますわね」
口々に言い、まずは中央の街へ行こうと、足を北に向ける。その時だ。
ひゅん、と風を切る音がした。次いで、どさっという、大きな物が砂地に落ちる音がする。
「……え?」
呆然として、テレーゼとフォルカーは振り向いた。
そこには、カミルが倒れていた。カミルだけではない。レオノーラも、二人揃って、一条の黒い矢に貫かれて。
「か……カミル?」
「レオノーラ!?」
震える声で、二人は名を呼ぶ。だが、カミルもレオノーラも、動かない。テレーゼの杖から発せられる弱い光が、砂地に血の染みが拡がっていく様を照らし出した。
「! カミル! レオノーラ!」
悲鳴をあげ、テレーゼは二本の杖をまとめて手に持ち、カミル達に向けて振った。
だが、フォルカーを治すために使ってしまい、カミルから貰った杖に魔力はほとんど残っていない。テレーゼの元からある魔力では、今のカミル達の傷はおろか、擦り傷だって治すのは困難だ。
「おい、何だ……誰なんだよ!?」
フォルカーが怒鳴り、矢が飛んできたであろう方角に振り返る。そして、その顔は凍り付いた。
全身が真っ黒で、影のような人物が、そこにいた。顔まで黒く、小さな光があっても顔は見えない。手に、黒い弓を持っている。背に、黒い矢を背負っている。その姿は、話に聞いたそのものの……。
「十三月の、狩人……」
最凶の精霊にして、亡霊。知る者が殆どいない、怪談の主。成長の無い者を十三月に迷い込ませ、容赦なくその命を奪う者。
その存在が、今、初めて姿を現した。狩りに失敗した代行者は、新年を迎える事まかりならぬ。まるで、そう言うかのように。
十三月の狩人は、カミル達が動く様子が無い事を見届けると、物言わぬまま踵を返した。そして、その場から去っていこうとする。
「あ、待て……!」
フォルカーの声に、勢いが無い。突然目の前でカミルとレオノーラが斃れた動揺。突如現れた十三月の狩人から放たれる威圧感。今更追ってどうするんだという疑問。それらが、フォルカーの勢いを殺している。
テレーゼも同様だ。十三月の狩人を追いたい。だが、カミル達を放ってはおけない。許せない、怖い、どうしよう。様々な感情がない交ぜになって、動くに動けない。
やがて、十三月の狩人は、亡霊らしくその姿を消してしまう。あとに残された二人は、ただ呆然とするしかない。フォルカーが、カミルの傍らで座り込んでしまったテレーゼの横にしゃがみ込んだ。
「……これから、どうする……?」
「どうするって……やっぱり、カミル達を放っておけないし……中央の街に連れていくしか……」
今なら、ひょっとしたらまだ助けられるかもしれない。そんな淡い期待が、胸を過ぎる。フォルカーも、「だよな」と言って立ち上がった。
「そうと決まったら、急がねぇと。カミル達を連れて、中央の、街の……医者に見せ……て……」
突然、フォルカーの呂律が怪しくなった。言葉が上手く出なくなり、膝から力が抜け落ちたように倒れてしまう。
「ちょっと……フォルカー!? フォル……」
立ち上がろうとして、テレーゼも体に力が入らない事に気が付いた。入らないどころか、どんどん力が抜けていく。まるで、眠くて眠くて仕方がない、夜更かしをした日の夜のような……。
「そっか……一度氷響月が終わった夜も、そう言えば……」
十三月になる前日の夜も、このように急に眠くなった覚えがある。そうか、十三月が、終わろうとしているのだ。
「けど、その前に……カミルと……レオノー、ラ、を……」
言葉とは裏腹に、意識が黒く染まっていく。二人を助けたいと願いながら、遂にテレーゼの体は、動く事が無かった。