光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





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空が青い。海辺の町、トーハイは今日も快晴だ。宿の窓からすぐに見える海のすぐ上を、カモメがクークーと鳴きながら飛んでいる。

ウィスは吹き込んでくる潮風を浴びながら、紙にペンを走らせている。窓の向こうから聞こえてくる潮騒とカモメの鳴き声、ペンが文字をしたためるガリガリという音だけがこの部屋から静けさを奪っている。

「なぁ……いつまで書いてるんだ?」

第四の音――サーサの声に、ウィスはペンを持つ手を止めた。ペンの音が響いていた時間に比例せず、手元の紙にはあまり文字が見えない。だが、机の隅にはバツ印が大きく書かれた紙が山と積まれている。どうやら、何度も何度も書き直しをしているらしい。

「いつまで、って聞かれたら……納得がいく文章が書けるまで、かなぁ?」

ウィスの返答に、サーサは呆れ返った顔をした。

「そんな事言ってたら、いつまで経っても終わらないんじゃないのか? 文献整理の仕事からトンズラして、もう三日もここに籠ってるけど……結果がそのボツの山だろ?」

「うーん……だけど、何かそろそろ良い文章を思い付けそうな気がするんだよね」

そう言いながらウィスは再びペンを走らせ、少し考えてからその紙にもバツ印を書き加えた。そして、その紙はサーサ命名ボツの山へと積み上げられる。そしてまた新しい紙を取り出して書き始めるウィスに、サーサは本気で呆れ返った。

「気がするだけで納得がいく文章を書けるなら、世界中の作家や論文の締め切りに追われた学者は苦労しないって」

「……そうだよねぇ……」

ウィスが顔をしかめたのを見て、サーサはハッと顔を強張らせた。

「その反応……。ウィス、お前……ひょっとしなくても、論文の締め切りも迫ってるな?」

ギクッという音が聞こえた気がする。

「図星かよ!? あぁ、もう仕事に関係無い執筆は止め止め! 何でリアンが僕にウィスを監視しろとか言ってきたのか、今ならよーっくわかる! お前、実は遅筆だろ!? でもって、いつも論文の締め切りギリギリになってからどこかに籠ってるんだろ!?」

「……うん……」

蚊の鳴くような声の返答に、サーサは頭を抱えた。それでも、ウィスは書くのを止めない。……勿論、書いているのは論文ではない。

暫くの間、ペンのガリガリという音が絶え間無く響いた。そしてある時、それがぴたりと止まる。

「……書けたか?」

「うん。これから添削を……」

言い切る前に、サーサが手元の紙を取り上げた。そして、中身を見る事も無く折りたたみ、用意してあった封筒に差し込む。口を折り、蜜蝋を垂らして封をしてしまう。

「あっ……あーっ……!」

弱々しくも非難めいた叫び声をあげるウィスを、サーサはぎろりと一睨みした。

「これ以上無駄な時間使ってる暇は無いだろうが! この手紙はこれで完成! とっとと送って論文に取り掛かれよ!」

サーサの厳しい言葉に、ウィスはがくりと項垂れた。そして、観念したのか「わかったよ……」とだけ言って手紙を受け取り、部屋を出ていく。その後を、サーサが追った。

「……ついてくるんだ……」

「当たり前だろ。手紙を出すついでにどっかに逃げられでもしたら、監視役で来てる僕の意味が無いからな」

さも当然と言わんばかりにサーサが言う。ウィスは、深い溜息を吐いた。

「……って言うか、何でサーサ? いつもみたいにリアンなら、どうにかこうにか煙に巻けるのに……」

「だからだろ。それに、リアンとアストは忙しいみたいだしな。チャキィも一座に戻って、舞台の準備に練習にと大忙しみたいだし。……となれば、お前の監視ができるのは僕ぐらいだろ?」

「そっか……」

肩を落としたまま、ウィスは歩く。宿を出て、浜辺へ出る為の階段を降りていく。

「……おい、どこ行くんだ? そっちは海だぞ。……って言うか、そう言えばどうやって出すんだ? トルスまで手紙を届けてくれる配達人なんて、ラース全土を探してもいないと思うぞ?」

「だろうね」

サーサの言葉を肯定し、ウィスは尚も階段を降りていく。そして遂に浜辺まで出ると、ザクザクと砂を踏み、ザブザブと波を掻き分けて海の中へと入っていく。

「お……おい?」

ウィスの行動が理解できず、サーサは怪訝な顔をして声をかけた。すると、ウィスは振り向かないまま言う。

「サーサはさ、子どもの時に参加した事無い? 願いを書いた紙片を燃やして焚き上げたり、川や海に流したりするお祭り」

「……あぁ、そう言えばあったな。そんな行事」

サーサが言うと、ウィスは手元の手紙を見ながら言った。

「その行事はさ、元々は空の上や海の底にあるとされる神々の世界に天候の安定や豊漁を祈る祈祷文を時には煙に乗せて、時には流れに乗せて届ける神事だったんだって。そして、ここで言う神々の世界とは……」

「ミラージュ……トルスや、僕達の知らない異世界……って事か」

ウィスは頷き、手紙から目を離した。視線は、海の波間に注がれている。

「……それで、届くのか?」

決して馬鹿にはしていない口調で、サーサが問うた。ウィスは、肩をすくめる。

「わからないよ。けど……届くとしたら、多分この方法じゃないかと思う。そして流すとしたら……間違い無く、ここだよ」

「最後までトルスと繋がっていた場所、だもんな……」

頷き、ウィスは手紙を波間に泳がせた。白い封筒はゆらゆらと漂い、やがて引き波に乗って沖の方へと流れていく。

「届くと良いな……」

サーサの呟きに、ウィスは頷いた。そして、サーサはゆっくりとウィスを見る。

「じゃ、戻って今度は論文な」

「え、感傷に浸る時間もくれないの?」

冗談めかして言うウィスに、サーサは「馬鹿言うな」ときっぱり言った。

「よくわかんないけど、論文って落としたらまずいんじゃないのか? だったら、感傷に浸ってる暇なんてこれっぽっちも無い筈だろ? 浸りたきゃ書き上がってから存分に浸れよ。……って言うか、僕だって本当は浸りたいんだからな!」

「……わかったよ」

苦笑しながらウィスは宿屋へ戻る為、階段をゆっくりと上り始める。その背をサーサが急かすように押し、結果的に小走りになりながら二人は海を後にした。

手紙はしばらくの間波に揉まれていたが、いつしか海の底へと沈んでいき……そのまま、見えなくなった。








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