光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―
54
「……そっくりだね」
「……そっくりだわ」
ラースのトーハイに着き、シンとリノからは真っ先にその言葉が出た。
魔力圧縮砲を破壊し、事後処理を全てミャコワンの王軍に任せる事にしたシン達は、そのまま人知れずサブトから姿を消した。
日数を計算し、着く頃にはシャンカイはトルスの上空から外れてしまっているだろうと推測したシン達はそのままサイスイへと向かい、リルンベ湖を渡った。今ならまだ、ラースのトーハイの海からトルスのシャンカイへと下りれる筈だ。
ゆっくりとラースを見て回りトーコク遺跡から帰るという手もあったが、魔力の負担の引き受け合いになってしまった為にその計画は頓挫した。
それでなくても、サブトが壊滅してラースはこれから多くの人々が忙しくなると思われる。神殿関係者であるリアンや、サブトの施設で働いていたウィスとアストも恐らくのんびりしている時間はそんなに無い。
シン達だって、トルスへ帰れば自分達の仕事がある。特にホースは、レイホワに唯一の医者である筈である。一分一秒でも早く帰らなければならない立場である筈だ。
だから、シン達はウォートンからトーハイまで、わき目も振らずに真っ直ぐに突き進んだ。
「当たり前だけど……トーハイなのに、知った顔はいなかったね」
海にザブザブと入りながら、シンが呟いた。その眼前には青い海が広がっているが、一部だけ闇夜のように黒くなっている。恐らく、ここがトルスのシャンカイと繋がっている場所だ。
シンに続き、リノ、フェイ、ルナ、ホースが海へと入っていく。
「本当に……もう、帰るんですね」
名残惜しそうにチャキィが言う。すると、ホースがにっこりと笑った。
「なーに辛気臭い顔してんのよ、チャキィくん! 怪我はちゃんと治したわよ? もう痛いところなんか無いでしょ?」
「あっ……当たり前です! ホースさんが治してくれたんですよ? 痛いままなわけがないじゃないですか!」
「あら、何か随分信頼されてるのね、私」
おどけて言うホースに、チャキィは「うー……」と唸った。言いたい事は山ほどあるのに、言葉が出てこない……といったところか。
「残念ですわ。チャキィが大道芸人として舞台に立っている姿、一度見てみたいと思っていましたのに……それが叶う事無くお別れなんですもの」
「ルナさん……」
チャキィの視線がルナに移った。ルナは、名残惜しそうにチャキィの頭を撫でる。
「まるで、弟か妹ができたような気分でいましたわ。一緒にいる間、お姉さまぶって、共に戦って、他愛も無い事で笑い合って……とても楽しかったですわ。ありがとうございます、チャキィ」
深々と頭を下げ、それからルナはサーサに顔を向けた。
「サーサには、お世話になりっ放しでしたわね。荷物を持って頂いたり、馬に乗せて頂いたり……本当に、ありがとうございます」
「礼なんか言うなよ。僕は別に、礼を言われたくてやったわけじゃないんだしさ。そ……それよりもさ。滅多やたらに魔法をぶっ放そうとするの、何とかしろよ? また大火事なんか起こしたら、今度は助けてくれる奴なんかいないかもしれないぞ」
サーサに言われ、ルナは「あら」と口に手を遣った。
「そうですわね。肝に銘じておきますわ」
ころころと笑うルナに、サーサは「本当にわかってんのか……?」と肩を落とした。その肩を、フェイがバン! と叩く。
「情け無ぇツラしてんじゃねぇ! 背筋を伸ばせ! シャキッとしてろ、シャキッと!」
「痛いって。お前、自分が馬鹿力だって事考えろよな、フェイ」
サーサの抗議に、フェイは「済まねぇな」と全然済まないとは思っていないであろう顔で笑って見せた。
「まぁ、何だ。お前と旅して、割と楽しかったぜ。久々に子分ができたみてぇな気になった!」
「勝手に子分にするなよ!」
二度目の抗議に、フェイは少しだけ照れ笑いをすると言った。
「……じゃあ、弟分だ。うん、そっちの方がしっくりくるな。生意気だけど勇敢な弟分を持てて、俺は誇りに思うぜ」
「なっ……何だよ、それ!」
怒っているのか泣いているのか笑っているのかわからない顔をするサーサの頭を、フェイは「照れるな照れるな」と言いながら掻き回した。サーサの髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら、フェイはサーサの横に立つアストに視線を向ける。
「お前とは、結局ほとんど話さず仕舞いだったな。まぁ、何せ俺とお前じゃ性質が違い過ぎる。話しても噛み合わなかっただろうけどな」
「……済みません」
本当に申し訳無さそうに言うアストに、フェイは怪訝な顔をした。
「何で謝るんだ? 言っとくけどな、俺は確かにお前の喋り方は鈍いとは思っているが、嫌いじゃねぇ。お前の喋りが遅いのは、相手に確実に届く言葉、相手が傷付かねぇ言葉を懸命に選んでるからだろ? 胡散臭ぇ言葉をペラペラと捲し立てる奴よか、よっぽど好感が持てるぜ?」
「……ありがとう、ございます……」
照れた様子で頭を下げるアストに、フェイは「おう!」と笑って見せた。
「そうだ。何なら、お前も俺の弟分として認定してやろうか? お、そうだ、チャキィ。お前も弟分にしてやろうか? 俺とお前が組めばどんな戦闘でも無敵だと思うぜ?」
「お断りです! 脳まで筋肉でできてそうなお兄さんなんか要りません!」
「んだとっ!?」
チャキィの断り文句に、思わずフェイは腕まくりをして掴みかかりそうになった。それをアストとサーサが懸命に止める。
「落ち着いて、下さい……」
「って言うか、僕とアストが弟分扱いなのは確定なのかよ!? 勝手に決めるな! 撤回しろ、撤回!」
「ケンカしないの!」
リノに一喝され、フェイとサーサは黙り込んで身を引いた。リノはそんな二人を見て溜息を吐く。
「もう……もうすぐお別れだっていうのに、何でこうなるのかしら? あ、そうそう。ケンカと言えば……ウィスとリアンも、もうケンカなんかしちゃ駄目よ? 特に殴り合いなんて、絶対に駄目!」
「あはは……耳が痛いなぁ……」
「おい。俺はウィスに殴られはしたが殴ってはいないぞ」
「殴り返そうとしてたでしょ」
叱り付けるように言い、リアンが気まずそうに黙り込んだのを見て苦笑する。
「足……いつか治ると良いわね」
「……」
黙って、リアンは頷いた。そして少しだけ躊躇してから、顔を上げる。
「……お前達には世話になった。恩に着る」
瞬時に、その場にいる全員がギョッとした。
「りっ……りっ……りっ……リアンさんがお礼を言いましたよ!?」
「明日は……雨、でしょうか……?」
「えーっ!? それ、困るわよぉっ! 洗濯物干しっ放しにしてきちゃってるのに!」
「ホース、レイホワを出て何日経ってると思ってるの? 多分、どの道洗い直しよ。……けど、確かに困るわね。帰り次第、溜まった洗濯物を全部洗っちゃおうと思っていたんだけど……」
「何か、前にも無かったか? この会話……」
「ありましたわね」
呆れたサーサに、ルナが頷いた。そしてリアンが不機嫌そうな顔をし、周りは笑う。その様子を楽しそうに眺めてから、ウィスはシンに向き合った。
「リアンじゃないけど……本当に、お世話になったと思うよ。シン達がいなければ僕達はトルスを滅ぼしていたかもしれないし、僕は魔法を取り戻せないままだったと思う。それに……きっと、リアンとも互いに気を遣ったままだったんじゃないかな」
「そうかもね」
頷く。そして、言う。
「ラースはこれから大変だよ。サブトから逃げ出した人達の救済措置を取らないといけないし、湖西を治める為に中心地となるサブトを復興させなければいけない。王様に代わって湖西をまとめる人材も選んで派遣しなきゃいけないだろうね。それから……二度とこんな事が起きないように、シューハクの監視を強めたり、シューハクに残る文献なんかをまとめたり整理したりして、一部の人間だけが強大な力を手に入れてしまうような状況を作らないための環境作りをする必要もあると思う」
「……だろうね」
ウィスが肯定し、シンは更に言葉を進めた。
「……で、多分ウィスはそれに駆り出される事になる。何故なら数少ない当事者であり、神殿に知り合いがいて、おまけにミラージュの事を中心に研究してきた学者でもあるから。同じような理由でリアンも駆り出されるだろうけど、学者である分ウィスの方が仕事内容はキツイだろうね」
「……だろうね」
顔を引き攣らせながらウィスが肯定した。すると、シンはシンで苦笑して見せる。
「ま、多分私も帰ったら似たような目に遭うと思うけどね。ラースほどじゃないけど、トルスも今回の騒ぎは王様の知るところだし……少なくとも、ミラージュに関する既存の資料と、シューハクに残る文献を調べ直して整理してまとめて……ぐらいはすると思う」
「その時は、私もお手伝い致しますわ」
ルナの申し出に、シンは「頼むよ」と言って笑った。そして、再びウィスに視線を戻して言う。
「そんなわけだから、そろそろ行くよ。……ウィス」
「何?」
「手」
短い言葉に、ウィスは一瞬キョトンとした。そして、シンが言わんとする事がわかったのか、右手を肩の高さまで持ち上げた。そして、それを軽く前へと伸ばした。同じように、シンは右手を頭の高さまで上げて前へと伸ばす。右手と右手がぶつかり合い、パン! と乾いた小気味よい音を立てた。
「じゃあ……」
そう言って、シンは踵を返しトルスへと繋がる黒い海へと歩を進めた。そして、振り返る事無くトルスへと足を踏み出していく。
リノ達も、それに続いた。振り返る事無く歩み、トルスへと帰っていく。ホースだけは、一度だけちらりと振り返った。だが、笑っただけで何も言わず……後は振り返らずにリノ達に続いて行ってしまった。
そして、まるでそれを待っていたかのように黒い海が消えた。トルスとラースの重なっていた部分が無くなったのだ。もう、ラースからトルスへ行く事はできない。
海は完全に青くなり、別の世界と繋がっていたのがまるで夢であったかのように静かに波打っている。
ウィスはそこでくるりと後を向き、町の出入り口へと歩き出した。振り返る事は、無い。リアン達も、それに続く。やはり、振り向かない。サーサだけがちらりと振り返った。だが、すぐに顔を前へと向け、それからは二度と振り返る事無く歩いていった。
その後も、海は静かに波打ち続けた。何事も無かったかのように、静かに、穏やかに。