光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





52





鋭い歯を持つ口が、あっという間に目前まで迫ってくる。見た目からの想像通り、速い。

「ウィス、避けろ!」

「……っ!」

フェイが怒鳴り、その声でスイッチが入ったかのようにウィスは横に跳んだ。その数秒後には、ウィスのいた地面をモンスターの歯が抉っている。

「ちょっとーっ! 歯で地面が抉れるなんて、そんなの反則よっ!」

ホースが両手を空に振り上げて抗議をするが、勿論相手はそんな事を聞いてはくれない。

「マジかよ。ウィスの奴、あんなのに噛まれて、よく生きてたな……。運が良いとか悪いとか、それだけの問題じゃないだろ……」

若干腰が退き気味になりながら、サーサが呟いた。後の方では、ルナが「うーん」と口元を手で隠す仕草をしながら考えている。

「噛まれどころが良かったというのもあるのでしょうが……やはり、すぐに回復魔法を施されたのが良かったのかもしれませんわね。神官達に助けられたらしいという事ですし、回復魔法の使い手には困らなかったと思いますわ」

「つまり……後の、事を……考えると……ホース、リアン、リノ……もっと、下がって……下さい。回復役が、一人でも……倒れると、まずい……かも、しれません」

言われて、リノとホースは即座に後に下がった。今自分達が前に出たところで役に立たないのは、重々承知している。リアンは渋ったが、袖を引かれて渋々アストと共に下がる。代わりに、チャキィとルナが前に進み出た。

「とりあえず私達が食い止める! その間に、詠唱を!」

シンの言葉に、チャキィとルナは頷いた。二人の目の前ではサーサがモンスターに向かって矢を放ち続け、更に前線ではシンとウィス、フェイが剣を振る。硬い皮膚でも持っているのか、剣も矢も大したダメージを与えるには至っていない。

「チャキィ! ここは二人で同属性の魔法を使用して、相乗効果を狙う事と致しましょう! 深淵の闇、冷たき光、全てを閉ざして突き放せ! 闇の手、ツクヨミ!!」

「わかりました! 影踏み、足踏み、行き止まり! 闇の迷路で遊び抜け! ダークラビリンス!!」

ルナの魔法で現れた闇がモンスターの頭部を包み、視界を奪う。その瞬間に、シン達剣士三人はバックステップでモンスターから距離を取った。その直後、今度はチャキィの生み出した闇がモンスターの体全体を包み込んだ。仕上げと言わんばかりの顔で、チャキィが叫ぶ。

「そして潰れろ! コンプレスドシャドウ!!」

モンスターを包んでいる闇が次第に収縮していく。このまま収縮し続ければ、中に閉じ込められているモンスターを圧縮してぺちゃんこにしてしまうかもしれない。

「いけるか!?」

「いや、まだだ!」

ウィスが叫ぶのとほぼ同時に、闇の塊が揺らいだ。そして、甲高い鳥の鳴き声と狼の咆哮と蛇が舌を出す時の音を混ぜ合わせたような、不快な咆哮が辺り一面に響く。

「まさか!?」

チャキィが目を剥くのと、闇の塊を食い破りモンスターがその首を現したのはほとんど同時だった。モンスターは闇に噛み付き、時には舌で掬うようにして、どんどん闇を喰らっていく。

「な……そんな……!」

ルナが呆然と呟く。モンスターは遂に闇を完食し、舌なめずりをしながら首を巡らせる。次の獲物を物色している目だ。

「ボーッとしてないで! 来るよ!」

シンの呼び掛けに一同はハッとし、前衛組とサーサは再びモンスターに攻撃を仕掛けた。その間に、ルナとチャキィも詠唱を連続して行う。

「炎の胎動、血潮の躍動、怒り狂いて焼き尽くせ! 炎の一の手、カグツチ! 猛りし炎、出は光、輝き増して灰と化せ! 炎の二の手、アマテラス!!」

「お手玉、火の玉、火炎玉! 飛び跳ね、ぶつかり、燃え上がれ! ファイアーコメット!!  そして弾け飛べ! ポップボム!!」

巨大な炎の塊が次々とモンスターを襲う。だが、モンスターはそれも事も無げに食べてしまう。

「これでも駄目なんですかっ!?」

「魔法という魔法、魔力という魔力を食べてしまいますのね。なのに、物理攻撃でもダメージを与えられないなんて……万事休すですわ!」

「けど……中々魔力結晶を生み出さないね」

ぽつりと、シンが言った。静かで淡々としたその発言は、混乱のさなかにある現在、横で剣を構えて立っているウィスにしか聞こえていない。

「そう言えば……さっき神官に噛み付いた時は、その場で魔力結晶を生み出したのに……。彼の魔力は、ひいき目に見てもあまり多くはなかったと思う。今のルナやチャキィの魔法一回分にも満たないよ」

「何でだろう……。魔力の質が違うとか? ルナの魔力はトルスの魔力で……チャキィのはラースの魔力……。違う世界の魔力を同時に取り込んだから、体内で上手く結晶化できずにいる……?」

モンスターが、己を包む炎を食べ終わった。二度に渡る大技に味をしめたのか、その首は今や完全にルナとチャキィの方を向いている。

「あ……あ……」

パクパクと口を動かしながら、チャキィが後ずさった。ルナも腰が引けている。モンスターが地を蹴った。

「ルナ!」

「チャキィ!!」

「チィッ!!」

サーサが、ウィスが、フェイが走る。まずサーサが、そしてフェイがモンスターとルナ達の間に身を滑り込ませた。そして、一足遅れてウィスが更にフェイ達とモンスターの間に身を躍らせる。

モンスターの歯が、ウィスの左肩に食い込んだ。

「ぐっ……!」

呻きながら、ウィスは右腕をがむしゃらに振り上げた。剣の切っ先がモンスターの左目付近を傷付け、モンスターは怯んでウィスの肩から口を外す。血みどろになったウィスの体が、その場に崩れ落ちた。

「ウィス!」

「ウィス先生!!」

リアンとチャキィの、悲鳴のような叫び声が響く。それを掻き消すようにモンスターは咆哮すると、勢い良く尾を振った。尾はサーサの腹部に当たり、彼をリノ達の所まで吹っ飛ばす。

「サーサ!」

心配そうにリノが駆け寄ると、サーサは腹を押さえ吐きそうな顔をしながら言う。

「僕は大丈夫だから、早くウィスを! このままだと死ぬぞ!」

「けど……!」

悔しそうに唇を噛み、リノは前方を見た。呆然と立ち尽くすチャキィとルナ、そして倒れ伏したウィスを守るようにフェイが剣を構えている。威嚇のし合いは拮抗しているようだが、ここで下手にリノが駆け寄れば、フェイに隙を与えかねない。それは、フェイ、ルナ、チャキィ、ウィス、リノの死亡を意味してしまう。

治したい。その為にも、前に出たい。なのに、状況がそれを許さない。リアンとホースも同様だ。駆け寄る事で、フェイとモンスターの拮抗が崩れる事を恐れている。

「汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を討て! アクアスライサー!!」

突如、辺りにシンの声が響いた。次いで、無数の水の刃がモンスターを背後から襲う。突然の攻撃に、モンスターは唸り声をあげながら首を巡らせた。そして、その目がシンを捉える。

「古の大地に眠りし聖なる炎……障壁となりて敵を討て! フレイムウォール!」

新たに唱え、シンはモンスターの鼻面を炎で焼いた。それを当然のように喰らい、モンスターはゆっくりと前方に踏み出した。

「こっちだよ! こっちに来い!」

シンは怒鳴り、再びフレイムウォールで炎を出現させる。モンスターの意識が、完全にシンに向かった。

「今のうちだ! 一旦退くぞ、チャキィ! ルナ嬢ちゃん!」

怒鳴り、フェイはウィスを担いで後方へと退く。チャキィも慌ててそれを追った。だが、ルナはその場から下がろうとしない。

「ルナ!?」

リノが呼ぶと、ルナは後を振り向かないまま言った。

「このままではシンの魔力が尽きてしまいますわ。反対方向から私も魔法で攻撃し、撹乱致します。二人で時間を稼ぎますので、その間にウィスの治療を!!」

それだけ言うと、ルナは小走りでモンスターの背後へと回った。

「鋭き閃光、激しき雷鳴、畏れ振り撒き闇を裂け! 雷の手、タケミカヅチ!」

真横に雷が落ち、モンスターはそちらに気を取られる。そして、それを食べ終わる頃に三度シンがフレイムウォールで攻撃し、次はルナが攻撃をする。そして、発生した魔法をモンスターはことごとく食い尽していく。

その様を苦々しく一瞥し、リノ達はウィスに向かって代わる代わる回復魔法を施し始めた。

「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! その御慈悲を滴に宿し、幸無き傷を癒し給え! キュア・ドロップ!!」

「癒しの雨よ、降り注げ! ヒールレイン!」

「うわっ! ちょっと、やばいよコレ! ちょっと待ったちょっと待ったちょっと待ったーっ!! 間に合えっ! 超回復ーっ!!」

暖かい雨と光を浴び、ウィスの傷が次第に癒されていく。呼吸が次第に落ち着いていき、ウィスは薄らを目を開けた。

「ウィス!」

「良かった……間に合ったわね」

リアン達がホッと胸を撫で下ろす。

「あ……リアン……。それに、ホース、チャキィ……リノにフェイ、サーサ……アストも……」

呟いてから、ウィスはハッと目を見開く。

「そうだ! モンスターは……!」

ガバリと上半身を起こし、貧血を起こしてこめかみに手を遣る。

「今、シンとルナが交戦中だ。……お前は休んでな。お前の分まで、俺が戦ってやる」

そう言って、フェイは屈めていた腰を伸ばし立ち上がった。すると、その眼前にチャキィが立ち塞がる。

「駄目です。フェイさんとサーサさんは、ここにいて下さい。いざという時、ウィス先生やリアンさん、ホースさんやリノさんを連れて逃げてもらわないといけませんから!」

「チャキィ!?」

ウィスの呼び掛けに、チャキィは笑って見せた。顔のあちらこちらが引き攣っている。……怖いのだ。だが、それでもチャキィは笑顔を皆に見せる。

「ボクも、ルナさんを手伝ってあのモンスターを撹乱してきます。あ、勿論、リアンさんも出てきたら駄目ですよ! 回復魔法が使える人は、下がっていて下さい! って言うか、今のリアンさんが出てきても邪魔です!」

「お前……」

リアンが眉を寄せる。それに構う事無く、チャキィは言った。

「誰も、死なせたりしませんよ。皆、ボクの大切な仲間ですから。勿論、ボクも死ぬつもりは全くありません。美味しい物をたくさん食べたいですし、ウィス先生にまた勉強を教えて貰いたいですし」

それだけ言うと、チャキィは脱兎の如く駆け出した。そして、走りながら叫んだ。

「アストさん! ボクの大玉、盗まれないように見ていて下さいね! 何なら、本にしまっておいて下さい!」

「……わかり、ました……」

そう言って頷いたアストは、先ほどからずっと本を構えている。詠唱はしていないが、本に魔力が集中しているらしい。その手の本は、いつも以上に白く輝いている。

「つぶらな瞳の風見鶏、くるくる回って舞い上がれ! タイフーンパニック!!」

竜巻を起こし、モンスターを横から襲う。モンスターの周囲で発生する魔法が三か所に増えた。

「……とは言え、ずっと走りっぱなしというのは思った以上に疲れますのね……」

ルナは肩で息をし始めている。普段は走る事のほとんど無い後衛だ。長時間走り回るような体力は持ち合わせていない。

それに気付いたのか、最も弱い者から餌食にしようとモンスターがルナに狙いを定める。

「ルナ! ……英傑の祈りが呼びし風……乱れ吹き交い敵を押せ! ブラストウェーブ!」

風に乗ってスピードを増し、シンがルナに体当たりをした。寸でのところでルナの体はモンスターの口から逃れる。だが、代わりにモンスターの前に出たシンの右腕にモンスターの歯が刺さる。

「……っ!」

咄嗟にシンは剣を左手に持ち替え、そのままモンスターの口の中へと突き刺した。モンスターの歯が数本欠け落ち、赤黒い体液が地面に滴り落ちる。どうやら口の中まで硬いわけではないらしい。シンの剣は、モンスターの舌を貫いていた。

舌を貫かれた事に驚いたのか、モンスターはそれ以上シンに噛み付く事無く跳び退る。

「シン! 一旦退いて! 回復を……」

「今戻ったら、ルナとチャキィがやられる!」

リノの言葉を遮ると、シンは距離を稼ぐ為、モンスターと睨み合いながら唱えた。

「古の大地に眠りし聖なる炎……障壁となりて敵を討て! フレイムウォール!」

ぽすん、と乾いた音がした。

「え……!?」

何が起きたのか一瞬理解ができず、シンは呆けた。

「おい、どうしたんだよ!?」

「まさか、魔力切れ……ですの?」

サーサとルナの顔が青ざめる。すると、シンは首を横に振った。

「そんな筈は無いよ。確かに連発してるけど、それでもまだ充分残ってた筈!」

「忘れたのか!? そいつは魔法だけではなく相手の魔力を喰らうんだぞ! 噛まれた事で、魔力を全て奪われたという事も考えられる!」

リアンが怒鳴り、シンはそれにも首を振る。

「それも、無いと思う。魔力を取られた感じはほとんどしなかったし。……けど、変な感じはする。まるで、血管の中を血が流れていないような感じというか……」

「! 僕の時と同じだ……!」

青ざめた顔で、ウィスが言った。

「だとすると……回復を待ったところで魔法は全く使えない……!」

「んだとっ!?」

フェイが叫び、サーサが思わず立ち上がる。その間にも、モンスターはシンに向かって唸り声をあげている。今にも飛び掛かってきそうだ。

「心地よい音、雨の音、軽やかに奏で降り注げ! フルメタルドロップ!!」

チャキィが魔法で攻撃し、モンスターの意識がそちらへ向いた。

「こうなりゃ四の五の言ってる場合じゃねぇっ! 出るぞ、サーサ!」

「おう!」

頷き、フェイとサーサが前線へと走り出る。チャキィに向かって走るモンスターの目を狙ってサーサが矢を射る。狙いは少しだけ外れ、矢は目の真横に当たった。相変わらず傷付けるには至らないが、一瞬だけモンスターの気がチャキィから逸れた。その隙にチャキィは距離を稼ぎ、間にフェイが踊り込む。

その間に、シンは少しだけ下がり、左手を右腕に当てた。

「胸に響くは命の鼓動、優しく木霊し傷癒せ……クイックトリート!」

回復魔法を唱えてみるが、やはり一瞬手が白く光っただけで何も起こらない。

「……っ! このままじゃ……!」

「シン、一旦退いて下さい! このままでは、ウィスの二の舞ですわ!」

「……大丈夫。足をやられたわけじゃないし、左腕はまだ動く。剣士としてなら、充分戦えるよ」

そう言って、シンは左手で剣を構え直し、前へ踏み出そうとした。その腕をルナが掴み、退き止める。

「……ルナ?」

「駄目、と言っても、聞いて頂ける雰囲気ではございませんわね。けど、残念ながら私はフェイのように、殴って気絶させ、無理矢理動きを止めるような力を持ち合わせてはいませんわ。ですから……」

そう言って、ルナは右手をシンの右腕に当てた。そして、祈るように詠唱する。

「癒しの左手、救いの右手。諸手が生むは明日への希望。水を探して草を嘗め、全ての不幸を拭い消せ。……癒しの手、スクナヒコ」

白い光が右腕の傷を包んだ。光が消えると、腕には浅い傷が残る。

「……ルナ。回復魔法……使えたんだ」

キツネにつままれたような顔で、シンが呟いた。すると、ルナは不承不承頷いて見せる。

「ですが、私に限らずシューハクの者は回復魔法は苦手とする者がほとんどですの。多分、シンの回復魔法よりも効果は薄いですわ……」

「大丈夫。血はまだ少し出てるみたいだけど、痛みは大分和らいでる。これなら、ほぼ本気で戦えそうだよ」

微笑んで、そして今度こそ走り出す。目の前では、チャキィとフェイ、サーサが苦戦を強いられている。いつものくせで、つい詠唱が口を吐いて出た。

「汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を討て! アクアスライサー!!」

その瞬間、無数の水の刃が出現し、モンスターを背後から襲った。

「……え!?」

その場にいる全員が、目を見開いた。

「何で……」

呆然と呟くシンに、モンスターが迫る。

「考えるのは後にして下さい! お手玉、火の玉、火炎玉! 飛び跳ね、ぶつかり、燃え上がれ! ファイアーコメット!!」

チャキィが唱え、再びモンスターのターゲットがチャキィに切り替わった。その隙に、シンはルナに言葉をぶつける。

「ルナ! さっきの魔法、何!?」

「え? え!? 癒しの手、スクナヒコ……ですわ。それが……?」

「名前じゃなくて、効果! 回復以外にも効果があったりするの、ひょっとして!?」

シンに言われて、ルナは「あぁ」と呟いた。

「確かに、ありますわ。回復と同時に……毒や麻痺などの状態異常を解消する効果が少々……」

「それだ!」

シンは叫ぶと、視線をリノ達の方に向けた。

「ルナはとりあえず、さっきみたいに魔法攻撃を再開して! ……リノ、リアン、ホース!」

名前を呼ばれ、三人はシンに視線を向けた。シンは会話を行う為、少しだけリノ達へと近付いた。

「三人とも……状態異常を解消する魔法は使える?」

「え? えぇ……」

「使えない事はないが……」

「使えるわよ? けど、それが?」

「全員、ありったけの魔力で、ウィスにそれをかけて! 早く!」

「え、僕?」

驚いているウィスを尻目に、シンは再び前線へと駆け出した。五人がモンスターを撹乱している間に、リノ達は不思議そうな顔をしながらも頷き合い詠唱を開始する。

「癒しの炎よ……燃え上がれ。リカバリーフレイム!」

「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る。慈悲深き風で病魔を包み、悪魔の業を持ち去り給え! リカバリー・ブリーズ!!」

「よーしっ! 毒抜き、いきまーす! それっ! 異常回復!」

熱さを全く感じない炎が、体の悪い部分を焼いているかのように燃える。暖かい風が、体から緊張を奪い取っていく。黄味を帯びた光が、体を優しく包み込む。

「あ……」

ウィスは思わず呟いた。何やら、体の奥底から力が湧いてくるような気がする。体が芯から暖まっていく。そして、次第に熱くなる。

ブツッ

糸が切れたような音がした。少なくとも、ウィスはそう感じた。だが、それを誰かに確認する前に、一瞬のうちに全身が焼けるように熱くなる。

「……っ……!?」

思わず立ち上がり、自分を取り囲むリアン達から身を離す。指の先から、小さな炎が生まれ舞い散る。炎は次第に大きくなり、やがて左腕を嘗め、肩から全身に拡がっていく。

「ウィス!?」

「ウィスくん!?」

リアン達が駆け寄ろうとする。

「近付いたら駄目だ!」

ウィスが声を張り上げ、リアン達はビクリと足を止めた。ウィスは肩で荒く息をしながらも、力強い声で言う。

「大丈夫……僕が火傷をする心配は無いよ。……これは……僕の魔法の炎だ……」

「!」

リアンが目を見開く。ホースが信じられないとでも言いたげな顔で呟いた。

「確かに……今までになく強いウィスくんの魔力を感じるわ。けど、何で今になって……?」

「それは……リアン達が、状態異常を解消する魔法をかけてくれたからだと思う」

ウィスが特に魔力の放出が激しい左腕を抑えながら言う。

「シンもあのモンスターに噛まれてから、魔法が使えなくなった……。けど、ルナに回復魔法をかけて貰ってからはまた前のように魔法が使えるようになったよね? ……けど、回復魔法なら僕も今までリアンやホースに何度もかけてもらってる」

「ルナと俺達の回復魔法の違い……そうか。そういう事か」

「あのモンスターに噛まれて……シンもウィスも、状態異常になっていたという事?」

リノの言葉に、ホースが頷いた。

「そうなるわね。何せ、噛み付く事で魔力や魔法を食べちゃうようなモンスターだもの。あの歯にそんな効果があったとしても、不思議じゃないわ。差し詰め、体内で魔力の流れを詰まらせて魔法を使えなくする封印状態とでも言うべきかしらね? シンくんと比べて十年以上前のウィスくんはかなり深いところまで噛まれていたみたいだし……かなり強固な封印状態になっちゃってたみたいね。だからありったけの魔力で状態異常解消の魔法をかけろ、なんて言ったんだわ」

ホースの解説に、ウィスは口元だけ微笑んで頷いた。そして、懐かしそうに自らの炎を見る。だが、次の瞬間その顔は苦痛で歪んだ。

「……っ!」

「ウィス!?」

「まずいわね……。魔力の量が、多過ぎるわ」

「どういう事!?」

リノの叫びに、ホースはあくまで冷静に淡々と言う。

「封印されて魔法が使えなくなっている間も、ウィスくんの体内ではずっと魔力が作られ続けていたのよ。ただ、詰まって外に出せなくなっていただけ。出せなくなった分、体の中には大量の魔力が溜まっていた。それが、弁が無くなって一気に噴き出したのよ。……リルンベ湖一杯分の水を堰き止めている堤防に蟻が穴を空けたような物だと思って頂戴」

「そんな……じゃあ、ウィスの体は今……!」

「決壊する寸前の堤防同然って事!」

ホースが厳しい顔をしてウィスを見た。炎は相変わらず噴出し続け、ウィスはそのエネルギーに耐え切れず膝を折った。

「ウィス!」

「逃げろ! そっちへ行ったぞ!!」

リアンがウィスを呼ぶ声は、フェイの怒鳴り声に掻き消された。その声に戦場に意識を引き戻されたリアン達は、思わず声のした方へと振り向いた。

モンスターが、リアン達に向かって一直線に走ってくる。

後方ではサーサが弓を、シンとフェイが剣を構え必死でモンスターを追っている。更に後方ではルナとチャキィが詠唱をしている。だが、モンスターは魔力が迸っている筈のルナやチャキィには目もくれない。

「こっちへ来る!?」

「ちょっと、何で!? 私達の魔力は、さっきの魔法でほとんど空っぽになってる筈よ!?」

「違う! 俺達じゃない、ウィスだ! 制御できずに噴き出し続けている、ウィスの魔力に釣られている!」

リアンが剣を構えてウィスの前に立つ。

「リアンくん!?」

「口の中なら物理攻撃が有効なのは、さっきのシンの攻撃で実証済みだ。奴が口を開けたら、即座に喉を切り裂いてやる!」

「そんな……無茶よ!」

リノが叫ぶ間にもモンスターは迫り、大きく口を開ける。リアンは今にも飛びかからんと、負傷していない右の足に力を込めた。

「リアン! 屈んで……下さい!」

地を蹴ろうとした瞬間、アストがいつもよりも強くはっきりとした……しかも、いつもよりもずっと早い言葉で叫んだ。その声に、リアンは思わず走り出すのを止め、その場に屈む。

アストが、いつもよりもずっと早い言葉で唱えた。

「改訂作業を開始します! 歴史をひも解き、我は知る。眼前に佇むは未知なる力。眼に映るは未知なる姿! 子子孫孫に語り継ぐべく、その身をこの書に刻み込まん! 今はただ、眠りにつけ! 望まれ……光を浴びる、その時が来たるまで!」

いつものアストからは想像もできない、堂々とした詠唱だった。その手に持つ本には、今の今までずっと溜め続けてきた魔力が迸る時を待ち光り輝いている。

それらを解放するべく、アストは叫んだ。

「リビジョン!」

本から白く太い光が飛び出し、モンスターを包み込む。だが、モンスターは先ほどまでと同じように光に喰らい付き、それを食べ始める。光が、薄くなり始めた。

「駄目だ! やっぱりさっきまでと同じ……魔法は全部食べられちまう!」

サーサの悲鳴が聞こえた。だが、横を走りながらシンは首を横に振った。

「いや……駄目じゃないかもしれない! モンスターの食べるスピードが、明らかに今までよりも落ちてる!」

「え……?」

シンに言われて、サーサは改めてモンスターを見た。言われてみれば、確かに食べるスピードが落ちている気がする。

「トルスの魔力とラースの魔力……ちゃんぽんで食べたものだから、体内で上手く結晶化できないでいるんだ! だから、いつまで経っても食べた魔力を体内に出せないでいる……あいつの魔力を吸収するキャパシティは、限界に近いよ!」

だが、楽観はできない。限界が近くとも、まだ限界が訪れたわけではない。その前にアストの魔力が尽きてしまったら、万事休すだ。

「……っ! 負けません……! 皆、今まで……頑張りました! 今度は……私が、頑張る……番です!」

歯を食いしばり、アストは一歩前に進み出た。ホースの横に立ち、更に魔力を加えようと本を持つ手に力を加える。

「う……あぁぁぁぁっ!!」

叫ぶ。まるで声と共に魔力を絞り出しているかのように、叫び続ける。白い光が、輝きを増した。だが、それでもモンスターは光を食べる事を止めない。

「……っ! このままじゃ……!」

「決め付けるのは、まだ早いよ!」

不安そうに呟いたリノの横に、走り来たシンが並び立つ。その後にはフェイとサーサもいる。ルナとチャキィは念の為か、まだモンスターのずっと後方にいる。

「シン……! フェイさんに、サーサも!」

シンはキッとモンスターを睨み付けると、その開いた口を指差した。そして、唱える。

「汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を討て! アクアスライサー!!」

水の刃がモンスターの口の中を斬り付ける。口に大きなダメージを負ったからか、今の魔法で体内の魔力が飽和状態になったのか……モンスターの光を食べる動きが止まった。

「今だよ、アスト!」

シンの合図にアストは頷き、本に力を込めた。

「リビジョン!!」

再び唱えた瞬間、光が完全にモンスターを包み込み、本に向かって奔った。そして本へと入り込み、本はぱらぱらと数ページが捲られたあとにパタンと閉じられる。

その時、その場からモンスターの姿は消えていた。

「……改訂作業を、完了しました……」

疲れたように、アストが呟いた。そしてそのまま、ぺたりと座り込む。どうやら、完全に魔力を使い切り疲れてしまったようだ。

「やった……のか?」

「あぁ……やりやがった!」

サーサとフェイの顔に、喜びが広がっていく。

「やりましたわね、アスト!」

駆け戻ってきたルナが嬉しそうに言い、アストも薄らと微笑んで頷いた。ルナの後で、チャキィが叫ぶ。

「それは良いんですけど! けど、ウィス先生は!? ウィス先生はどうなったんですか!?」

その言葉に、シンとリアンを除く一同がハッとする。ウィスは、未だに左腕を抑えて荒い息をしている。その横に、シンとリアンが付き添っていた。

「うっ……ぐ……っ!」

「落ち着け、ウィス! まずは呼吸を整えろ!」

「まずいね……。余分な魔力を放出しちゃえば落ち着くと思うんだけど、このままだとその前に体が壊れかねないよ」

「そんな……!」

「あーっ! もう! 何でこんな時に魔力がスッカラカンなのよっ!? 回復魔法が使えれば、体が壊れそうになったら片っ端から治せるのに!」

チャキィとホースが悔しそうに叫ぶ。シンはそんな二人を一瞥してから、しばらく考えた。そして、ハッと顔を上げる。

「……回復魔法……そうだ!」

言うや否や、シンは両手でウィスの左手を掴んだ。

「シン!?」

「何やってんだ!? 焼け死ぬぞ!?」

サーサが言い終わる前に、ウィスの炎がシンの両手を焼き始めた。ウィスの魔法である炎はウィスを焼く事は無いが、それ以外の者には容赦が無い。

「……っ!」

シンは苦痛に顔を歪めながらも、ウィスの左手を強く握り締めた。

「ウィス……聞こえる? 聞こえてたら、今から私が言う通りにして欲しい」

「……」

ウィスが、薄眼を開けた。シンの声は届いているようだ。

「神官達と戦った時……ホースがアストに使った魔法は見てた? 対象の魔力回復速度を上げる魔法……要は、自分の魔力を他人に分け与える魔法なわけだけど……」

ピクリと、ウィスの顔が動いた。

「あれを、使って。無理ならやるなとは言わない。使ってくれなきゃ、ウィスと私はここで死ぬ事になるからね」

脅すように言い、燃える手で更に強くウィスの手を握る。人肉の焼ける嫌な臭いがし始めた。

「イメージして。ウィスの左手から、私にウィスの魔力を注ぎ込む。左手に集めるまでは、魔法を使う時と同じように。私に注ぎ込む時は、手で掬った水を私の手に移すような感覚で!」

「……っ!」

ウィスの体を覆っていた炎が、次第に左手に集まっていく。やがてそれは赤い光となり、シンの体を包み込む。

「……!」

シンが歯を食いしばった。魔法として練り上げていない状態で魔力を直に注ぎ込まれるのは、想像以上に負担がかかるようだ。

「チッ……! シン、片手を外せ! 俺が半分引き受ける!」

「ボクも! お手伝いします!」

見兼ねたリアンがシンの片手を払いのけ、ウィスの手を掴む。その上から、チャキィが手を重ねた。

「痛みは……皆で、分け合えば……あまり、痛く……ないと、思います」

アストが続く。

「あー、そうそう。さっきも言ったけど、今魔力スッカラカンなのよ、私。だから、私にもちょーっと分けて頂戴」

「あ、じゃあ……私にも」

「私も……少しだけ頂きますわ」

ホース、リノ、ルナも手を重ねた。その様子を見て、居心地が悪そうにフェイとサーサが顔を見合わせた。

「その……僕達は魔法なんか全然使った事無いから、どんだけキャパシティがあるかわからないけどさ……」

「それでも、無いよりゃマシだろ」

そう言って二人も、手を重ねた。

炎が次第に収束していく。やがてウィスの左手から炎は完全に消え、仲間達の手からも炎が消えていく。リノが、回復したばかりの魔力を練り上げて詠唱した。

「癒しの風よ、吹き荒べ。キュアウィンド」

生命力溢れる風が吹き渡り、その場にいる全ての者の傷を癒していく。更にリノはシンの両手を掴んだ。その手は赤く焼け爛れている。長くウィスの炎に焼かれていた為だ。

「もう! 無茶ばっかりして! ホース、手伝って頂戴。早く治さないと後遺症が残るわ。……癒しの雨よ、降り注げ……ヒールレイン!」

「はいはーい。……うわっ! これは確かにやばそうだね……ちょっと待っててくれる? ……ほらっ! 多めに回復っ!!」

重ねて回復魔法を施され、シンの両手はほぼ元通りになった。少々皮膚が捲れたままだが、これぐらいなら時間が経てば自然に治るだろう。

「おい、ウィス……」

「……」

リアンに声をかけられ、ウィスは無言のままうつむいた。

「……迷惑掛けて、ごめん……」

「開口一番がそれか」

謝るウィスに、リアンは不機嫌そうに言った。その後で、チャキィも顔を険しくして頷く。

「そうですよ、ウィス先生! そこは迷惑じゃなくて、心配掛けてごめん、です。あと、シンさん達に助けてくれてありがとう、も言わなきゃですよね!」

「……そっか。そうだよね。……うん、心配掛けて……ごめん。それから、ありがとう」

そう言って立ち上がり、ウィスはチャキィの頭を撫でた。

「今度は、僕がチャキィに教えて貰っちゃったね。……ありがとう」

「いいえ! ウィス先生がご無事で、何よりです!」

元気良く笑って見せるチャキィに、ウィスもまた笑った。その時だ。

パリン、と何かが砕ける音がした。

「!?」

驚き、一同は首を巡らせた。壊れていないサブトの中で、レルグが拳を震わせてこちらを睨みつけている。拳からは、緑色の何かがキラキラと光りながら零れ落ちた。モンスターが先に生み出した、魔力結晶のようだ。

「馬鹿な……アレが倒されるなど……アレの相手をして、十人全員が無事だと!? 有り得ない……有って良いわけがないっ!!」

激昂するレルグを、ウィスは睨みつけた。

「残るはお前だけだ! 神官レルグ!!」

ウィスの叫び声に、レルグは睨み見下すようにウィス達を見た。そして、平常を取り戻すとニヤリと嗤う。

「いや……まだだ。私は……神殿は、まだ終わりではない!」

叫び、レルグは走り出した。

「! 待ちやがれっ!」

フェイがレルグを追おうとし、何かに気付いてウィスとリアンを見た。先ほどは、走り去る神官を追おうとしてウィスに止められている。

ウィスは、首を横に振った。

「勘だけど……追っても大丈夫だと思う。寧ろ、今は追わなきゃいけない気がする」

リアンもそれに同意し、頷く。そして、シンも頷いた。

「レルグが向かった先は……城だと思うよ。そして多分……副王も、そこにいる」

それだけ言うと、ぐるりと仲間達の顔を見渡した。そして、更に言う。

「……行こう。これで終わりにする為に」








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