光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―
50
「まずは相手の出鼻を挫く! シン、魔法を頼むよ!」
ウィスが、並走するシンに言った。
「了解!」
言うや否やシンは足を止める事無く詠唱を始める。
「英傑の祈りが呼びし風……乱れ吹き交い敵を押せ! ブラストウェーブ!」
強烈な風が兵士達を襲う。思わず腕で顔を覆った兵士達の間に、ウィスはするりと入り込み剣を振るう。とある兵士は腕を負傷して剣も槍も持てなくなり、またある兵士は足を斬られて行動不能となる。
「やるじゃねぇか、ウィスの奴! よしサーサ! 俺達も行くぜ!」
「おう!」
フェイの声にサーサが応え、二人は駆け出そうとする。その時だ。
「待て。フェイ、サーサ!」
リアンが、二人を呼び止める。
「?」
「何だよ、リアン?」
訝しげに問う二人に、リアンは苦虫を噛み潰したかのような顔をしてから言った。
「……こんな事を言うのは不本意だが……頼みがある」
「!」
その言葉に、フェイとサーサは目を丸くした。二人だけではない。チャキィにアスト、それにホースも目をぱちくりとさせている。
「りっ……リリリ、リアンさんが頼みごとですかぁっ!?」
「明日は……雨、でしょうか……?」
「えーっ!? それ、困るわよぉっ! 洗濯物干しっ放しにしてきちゃってるのに!」
「ホース、落ち着いて。まず、世界が違うわ。あと、レイホワを出て何日経ってると思ってるの? 多分、どの道洗い直しよ。……と言うか、レイホワでも外に洗濯物を干すの?」
「外野は黙っていろ」
後の面々を睨み付け、リアンは再びフェイとサーサに視線を戻した。
「お前が頼みごとなんて、よっぽどだよな。それも、ウィスじゃなくて僕達に頼みなんてさ」
「言うだけは言ってみろ。聞ける事なら聞いてやる」
二人に言われ、リアンは視線を二人よりも遠くへ遣った。そこでは、シンとウィスが兵士達と戦闘を繰り広げている。兵士は全て歩兵だったが、騒ぎを聞き付けたのだろう。騎馬兵がぽつぽつと姿を現し始めている。
「奴らから、馬を一頭奪って欲しい」
「馬を? ……そうか」
即座に理解したのか、フェイが頷く。
「このままじゃ、魔法の有効範囲に着く前に戦況が変わっちまうかもしれねぇもんな。今回に限らず、今後を考えればお前の機動力を補えるようにしておいた方が良い」
「そうか。リアンが馬に乗れれば、あそこまで駆け付けて補助魔法を使えるもんな。それに、リノ達も置いていく事を心配したり、肩を貸したりする必要が無くなる」
サーサが納得して見せ、その後少しだけ心配そうに顔を歪める。
「けど……大丈夫なのか? そりゃあ確かにウォートンからトーコク遺跡までは馬で移動してたけどさ。駆けるとなったら、話は別だ。歩く時とはまた別の負担がかかって、キツイかも……」
「乗る事さえできれば、後はどうとでもなる!」
真っ直ぐにサーサの目を見詰め、リアンはきっぱりと言い切った。
「そうか……なら、待ってろ! 行くぜ、フェイ!」
「よしっ!」
返事をするや否や二人は駆け出した。矢の射的範囲に入ったところでサーサは足を止め、思い切り弓を引き絞り、そして放つ。
矢はほとんど弧を描く事無く飛び、ある騎馬兵の手綱を持つ手を貫いた。
「ぐあぁぁっ!?」
矢の刺さった兵士が叫び、馬上でバランスを崩す。そこに、剣を振り回しながらフェイが突っ込んだ。
「でぇりゃああぁぁぁぁっ!!」
雄叫びと共に剣を薙ぎ、刃は兵士の腹に命中する。不幸中の幸い、腹に当たったのは剣の刃ではない部分だった。その為致命傷を避ける事はできたようだが、攻撃を受けた衝撃で完全にバランスを崩し、微妙な幸運を持った彼は落馬した。
主を失った馬が暴れ出す前にフェイは手綱を掴み、馬に乗る。そしてそのままリアン達の元へと駆け戻ると、ひらりと馬から飛び降りた。
「ほらよ。乗った感じだと、中々良い馬だ」
「済まない。恩に着る」
素早く礼を言い、リアンはフェイから渡された手綱を手に取った。手綱を渡したフェイは、あんぐりと口を開けながらリアンをまじまじと見た。
「まさか……お前に礼を言われる日が来るとはな……」
「煩い」
フイッと視線から顔を外すリアンに、フェイは満足そうに頷いた。
「照れるこたぁ無ぇだろうが。……よし、これはオマケだ。とっときな!」
言った途端にフェイはリアンの首筋を掴み、半ば放り投げるようにして馬の上に上げた。一瞬のうちに馬上の人となったリアンは暫く呆けていたが、ハッと我に返ると舌打ちをした。
「これに対する礼は言わんぞ」
「相手がお前である時点で期待してねぇよ。……さて、行くか。いつまでもシンとサーサ、ウィスだけに任せちゃおけねぇからな」
「あぁ」
頷くと同時に、リアンは馬を発進させた。それにフェイが続き、残されたリノ達後衛組も頷き合って走り出す。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る。恵みの光をこの地に注ぎ、我らに希望をもたらさん! グレイス・シャイン!!」
「強き光よ、我らに力を。チャリティーシャイン!」
リアンとリノが唱え、仲間達に力を与える光が降り注ぐ。
「改訂作業を、開始します。いずれの、時か……知りし、事。我が、力と……する、為に……蓄えて、おきし……その、姿。我は今……その……力を、欲し……ここに……解放、する…………デリート」
ゆっくりと唱えながらも確実に歩を進めていたアストが、相手にある程度近付いたところで詠唱を完成させた。光は兵士達の足元へ飛んでいく。そして、どこかで本に閉じ込めてきたのだろう。結ばれた草がそこかしこに現れ、兵士達の足元を掬った。
「この野郎っ!」
一人の兵士がアストに向かって突っ走る。だが
「だぁっ!?」
他の兵士達と同じように、草に足を引っ掛けて盛大に転んだ。そこにアストはととと……と近付き
「……たぁっ!」
少々間の抜けた掛け声と共に、手にした本を思い切り振り下ろした。
「がっ!?」
よほど重い本なのだろう。本で殴られた哀れな兵士は、あっという間に気を失った。
「はいはーい! 怪我してる人は、逃げる前にこっちに来てー!」
兵士達に追われていた人々にホースが呼び掛けた。何事かと首を傾げながら寄ってくる人々に、ホースはにこりと笑って言った。
「大丈夫? ちょっと待っててよ……はいっ! 回復っ! ……うわっ、そっちは結構やばそうだね……ちょっと待っててくれる? ……ほらっ! 多めに回復っ!!」
相変わらず詠唱らしくない詠唱でホースが人々の傷を癒していく後で、チャキィとルナが容赦無く唱えた。
「きらきら光る流れ星、流れ流れて夢運べ! トゥウィンクルスター!」
「炎の胎動、血潮の躍動、怒り狂いて焼き尽くせ! 炎の一の手、カグツチ!」
きらきらと輝く流れ星と、赤々と燃える炎の玉が同時に降り注ぐ。阿鼻叫喚の地獄絵図を目の当たりにしながら、二人は更に唱えた。
「そしてぶつかれ! メテオストライク!!」
流れ星が集まって固まり、巨大な彗星が落ちた。
「猛りし炎、出は光、輝き増して灰と化せ! 炎の二の手、アマテラス!!」
降り注いだ炎の玉が一気に肥大化し、辺り一帯を呑みこむ。
「ちょっと二人とも! やり過ぎよ!?」
悲鳴をあげるかのように非難めいた叫びを発するリノに、ルナとチャキィは苦笑いをしながら顔を向けた。
「ついやってしまいましたわ。これは、また消火作業を頑張らなければいけませんわね……たゆたう水面、流れるせせらぎ、静かに音無く飲み下せ! 水の一の手、ワダツミ!」
その場にいる仲間達の事も一応考慮したのか、追加魔法を使う事無くルナは消火作業に勤しんだ。その間にシンとウィス、そしてフェイとサーサは着実に兵達を戦闘不能にしていき、何とかそれから逃れた兵士達は戦意を喪失して逃げていく。
やがてシン達に襲い掛かってくる兵士は一人たりともいなくなり、残るはサブトの中に逃げ込もうとする者ばかりとなった。
「けっ! 自分達が不利とわかった途端にトンズラか! てめぇら、それでも兵士か!」
「逃げてくれるなら、それで良いと思うよ。それだけこちらが傷付ける相手が減るわけだしね」
シンが言い、フェイが複雑そうな顔で剣を降ろした。
「それよりも、今がチャンスだよ。今なら、サブトへ入るのを咎める兵士は誰もいない!」
「そうだね。新手が来たら厄介だ……ここから副王のところまで、一気に行こう!」
シンの言葉にウィスが賛成し、それに他の者達も頷いた。そして、サブトへ入ろうと一同が走り始めた時
辺りが一瞬にして閃光に包まれ、強烈な爆音が轟いた。
「!? 何だ!?」
光と爆音に驚いたのか、リアンの乗っていた馬が棒立ちになり、そしてリアンを振り落として走り出す。
「ぐっ……!」
「リアン!」
地面に投げ出されたリアンの元に、最も近くにいたリノが駆け寄った。
「大丈夫だ。だが……」
光が消えてもまだぼんやりとする視界で、一同は懸命に前を見た。そして、全員が目を見開く。
「おい、どうなってるんだよ、これ……」
「わかんねぇ……おい、アスト。お前の仕業か?」
「違い……ます。私の、リビジョンでは……こんな、風には……なりません」
サーサが呆然と呟き、アストがフェイの問いに否定で返し。
「ルナくん……何か奥義みたいな魔法でも使ったの?」
「こんな効果をもたらす魔法は持ち合わせていませんわ。チャキィではなくて?」
「ボクも違います。こんな事は……できません」
ホースの問いを否定したルナの問いをチャキィが否定して。
「シン」
「ウィス」
己の名を呼ぶ幼馴染達に、シンとウィスは首を横に振った。何が何だかわからない、という顔だ。
一同の目の前に広がるのは、巨大なサブトの街だ。だが、南側半分が消え、地面は大きく抉れている。そして、黒く焼け焦げている。たった数分前までは街の一部であったそこは、今は完全に焼け野と化していた。
ホースとシンが前に進み出て、焼けた地面に手を当てた。
「魔力が感じられるね……やっぱり、何らかの魔法なのかな?」
「けど、おかしいわよ。確かに魔力は感じられるけど……これ、どう考えても一人の魔力じゃないわ。何人分もあるわよ、絶対」
「? 何人かの魔法使いが、一気に同じ魔法を使ったって事か?」
フェイの問いに、シンとホースは首を横に振った。
「可能性として無くは無いけど、まず有り得ない事だと思う。前に話したかもしれないけど、同じ魔法を使う為に何人もの魔力を混ぜ合わせると何が起きるかわからない」
「相殺されて威力がゼロになるなら、まだマシな方ね。魔力が反発し合って、爆発を起こす可能性だってあるわ。その結果がこの焼け跡だって考える手もあるけど、だとしたら爆発を起こした魔法使い達がいたのは爆発の中心部って事になるわ」
「焼け跡の中心部っつー事は……見た感じ、門の辺りか。……そんな奴らの姿は、見えなかったな」
フェイが頭をぼりぼりと掻きながら、納得したように頷いた。
「そういうわけだから、魔法使いが一斉に同じ魔法を使ったという事は考え難いわ。それよりも……ウィスくん、ちょっと来てくれる?」
「? 良いけど……」
首を傾げながらウィスがホースに近付く。すると、ホースはガッ! とウィスの右手を掴んだ。
「ほ、ホース!?」
困惑するウィスを尻目に、ホースはウィスの手と地面とを交互に見比べた。そして、ふぅ、と息を吐く。
「……思った通りだわ」
「何が?」
ウィスが問うと、ホースはウィスと、そして周りの仲間達を見回して言った。
「ここから感じられる魔力の中から、ウィスくんの魔力の残滓と同じ波長が感じられるわ」
「!」
ホースの発言に、ウィスの目が見開かれた。
「どういう事……?」
「わからないわ。ウィスくん、魔法が使えた頃にサブトに時限爆弾的な魔法をいたずらで仕掛けた……なんて事はないわよね?」
「誓って無いよ、そんな事」
ウィスがぶんぶんと首を振り、シンが「だよね」と言って肩をすくめた。そして、そのまま視線をサブトの奥へと遣る。
「……となると、やっぱりあの人達の仕業、かな?」
「え……?」
一瞬シンの言った意味がわからず首を傾げ、それから視線を彼女と同じ場所へ向ける。ウィスの視界に、半分だけ焼けてしまった広場と、そこに佇む複数の人影が入った。十人はいるだろうか。全員がリアンと同じ、神官服を身に纏っている。そのうちの一人は、地位の高い神官である事を示す筒のような帽子を被り、体を包み込むようにマントを羽織っている。
「あれは……!」
「あいつは……!」
「……!」
ウィスとリアン、そしてアストの顔が同時に歪んだ。そんな彼らに、帽子を被った神官は居丈高に言う。
「いつまで経っても報告に戻ってこないと思ったら……何をやっている? 神官リアン・シーワン。それに……ウィス・ラースタディ教授とアスト・チェンシー司書」
「神官レルグ……!」
絞り出したような声で、ウィスが呟いた。
「神官レルグ? あれが……?」
一連の騒ぎの元凶の一人であるらしい人物の名に、シンはまじまじとその姿を眺めた。歳は五十代から六十代の頭といったところか。髪は半分以上白くなっているが、体つきは大きくしっかりとしていてとても初老のようには見えない。厳格そうな目付きをしている。目元の皺のお陰で多少和らいではいるのだろうが、相対した者から見れば充分圧倒される風貌をしている。
「神官レルグ、これはどういう事ですか? 一体何をやったら、街がこんな事に?」
「こちらに……戻って、から、噂を……聞きました。サブトの、軍が……ミャコワンに、攻め込むと……。それは、本当……なのですか?」
「それだけじゃない。噂によれば、お前とサブトの副王が俺達に命じた事は全て、ミャコワンの王の命令だという事になっているらしいな。それを口実にミャコワンに攻め込むという事だが?」
ウィスが今最も問いたい事を問い、アストが噂の真偽を問い、リアンが既に確信している事を確認するかのように問うた。すると、レルグは鼻で笑い、言う。
「どうやら……お前達を捕らえる理由を説明する手間が省けたようだな」
「!」
レルグの言葉に、ウィス達は身構えた。その様子を見下しながら、レルグは言う。
「ウィス。お前の問いには、お前達を捕らえてから教えてやる。……教えずとも、お前以外の奴らは嫌でもわかる事になるだろうがな」
「!? それは、どういう……」
顔を更に険しくしたウィスを、レルグは馬鹿にしたように見た。そして、周りに控えていた神官達に命ずる。
「魔力を持たないお前には関係の無い事だ。さて……時間を無駄にした。……お前達、奴らを捕らえろ!!」
命令を受けた瞬間、レルグの傍らに控えていた神官達が一人を除いて走り出した。それぞれが手に剣や槍といった武器を持ち、中には走りながら詠唱を始めた者もある。
「ホース、後に!」
ウィスがホースを後に下がらせ、代わりにフェイが前に出る。サーサが弓に矢を番え、リアンが後衛組を守るように立った。リノとアストはホースと共に更に後へと下がり、ルナとチャキィ、そしてシンは詠唱を始める。
やがて、どちらが魔法を放ったのか稲妻が両者を隔てていた焼け跡を嘗める。それが開始の合図であったかのように、武器と武器とがぶつかり合った。