光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―
49
最初に気付いたのは、チャキィだった。
「あれ? 誰かが来ますよ? しかも、たくさん!」
そう言ってチャキィが指差す方角を全員が見る。自分達の進行方向、サブトの方から、ぞろぞろと大勢の人が歩いてくる。その人数は、数百人……いや、千人を超えるかもしれない。全員が全員、着の身着のままと思われる恰好だ。中には、家財道具を積んだ荷車を押したり牽いたりしている者、大きな背嚢を背負っている者もいる。
「何だろうな? キャラバン、って感じじゃないけど……」
サーサが不思議そうに呟き、ルナやリノが珍しそうに人の群れを眺める。眺めながら、人の流れとは逆方向に歩いていく。
「あれ? ラースタディ教授?」
突如かけられた声に、ウィスはビクリとして振り向いた。そこには、十代後半と思しき少年が三人、固まっていた。
「あ? えーっと……君は、ワグ・ダービー……だったね。あとは……」
「あ、こいつらは俺のダチっス。ラースタディ教授の講義は取ってないっスよ」
ウィスに声をかけた少年は、友人達の顔を見ながら言った。
「講義……って事は、ウィスくんが大学で教えてる学生くん?」
「あぁ、さっき言ってた、人質にするには微妙な奴らか……」
「ちょっと、ホース、サーサ! 聞こえるわよ!」
「? その人達は教授の友達っスか?」
ウィスの後でコソコソと喋る仲間達に気付き、ワグは問うた。幸い、サーサの発言は聞こえていなかったようだ。
「うん、まぁね。それよりもワグ……これは一体、何が起こっているのかな? まるで疎開か何かみたいだけど……」
「そう! それっスよ! 見ただけでわかるんスね。さっすがラースタディ教授! ……いや、どっちかってーと、まさか!? か? 教授が今何が起こっているかわからないなんて、そんな……」
ブツブツと呟きだしたワグに、ウィスは「実は……」と切り出した。
「ここのところ、研究調査の為に遺跡に籠っていたんだ。それで、世事に疎くてね……良かったら、何が起こっているのか教えてくれないかな?」
「あぁ、それなら教授らしいっスね」
少し呆れた様子でワグが頷いた。
「らしい、って事は、今までにも遺跡に籠り過ぎて何かやらかした事があるな、あいつ……」
「大方、遺跡に夢中になり過ぎて講義とか約束の時間に遅れたとか。たまたま類似点や共通点があった事で勘違いをして、相手は全く別の話をしているのに遺跡や歴史の話だと思い込んで見当違いの相槌を打っていたとか。そんなところじゃないかしら? シンもよくやるもの」
「……気を付けるよ」
「私が、言うのも……何ですが……社会人として、遅刻は……良くない、です……」
「そうだな。折を見て注意しておくか」
「その辺、ちょっと黙ろうか?」
後でヒソヒソと話す仲間達に釘を刺し、ウィスはワグの方に視線を戻した。
「えーっと……それで? 今、サブトで何が起こっているの?」
ウィスの問いに、ワグは「んー……」と考えながら頭を掻いた。
「サブトっつーか、湖西地方全域が……いや、ひょっとしたら、世界中全てが関わってる話っスよ? 教授、本当に知らないんスか?」
「うん。残念ながらね……」
「なら、話しますけど……これ、かなりヤバい話っスから! 驚いて心臓止めないように、心して聞いて下さいよ!?」
そう前置きをすると、ワグは先ほどよりも声を潜めて言った。
「実は……サブトの副王様が、ミャコワンの王様を倒そうと軍隊を派遣したらしいんス」
「!」
全員の顔に緊張が走った。一気に重くなった空気を読み、ワグは更に声を潜めて言う。
「何でも、副王様に神殿からお告げがあったらしいんスよね。聞いた話によると、あの伝説の世界ミラージュが、宵闇の町シャンカイに現れたとかで……ミャコワンの王様が密かにそこに人を派遣して、支配しようとしているそうなんスよ。神の世界たるミラージュを支配しようなどとは、神を冒涜する行為である。また、二つの世界を一人で支配するなど思い上がりも甚だしい。よって、王を補佐してこの世界の半分を治める副王様に王様を倒せと……そういうお告げらしくて……」
ワグの言葉に、一同は眉を寄せた。どうやら副王と神殿は自分達が行おうとしている事を王の所業とし、自らの行動を正当化しようとしているようだ。
「それで……湖西の軍が湖東に攻め込む準備を始めた? 万が一ミャコワンの王様が気付いて軍を送り込んできたら、湖西地方の中心地にあたるサブトは危険だから、皆サブトを逃げ出した……そういう事?」
ワグは、頷いた。
「それに、ずっとサブトにいたら何か徴兵とかされそうっスしね。俺、剣も魔法もからっきしっスから、徴兵なんかされたら死亡確定っスよ」
カラカラと笑いながらワグは言う。そして、言ってから「ん?」と首を傾げた。
「やっぱ……教授、何か隠してないっスか? だって、この話……あのミラージュが絡んでるんスよ!? なのに教授がこの話を欠片も知らないなんて……」
「むぅ……この学生くん、中々鋭いわね。ウィスくんの性格を見抜いているわ」
「あら。ミラージュを初めとする歴史や民話、神話を研究する学者という肩書でしたら、寧ろ何も知らない方がおかしいと思いますわ」
「そっか……それもそうね」
ホースとルナの会話はとりあえず無視し、ウィスはワグに更に問うた。
「けど……そんな状況で皆よくサブトから出る事ができたね? 僕は軍事学はあまり強くないけど……こういう時って、町から極力人が流出しないように管理するものじゃないの?」
「確かに……もしスパイが紛れ込んでいたら、重要機密を持って自陣に帰ってしまうかもしれないし。さっき言ってた徴兵の問題もあるよね。最低限、兵士として使える若い男の人は残しておきそうな気がする。切羽詰まった時に女子どもや老人を城壁の防備に回して、兵士には攻撃に専念させたって事態も、長い歴史の中には何度かあったみたいだし……」
「……ラースタディ教授。この人も大学の教授っスか? 何の講義をしている人っスか!? 歴史? 歴史なんスね!? 俺、次学期はこの人の講義絶対取りたいっス! だから。紹介して下さい!」
「シンは学者仲間みたいなものだけど、教授じゃないよ。それで? どうやってサブトから出てきたんだい?」
興奮気味のワグを軽くいなしながら、ウィスは問うた。ワグは残念そうな顔をしてから言った。
「あの……おじさんとおばさんが……」
「?」
ワグの言う意味がわからず、ウィスは首を傾げた。
「おじさんとおばさんって……ワグのおじさんとおばさん?」
「違うっスよ。どんな人達かは知らねぇんで、おじさんとおばさんとしか言いようがないんス! ……とにかく、そのおじさんとおばさんが、俺達を逃がしてくれたんスよ。いつから掘っていたのか、いつの間に掘っていたのか……サブトの中心地からサブトの外に出る為の地下通路を使って」
「地下通路だと!?」
初耳なのだろう。リアンが声をあげた。
「うわっ!? びっくりした……あれ? この人、よく見たら神官服……まぁ、良いや。どうもその地下通路、そのおじさんとおばさんが用意したシロモノらしいんスよ。しかも、話を聞いているとどうも……二人はお告げの噂がサブトに広まる前から少しずつサブトの人達を外に逃がしてたらしいんスよ」
「!」
ワグの話に、一同は目を見開いた。
「それは……そのおじさんとおばさんは、随分早い段階からその話……副王様がミャコワンに攻撃を仕掛ける事を知っていた……って事になるよね?」
「言われてみれば……そうっスね。けど、そんな変な人達には見えなかったっスよ? おじさんの方は、寧ろ人が好過ぎそうな顔をしてたっス」
「その……おばさんの方はどんな人だった?」
シンに問われ、ワグは思い出す仕草をした。
「えーっと……二人とも四十代くらいで……そうそう! おばさんは、若い頃は美人だったんだろうなーって顔でした! あ、よく見りゃ、シンさんでしたっけ? 何となく似てるっスよ!」
「!」
学生達を除いた、その場にいる全員がハッとした。だが、シンは表情をほとんど変える事無くワグに礼を言う。
「わかったよ。ありがとう」
ワグは「いやー」と照れて見せてから、ウィスに頭を下げその場から離れた。他の友人でも探しに行ったのか、わざわざ列の後方へと歩いていく。学生達が完全に見えなくなってから、シンは言った。
「四十代ぐらいで、私に何となく似ていて、噂を見越してサブトの地下に通路を掘っていた……十中八九、母さん達……かな?」
「本当に、ラースに来てたんだ……」
ウィスが静かに呟き、シンは頷く。
「これで、大体わかった。母さん達が危険を冒してまでラースに戻ったのは、その地下通路をこっそり作る為……ひょっとしたら、他にもあるかもしれないけど。とにかく、一般の人達を極力巻き込まない為の準備をする為だったんだと思う」
「けどさ。だったらもっと早く戻れば良かったんじゃないのか? そうすりゃ通路を作る為の時間的な余裕もあっただろうし……こう言っちゃなんだけど、トルスで子どもまで作った後にさ」
サーサの疑問に、シンは少しだけ考えてから答えた。
「まず考えられるのは、ラースの方でほとぼりが冷めるのを待っていたんじゃないか、って事。十五年……ひょっとしたら二十年? それだけ経ってれば、母さんの顔を覚えている人も減っているだろうし。それに、その頃には計画が大分進んでいただろうから、神殿やラースのシューハクも魔力結晶盗難の犯人捕縛だけに気を取られているわけにはいかないしね。一番良いのは、戻ったら計画自体が頓挫していたってパターンだったんだろうけど」
「流石に、それは都合が良過ぎるな」
リアンが言い、シンは「だよね」と同意した。
「もう一つ考えられるのは……私がいたから、帰るという選択肢ができた」
「?」
一同は首を傾げた。
「母さんの当初の予定では、トルスへ来てシューハクの長から当時の王様に紹介してもらい、何十年か後にラースが攻め込んでくる事を伝えて備えをさせておくはずだった」
「けど、当時の長……長老がそれを拒んだ為に、それはご破算になってしまったのでしたわね」
哀しそうにルナが呟いた。申し訳無さそうに頷いてから、シンは言葉を続ける。
「そうなると、母さんはトーハイで待機していなきゃいけない。事情を知っているのは自分達だけ。混乱を招くといけないから下手に周りに教える事もできない。トルスへ行く為の魔力結晶は使ってしまったから、もしラースへ帰ってしまったら二度とトルスへは行けない。そうなれば、ラースがトルスに攻め込んだ際に対処できる人間がいなくなる」
「……」
ウィスとリアン、そしてアストが複雑そうな顔で黙り込んだ。
「けど、私が生まれた」
「!」
その言葉に、一同は顔を上げた。
「魔法はてんでからっきしだったけど、それでも父さんはトルスのシューハクの出身。それなりに魔力はあった筈だよ。それに、母さんもラースのシューハク出身で……こっちは父さんと違って、魔法が大の得意だった。その二人の間に生まれたわけだから、私にもそこそこ魔力はあった。それも、トルスで育ったからトルスの魔力がね」
「シンさんの魔力がトルスの魔力だと……何か都合が良かったんですか?」
チャキィの問いに、シンは静かに頷いた。
「ラースに戻っても、トーコク遺跡からトルスへ来れる。……まぁ、父さんでも塔を使う事はできるんだろうけど、物凄く時間がかかって迅速な行動はとれないだろうしね。それで、もし私がラースへ行かないと判断した場合には、そのままトーハイへ残してラースに対処させれば良い。母さんから見たら都合の良い事に、私はミラージュにかなりの興味を持っていたしね」
「なるほどな……」
納得した様子で、フェイが大袈裟に頷いた。
「じゃあ……今サブトへ行けば、そこにはシンのお父さんとお母さんがいる……そういう事!?」
リノがシンに詰め寄った。シンの両親が行方をくらまして早五年……。そばにいて、気になっていたのだろう。
「わからない。まだサブトの中で避難を先導しているかもしれないし、とっくに脱出しているかもしれない。……どの道、今は探す気は無いよ。そんな場合じゃないし、下手に探して母さん達の邪魔をしても悪いしね」
「そう……」
シンの言葉に、リノは残念そうに俯いた。そして、顔を上げるとキッと顔を引き締めて言う。
「じゃあ、早くこの騒ぎを収めて……シンのお母さん達を探す時間を作らないといけないわね!」
「そうしてもらえると、ありがたいかな?」
シンはそう言って微笑むと、視線をサブトの方へと向けた。人の列は、未だに続いている。
「その為にも、早くサブトに行こうか」
仲間達が頷く。そして、一同が再び歩き始めたその時だ。
列の後方……つまり、シン達の向かう先から、悲鳴が聞こえた。それも、一人や二人の声ではない。
「何だ!?」
即座にフェイが剣に手をかける。
列の後方がざわめき始めた。そして、人々が次第に早足に、そして遂には走り出す。走る中に、先ほどのワグと、その友人達がいた。
「ワグ!?」
「ラースタディ教授! それに、教授の友達も! 早く逃げて下さい!」
「逃げる? 一体何が……」
「兵士に気付かれたんス! 俺達をサブトに戻そうと、追ってきます!」
それだけ言うと、ワグ達は必死に走り人の波間に消えてしまった。後に残されたウィス達は、呆然として流れる人の波を見る。
「……どうします?」
おずおずと、チャキィが問うた。
「……仕方、ないね……」
呟き、ウィスは剣に手を遣った。シンとリアンもそれぞれの剣に、サーサは弓に手をかけている。
「こんな形で宣戦布告をする羽目になるとは思わなかったけど……サブトの人達を今のサブトに戻すわけにはいかないよ」
ウィスのその言葉が合図であったかのように、剣士四人はスラリと剣を抜き放った。その他の者は、ごくりと唾を呑みこみ、大きく深呼吸をする。
向かう先から、悲鳴と怒号が聞こえてくる。それに向かい、シンとウィスが真っ先に駆け出した。