光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





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夜の草むらで、虫が澄んだ声で鳴いている。長老宅の裏――川岸でそれを耳にしながら、シンは上空を見上げた。

空には星が瞬いているが、ある線を境にそれらは全て消え、東の空は完全に闇となっている。

「ラース、もう半分くらいはトルスに重なったみたいだね」

「!」

背後から声をかけられ、シンはすぐさま振り向いた。

「ウィス……」

そこには、ウィスが立っていた。両手には、マグカップを一つずつ持っている。

「よ……」

「横も後も、ついでに前の水上も空いてるよ。座るなら、お好きなところに」

夕方と同じようなシチュエーションになると予想したのか、シンが機先を制して言った。ウィスは苦笑しながらシンの横に座り、マグカップを一つ手渡してくる。

「これは?」

「ココア。信じられないかもしれないけど、作ったのはリアン。助けて貰った上に応急処置までして貰ったお礼のつもりなんじゃないかな?」

「怪我人は大人しくして、怪我を完治させる事に専念する事が最大の恩返しだと思う……」

「まぁ、そう言わないで」

渋面を作りながらマグカップを受け取るシンに、ウィスは苦笑した。

「本当はさ、ホースが作ろうとしてたんだよ。こういう時は暖かくて甘い物を摂取するとリラックスできて良い、ってね。けど、炭汁を飲ませたら逆効果だろうって――リハビリと称して勝手に歩き回っていた――リアンが怒鳴りつけて、ホースを台所から叩き出した」

「今、怒りにまみれた本音が漏れ聞こえたんだけど、気のせい? ……どっちかと言うと、その炭汁の方を飲んでみたかったかもしれない」

「気のせいだよ。……凄いよ?」

「飲んだの?」

「飲んだよ。……シンってさ、サイスイ裏名物のグリーンドラゴンフルーツのホットサンドイッチ、デビルマスタード風味とか、率先して食べそうだね……」

「裏名物なんだ。……凄かったよ」

「食べたの?」

「食べたよ。あの時はお腹よりも知的好奇心を満たしたかったから」

シンの言に、ウィスは思わず笑った。それにつられて、シンの顔も綻ぶ。

「何かさ、ウィス達って……数日前まで世界を滅ぼそうとしていた人間とは思えないよね」

「それは……そうだよ。実際のところ、僕達の中の誰も世界を滅ぼす事なんか望んでなかったんだし。……僕達の事を止めてくれて……僕達が、世界を滅ぼさずに済むようにしてくれたシン達には、いくら感謝してもし足りないよ。……ありがとう」

ウィスが頭を下げようとし、シンは慌ててそれを制した。

「お礼なんか言わなくても良いよ。私達は、皆が皆、自分達がしたいように動いただけだよ。ウィス達を助けようとしたわけじゃない」

「それでも、僕達を助けてくれた事に変わりは無いよ。僕とリアンが本音をぶつけ合う機会も作ってくれたし、愚痴みたいな僕の話を聞いて……今起きている事を僕が冷静に考える事ができるようにしてくれた。例え、狙っていたわけではなくてもね。……だから、今度は僕がその借りを返す番だと思う」

「?」

ウィスの言葉に、シンは首を傾げた。ウィスは、顔から笑みを消すと真剣な目付きで言う。

「愚痴でも、推測でも……何でも良いから話してみて欲しい。不安は、人に話せば消えるかもしれない。まとまらない考えも、人に話すうちにまとまるかもしれない。僕じゃ頼りにならないかもしれないけど……それでも、思うところがあるなら話して欲しい。僕達みたいに、一人で背負い込まないでほしいからさ……」

「そんなに、深刻な顔してた?」

シンの問いに、ウィスは頷いた。

「皆、心配してたよ。リノも、フェイも、ルナもサーサも。勿論、僕の仲間達もね」

「……そっか」

「……ルナは、こうも言ってた。シンの両親がシューハク出身だったから、シンと初めて会った時に懐かしい感じがしたんだ、って」

「そう言えば、言ってたね。何が懐かしさの原因かは、あの時はわかってなかったみたいだけど」

「……」

「……」

それ以上は会話が続かず、気まずい沈黙が、辺りに流れた。やがて、ウィスは意を決したように問う。

「やっぱり……ショックだった? お父さんとお母さんの事。……二人が、トルスとラース、それぞれのシューハク出身だったって知って……」

「いや。母さんがラース出身って事は何となく予想はついていたから、そこまでショックじゃ無かったよ。……あぁ、やっぱり父さんは優しいだけが取り柄だったんだってわかった事はショックだったかも」

きっぱりと断言され、ウィスはとりあえずココアを啜った。ノールドという名であるらしい彼女の父親が不憫過ぎて、二の句が継げない。

「けど、世界が違うとはいえ、父さんもシューハク出身だったって事には驚いたかな。私が言うのも何だけど、本当に有り得ないぐらい魔法が下手だったし。魔力を練るのが下手だったのか、使えても最大出力で子どものいたずら程度の効果しか出せなかったしね。……あぁ、そうか。ひょっとしなくても母さんの魔力が強くて、父さんの魔力は弱いから、足して二で割った私の魔法は人並なのか……」

「いや、その……シンの魔法とか魔力は人並以上だと思うよ? ……って言うか、今の話を聞いたら、お父さん、泣くよ?」

ウィスが何とかそれだけ言うと、シンは「冗談だよ」と苦笑した。

「……昔の事は知らないけどさ。物心ついた頃には、もうトーハイに住んでいたよ。今思えば、トルスとラースが繋がった時に備えてたんだろうね」

「……二人は、今でもトーハイに?」

問いに対し、シンは首を横に振った。

「私が十五歳の時に何処かへ行ったまま、行方不明。リノのお父さん――治療院の先生なんだけど、あの人が色々と手回をして助けてくれたよ。お陰で、トーハイの町にそのまま住み続ける事ができたし、勉強も続ける事ができて……私は念願叶ってミラージュを初めとする神話や古代の遺跡を調べる事ができる職業に就けた」

「お母さんがラース出身だって事には、いつ……?」

シンは、少しだけ思い出す素振りをした。

「そうじゃないかって思うようになったのは、ウィス達がトーハイに現れてから。更に正確に言うなら、トーコク遺跡からラースに本当に行けた時かな。伝説上の存在だったミラージュが実在するんだって思った時、母さんが言っていた事と繋がった。だからさ、ラースに行った時は、ちょっと期待してたかな。ひょっとしたら、母さん達を見付ける事ができるかもしれないって。……結局、見付からなかったけどね。……ウィス達がシューハクに向かってると気付いた時は焦ったよ。母さん達を見付ける手掛かりが無くなるかもしれないって思った」

「……お母さんが言っていた事って?」

「……行方不明になる前日にね、母さんが訊いてきたんだ。ミラージュに行ける事になったら、そこに住んでみたいか……ってね」

「ミラージュに……住む?」

シンは、頷いた。

「何らかの理由で、母さんはラースに戻る事にしたんじゃないのかな? それを支える為に、父さんも一緒に。けど、十五歳になって自分の意思を持っている私を無理矢理連れて行くのは良くないと思ったんだろうね。回りくどく、私にラースに移住するか、トルスに残るか訊いていたんだよ……あれ。五日間連続で私が好きな物を夕飯にしたのも、今後会えなくなるかもしれない娘に思い切り好物を食べさせたかったからなんだと思う」

「それで……シンがトーハイにいたという事は……」

「私は、一方通行で戻ってくる事ができないのなら行きたくないと答えた。リノと会えなくなるのが嫌だったし、神の世界だ異世界だと言われているミラージュに移り住むって事で自分を特別視するようになりそうだったのが嫌だった。……その時はミラージュが実在するとは信じ切れないでいたから、まさかそう答えた事で親と会えなくなるなんて思っていなかったしね」

「……だろうね」

ウィスが頷き、そして更に言う。

「けど、何故シンのお母さんはラースに戻る事にしたんだろう? 魔力結晶を盗んだのがシンのお母さんだとバレていたら、ラースに戻った途端危険な目に遭う。それに、折角ラースとトルスが繋がった時に備えてトーハイに住んでいたのに、事が起こる前にいなくなってしまうなんて……」

「わからない。けど、危険な目に遭うと思ったから、父さんは行った事も無い……戻ってこれるかもわからないラースへ行く事にしたんだと思う。母さんを守ろうとしてね。備えに関しては……結果的には、私がトーハイに残っていたから何とか対処はできたわけだけど……」

シンが言い、ウィスは強く頷いた。

「うん。シンには悪いけど、トーハイに残っていてくれて本当に良かったと思う。もしシンがラースについて行っていたら、今頃どうなっていたか……」

「案外、ウィス達と一緒にトルスを滅ぼしに来ていたかもしれないよ?」

「それは……困るなぁ。ホース一人にも負けるのに、これ以上強い女性に入られたら僕達の立つ瀬が無いよ……」

「言っておくけど、明日からは一緒に行動だよ? 私だけじゃない。フェイとサーサ、それに、リノとルナも一緒だからね。……一応付け加えておくと、フェイもサーサも、リノとルナには頭が上がらない。あと、私もリノには頭が上がらない」

ウィスの顔が笑顔になり、そのまま凍り付いた。

「明日からは男性陣でヒエラルキーの最下層脱出争いになると思うけど、まぁ、頑張れ?」

応援にならない応援の言葉を発し、シンは冷めたココアを一気に飲み干した。

家の中からは、仲間達の元気な声が聞こえてくる。

「うわっ!? また何をやらかしてくれてるんですか、ホースさん! 人様の家の台所を滅茶苦茶にしないで下さいよ!」

「リアンも、何やってるのよ!? 怪我人は大人しく寝てなきゃ駄目じゃないの! ほら、肩を貸すから、掴まって!」

「一人で歩ける! 大袈裟に騒ぐな!」

「良いから、掴まる!」

「……」

「あららー。リアンくんも、リノくんの前じゃ形無しねー。あ、フェイくん。丁度良い所に来たわねー。リアンくんを寝室に運んであげて頂戴! ついでに、まとめて全員の健康診断もやらせてもらうわよ!」

「チッ、仕方ねぇな。おい、リアン! 姫だっこと俵担ぎ、どっちが良い?」

「どっちも断る!」

「我儘言うんじゃねぇ! 俵で良いな!? あっ、テメェこら、暴れんな!」

「少し、落ち着いて……下さい。……あ痛っ!」

「サーサは私と一緒に、お台所のお掃除で良いですわよね?」

「え? それは良いけど……ってか、あれは良いのか?」

「ちょっとリアンくーん! そんなに暴れたら怪我が悪化するわよ!?」

「そうだぞ、大人しくしろ!」

「良いから降ろせ!」

「いい加減にしなさい! フェイさんも、怪我人を乱暴に扱わないで下さい!」

「……」

「……」

リノの一喝が聞こえ、家の中は静かになった。ウィスは覚悟を決めて、ホースのココアを飲んだ時と同じように一気に冷めたココアを飲み干した。尤も、今回のココアは不味くはないのだが。そして

「……頑張るよ……」

力無く呟いた。









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