光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





43





さらさらと川が流れている。水は澄んでいて、時折魚が泳いでいるのが見えた。ごく稀に魚が水上に跳び上がり、水飛沫に太陽の光が反射してキラキラと輝く。

そんな平和な光景を、ウィスは川岸に座りぼんやりと眺めていた。

「やり過ぎた……かなぁ……?」

川の流れをただひたすら眺め続けながら、力無く呟いた。

「まぁ、大人気は無かったよね。……と言うか、子どもそのものだった」

「あ……」

後から声をかけられ、ウィスは首だけ振り向いた。

「シン……」

「横、良い?」

「……」

黙ったまま首を縦に振り、そのまま視線を川に戻す。その横にシンが座り、やはり川の流れを眺める。

「……」

何か話した方が良いのか。何を話せば良いのか。わからない。

「一応訊いておこうか。……大丈夫?」

「? 何が?」

「右手」

「……あぁ」

シンの言わんとする事がわかり、ウィスは頷いた。先ほどリアンを殴った際に赤くなった箇所が、未だに少々赤い。

「拳で誰かを殴った事なんて、初めてだったからなぁ……。戦闘はいつも剣ばかりだし」

「ちょっと見せて」

そう言って、シンはウィスの右手を取った。

「胸に響くは命の鼓動、優しく木霊し傷癒せ……クイックトリート」

落ち着いた声音で詠唱し、ウィスの右手に自身の右手を当てる。シンの右手が白く光る。そして、光が消えた頃にはウィスの右手から赤みは消えていた。

「そっか……シンは、回復魔法も使えるんだったね」

治った右手をさすりながら、ウィスは呟いた。すると、シンは少しだけ情けなさそうな顔で苦笑した。

「応急処置の止血に使える程度の威力しか無いんだけどね。……だから、リアンの傷も治し切れなかった」

「!? どういう事……?」

「……今にも取っ組み合いになりそうだったのに、リアンは立ち上がろうとしなかった……。変だと思わなかった?」

言われて、ウィスは少しだけ考えて先ほどの一連の様子を思い浮かべた。そして、確かにリアンが一度も立ち上がらなかった事に思い至る。

「……まさか……!」

シンが、頷いた。

「湖に落ちた時に、左足をやられたみたい。筏の上ですぐに回復魔法をかけたんだけど……威力が弱い上に、全身の火傷にも応急処置が必要だった……。シューハクに着いてからも、ホースの言った通り……ここの人達、回復魔法はあんまり得意じゃないみたいでさ。火傷の方はほぼ何とかなったんだけど、足の方は……」

「全く……?」

シンは、今度は首を横に振った。

「ゆっくりとなら立ち上がる事もできるし、歩く事だって――足を引きずる事にはなると思うけど、できると思う。けど多分……今までのように走ったり、跳んだりは……前衛として戦う事は、もう満足にはできないと思う」

「そんな……」

ウィスは、地面の草をギュッと握った。

「何で、いつもリアンばっかり……」

「……訊いても良いかな。さっきリアンが言ってた、あの時、って? リアンと話した時、彼はこう言ってたよ。あなたとリアンはある事をやって処刑されかけた事がある、って。……それと関係してる?」

「……」

黙ったまま、ウィスは頷いた。すると、シンは少しの間迷った様子を見せてから、問うた。

「……何が起こったのか、話してもらえないかな? 話し辛いのはわかってる。けど、どうもこの一連の騒ぎにはあなた達がやった、その「ある事」が関係してるような気がするんだ。それが、あなたやリアンを苦しめる原因になっているように思える」

「……」

ウィスは黙ったまま、暫く川の流れを見詰めた。そして、口を開くとゆっくりと喋り始めた。

「十年か、十一年か……それくらい前の事になるのかな? 僕とリアンがまだ子どもで、孤児院で暮らしていた頃の事だよ。その時、リアンは剣士を夢見てて、僕は魔法が得意で……」

それからウィスは、子どもの頃に何が起きたのかを訥々と語った。二人とも魔力が強く、神殿から神官にならないかと打診されていた事。だが、二人とも神官には興味が無く、断り続けていたという事。ウィスが考古学者として遺跡調査をするようになったら、リアンが剣士として護衛をする約束をしていた事。そして、戦闘になったらウィスは魔法で援護をしようと決めていた事。子どもの他愛無い夢であり、絶対性の無い約束だが、当時は自分達は絶対にそうなれると信じていたという事。

強くなった事を確かめたくて、度胸試しとして子ども達が行っていたシュンセイ遺跡への往復を決行した事。そこで見た事もないモンスターに襲われ、魔法が効かなかった事。ウィスはそのモンスターに噛まれて大怪我をした事。

最終的に大人達に助けられたが、シュンセイ遺跡は実は立ち入り禁止であったと聞かされた。入り込んだ事がバレた者は子どもであっても死刑か終身刑に処されると言われた。それを不問としてもらう為に、リアンが神官になるという条件を飲んだ。ならば自分がと言ったところ、ウィスからは魔力が失われていた為神官にはなれないと言われた事。そして、その日から本当に魔法が使えなくなり、原因は未だに不明である事。

「ふむ……」

話を聞き、シンは口元に手を当てて考え始めた。

「やっぱり、怪しいな。有無を言わさず侵入者を処刑にしようとするくらい厳しい立ち入り禁止だったら、最初から出入り口に見張り番を置くだろうに……それが、ただ度胸試しをしに来ただけの子ども二人の侵入を見落とすなんて有り得ない。それに、それをチャラにする条件が……リアンが神官になる事だけ? 相手が子どもだから通じたんだろうけど……話に穴が多過ぎる」

「言われてみれば……そうだね。責め立てられるプレッシャーや、魔法が使えなくなったショックが大きくて気付かなかったけど……確かに変だ」

「うん……。それに、私達が行った時、シュンセイ遺跡にはやっぱり誰もいなかった。立ち入り厳禁で、入ったら死刑にされるかもしれないような場所が……たった十年かそこらで誰でもご自由にお入り下さい、なんてなるかな……?」

「ならない、かな……」

ウィスが言い、シンは頷いた。

「だとすると……シュンセイ遺跡は、本当は立ち入り禁止の場所ではなかった?」

「……どういう事?」

ウィスが、厳しい顔でシンに問う。

「推測だよ。その神殿の偉い人……レルグだっけ? その人を中心に、シュンセイ遺跡で何かをこっそりやっていた、とは考えられないかな?例えば、何かの実験とか」

「実験?」

「そう。到底人には言えないような実験。それを行うには、誰にも見られない場所が要る。けど、人に言えない事だから神殿の資金を使って専用の場所を用意する事もできない。ひょっとしたら、当時の神殿内部でそれに関わっていた人間はごく一握りなのかもしれない。それでひと気が無く、興味を持って近付く人間もまずいないシュンセイ遺跡の内部で実行する事にした」

「そこに、たまたま僕達が入り込んだ……?」

シンは頷く。

「そう。そこで、言い方は悪いけど……入り込んだ二人の子どもはモンスターに襲われて、絶体絶命になった。それを助けて、レルグ達は将来利用しようと考えた」

「利用、って……?」

聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ちがせめぎ合う。ウィスは唾を呑み、話の続きを促した。

「まずは適当な話をでっち上げて、子ども達に恐怖を植え付ける。このままだと殺されるか、一生牢屋に入る事になるってね。子どもが絶望したところで、救いの手を差し伸べるんだ。神官になれば、それは無かった事にしてやる、ってね」

「あ……」

「神官にしておけば、将来は自分に絶対服従の手駒として使う事ができる。その子どもの魔力が強いなら、キープしておきたいところだよね。ところが、目を付けていた二人のうち一人は、何が原因か魔法が使えなくなってしまっていた。魔法が使えないのでは神官にはできない。手駒として使えないのであれば、口封じの為に殺してしまいたい」

「けど、僕を殺せばリアンが納得しない……。リアンは、二人とも助けるという条件で神官になったから……」

「そこで、レルグは魔法を使えなくなった子どもに徹底的に脅しをかける事にした。お前のせいで友達は夢を失った。お前が友達を追い詰めた、ってね。そう言った上で、その後も二人の交流を禁じない。交流が続けば、友達の事も、その友達が自分の為に夢を失った事も忘れられない。罪悪感はどんどん募っていく。そして、充分成長して能力的に使えるようになったところで、神官になった方の子どもをミラージュに派遣する。神官にならなかった方の子どもは……せめて今度こそ友達を守ろうと、ついていく。結果として、神殿の手駒として動く事になっても」

「……」

黙り込んだウィスに、シンは「どうかな?」と問うた。

「そう、かもしれない。確かに僕は、リアンに対して必要以上に罪悪感を持っていたみたいだから……」

「だとしたら、この騒ぎは少なくとも十年以上前から計画されていたって事になるね。……いや、ひょっとしたら、もっと前から……」

「もっと前?」

訝しげにウィスが問うと、シンは首を横に振る。

「これに関しては、まだ考えがまとまってないんだ。だから、今はまだ話せない」

「……そっか」

そう呟き、ウィスはシンの顔を真っ直ぐに見た。

「……ここに来るまでに、シンの事はリノ達からいくらか聞いたよ。シンが予測した、神殿とサブトの副王様がシューハクの一部の人達と組んで、世界を支配しようとしてるって話も」

「そう? なら、話が早いね。どのタイミングで話そうかと思ってたんだ」

「僕達がミラージュ調査をしている様子に世間や王様が気を取られている隙に、王様を攻める準備をする……副王様やシューハクの人達はどうか知らないけど、あの神官レルグならやってもおかしくないかな。滅ぼすのが目的なのに僕やアストに調査を命じたのは、本当の目的が噂になって流れないようにしたから……だと思う」

妙に納得した様子で、ウィスは頷いた。すると、今度はシンが渋面を作って言う。

「そこがよくわからないんだよね。真の目的を隠しておきたいのなら、リアンにも隠しておけば良かったんじゃないのかな? そうすれば、リアンがいきなり滅亡宣言をしてこっちの世界に乗り込んでくるなんて事も無かったと思うんだけど……」

「リアンには最初から「ミラージュを滅ぼせ」と命令していた? ……それは多分……全員に「ミラージュを調査して同じ世界だったら滅ぼせ」って命令したら、全員が懸命にこっちの世界とミラージュの違いを探して、滅ぼさないようにしようとするかもしれないと思ったからじゃないかな? 一人くらいは真の目的を知っておかないと、自分の思った通りにならないと思ったのかもしれない。アストはともかく、僕やリアンが神官レルグに反発感を持っているのは知っているだろうしね」

「……なるほどね」

納得し、シンは頷いた。そして、「ところで……」と言葉を続ける。

「サーサやリアンと話した時も思ったんだけど……それで、今特に強く思ったんだけど……二つの世界を「あっちの世界」「こっちの世界」「そっちの世界」「ミラージュ」で言い分けるのって、ややこしく無いかな? 今は一対一だからまだ良いけど、後で人数が増えたら混乱しそうじゃない?」

言われて、ウィスは渋面を作った。

「そうだね。それは、僕も思った。仮に呼び名を決めておいた方が良いかな。……シン。君、フルネームは?」

「? シン・トルスリア、だけど?」

シンが首を傾げながら答えると、ウィスはシンのフルネームを何度か呟いた。そして、ぽん、と手を打つと言う。

「よし。じゃあ、これからはシンが元々住んでいた世界の事はトルス≠チて呼ぶ事にするよ。そうすれば、とりあえず区別はつく」

「トルスリアだから、トルス? じゃあ、そっちの世界はウィス・ラースタディのラースタディから取って、ラース≠ノなるの?」

言われて、ウィスは「う……」と呟いた。

「自分の名前が使われると、何だか途端に駄目なネーミングセンスに思えてくるなぁ……」

苦笑するウィスに、シンは「良いんじゃない?」と言った。

「これで――名前を付けた事で、二つの世界は完全に別の物になったと思う。繋がりの向こうに見えるのは、鏡に映った姿なんかじゃない。どちらが光で、どちらが陰というわけじゃない。私達が見たのは、神話に出てくる……近付けば消えてしまう蜃気楼のような世界なんかじゃない。トルスとラースっていう、実在する全く別の世界なんだよ」

「光でも、陰でも……蜃気楼でもない……」

ウィスの呟きに、シンは頷いた。そして、ウィスもまた頷く。

「うん……そうだ。トルスもラースも、どちらも実態を持った本当の世界だ。どちらか片方だけでも滅びて良い事なんて、やっぱり無い!」

ウィスの言葉に、シンはもう一度強く頷いた。そして、立ち上がる。

「皆のところへ行こう。それで、話し合おう。トルスとラース……両方を滅ぼさずに済ますには、どうしたら良いのか」

ウィスも頷き、立ち上がった。そして、二人揃って歩き出す。空は、いつの間にか赤くなっている。東の空は、既に真っ暗だ。果たして、あの闇は夜の闇か、それともラースのシャンカイか……。









web拍手 by FC2