光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―
34
筏は何とか完成した。底を器用に一部だけ削り、氷上をソリのように滑らせる事もできるようにした。こうすれば、リルンベ湖まで筏を運ぶのが楽になる。
夜を待って、筏をホウツ氷海に載せた。ウィス達五人は筏を押し、リルンベ湖を目指して進んでいく。チャキィは、大玉をホースの診療所に置いてきた。これから筏に乗るのに、大玉は邪魔なだけだ。
ホースの腕力が強い事もあり、筏はすいすいと氷の上を滑っていく。三分の二以上進んだところで、空が白み始めた。目の前には凍っていないリルンベ湖が見え始めている。
「あと少し……ですね」
「けど、ウィスくん達さ……シューハク遺跡島へ行ったら、どうするのよ?」
「まずは、二つの世界が重なっても滅びないようにする方法は無いか、調べてみるよ。シューハク遺跡島には昔ながらの文献も残っているだろうし……何かわかるかもしれない。それが駄目なら……良心が痛むけど、シューハクの強力な魔法を使える人達を騙して、協力してもらう方法を考えようかな……」
「最悪の場合は、島を制圧する事になるな。魔法使いばかりなら、接近戦で一気に畳み掛ければ勝機はないわけじゃない」
「時間を稼いで貰えれば、ボクとアストさんの魔法もありますしね……」
「そう、ですね……。あまり……気乗りは、しませんが……」
その情景を想像したのか、アストの顔が暗くなった。……アストだけではない。明るい顔をしている者など、一人もいない。
「いっそ……また邪魔でも入ってくれれば良いんだけどね……」
「ウィス!?」
リアンが、驚いた顔でウィスを見た。ウィスは、力無く苦笑している。
「だって、そうでしょ? ここでまた邪魔が入れば……僕達は今度こそ完全に手詰まりになる。そうなれば、これ以上人を傷付けなくて済むかもしれないんだよ?」
「……」
黙り込み、リアンは再び前を見た。そして、目を見開く。
「……ウィス。どうやら、お前の願いが天に通じたようだぞ」
「え?」
言われた言葉の意味がわからず、ウィスはリアンを見た。そして、そのまま視線をリアンの視線と同じ方向へと向ける。
三頭の馬が、走ってくるのが見えた。近付いてくるにつれ、それに乗っている、五人の人間も見えた。そのうちの四人は、見覚えのある顔だ。先頭を走っているのは、ウィスとリアンがこちらの世界に来て、初めて出会った人間だ。
「間に合った!」
シンは叫ぶや否や、剣を抜き放ち、馬を駆ったまま詠唱を始めた。
「汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を討て! アクアスライサー!!」
空中に水の刃が無数に現れた。水の刃は冷気に冷やされ、たちどころに氷の刃へと姿を変える。それらはウィス達に刃先を向けると、一斉に彼らに向かって襲い掛かった。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 御手を我らに差し出し給い、我らを悪より救い給え! セイント・ガード!」
即座にリアンも詠唱を行い、光の壁が氷の刃を防ぐ。ウィスも剣を抜き、臨戦態勢に入った。だが、シン達は未だ剣の届く範囲外にいる。
「お手玉、火の玉、火炎玉! 飛び跳ね、ぶつかり、燃え上がれ! ファイアーコメット!!」
「炎の胎動、血潮の躍動、怒り狂いて焼き尽くせ! 炎の一の手、カグツチ!」
二つの炎がぶつかり合う。チャキィの魔法を相殺している間に、リノが唱えた。
「強き光よ、我らに力を。チャリティーシャイン!」
光がシン達の頭上に降り注ぐ。それを待っていたかのように、新しく仲間に加わったらしい少年が弓を引いた。雨のような矢はアストの周辺に降り注ぎ、彼の詠唱を妨げる。
フェイが馬からリノを降ろし、大剣を振りかざして突っ込んできた。
「うぉぉぉっ!!」
獣の咆哮かと思うほどの叫び声をあげ、フェイが剣を振り下ろす。それを紙一重で避け、ウィスは跳び退った。素早く雪を掬い取り、フェイに向けて投げ付ける。雪は寸分違わずフェイの顔に辺り、瞬間的に彼の目を潰す。フェイはバランスを崩し、落馬した。その隙にウィスは地を蹴り、フェイに斬りかかる。
「くっ!」
視界がぼやけていても攻撃の気配を察したらしいフェイが、咄嗟に剣を前に出す。剣と剣とがぶつかり合い、ギィンという音を立てた。
「伏せろ、ウィス!」
リアンの声が響き、ウィスは反射的にその場に伏せた。その頭上をリアンが跳び、その剣がフェイの右肩を貫く。
「ぐっ……!」
「フェイ! 胸に響くは命の鼓動、優しく木霊し傷癒せ! クイックトリート!」
「フェイさん! 癒しの雨よ、降り注げ! ヒールレイン!」
下馬したシンとリノが同時に唱え、フェイの傷を癒す。
「余所見をしている場合ですかっ!? 心地よい音、雨の音、軽やかに奏で降り注げ! フルメタルドロップ!!」
詠唱で隙ができたシンとリノに対し、チャキィが魔法を放つ。水銀のような雨が冷気に冷やされ、銀色の氷飛礫となって二人に襲い掛かる。
「!」
シンとリノがハッとした顔で上空を見るが、その場を離脱するには遅過ぎる。
「炎の一の手、カグツチ!」
ルナが素早く魔法を唱えた。詠唱を省略した為に威力を落とした炎は氷飛礫を溶かし蒸発させると、そのまま消え去った。ルナはすぐさま次なる魔法を唱えようと息を吸う。
「鋭き閃光、激しき雷鳴、畏れ振り撒き闇を裂け! 雷の手、タケミカ……」
「させるかっ!」
詠唱が完成する前に、リアンがルナとサーサの馬に斬りかかる。
「きゃっ……!」
「うわっ!?」
落馬した二人は慌てて立ち上がり、後に跳び退りながら散開する。そして、懐に手を差し込むと繊細な装飾を施された懐刀を取り出し構えた。護身の為に所持していたのだろう。これが彼女の近接戦用武器のようだ。
ルナにリアンが、フェイにウィスが付き、遠近両方の強力な攻撃手を抑える。シンとリノ、サーサにはチャキィが付く。チャキィはお手玉を跳ねさせ攻撃し、シンとリノの詠唱、サーサの射術を妨害する。そしてお手玉を扱いながら器用に詠唱をし、魔法を放っていく。その隙に、アストが詠唱を行った。
「改訂作業を、開始します。……歴史を、ひも解き……我は、知る。眼前に、佇むは……未知なる、力。眼に、映るは……未知なる、姿。子子孫孫に、語り継ぐ、べく……その身を、この書に……刻み込まん……」
アストの手の本が光り輝く。それに気付いたシンは、いつになく大きな声を張り上げた。
「何か来る! 皆、さがって!! ……アクアスライサー!」
お手玉の間を縫って、シンは短く唱えた。詠唱を大幅に省略され、威力は低い。だが、彼女が最も得意だと言う魔法だ。しかもここは湖に近く、雪も積もっていて水の魔力には事欠かない。そこそこの威力を持った氷の刃がチャキィを襲い、そのまま後へと吹っ飛ばす。
「うわぁっ!?」
「チャキィ!」
「チッ……ホース!」
ウィスとリアンの意識がチャキィへと移る。仲間が戦っている間に筏を湖に近付けていたホースがぎりぎりのところでチャキィをキャッチし、リアンの呼び掛けに頷いた。
「やばそうだね……ちょっと待っててくれる? ……ほらっ! 多めに回復っ!!」
全く詠唱のように思えない詠唱を行い、ホースがチャキィに回復魔法をかける。多めに回復と言うだけあって、アクアスライサーに貫かれ、切られた箇所はあっという間に回復していく。
「あ、ありがとうございます、ホースさん!」
「良いから、ちょっと休んで! 怪我は治せても、私の魔法じゃ貧血までは治せないわよ!」
そう言ってホースがチャキィを筏の横に座らせるのと、アストが詠唱を終えるのはほぼ同時だった。
「……リビジョン」
アストの本が閃光を放ち、シン達に向かって飛んでいく。
「……っ! アクアスライサー!」
氷の刃が光に直撃する。だが、光は拡散し多少勢いを殺されたものの、未だ消えてはいない。
「深淵の闇、冷たき光、全てを閉ざして突き放せ! 闇の手、ツクヨミ!!」
ルナがシンと光の間に割り込み、素早く唱えた。するとルナの正面に大人一人分ほどの大きさの闇が現れ、光の前に障壁を築きあげた。闇はそのまま光を吸い込み、光が消えた後に霧散する。そして後には、無事な様子のシン達が残った。
「……やはり、奴らは一筋縄ではいかないようだな……」
リアンがじりじりと後退しながら呟いた。チャキィは戦闘に参加できない。アストは魔力こそまだ残っているものの、チャキィのお手玉でシンの魔法とサーサの矢を妨害できないとなれば魔法を使うのは難しいだろう。こうなった以上は、リアンが後衛となってウィスのサポートをする必要がある。
「アスト、ホース、チャキィ。筏を湖に運んで。ここは僕達が何とか食い止める」
ウィスが剣を構え、振り向かないままに言う。アストとホースが頷き、筏を押す。チャキィはふらふらとしながら立ち上がった。
「そうはいかせねぇ! さっきはよくもやってくれたな!」
視力が完全に回復したらしいフェイがウィスに斬りかかる。何とか剣で受けたが、体格差がある分、ウィスが不利だ。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る。恵みの光をこの地に注ぎ、我らに希望をもたらさん! グレイス……」
「させないぞ!」
補助魔法を唱えようとしたリアンに、サーサが矢を射かける。
「……!」
リアンがバックステップで矢を避ける。そんな彼に、まるで矢に運ばれてきたかのようにシンが斬りかかってきた。剣士と剣士が、神官剣士と魔法剣士が鍔迫り合う。事実上の前衛達が膠着したところで、ルナが唱えた。
「筏を湖に降ろさせたりはしませんわ! 炎の胎動、血潮の躍動、怒り狂いて焼き尽くせ! 炎の一の手、カグツチ!」
たっぷり時間をかけて練り上げた炎が、筏を運ぶアスト達に襲い掛かる。
「チャキィ! アスト! ホース!!」
ウィスが、叫んだ。そして……
「! くそっ!」
リアンがシンの剣を力尽くで圧し返し、チャキィ達の元へと走った。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 御手を我らに差し出し給い、我らを悪より救い給え! セイント・ガード!」
チャキィ達と炎の間に割り込み、唱える。光の壁が出現し、炎を受ける。だが、焦った状態で唱えた為か、威力が充分ではなかったようだ。
光の壁は、割れた。
リアンが咄嗟に、チャキィ達を突き飛ばす。炎は、リアンだけを呑み込んだ。
「リアン!」
「リアンさん!」
「リアンくん!」
アストが、チャキィが、ホースが、叫んだ。ウィスは、フェイの剣を受け続けるだけで精一杯だ。後を振り返りたくても、振り返る事ができない。
やがて炎は消えていく。そして、跡には、リアンが一人立っていた。剣を杖にし、呼吸は荒い。だが、生きている。
「あいつ……あの炎の中で生き残ったってのか!?」
サーサが目を見開いた。
「多分……防御の魔法をもう一度唱えたんだと思うわ……。けど……」
「ぐっ……!」
リアンが呻き、膝を折った。
「リアンさん!」
「来るな!」
駆け寄ろうとしたチャキィ達を、リアンは絞り出すような声で制止した。口の端から、血が流れ出る。
「くそっ……だから、仲間を増やすのは嫌、だったんだ……。長くいれば、それだけ情が移る……。情が移れば、弱点が……増える……」
そう言う彼の視線は定まっていない。朦朧とした意識の中で、彼は誰にそれを言っているのだろうか。仲間を増やしたウィスに対してか。それとも、望んで付いてきた仲間達か。もしくは……らしくない行動を取った自分自身に対してか……。
ビシリ、という音がした。その音に、全員がハッとする。フェイの力が緩み、ウィスはようやく剣を外して振り返る事ができた。炎の魔法の応酬で氷が溶けかけていたのだろう。その目に、リアンの足元の氷にヒビが入っていく様子が妙にスローに見えた。
「まずい!」
シンが咄嗟に駆け出した。その様子すら、ウィスの目にスローに映る。
「古の大地に眠りし聖なる炎、障壁となりて敵を討て! フレイムウォール!」
シンが唱え切るのと、リアンの足元の氷が完全に崩壊するのは同時だった。リアンの体が、ホウツ氷海からリルンベ湖に投げ出される。続いて、シンがリルンベ湖に飛び込んだ。その背後で、氷が更にミシリと音を立てる。シンの放った、フレイムウォールの影響だ。溶けた氷はあっさりと割れ、置き去りにされていた筏をリルンベ湖に放り出す。
そしてそのまま、シンとリアン、そして筏は波に揉まれて見えなくなった。
「シン!」
「おい、シン!」
シンの仲間達が淵に駆け寄るが、彼女は上がってこない。勿論、リアンも。
「……リアン……?」
ぽつりとした、呟きが聞こえた。
「……?」
その場にいる全員が、一瞬湖に呑み込まれた者達の事を忘れて声の主を見る。そこには、呆然と立っているウィスがいた。彼はふらふらと淵に近寄ると、そのままがくりと膝を折った。
「……嘘だろ? リアン……?」
その声には、抑揚が無い。目は、まっすぐ湖の波間に向いている。
「……ウィスくん?」
「ウィス先生……?」
ホースとチャキィが、恐る恐る声をかける。だが、ウィスはその声に答えない。その代わりとでも言うように、彼は再び呟いた。
「……助けないと……」
「え……?」
聞き返したのは、誰だったのか。それを確認する暇も持たせず、ウィスは勢い良く立ち上がると呟き続ける。
「助けないと……じゃないと、リアンが……早く、早く助けないと……」
呟きながら、ウィスは湖に飛び込もうとする。
「おっ……おい、待て!」
慌ててフェイが、ウィスを後から羽交い締めにする。
「放せよ! このままじゃリアンが! それに、君達の仲間だって!」
「だからって、お前が飛び込んでどうなるってモンでもねぇだろうが! 行方不明者が増えるだけだ!」
「落ち着いて下さい、ウィス先生!」
「今の状態じゃ無理よ! 皆疲弊してるし、筏も無くなっちゃったのよ! こんな状況で、どうやって助けるって言うの!?」
「けど! 僕はもう二度とリアンを犠牲にしたくない! 死なせたくないし、苦しませたくないんだよ!」
「? 何言ってるんだ? こいつ……」
半狂乱に陥ったウィスに呆然としつつ、サーサが呟いた。すると、フェイが舌打ちをして叫ぶ。
「わかんねぇ! けど、すげぇ力だ! さっきまでとは比べ物にならねぇ! おい、サーサ、手伝え! そこの本持ってる奴! お前もだ!!」
「あ、あぁ……」
「わかり、ました……」
フェイに言われるがままに、サーサとアストがウィスを抑える側に加わる。すると、フェイは体をウィスの正面に移動させ、拳を握り締めた。
「悪いな……けど、これ以上湖に呑み込まれる奴なんか見たくねぇんだよ!」
叫び、フェイは拳をウィスの腹にめり込ませた。
「うっ……」
呻き、ウィスはその場に崩れ落ちる。
「ウィス先生!」
チャキィとホースが、ウィスに駆け寄った。
「気絶させただけだ……多分な」
「そのようね……」
ウィスの呼吸を確認し、ホースは呆れたように言った。次にフェイは、リノに顔を向ける。
「……大丈夫か、リノ嬢ちゃん?」
「……大丈夫、です」
リノは呆然と湖を見詰めていたが、弱々しく微笑むと言った。
「シンが無茶をするのはいつもの事ですし……それに、自分から突っ込んで行ったんだから、きっと何か考えはあったんだと思います」
「そうかい……」
それだけ言うと、フェイはバツが悪そうに周囲を見渡し問い掛けた。
「こんな時にここまで落ち着いていると自分が嫌になるんだがな……とりあえず、これからどうする? シンと、あのリアンって奴を探さねぇといけねぇんだろうが、そっちの……ウィスだったか? そいつも放ってはおけねぇだろ」
「そうですわね……どういたしましょうか?」
困ったようにルナが首を傾げる。すると、ウィスを診ていたホースが立ち上がり言った。
「とりあえず、レイホワに戻って……私の診療所に行きましょ。ウィスくんを落ち着かせて……話はそれからよ」
その意見に対抗できる反論を持ち合わせた者はその場には無く、八人はレイホワへと向かう事になった。意識の無いウィスと、怪我をしているチャキィ。それに女性陣を馬に載せ、男達が牽いて歩く。
八人が去った後には割れた氷だけが残り、その割れた部分もすぐに冷気で凍ってしまう。ホウツ氷海はほとんど時を使う事無く、元の姿を取り戻した。
二人の人間を呑み込んだ事など、無かった事にしたかのように。