光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





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「舟? 残念ながら、レイホワに船は無いわよ。だって、あったところで使い道が無いんだもの」

ベッド部屋の壁にもたれかかり、自らの髪を指で弄びながらホースは言った。

「えぇっ!? けど、レイホワにいる人達はホウツ氷海で珍しい魚を獲って、それでひと儲けしようとしている人達がたくさんいるって……。その人達はどうやって魚を獲ろうとしているんですか!?」

「氷の上を移動して、一部の氷をのこぎりで切って穴を開けるのよ。で、そこに釣り糸なり網なりを突っ込むの」

「なるほど……」

それはそれで見てみたいとウィスが頷いた。ベッド部屋の横にある台所では、リアンがその辺にあった鍋と材料を勝手に使ってココアを作っている。非常に手際が良い。出来上がり、マグカップに注がれた物から順にチャキィが配っていく。ホースがそれを一口飲んで、ほぅ……と幸せそうな溜息を吐いた。

「美味しい……。私が作ったらこうはいかないわよ! リアンくん、本当に料理上手ねぇ……うちにお嫁に来ない?」

「心の奥底から断る。大体、お前は仮にも医者だろう。性別ぐらい考えて発言しろ」

「あー、男女差別反対ー! 良いじゃない、男の子がお嫁に行ったってー!」

「ホース、話がズレてるよ……」

ウィスが無理矢理コントのような会話を止め、話を元の軌道に戻す。

「舟が無いなら、筏を作るしかないかな……。ホース、この辺りに切り倒しても良い木とかはあるかな?」

「うーん……見ての通り、町の周りに木はそれなりに生えてるわよ? けど、あの辺りの木は全部防風林だから、切り倒されると後々困るわねー……。あぁ、でも防風林より更に外側に生えてる木なら、そんなにたくさんじゃなければ大丈夫かもしれないわ。自分達で植えた木と、元から生えてる木は葉っぱの色が違うからよく見れば防風林の一部かそうじゃないかはわかる筈よ」

言いながら、ホースはレイホワとその周辺を記した地図を取り出し、指差した。切り倒しても良い木が生えているのは、都合の良い事にホウツ氷海沿いだ。この診療所はレイホワの最奥に近いわけだし、少し気を付ければ誰にも見咎められずに着く事ができるだろう。

「作業するのは良いけど、こまめに休憩をとらないと体が参っちゃうわ。一時間作業をしたら、体を温めに戻ってらっしゃい。良いわね?」

ホースに言われ、ウィス達は頷いた。空になったマグカップを流しに置き、診療所を出ようとする。

「あぁ、ウィスくんはちょっと待って」

出掛けようと意気込んでいるところにホースが声をかけ、水を差す。

「どうしたの?」

「んー……ちょっとウィスくんに確認しておきたい事があるのよ。残ってもらって良いかしら?」

「? 良いけど……。ごめん、リアン達は先に行っててくれる?」

リアン達は頷き、ホウツ氷海に向かって行った。後には、ウィスとホースだけが残される。ホースは、ウィスを診療所の中に戻して扉を閉めた。
「それで……確認したい事って?」

「これの事」

言うや否や、ホースは素早くウィスの上着とシャツの裾をめくりあげた。腹の半分に、巨大な古傷がある。何かに噛まれたような痕だ。

「ちょっと……!?」

ウィスはすぐさまホースの手からシャツと上着を引き剥がし、後にさがった。元の通りに服を整えながら、睨むようにホースを見る。

「健康診断中にその傷の事を訊いたら、昔モンスターに噛まれた、って言ったわよね? それって、どんなモンスター?」

「どんなって……さっき話した通りだよ。体長が三メートルから四メートルはある大きなトカゲみたいなモンスターで、口には鋭い歯が生えてた。噛まれた時はまだ子どもだったし、それ以上の事は覚えてない。……この話をもう一度確認したいだけなら、別に健康診断中にもう一度聞いてくれても良かったよ?」

「長くなりそうな気がしたのよね。そうすると、不審がったリアンくん達が診察室に入ってくるかもしれないわ。今の反応からも推測できるけど、その傷……できれば誰にも見られたくない物なんじゃないの? まぁ、どんな傷でも普通は人には見られたくないものだけど……その反応はちょっと過剰よね。普段の穏やかなウィスくんを知っていれば、余計にそう思うわ」

「何が言いたいのか……よく、わからないんだけど……」

声を絞り出すように、ウィスは言った。喋り方が、ぎこちない。ホースは、溜息を吐いた。

「……訊き方が悪かったみたいね。言葉を変えるわ」

そう言って、ホースは先ほどとは全く違う質問を口にした。

「ウィスくんさ……セツファンの跡からレイホワに移動してくる間に、教えてくれたわよね? 魔法が全く使えない、使った事が無い、って」

ホースの言葉に、ウィスは頷いた。少しだけ、間が空いた。

「それ……嘘でしょ?」








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