光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―
20
中継都市セツファンが何故中継都市と呼ばれているかと言えば、中継地点とする為に造られた都市だからだとしか言いようが無い。
では、何の中継地点なのか。
端的に言ってしまえば、風花の町レイホワと、それ以外の町の中継地点である。セツファンから少し北上すると、ノウス雪原という巨大な雪原に足を踏み入れる事になる。ここでは常に空に厚い雲が垂れ籠め、五日に一日は雪が吹雪いている。農業に適さず、狩れる動物も少ない厳しい土地だ。
そんなノウス雪原の最北端に、レイホワはある。町の成り立ちは元々は罪人の流刑地であった町が年月を経て普通の町になったと言われているが、定かではない。
厳しい自然環境の真っ只中にある町ではあるが、真横にあるホウツ氷海でのみ獲れる珍しい魚でひと儲けしようと考える者が後を絶たない為、結果として町も寂れる事無く営みを続けている。
勿論、そんな厳しい土地だから物資の調達は一苦労だ。衣類も食料もそれ以外の道具も、多くを他の土地から買い付けてくる必要がある。その為、レイホワに出入りする人間は案外多い。が、ノウス雪原を越えて更に別の町まで一気に歩くのは些かキツい。その逆もまた然りだ。
そこで、ノウス雪原の入口とも言える場所に物資の供給所が建設された。これがセツファンの走りだ。
「それで、今では食料や衣類、それ以外の物もたくさん集まってくるようになったんだ。王都ミャコワン、副都サブトに続く第三の都市になるまで発展してるんだよ」
「あっ! あの蒸かしパン、美味しそうですよ! 熱々アイスクリームって熱いのか冷たいのかどっちなんでしょう!? あぁっ! あそこで売ってるホットフルーツチョコレートも美味しそうです!」
チャキィは既にウィスの説明を聞いていない。屋台で売られている様々な飲食物に興味津津だ。因みに、大玉はあまりに目立つので町の外に隠してある。雪だるまの偽装は完璧な筈だ。
「食べ物は後だよ。先に防寒具を揃えないと」
苦笑しながら注意してはいるが、ウィスの目もきょろきょろと辺りの屋台を見渡している。リアンの目も、いつもとは違う感じで忙しく動いているようだ。
「しかし、俺達の金がこちらの世界でも使えるかどうか、どうやって確認する? 会計の時に違うでは、洒落にならないぞ。その時点で大騒ぎになる」
「そうですねー。騒ぎになっちゃったりしたら、その後パフォーマンスで稼ぐのも難しくなりそうです。……いっそ、最初からパフォーマンスでお金を稼ぎますか?」
「うーん……けど、後の事を考えると、できるだけ目立たないようにしたいよね。路上パフォーマンスだと嫌でも目立つだろうし……あ、そうだ」
何かを思いついたのか、ウィスは暫く鞄の中を掻きまわすと、そこからモンスターの牙をいくつか取り出した。今までの戦闘で倒したモンスターから、折角なので採取したものだ。それを持って暫くきょろきょろと辺りを見渡し、目的を見付けたのか一直線に歩き出す。そして、ある一件の店に入っていった。
その店には、装飾品の店である事を示す看板がかかっていた。ウィスは、十分もしないうちに店から出てきて、リアンとチャキィに財布を見せる。中には決して少なくない数の銀貨が詰まっていた。
「中々良い値で売れたよ。やっぱり、トーコク遺跡周辺の暖かい地域に生息するモンスターの牙はこの辺りじゃ貴重な品みたいだね」
そう言って満足そうに財布を懐にしまう。そして、再びきょろきょろと辺りを見渡し始めた。
「とりあえず防寒具をどこかの店で買って、それからご飯にしようか?」
「はい!」
「まぁ、行動計画としては妥当なところだろうな」
二人が同意し、三人は店が更に多く集まる町の中央へと歩き出した。すると、進行方向から大勢の人間が走ってくるのが目に入った。
「? 何かあったんでしょうか?」
背伸びをしてみるが、チャキィの背では向こうどころか三メートル先も見えない状態だ。なにぶん、人が多過ぎる。向かってくる人々は、辺りの人間を避けようともせずに真っ直ぐ突っ走ってくる。そして、何やら悲鳴のような叫び声まで聞こえてくる。
「ちょっと……すみません! 何かあったんですか!?」
走る人々の中の一人の腕を掴み、ウィスは尋ねた。見れば、その青年の顔は真っ青だ。
「モンスターだよ! 中央広場にモンスターが現れたんだ! あんたらも早く逃げないと、食い殺されるぞ!!」
それだけを早口で言うと、青年はウィスの手を振り切って再び走り出した。中央広場からは未だに叫び声が聞こえてくる。
「どっ……どうしましょう、ウィス先生!?」
「どうするもこうするも、放っておくわけにはいかないよ」
「町が混乱したままでは、ろくに買い物も食事もできないからな」
ウィスとリアンはその場で剣を抜き、人々の流れに逆らって走り出した。それに続き、チャキィも走り出す。聞こえる悲鳴の数が多くなり、音が大きくなってきた。三人は勢いを殺さぬままに広場へ駆け込み、息を呑む。
そこにいたのは、全長が五mはあると思われるモンスターだった。トカゲのような体に、ヤギのような角。肉食獣と同じような鋭い爪を持っている。翼を持っているので、恐らく上空から町に降り立ったのだろう。それであれば、町中に突然モンスターが現れたのにも頷ける。
物語に登場するドラゴンに似た姿を持つタイプのモンスターは、希少種の筈だ。勿論、こちらの世界とウィス達の世界のモンスター事情が同じなら、の話だが。
辺りには、このモンスターにやられたのであろう人々が転がっている。一般人もいれば、剣を持った兵士や冒険者のような格好の人間もいる。生きている人間がいるかはわからない。……が、生きていたとしても意識がある者は一人もいないようだ。
「うわ……あ……」
チャキィが思わず、一歩さがった。ウィスとリアンも、モンスターとの戦闘にしては珍しく緊張した面持ちで剣を構える。
「これだけ大きい奴と戦うのって、どれだけぶりかな……?」
「どれだけぶりどころか、初めてじゃないのか……?」
「……そうかも……」
モンスターが、こちらを見た。ウィス達の存在に気付いたようだ。体の向きを変え、威嚇の咆哮をする。
「! 来るぞ!」
リアンの声が消えるか消えないかのうちに、モンスターが地を蹴った。ウィスは左に、リアンはチャキィの襟首を掴んで右に跳ぶ。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る。恵みの光をこの地に注ぎ、我らに希望をもたらさん! グレイス・シャイン!!」
陽光よりも暖かな光がその場に降り注ぎ、ウィス達に力を与えてくれる。ウィスは勢いを付けてモンスターに斬りかかり、ウィスがモンスターの気を引いている隙にリアンとチャキィが詠唱を重ねる。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 庇護無き雨をこの地に降らし、悪の力を削ぎ給え! ブラッディ・レイン!」
「お手玉、火の玉、火炎玉! 飛び跳ね、ぶつかり、燃え上がれ! ファイアーコメット!!」
血のような雨と、炎の雨が降り注ぐ。炎の熱さにモンスターが吼え、その頸部にウィスが思い切り剣を叩き付けた。
「やったか!?」
その場にいる者全ての期待を裏切るように、モンスターが雄叫びをあげた。その声は、先ほどにも増して凶暴性を帯びている。
「駄目だ……ほとんど効いてない!」
「蚊ほどは効いているかもしれません! とにかく攻撃を続けましょう! ……きらきら光る流れ星、流れ流れて夢運べ! トゥウィンクルスター!!」
詠唱が終わると同時に物語の挿絵に描かれているような流れ星が無数に空から降って来た。流れ星は次々とモンスターに直撃し、そのまま砕けて消えていく。本当に夢のような光景だ。
だが、やはりあまりダメージを与える事はできなかったらしい。チャキィの攻撃で完全に怒ってしまったらしいモンスターはチャキィ達の方へ向かって、太く長い尾を振り上げた。
「リアン! チャキィ!!」
「チッ……天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 御手を我らに差し出し給い、我らを悪より救い給え! セイント・ガード!」
舌打ちと共にリアンが詠唱し、二人の前に光の壁が出現する。光の壁は勢い良く振り下ろされたモンスターの尾を受け止めると、そのまま破壊され霧散した。
「破壊された!? そんなにアッサリ!?」
「馬鹿な!」
ウィスとリアンの目が驚きで見開かれる。
「どうするんですか!? このままじゃ、ミラージュを滅ぼす前にこっちが滅んじゃいますよ!?」
チャキィが叫び、ウィスとリアンの頬を冷や汗が流れる。
モンスターが、再び尾を振り上げた。リアンが、破壊される事を覚悟で再びセイント・ガードの詠唱を始める。その後でチャキィも詠唱を始めた。ウィスが地を蹴った。モンスターが尾を振り下ろした。そして。
次の瞬間、その場から消えた。
「!?」
あまりに突然の出来事に、三人は目を見開き辺りを見渡した。だが、どこを見ても先ほどまで暴れていたモンスターの姿は影も形も無い。
「一体……何が起きたんでしょう……?」
「奴はどこへ消えた……!? 俺達は三人揃って夢でも見ていたと言うのか!?」
「それは、無いと思うよ。だってほら……」
そう言って、ウィスは抜き身の剣を持ったまま周りを指差した。辺りには先ほどまでと変わらず、モンスターにやられた人々が倒れている。
「夢じゃ……ないみたいですね……」
それでもまだ信じられないという顔で、チャキィが自らの頬とリアンの頬をつねった。当然、即座にリアンからつねり返される。
「いひゃい、いひゃい! はにふるんでふか、リアンはん!」
リアンはいつものように口汚く返す事はせず、つねる力を強くしたらしい。チャキィが「ひぁぁぁっ」と間抜けた声をあげた。
そんな様子を苦笑しながら、ウィスは剣を納め再び辺りを見渡した。誰一人として、こちらを見ている者はいない。皆、死んでいるか気を失っているかなのだろう。誰かが死んでいるかもしれないという事には心が痛むが、それと同時に誰にも派手に戦っているところを見られたわけではなさそうだという事にホッと胸を撫で下ろす。誰かに見られていれば、後々面倒な事になりかねない。
安心したところでいつまでもつねり合っている二人をそろそろ止めようと口を開いた。
「二人とも、そろそろ……」
「大丈夫、でしたか……?」
「!?」
突然聞こえてきた声に、ウィスは勢い良く振り向いた。リアンとチャキィも、つねり合うのを止めて顔を強張らせる。
先ほど見渡した時は見落としたが……建物と建物の間の路地に、人がいた。少しだけ茶味を帯びた短い黒髪と、琥珀色の瞳を持った人畜無害そうな男だ。背はそこそこ高い。ウィスやリアンより五p以上は高いだろうか。
「見られていたか……!」
リアンが苦々しげに呟き、剣を構えた。事と次第によっては、目の前の男を殺すつもりなのかもしれない。だが、剣を向けられても男は動じない。
「神官、リアン・シーワン。それと……ウィス・ラースタディ、教授で……間違い、無いですか……?」
「!」
自分達を知る者など誰一人いない筈の土地でフルネームを呼ばれ、ウィスとリアンは目を見開いた。男は辺りを見渡すと、改めて向き直り言う。
「ここは、人が……多いです。できれば……どこか、落ち着いた……場所で、話を、したいのですが……」
酷くゆっくりとした――人によってはもたついていると感じるかもしれない喋り方だ。一文一文を噛み締めているように思える。
ウィスは、男に続いて辺りを見渡した。今のところ、辺りで倒れている人々が起き上がる気配は無い。だが、いつ起きるかはわからない。それに、広場の騒ぎを聞き付けて応援がやってくる可能性も充分にある。
「……良いですよ。買い出しの後食事にしようと思っていましたし……。買い出しは後回しにして、先に食事ができる店を探そう」
男に頷いてから、ウィスはリアンとチャキィに向かって提案した。二人とも異存は無いのか、無言のまま頷く。ウィスはそれに頷き返し、男に視線を戻した。
「まずは店を探しましょう。そこで食事を採りながら話を伺う……それで良いですか?」
「問題、無いです……」
男は頷き、踵を返して路地の奥へと歩いていく。ウィス達は慌ててそれに続き歩き出す。去り際に、リアンが広場に向かって詠唱をした。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る。その御慈悲を滴に宿し、幸無き傷を癒し給え……キュア・ドロップ」
広場中に、癒しの雨が降り注ぐ。辛うじて生き延びた者は、これで多少は傷が癒えるだろう。
「どういう風の吹き回しですか、リアンさん!? 鬼神が傷付いた人々を癒すなんて……文字通り鬼の霍乱って奴ですか!?」
「フン……」
チャキィの驚きの言葉に、リアンはまともに返答をせずそっぽを向いた。すると、その態度が不満なのかチャキィがいつも通り突っかかる。そして、リアンに額を小突かれている。そんな様子を苦笑し横目で眺めた後、ウィスは前方を歩く男に声をかけた。
「あの……あのモンスターは、あなたが?」
「話は、店に……着いて、からです。それに……話す、なら、全員に……まとめて、話したい、ですし……」
言いながら、男はウィスの横を指差した。横では未だにリアンとチャキィがど突き合っている。確かに今話を聞くと、男の手間が二倍に増えそうだ。
「わかりました。けど……これだけは今教えて下さい。……あなたの事を、何と呼べば良いですか?」
ウィスの問いに、男は足を止めた。そして、躊躇う様子も無く今までと変わらずゆっくりとした口調で言った。
「私の、名前は……アスト・チェンシー。アストと、呼んで……ください」