光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





15





ぽかぽかと暖かい。どこからか、小鳥のさえずりが聞こえてくる。心地良い陽の光と可愛らしくも賑やかな鳴き声に、シンは目を覚ました。

「ここ……?」

何が起こったのか、どうして寝ているのかを考える為、むくりと上半身を起こしてみた。少し、頭がフラフラして、何となく吐き気もする。船酔いをした時と似た感覚だ。

あぁ、体調が悪くて寝てしまったんだな、と思い当たる。では、何故体調が悪くなったのか? 船酔いのような感覚から察するに、何か慣れない移動手段でも用いたんだったか。

あぁ、そうだ。辺りが光って、体が浮き上がるように感じた。そのまましばらく、体が浮いたり落ちたり回ったりという普段の生活では経験し得ない状態になったように思う。それなら、船酔いのような感覚にも納得がいく。

じゃあ、そもそも何故辺りが光ったり、体が浮き上がったりするような状態になったのか? それは、あの異世界ミラージュから来た三人がトーコク遺跡の塔で魔法を使おうとして、色々ゴタゴタとしているうちに祭壇らしき台座に全員で上ってしまい、その瞬間に魔法が発動してしまったから……。

「!」

何が起こったのか、に考えが至った瞬間、シンは慌てて辺りを見渡した。自分達が今いるのは、事が起こる直前と同じ祭壇の上のようだ。だが、周囲にウィス達の姿は無い。あの時は夜だった筈だが、今は朝と昼の合間のように思える。

そして、何より肝心な事。一緒に巻き込まれたリノとフェイは、自分と同じように祭壇の上で横たわり、眠っているように気を失っている。

「リノ! フェイ!!」

できる限り揺さぶらないよう、二人の肩を叩いて声をかける。

「う……シン……?」

「あ……? 何だ、ここ……?」

少し寝ぼけたような声を発した後、二人はほぼ同時にハッと目を見開き、ガバリと身を起こした。

「おい、一体何が起こったってんだ!? あの光は何だったんだってんだ!?」

「二人とも無事!? 怪我は無い!?」

「落ち着いて。悪いけど、訊かれても今は私も上手く答えられないよ。まずは何でも良いから情報を手に入れないと……」

迫りくる二人を両手で制しながら、シンはお手上げとでも言うように苦笑した。残念そうな顔をして、二人はとりあえず姿勢を正す。

「ところで……あの女の人は? 姿が見えないけど……」

心配そうに辺りを見渡しながら、リノが問うてきた。

「そう言えば……」

「いねぇな」

シンとフェイも辺りを見渡すが、一緒に光に巻き込まれた筈の女性の姿はどこにも見当たらない。

先に目を覚まし、一人でどこかで行ってしまったのだろうか? それとも、まさか光から弾き出されて……!?

名も知らぬ女性の身を案じ、三人は眉を曇らせた。その時だ。

ドゴォォォッ! という強烈な轟音が辺りに響き渡った。

「!?」

三人は顔を見合わせ、慌てて塔の壁際へと走り寄る。

音がしたのは、どうやら地上の方だ。それも、位置的にかなりこの塔に近い。塔のすぐ横にある森の一部がメラメラと豪快に燃え、吐き出された黒煙がシン達のいる場所にまで昇ってくる。

「なっ……何だありゃあ!?」

フェイが素っ頓狂な声をあげ、シンは即座に走り出す。

「シン!?」

「様子を見てくる! もし火事だったら、火を消さないと!」

そう言って、シンは地上へと続く長い螺旋階段を駆け降りた。後からは、消火活動を手伝おうと思ったのか、はたまた仲間と別れるのが不安だったのか……リノとフェイも追い掛けてくる。

そして、三人が全速力で階段を駆け下り地上に降り立った瞬間、声が聞こえた。

「炎の胎動、血潮の躍動、怒り狂いて焼き尽くせ! 炎の一の手、カグツチ!」

聞き覚えのある詠唱だ。そう思った瞬間に、先ほどと同じ、ドゴォォォッ! という音が聞こえた。もっとも、先ほどとは比べ物にならないほど大きな音だったが。

「あ、あの……?」

そのまま茫然と見守るわけにもいかず、シンは詠唱の主を探して声をかけた。詠唱の主――共に光に巻き込まれた女性は、振り向いてシン達の顔を見るとにこりと笑って言う。

「あら、おはようございます。皆さま、よく眠れまして?」

塔の上で寝ていた人間によく眠れたかも何も無いと思うが、それは思考の隅に追いやってシンは問う。

「あの、一体何を……?」

シンの問いに、女性は「あぁ」と合点した様子で頷いてから、笑顔を絶やさぬままに言う。

「いえ、皆様に朝食を……と思いまして。ですが、私は狩りなぞした事がございませんから……」

そう言って、女性はチラと森の方を見る。つられて見れば、そこには数羽のうさぎがぷるぷると震えながらこちらを見ている。

つまり、あれか。朝食を用意しようと思ったが食材の手持ちが無くて、森の中で調達しようと思ったと。そこで、何故か木の実の採集ではなく、獲物を仕留める狩猟をしようと思ったと。で、ろくな武器も持っていない様子な上に狩りをした事が無いものだから、横着をして魔法で仕留めようとしている、と。朝からうさぎの焼き肉を食べろという事か。

「木登りもした事が無くて……木の実がなっている木は背が高い物ばかりで、何も採れませんでしたの……炎の一の手、カグツチ! カグツチ! カグツチ!!」

申し訳なさそうに言いつつ、うさぎに当たらないのか詠唱無しで強烈な魔法を連発していく。このままでは森が全焼して焼け野原になりかねない。それどころか、下手をしたら自分達が焼き肉になりかねない状況に、流石に一同はゾッとした。

「待って! このままじゃ森が丸焼けになっちゃうよ! 食料は私達の物を分けて食べれば良いから、狩りはやめよう! ね!?」

シンの提案に、女性は首を傾げて「そうですか?」と問う。三人は、勢い良く首を縦に振って肯定した。

「リノ、フェイ。悪いけど、塔の上にもう一度上って、荷物を探してきてくれるかな? 私はこの人と一緒に、消火活動をするから……」

それだけ言って、シンは「あ」と呟き、動きを一瞬止めた。

その様子に、女性は「あぁ」と再び合点した様子で頷き、丁寧な動作でゆっくりとお辞儀をした。

「そう言えば、自己紹介がまだでしたわね。私はルナ。ルナ・セレナードと申します。呼び方はルナで構いませんわ。どうぞ、お見知りおきを」

「私はシン。それであっちの女の子がリノで、もう一人がフェイ」

素早く紹介を終わらせると、シンは即座に炎に向かい、手を突き出した。

「まずは一刻も早く火を消そう。ルナも手伝って! ……汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を討て! アクアスライサー!!」

水の刃が炎に向かって突き進み、草に燃え移ったばかりの小さな炎を消していく。ここが水辺であれば一気に全ての炎をかき消すような魔法が使えたのだろうが、生憎この場に水辺は無い。ウィス達と一緒にいた、チャキィという子どもほどの魔力があれば水辺で無くても高威力の魔法が使えたのかもしれないが……。魔法剣士と魔法使いの魔力の差をこんなところで思い知らされ、シンは歯噛みした。

「強力な水の魔法を使えば良いんですの?」

アクアスライサーを連発して辺りの火を少々効率悪くも消していくシンに、ルナが問うた。そして、答が返ってくるのを待つ事も無く、彼女は両手を前にゆっくりと出し、唱えた。

「たゆたう水面、流れるせせらぎ、静かに音無く飲み下せ! 水の一の手、ワダツミ!」

ふっ、と辺りが薄暗くなった。そして、地面が何故かキラキラと光り揺れ始める。晴れた日に海底を覗いた記憶が不意に頭を過ぎり、シンは頭上を見上げた。

水があった。それも、コップ一杯や二杯分などというケチな量ではない。溜め池の一つや二つは容易に造れそうな量の水が、宙に浮いている。……否。浮いているのではない。どんどん落ちてくる。

「……っ。英傑の祈りが呼びし風! 乱れ吹き交い敵を押せ! ブラストウェーブ!」

水がまさに自分達をも巻き込んで地面に到着しようとした瞬間、シンは素早く空に向かって詠唱した。シンとルナの上空に強烈な風が発生し、落ちてくる水とぶつかり合う。ぶつかった水は勢いを殺され、または軌道を変えて地面へと落ちた。大量の水はあっという間に辺りの火を消し去り、シューシューと音を立てて水蒸気へと姿を変えた。

何とか水圧で圧死する事を免れたシンは、服の裾を絞りながら辺りを歩き回り、消え残りが無いかを確認する。どうやら、もう燃えている箇所は無いようだ。

だが、森の大部分が焼けてしまったようで、場所によっては地平線が見えてしまったりもする。

「……あれ?」

そこで、シンは違和感を持った。何がおかしいのか考えるべく、もう一度見てみる。森は、見事なまで焼けている。これでは森が回復するまでに何年かかるかわかったものではない。……いや、ひょっとしたらもう森は復活しないかもしれないのではないかとさえ思えてくる。

「あらあら……申し訳ございません。どうやら私、またやり過ぎてしまったようですわね……」

違和感の正体がわからず森の焼け跡を見詰めるシンに、シュンとしながらルナが頭を下げた。

「結果的に、皆無事だし、一気に火も消せたから……良いんじゃないかな? 勿論、気を付けるに越した事はないけどさ。それよりも、また≠チて……?」

「はい、私……魔法が使えるのは良いのですが、力の加減が下手で……その場に適した威力に調整する事ができず、つい魔力を使い過ぎてしまうんですの。ほら、昔からよく言いますでしょう? 大は小を兼ねるって……」

威力が弱くて二度三度と同じ魔法を使うぐらいなら、多少強過ぎても良いから一発でかいのをかましてやろうという事か。どうやら、おしとやかな口調と人形のような外見にそぐわず、豪快で大雑把な面があるらしい。

「ところで、ルナはどうしてトーコク遺跡に?」

問われて、ルナは「あぁ」と思い出したように手を打った。

「そうそう。私、ミラージュが現れたかどうかを確認する為にトーハイへ行きましたの。そうしたら、ミラージュからいらっしゃった方々は既にトーハイにはいない様子でしたし……トーハイの町自体が少々混乱していてお話を伺えるような状態ではなかったものですから……ですから、とりあえずトーコク遺跡へ行こうと思いましたの。ミラージュに縁のある場所で、トーハイから近い場所ですから……」

「トーハイに何かあったんですか!?」

荷物を手に塔を下りてきたリノが血相を変えてルナに問うた。すると、ルナはのほほんと笑いながら言う。

「えぇ。ミラージュから大量のモンスターが出てきたとかで、兵隊さん達が戦っていましたわ。けど、もう大丈夫。私が魔法で一掃して参りましたから」

「そうですか。ありがとうございま……一掃?」

町を救ってもらった事に対して礼を言いかけ、リノは「ん?」と首を傾げた。

「あの、一掃って……たくさんいたんですよね? モンスター……」

「えぇ。浜辺一杯にいましたわ。それよりも……もしよろしければ、シンのように親しげに話し掛けてくださいません事? そちらの方が嬉しいですわ、私」

豪快な話を「それよりも」で片付けてしまうルナに、リノは「はぁ……」と間の抜けた返事しかできない。そんな彼女の疑問を引き継いで、シンはルナに問うた。

「何があったかは何となくわかるよ? ルナの魔法が強力だって事は、ついさっき嫌と言うほど見せて貰ったし。その上で、聞かせて貰いたいんだけど……何者?」

「……と、言いますと?」

「今までにも魔法使いは何人か見た事があるけど……ルナほどの強力な魔法を使う人は見た事がないんだよね。あえて言うなら、あのチャキィって子がもう少し強くなったらあれぐらいになるかな。フェイは? チャキィやルナみたいな魔法を使う人、見た事ある?」

「俺も無ぇな。王城詰めの魔法使いでも、あんな強烈な事をする奴ぁいねぇ。もっとも、奴らの仕事は戦う事よりも城や陛下を守る事が主だからな。見た事が無ぇのも無理が無ぇ」

フェイの答に、シンは頷いた。そして、再びルナの方を見る。

「単純な興味だから、答えたくなければ答えなくても良いよ。どこで学んだら、あんな強力な魔法が使えるのか。それから、ミラージュが現れたかどうかを確認する為にトーハイへ行ったというのはどういう意味なのか……」

「あら、どちらもお答えするのに差支えはございませんわ」

にこりと笑って、ルナはあっさりと言った。

「皆様、シューハク遺跡島という場所はご存じ?」

「え? えっと……世界の中心にある、リルンベ湖に浮かぶ島の事よね?」

自信の無い様子で、リノがシンを見る。シンは、こくりと頷いた。

「うん。この世界に最初にできたと言われている町の遺跡だと言われているね。どういう場所なのか文献には載っているんだけど、実際に上陸した人はほとんどいない。何らかの理由があって、上陸する為には王様の許可がいるからなんだけど……」

その許可をもらえる人間が、一代の王の治世に一人出るか出ないかという厳しさらしい。

「行ってみたいんだけどね……。ただの学者だった頃は勿論、こうやってミラージュに関わってる今でも、よっぽどの理由が無ければ上陸させてもらえそうにないかな」

「私、そのシューハク遺跡島から参りましたの」

シンが残念そうに言った直後に、ルナがさらっと言った。瞬間、一同は物凄い勢いでルナを見る。

「遺跡と言いますけれど、シューハクはまだ町として機能していますのよ? 古の人々がミラージュの方々と交流を深めた時代から、ずーっと続いていますの。王様と、その即位時の側近の方、それに神殿の上層部の方々は戴冠の儀の為にいらっしゃいますから、私達の事をご存じですわ。けど、例え王様であろうとも、シューハクがまだ遺跡ではない生きた町だという事をバラすのはご法度ですのよ」

「何故?」

「簡単な事ですわ。シューハクは極力外部との接触を避けていますの。古のできごとや研究成果を記した貴重な資料、それに口伝による逸話を色あせる事無く伝えるのがシューハクに課せられた使命ですわ。けど、外部と交流すればそれらが外の話と混ざり合い正確さを失ってしまうかもしれませんもの。……いえ、ひょっとしたら、シューハクの人間が外界に興味を持ち過ぎる事でシューハクへの関心を薄くし、失われてしまう物すらあるかもしれません。それを防ぐ為には、その存在自体を世間から隠してしまうのが一番良いと思いません事?」

「……何とも言えないかな。純度を保つ為なら隔離は有効な手段かもしれないけど、より多くの人の記憶に残っていた方が失われる恐れは少ないと思うし」

「そうですわね。私も、水掛け論は好みませんからどちらが正しいかなどとは申しませんわ。今確実に言える事は、シューハクは外界から隔離される事を選び、それを何百年以上も続けてきた。それだけですわ」

シンが「それで良い」と言うように頷き、ルナも頷いた。

「それで、魔法の強さというお話でしたけれども……これはもう、シューハクで生まれ育ったから、としか言いようがございませんわね。……一応、個人差はありますわ。自慢じゃございませんけど、私はシューハクの中でも一番手の魔法の使い手なんですのよ」

「いや、寧ろあれで一番手じゃなかったら驚きだぜ? シューハクってのは化け物の町かよ……」

「失敬な。単に魔法の得意な血族が集まり住んで以後数百年、外界と交わる事がほとんど無かったから強さが損なわれなかっただけですわ。シューハクが外界と隔離されたばかりの頃、魔法使いは皆私と同じぐらいの魔法を使っていましたのよ。それが、シューハクに移り住まなかった魔法使いは全く魔法の使えない人間と結ばれる事もあった為、次第にその魔力は弱まっていった……。シューハクの人間が化け物なのではございません。外界に住む方々の魔法が弱過ぎるだけですわ」

「それは……そうかもしれないね……」

自分の手をジッと見詰めながら、シンが呟いた。何か思うところがあるのか、その言葉はいつもと比べて自信が無さそうに聞こえる。

「シン? どうかしたの?」

「ううん。何でもないよ。それよりも……ルナ。もう一つの質問の答は? 何故、トーハイへ行ったのか……」

忘れていたのか、ルナは「あぁ」と手を打った。ルナの「あぁ」はもう何度目になるかわからない。

「実はですね。シューハクには、過去ミラージュと交流した時の記録や研究結果が、大量に残っておりますの」

「え!?」

ルナの発言に、シンは思わず身を乗り出した。学者的にはこの上無く魅力的な話題のようだ。

「残された文献の中には、次の……つまり今回のミラージュ発生は何年後になるのかという予測が記されておりましたの。その日からご先祖様方が一日たりとも欠かす事無く記してきた暦と共に」

「じゃあ、ミラージュの発生は……何百年以上も前からわかっていた事だって言うの!?」

リノは、「信じられない」とでも言いたいのか、首を横に振った。

「そうですわ。その文献によりますと、私達が住む世界やミラージュを含め、実に様々な世界が存在しているのだそうです。複数の世界はそれぞれ決まった軌道上を移動しているとの事なのですが、中でも私達の世界と、今回現れたミラージュは非常に軌道が近いのだという研究結果が出ているのです。だから、次にミラージュが現れる――二つの世界が接触する日がいつになるのか、予測が立て易かったのだと推測致しますわ」

「それで、ルナは「そろそろミラージュが現れる頃だ」と思ったから、トーハイへ向かった……?」

シンの問いに、ルナは頷いた。

「えぇ。過去の記録からミラージュが現れるのはトーハイの辺りだとわかっていましたし。子孫の為にも、今回のミラージュに関わる事は記録し伝えていかなくてはいけませんもの。その為に私が派遣されたのですわ。シューハク一の魔法使いである私であれば、ミラージュからどんな人物やモンスターがやってきても大丈夫だろうという上層部の判断から、私が選ばれたのですわ」

うさぎを一羽狩る為に森を全焼させた事を思うと、果たして本当にこれが最良の人選だったのかどうかは疑わしい。が、それは一同黙っておく事にする。

「それにしても、文献は本当でしたのね。実在したミラージュに、遺跡の魔法……一族の中でこの体験を私だけができるだなんて……私は果報者ですわ」

「遺跡の魔法? ……そうか」

感極まっているのか単に「ラッキー」としか思っていないのかよくわからないルナの発言に何か引っかかりを覚えたのか、シンは暫し考えてから呟いた。

「? どうしたの、シン?」

「わかったんだよ。違和感の正体」

そう言ってシンは、すっと森の向こうを指差した。森の向こうと言っても、森がほぼ全焼状態であるので焼け焦げた土と草原しか見えないのだが。

「森が全焼したってのに、焼け焦げた跡が少ないと思わない? 古界の森は、これの何十倍もの広さがある筈だよ?」

「そう言えば……そうだな」

頷きながら、フェイが辺りを見渡した。確かに、森の跡と見られる面積が狭い。狭過ぎる。

「ウィス達が発動させた遺跡の魔法は成功していた……。つまり、ここは少なくとも私達の世界のトーコク遺跡じゃない……。多分、トーコク遺跡とトゥルギ山脈を挟んでほぼ正対象の位置にある遺跡――カホン遺跡だよ。更に推測を重ねるのなら……ミラージュのね」

「ここが……ミラージュ!?」

「俺達は、異世界まで来ちまったって事か!?」

「あら、やはりそうなんですね? 凄いですわ」

シンの言葉に、三者三様の表情が返ってくる。

「何で私達が調査した時にはうんともすんとも言わなかった塔が、ウィス達の詠唱では魔法を発動させたのかはまだわからない。ここがミラージュだという確証も無い。けど、事実私達はトーコク遺跡ではない場所にいる」

「……」
リノとフェイが不安そうに顔を曇らせた。それはそうだろう。シンの推測が全て当たっていたとすれば、ここは異世界なのだ。塔の魔法を発動させる条件がはっきりしない現在、元の生活に戻れる保証は一切無い。

「あらあら。では、帰る方法を考えなければなりませんわね」

さして困っている様子も無くルナが言うと、シンは頷いた。

「そうだね。私としてはここが本当にミラージュだとしたら色々と調べて歩きたいところだけど……どちらにしても、まずは帰る方法を見付けておいた方が良いと思うよ」

「確かに、そうだな」

「そうね。不安がっていても帰る方法が転がり込んでくるわけじゃないものね」

リノとフェイの顔から徐々に不安の色が退いていく。

「よし。じゃあ、とりあえず腹ごしらえをして、それから出掛けようか」

「おう! ……って、どこへ行くつもりなんだ?」

フェイに問われ、シンは荷物の中から一枚の地図を取り出した。

「王城で話した事は覚えてる? 文献によれば、ミラージュは町も人も、何もかもが自分達の世界と酷似している世界だった……」

「えぇ、覚えているわ。それで……あまりの接点の多さに、鏡の中に迷い込んでしまったのではないかと錯覚した人々は、その世界の事をミラーズ≠ニ呼ぶようになった。この名前が時が経つにつれて変化し、現在のミラージュという名前に変化したのだと言われている……のよね?」

「そう。その説と、ウィス達が初めて訪れた筈の世界でほぼ迷う事無くトーコク遺跡に辿り着いたらしい事を考えると、ミラージュと私達の世界は地形や地名が非常に似通っている可能性が高いと思うんだ。勿論、多少の違いはあるだろうけどね」

言いながら、シンは地図上の「カホン遺跡」と記されている場所を指差した。リノ、フェイ、ルナの三人はシンが指差した場所を覗き込む。

「ここが私達の世界なのかミラージュなのか、はたまた全く違う第三の世界なのか……わからない以上は、私達の世界の地図に従ってみようと思う。私達の世界ならそれで問題は無いし、ミラージュであっても仮説が当たっていれば町に辿り着ける」

言いながら、シンは指を地図の上で滑らせた。

「私達の世界の地図で言えば、カホン遺跡の周りには人のいる場所が三か所。一つは、トゥルギ山脈の麓にある町、フジャマ。次に、リルンベ湖に阻まれて西側世界へ中々行く事ができない王様の代わりに西側世界を納める副王様が居を構える、副都サブト。最後が、少し遠いけどリルンベ湖の西岸で湖西地方と湖東地方を結ぶ町、サイスイ」

「フジャマとサブトは距離的にはほとんど同じね。方向は正反対だけど」

「サブトは何となく想像がつくが……フジャマってのはどんな町だ?」

「どうせ行くなら、食べ物の美味しい町に行きたいですわね」

地図を見ながら、リノとフェイ、ルナが口々に言う。ルナの意見は現状を考えれば最もどうでも良い事なのだが、フェイが賛同するように大きく頷いた。

「私もフジャマには行った事が無いけど……聞いた話によると、ミラージュに関わるような言い伝えや文献は一切無かったみたいだよ。総人口が少なくて、町としての規模も小さいみたいだし。あと、食べ物は知らないけど美味しい湧き水ならあるらしい」

「あら、お水が美味しい地域は、お料理も美味しいものらしいですわよ?」

フェイの腹の虫が、盛大な鳴き声を発した。が、料理の話にノってしまうと話が進まなくなるのでとりあえず無視しておく事にする。

「今は帰る方法を探す方が先だよ。帰る手掛かりがある可能性が低い以上は、フジャマよりも人の多いサブトやサイスイに行った方が良いと思う」

「だとしたら、サブトへ行くべきかしら? ミャコワンみたいに博物館があるかもしれないし、もし通貨が同じなら食料や装備品を整える事ができるわ」

荷物から取り出した干し果物をフェイにいくつか手渡しながら、リノが提案した。必要以上に畏まって受け取っているフェイの姿が見ていて妙に面白い。

「うーん……私はサブトよりもサイスイに行くべきかな、と思うよ。ルナ」

腕組みをして難しい顔をしながら、シンはルナに顔を向けた。

「はい、何でしょう?」

「ルナはシューハクからトーハイに行く時、どうやってリルンベ湖を渡ったの? シューハクと湖東岸にあるウォートンの間で定期船は勿論出ていないし、王様が迎えを出したわけでもなさそうだよね?」

「えぇ。小舟に乗って渡りましたわ。私一人なら、それで充分ですもの」

「一人!? その細腕でよく漕げたな! リルンベ湖っつったら風が強くて男でも舟を漕ぐのは大変な場所だぜ?」

干し果物を口に含んだままフェイが叫んだ。即座にリノに「お行儀が悪いですよ」と窘められ、「おう、済まねぇ」と縮こまっている。

「漕ぐ? その必要はございませんでしたわ。こう……舟に乗って、進行方向とは逆の方角を向いて水の魔法を使いましたの」

それで、一同は何となく納得した。つまりは、水を射出する勢いで舟を動かしたという事なのだろう。

「魔法で何とか小舟を動かせるなら、尚更サイスイに行くべきだと思うよ。サイスイで小舟なり筏なりを調達できれば、そこからシューハク遺跡島へ行ける」

「あ……!」

シンの言わんとする事がわかったのか、リノが声をあげた。

「なるほど。シューハクへ行けば手掛かりがある可能性は大きいですわね。帰る方法を見付けるには、それが最善かもしれませんわ」

「っつーか、シューハクへわざわざ行かなくても、ルナ嬢ちゃんはシューハクから来たんだろう? 何か知らねぇのか?」

「流石に、帰る方法を知ってたらどこかのタイミングで言ってると思うよ? そもそも、最初に帰る方法を考えなければと言いだしたのはルナだしね」

今更なフェイの発言に、シンは即座に切り返した。ルナは、フェイの言葉に少しだけしょげている。

「申し訳ございません……。帰る方法は存じ上げませんの。シューハクに遺された文献には、移動には塔を使うという事しか記されていませんでしたから……」

「ウィス達が塔を使えた事を考えると、酷く似た世界といってもやっぱり違いはあるんだろうね。私達の世界には残っていなかった資料が、ミラージュの方には残っていた……って事になるのかな。塔を使う事に変わりはないみたいだけど、私達には塔の使い方はわからない。なら、カホン遺跡よりも実際に使われたトーコク遺跡に行ってみるのも良いと思うよ」

「トーコク遺跡に行くなら、リルンベ湖を渡る必要があるな。シューハク遺跡島に行くにしろ行かないにしろ、サイスイには行かなきゃいけねぇってわけだ」

フェイの言葉に、シンは頷いた。

「そういう事。さて、行き先が定まったところで、ご飯にしようか。たくさん歩くから、しっかりと食べておかないとね」

「そうですわね。それでは……炎の胎動、血潮の躍動、怒り狂いて……」

「いや、だから……狩りはしなくて良いよ、ルナ」

「そっ……そうよ! 狩りをしなくても、まだ食料はあるから!」

「またこの辺りを大火事にしたいのか、ルナ嬢ちゃん!?」

「お前らが放火魔か!」

慌てて止めに入ったシン達の後に知らぬ声が聞こえ、一同は「え?」と振り向いた。見ればそこには一人の少年が立っており、シン達に向けて弓を構えている。

「あら、どちら様ですの? ……あ、人に名を訊く時は自分から名乗るのが礼儀ですわね。私、ルナ・セレナードと申します。呼び方はルナで構いませんわ。どうぞ、お見知りおきを」

「……お見知り置いてくれたらまずい相手かもしれないよ、ルナ……」

少し困った顔で、シンが囁いた。そんな事には気もかけず、少年はシン達を睨みつけながら言う。

「ここは昔の世界を知る手掛かりとなり得る、重要な遺跡だぞ! それに、周りにあった森は木の実や動物を育む、フジャマにとって重要な食料源だ! そんな大切な場所に放火をして、ただで済むとは思っていないだろうな!?」

まずい。完全に敵視されている。これは、何を言っても徒労に終わりそうな雰囲気だ。そもそも、ルナが火炎魔法をバカスカ使ったので森が全焼したのだ。申し開きのしようが無い。何とかこの場を脱する隙を作る事ができないかと、シンは剣に手をかける。それが伝わったのか、フェイも剣に手をかけ、リノとルナはすぐに走り出せる体勢を取った。だが、その逃げようという考えは相手にも伝わってしまったらしい。

少年は右手の親指と人差し指を加え、思い切り吹き鳴らした。ピィィィッ! という鋭い音が辺りに響き渡る。すると、燃え残った木や塔の陰からぞろぞろと十人ほどの男達が姿を現した。少年から壮年まで年頃がバラバラなところを見ると、火事に気付いたフジャマから原因を探りにやってきた調査団といったところか。

男達はあっという間にシン達を取り囲み、剣や弓を向けてくる。

「どっ……どうするの、これ!?」

「あら、簡単ですわ。私が魔法を使いますから……」

「いや、これ以上騒ぎを大きくするわけにもいかないよ。もし全ての町で検問なんかするようになったら、サイスイどころかどこにも行けなくなるからね。すぐに射かけてこないところを見ると、すぐに殺されるわけじゃないみたいだし……一旦大人しく捕まった方が良いんじゃないかな?」

そう言い、シンはす、と両手を頭上に掲げた。それに従い、リノとルナも両手を挙げる。

「くっそぉ……陛下の護衛剣士が無抵抗で捕縛されるなんざ……情けねぇ……!」

フェイも、渋々ながら両手を挙げた。それを見て頷きあった男達が、四人に殺到した。








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