光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





14





もうどれほどの時間詠唱を続けているのか、わからない。のどの渇きを覚えて、リアンは口を動かしつつ自らの周囲をちらりと見た。

空は既に暗くなり、世界は夜を迎えていた。ウィスは相変わらず、表情を崩す事無くひたすら詠唱のお手本を唱え続けている。自分の横では、いつの間にかチャキィが船を漕ぎ始めている。最初のうちこそ視線をせわしなく動かしてあの石が光ったこの石が光ったと騒いでいたのだが、飽きてしまったようだ。

リアンが一言唱える度に、塔を築いている石が一つだけ輝く。何千個、何万個あるかわからない石の大部分は既に光を放っているようだが、未だただの石のままでいる物もある。

ウィスの表情は、詠唱を始めた時から変わらない。唱えるペースも変わらない。まだ終わりが見えないのだろうか。

祭壇周りの石が一つ、二つと輝いた。光る石が増える度に、塔は緑色の輝きを増している。ここからでは全貌を見る事はできないが、ひょっとしたら終わりは近いのかもしれない。

詠唱が終わった時、何が起こるのか……。詠唱の言葉から推測できる未来に、リアンは身震いし、石盤にかけた手に力を込めた。

その時だ。

「間に合った!?」

突如耳を襲った声に、リアンはハッと我に返った。詠唱をする口が止まり、視線が嫌でも後を向いてしまう。

「塔が光ってたからまさかとは思ったけど……まだ終わっていないようで安心したよ。けど、どうなってるのかな? 私が前に同じ事を試した時には何も起こらなかったのに……」

声の主は予想通り、海沿いの町トーハイでリアン達と戦った女性学者……シンだった。彼女の横には、トーハイでも見掛けた如何にも戦闘向きではない女性――確か、リノと呼ばれていたか。そしてその後には、決して低身長ではないと思われるシンが子どもに見えてしまうほどの上背を持った大男が控えている。初めて見る顔だが、山賊でも雇ったのだろうか?

「あぁ、もう! 何で今来ちゃうんですか!? あともう少しっぽいんですから、邪魔しないでくださいよぉっ!」

怒りながらチャキィが立ち上がり、大玉に飛び乗りジャグリングを開始した。一見無駄な行動に見えるが、大道芸の延長のつもりでやった方がリラックスしてより強い魔法が使えるのだろう。

「ウィス先生とリアンさんはそのまま続けて下さい。ここはボクが食いとめます!」

「そういうわけにもいかないだろう。詠唱を守る前衛が一人は必要だ」

そう言ってリアンは石盤から手を放し、立ち上がる。そして同じく詠唱の口を止めていたウィスの手を無理矢理石盤に乗せると、剣を抜き放ちながら言った。

「絞り出せるだけの魔力を石盤に注ぎ込んでおいた。あとどれぐらい要るのかは知らないが、それだけあれば、お前が詠唱を引き継いでも何とかなるだろう。……あとは任せた」

それだけ言うと床を蹴り、シンに向かって斬りかかる。

「リノ、フェイの後に下がって! フェイ、行くよ!」

「お前も下がれ! 前衛は俺一人で充分だ!」

シンにフェイと呼ばれた大男が、体格に似合わない素早い動きで前に出る。そして腰に帯びた剣をすらりと抜くと、リアンの剣を受け止めた。

「……チッ!」

攻撃を防がれた事に対して苛立ちを覚え、リアンは舌打ちをした。

「軽い攻撃だな! 神官服を着てるという事は、お前がリアンって奴だな? 多少は腕に覚えがあるみてぇだが……体格差って奴を考えな!」

そう言って、フェイは剣を大きく横に薙ぐ。その馬鹿力に、リアンは思わずよろめき後退した。その隙を狙って、シンが素早く詠唱をする。

「英傑の祈りが呼びし風! 乱れ吹き交い敵を押せ! ブラストウェーブ!」

強い風に煽られる塔は風の魔法を使うのに最適だったのだろう。強烈な風が吹き、リアンとチャキィを更に後へと押し遣っていく。このままウィスのいる場所まで後退させられてしまうと非常にまずい。

「チャキィ、風の魔法は使えるか!?」

腕で顔に吹き付ける風に耐えながら、リアンが問うた。

「えっ!? は、はい!」

「なら、それを使え! 塔が壊れない程度にな!」

塔が壊れてしまえば、元の世界に戻る為の手段は失われてしまう。それを瞬時に理解したのか、緊張した面持ちでチャキィは頷いた。そして、リアンが自らの前に防御役として立ったのを視認してから、空を指差し詠唱する。

「つぶらな瞳の風見鶏、くるくる回って舞い上がれ!」

空を指していた指を、リアンの肩越しにシン達へと向けた。

「タイフーンパニック!!」

唱えると同時に、その場に小さいながらも強力な竜巻が発生した。竜巻は勢い良くシン達に向かって突き進み、シンのブラストウェーブの威力を相殺していく。

「……っ! すごい風……!」

「リノ、フェイにつかまって! フェイは飛ばされないよう踏ん張って!」

仲間に短く指示を出し、シン自身は前へと一歩踏み出してきた。

「ブラストウェーブ!!」

現在発生させている魔法に上乗せするように、シンが唱えた。少しだけ強力になったブラストウェーブと、チャキィのタイフーンパニックが二組の間でぶつかり合う。

「……っ!」

「くぅぅぅっ!!」

シンが、チャキィが、歯を食いしばる。残る者は、皆身動きもとれない状態だ。下手に突っ込めば風に巻き込まれ、もみくちゃにされた挙句に百五十メートル以上も下にある地上に放り出されてしまうかもしれない。

「ウィス、まだか!?」

焦りを覚え、リアンは背後のウィスに目を遣った。

「……我は今ここに故の力を捧げ、階の礎と為す。二つの大地を光で結び、我が身を故の地へ運ばんと願う……」

詠唱は、まだ続いている。だが、ウィスの表情や塔の光り加減から、詠唱の完成はそう遠くないだろうと思われた。

「……あと一息だ。耐え切れるか!?」

「勿論ですよ! 朝飯前です!」

気合いを入れるように叫び、チャキィは一歩前へと踏み出した。

「うぁぁぁぁぁっ!!」

チャキィは力を振り絞るように叫び、それに呼応するように風の威力も強まった。そしてそれに圧されたのか、シンが一歩だけ後退する。

このままこの威力を持続できれば、圧し切れるかもしれない。ゴールが見え始めた事に安堵し、チャキィはシン達へと向けた手に更に魔力を加えた。ここで一気に塔から押し出してしまえば、当分の間邪魔は入らない。

筈だった。

「あらあら、すごい風ですこと。洗濯物を干したら、あっという間に飛んで行ってしまいそうですわ……」

場にそぐわない、のんびりとした声がその場にいる者の耳を打った。

「え……?」

思わぬ展開に、ウィスを除く全員が思わずこの場へと続く階段に目を遣った。そこを上ってきたのは、シルエットからそうとわかる一人の女性だった。濃紺色のローブを見に纏い、その上から黒いマントを羽織っている。マントのフードからは収まりきらなかった白金色の髪がこぼれ出し、夜空に浮かぶ月を思わせる。

「……誰だ?」

新たな闖入者に、警戒しながらリアンが呟いた。だが、そんな彼の言葉などまるで聞いていない様子で、女性は辺りをきょろきょろと見渡し始める。

「まぁ……何でしょう? 何やらとても懐かしい感じがしますわ。どこからかしら? それとも、ここにいらっしゃるどなたかから……?」

呆気にとられる一同の前で、女性は更にきょろきょろと首を巡らせる。その動きと風によって、マントがバタバタと煽られた。それが鬱陶しかったのか、女性は少しムッとした声で言う。

「もう! 騒がしい風ですわね! 思考を集中させる事ができませんわ。……炎の胎動、血潮の躍動、怒り狂いて焼き尽くせ!」

左手でフードを抑えたまま突如詠唱を始めた女性に、ウィスを除く全員がギョッとした。フェイと呼ばれた大男が、止めようとするような形で手を出す。

「おい、ちょっと待……」

「炎の一の手、カグツチ!」

フェイの制止も空しく、女性はあっさりと唱え切った。その瞬間、シンとチャキィの魔法がぶつかり合っていた場所で、何かが爆ぜた。それも、空中で。

爆ぜたと言うには強烈且つ凶暴な音と光をまき散らし、空中で巨大な炎が燃え上がる。その熱風に圧され、チャキィはその場に尻もちをついた。見れば、シンも後によろめきフェイに支えられている。

「……お前は一体……」

「あら。珍しく加減が上手くいきましたわ。塔を壊してしまったら大変ですものね」

リアンの問いには答えず、女性が不機嫌そうな声で言った。腕を胸の前で組み、いかにも怒っていると言わんばかりの体勢だ。もっとも、その体勢のせいで子どもっぽく見えてしまってもいるのだが。

抑える手を失ったフードが、熱風の残滓でめくれ落ちた。長い白金色の髪が露わになり、白い肌がはっきりと見えるようになる。まるで人形のような面立ちだ。

女性は一同を一通り睨み付けた後、再び周りを見渡す事に専念し始めた。そして、ウィスが詠唱を続ける祭壇に目を向ける。

「やっぱり……今一番気になると言えば、あれですわよね。懐かしい感じの源はあそこかしら……?」

そう言いながら、無警戒にてくてくと祭壇に向かって歩き出す。あまりに堂々としているその姿に、リアンとチャキィはうっかり初動を遅らせてしまった。

「……っ! 待て!」

「ウィス先生!」

リアンが駆け出し、チャキィが叫ぶ。リアンが剣を構えた瞬間、誰かが「まずい!」と叫んだような気がする。だが、誰が叫んだのか考える間も惜しい。

「そこのあなた……これは何をやっていらっしゃるのかしら?」

頭上から降ってきた声に、ウィスはゆっくりと頭を上げた。人形のような顔をした女性が、興味深げな顔で自分を見下ろしている。だが、焦る事無くウィスはゆっくりと噛み締めるように呟いた。

「……レイズ」

その一言で、詠唱は完了した。そしてそれを裏付けるかのように、今まで光り輝いていた石達が更に激しく光り輝き始めた。光は塔の下から湧水のように勢い良く上っていく。

「リアン、チャキィ! 祭壇に上って! 早く!!」

ウィスの叫び声に、リアンとチャキィが祭壇に駆け上がる。ついでに突如現れた女性をどかそうと、リアンは剣を振り上げた。

「ブラストウェーブ!」

その剣を振り下ろす前にシンの声が響き、強烈な風がウィス達を襲う。

「うわっ!?」

「ひぁっ!?」

「っ!」

三者三様の叫び声を発して三人は祭壇から落ち、代わりにシン達が祭壇に駆け上がる。

「大丈夫ですか!?」

リノの声が聞こえてきた。まず間違いなく、祭壇から一人だけ落ちなかった女性に対しての言葉だろう。ウィス達だけが、シンの魔法で押し出された。その事実から、先ほど「まずい」と発言したのはシンであったのであろうと推測できる。恐らく、リアンが剣を構えた事で女性に危害が及ぶ事を危惧したのだろう。

「……おい、ウィス。チャキィ。無事か?」

自身も床にしたたかに叩き付けられたであろうリアンがよろめきながらも立ち上がり、ウィスとチャキィに声をかける。

「うぅ……何とか……」

「僕も大丈夫。けど、もう時間が……」

立ち上がりながらウィスが言った瞬間、光が塔の頂上まで上りきった。光は塔の中心部である祭壇に集約し、祭壇が強烈な光を放ち始める。

「なっ……何だこりゃあっ!?」

祭壇の上で、フェイが素っ頓狂な声をあげた。

「……間に合わなかったか……」

ウィスが、悔しそうに呟く。光は祭壇の上に集まりきると、爆発したように輝きを増し、空へと昇っていく。そして、光が空へ昇るにつれ、塔の輝き自体は次第に褪せていった。

光が祭壇に集約してから二十秒も経たないうちに、塔の光はすっかり消え去ってしまった。そして、祭壇の上に確かにあったはずの、シン達四人の姿も。

「これで、一旦は帰れるはずだったんだけど……」

残念そうに、ウィスが呟いた。それに対し、疲れた顔で座り込みリアンが言う。

「もう一度やるのはごめんだぞ。やろうにも、魔力が空っぽだ」

「だよね……。最初から僕が自分でやれれば、何とかなってたんだろうけど……」

申し訳なさそうに、そしてやはり疲れた顔をしてウィスも座り込んだ。すると、そんな二人を励ますようにチャキィは言う。

「だったら、今度はボクがやりますよっ! 邪魔者はいなくなりましたし、もう一度やったら今度は絶対に上手くいきます!」

「ありがとう、チャキィ。けどね……もう一度やるのは暫く止めた方が良いかな?」

チャキィの頭をくしゃくしゃと撫でながらウィスが言う。その言葉に、チャキィは不満そうに言った。

「何でですか!? さっきはシンさん達との戦闘を想定していましたからリアンさんに譲りましたけど、今回は問題無いじゃないですかっ! それとも、ウィス先生はボクの事を頼りにならないと……?」

段々泣きそうになっていくチャキィの声に、ウィスはぶんぶんと両手を振った。

「違う違う! チャキィの魔法はとっても頼りになるよ! だからこそ、魔力をとっておいて欲しいんだ。シン達の邪魔は確かに入らないだろうけど、多分この後、軍隊の邪魔が入って戦闘になるからね」

「え!?」

目を丸くしたチャキィに、ウィスは教室で教鞭をとっている時のような優しい口調で言う。

「シン達が僕達に追い付いてくるのが、ちょっと遅かったと思わなかったかい? 怪我の事もあって、僕達は結構ゆっくり歩いてた。それに、向こうは土地勘もある。あの後すぐに追ってきていれば、もっと早くここに来ていた筈だよ。彼女はどうしようかと迷い続ける性格じゃなさそうだしね」

「……そう、いえば……」

「仲間が増えていた事だし、多分どこかに寄り道してきたんだろうね。その寄り道先は、多分王都ミャコワンだ。トーハイの事も考えれば、自分勝手に動くよりも王様と軍隊を動かした方が効率が良いだろうしね」

「つまり、この世界の王は俺達がここにいる事を知っている可能性が高い。ひょっとしたら既にこの近くに軍隊を待機させているかもしれないし、奴らが戻らない事で心配をして新たに派遣してくる事も考えられる。俺は魔力の残量が空だから、もし軍隊の邪魔が入った時にお前が詠唱にかかりきりになっていたら、俺は一人、剣一本で戦う事になる。……可能だと思うか?」

「……さすがに難しいと思います……」

チャキィがしゅんと項垂れた。そんなチャキィの頭を再び撫でながら、ウィスは言う。

「今回は残念だったけどさ、魔力を込めて詠唱すればちゃんと塔が機能する事がわかったんだから良いじゃない。きっとまたチャンスは巡ってくるよ。だから、今は一旦退こう?」

「……はい」

チャキィが頷き、三人は塔を後にした。去り際に、ウィスは振り返り、塔を仰ぎ見た。つい先ほどまで激しく光り輝いていた塔は、今は一粒の光もまとってはいない。

三人が姿を消した後、塔は何事も無かったかのように静かに闇へと溶け込んだ。








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