光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





12





王の護衛剣士であるフェイと戦う事になったシンは、リノと共に王城の中庭へと通された。そこには庭と呼ぶには物々しい広場があった。草はほとんど生えていない。武器を立てかけておくのに使うのであろう台座がある。何やら対魔法と思わしき防御魔法の詠唱が刻まれた石像が四隅に建っている。恐らく、予め魔力を注いでおく事によっていつでも自動的に結界を出す事ができる仕組みなのだろう。どうやらここは、王族の剣術や魔法の修練場であるらしい。

その広場兼修練場を見渡せる場所に家臣達が椅子を据え、王はそこに腰かける。そして、シンとフェイを交互に見ながら言った。

「ルールは簡単だ。どちらかが降参するか、気絶するまで戦ってもらう。武器は愛用の物を使ってもらえば良いし、魔法も許可する。ただし、眼つぶしなど相手の今後の生活に支障をきたしそうな攻撃は極力避ける事。先ほども言った通り、シンが勝ったら、フェイはシンの同行を許可する。フェイが勝ったら、シンはミャコワンに残留する。良いな?」

シンとフェイは、無言で頷いた。それを「是」ととったのか、王もまた無言で頷く。そして、二人が修練場の中央に立ったのを見ると言った。

「本来ならこのような事をしている時間も惜しいほどに事は急を要しているようだからな。これ以上の前置きは無しだ。……始めっ!」

王の合図があった瞬間、シンとフェイは同時に地を蹴った。共に前へと突っ込み、フェイは大剣を力の限り振り下ろし、逆にシンはショートソードを振り上げる。

鋭い金属の音がした。剣と剣とがぶつかり合ったのだ。シンは刃の中央でフェイの剣を受け止め、フェイは刃の限りなく柄に近い部分をシンの剣に圧し付けている。

「ちょっと驚いたぜ……。魔法剣士だっていうから、てっきり後に跳んで、距離をとって魔法を使う……と思っていたんだがな」

「後に跳んだだけじゃ、詠唱している間に二撃目、三撃目がきちゃうからね。そうなったら、詠唱どころじゃないよ。それよりはこうやって剣を押し付け合う状態にした方が良いかな、ってね。……英傑の祈りが呼びし風……乱れ吹き交い敵を押せ!」

涼しい顔のまま詠唱を始めたシンに、フェイはひやりとしたものを感じた。確かに、このまま剣を押し付け合っていればその間にシンは詠唱を完成させてしまう。魔法を使われたら剣士のフェイはダメージを負う事請け合いだ。だが、今ここで剣を外そうと後に下がれば、その瞬間シンは前に向かって剣を閃かせてくるだろう。体を横にずらしても同様だ。

そもそも、初撃をシンに完全に受け止められたのも意外だった。剣士の男と、魔法剣士の女。腕力差は歴然なのだから、受け止められたとしても膝ぐらいつかせられると思ったのだが。

「作用点が力点に近いと、思ったほどの威力って出ないよね。ブラストウェーブ!」

シンが始まった瞬間自分の懐に飛び込んできた理由と、迫りくる風圧にフェイが気付いたのはほぼ同時だった。フェイは風に圧されるままに後へ下がり、シンも距離をとる為後へ下がる。

「汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を討て!」

フェイが前へ再び突っ込んでくるのを視認しつつ、シンは詠唱を始めた。水気の少ないこの場所では、流石に詠唱無しでの魔法は不安がある。

「アクアスライサー!!」

海辺で出した物と比べると少々力強さに欠ける水の刃が出現し、一斉にフェイへと襲い掛かる。その数にフェイは一瞬怯んだが、すぐに体勢を立て直すとそのまま一直線に突き進む。

「護衛剣士をナメんじゃねぇぞ、学者風情がっ!!」

フェイは自らを切り刻もうとする水の刃の群れにそのまま身を投じ、腕で顔面を庇うでもなく突っ込んでくる。

「なっ……!?」

流石に面食らい、シンは口早に次の詠唱を開始した。

「古の大地に眠りし聖なる炎! 障壁となりて……」

「遅ぇっ!!」

唱え終わる前に、フェイが剣を振り下ろしてくる。

「……! フレイムウォール!」

ウィス達と戦った時と同じだ。心の奥でそう思いながら、シンは已む無く詠唱を省略した。あの時と同じように弱々しい火柱が立ち上がり、シンとフェイの間に一瞬だけ炎の障壁を作る。だが、フェイはそれをものともせずに剣を振り上げた。

「食らえっ!」

「シン!」

リノが悲鳴をあげた。そしてすぐさま、地面に手を遣り詠唱を始める。

「堅固なる大地よ、彼の者を守れ! グランド……」

「リノ!」

リノの詠唱が完成しようとした瞬間。そして、振り下ろされるフェイの剣が自らに触れるその直前、シンが咎めるようにリノの名を呼んだ。

「えっ……!?」

その剣幕に圧され、リノは思わず詠唱を中断した。そして……

「……っ!」

フェイの剣が、シンの左肩を切り裂いた。辛うじて倒れる事は踏み止まったが、剣は確実にシンの肉を斬ったのだろう。薄青色の衣服が、あっという間に赤黒く染まっていく。左手が剣を取り落としていないのが奇跡的だ。

「シン!!」

リノが再び悲鳴をあげる。そして、回復魔法を施そうと修練場に足を踏み入れかけた。だが。

「……リノ、来ないで!」

肩口を抑えながら、シンがリノを制した。戸惑うリノに、シンは言う。

「これは私の力量を見る為の戦いだよ。リノに援けてもらったら、それはもう私一人の力量じゃなくなるじゃない」

「……でも……」

不安げな顔で呟くリノに、シンは更に言う。

「この先も、ずっと一緒にいられるとは限らないんだよ? 例えば、リノが怪我人を治療している間に私が戦闘に入る場合だってあると思う。そうなったら、リノにサポートしてもらうなんてできないじゃない。フェイさんや陛下が見たいのは、そういう状況でも足手まといにならないか、って事なんじゃないのかな」

「……」

傷を負っている割にははっきりとした口調のその言に、リノは黙り込んだ。そして、その代わりと言うように今度はフェイが勝ち誇った顔で喋り出す。

「自分の立場をよくわかってんじゃねぇか。……それで、どうする? 今降参すれば、悪化しないうちにあの嬢ちゃんに回復をしてもらえるぜ? その傷じゃあろくに剣も振るえねぇだろ?」

「確かにね……。けど、剣が振るえなくても、まだ動かせる物もあるよ」

脂汗を流しながらも言うシンの言葉の意味がわからず、フェイは訝しげに眉をひそめた。

「まだ動かせる物だと?」

「それはね、人間ならみんなが持っている物。閉じる事はあっても、減る事は無い物……胸に響くは命の鼓動、優しく木霊し傷癒せ」

「!」

シンの言葉が途中から詠唱に変わっている事に気付き、フェイは慌てて剣を振り上げた。傷に遣ったシンの右手が白く輝き始めている。右手に魔力が集中し始めているのだ。

「クイックトリート!」

叫ぶや否や、シンは力強く地を蹴ってフェイと距離を取った。体勢を整え、剣を構える。血糊こそ残っているものの、傷は癒えたらしい。シンの左腕は難なく剣を扱っている。

「あの状態でまだ動かせた物。それは口だよ」

「てめぇ……回復魔法も使えたってのか!?」

フェイの言葉に、シンは「まぁね」と軽く返した。

「リノの魔法ほど効果は無いけどね。止血になる程度なら使えるよ」

言いながらも、シンはじりじりと後退する。先ほどの流れで、フェイとの戦闘ではまず詠唱は無理だとわかった。巨体の割に素早いので、充分に距離を取れなければ言い切る前に攻撃をされてしまう。かと言って、詠唱を省略した弱い魔法では怯む事無く受けられてしまう。

「……となると、魔法は目くらましに使って剣での攻撃を主体にした方がまだ何とかしようがある、かな……?」

そう呟くが、自信は無い。何しろ、腕力や体力、筋肉の硬さに差があり過ぎるのだ。剣術では、全力で戦っても勝機は少ない。

考えあぐねて、シンはちらりとフェイを見た。すると、偶然かはたまたそうではないのか……フェイと視線が合った。フェイは何かを考えるような目でシンの事を見ている。シンがその目をジッと見詰めると、それに気付いたのかフェイは視線を鋭くして睨み付けてくる。それでも、シンはフェイの目を見続けた。

これは、視線での戦いになっている。やがて周りの者達もそうと気付いた。二人は、視線を合わせたままピクリとも動かない。これは恐らく……先に視線を逸らした方が負ける。

空で、鳥が鳴いている。風がさやさやと優しく木を揺らす音が聞こえる。だが、そんなのどかな光景に和んでいられないほど、その場にいる者達は緊張しきっていた。そして、そろそろ誰かが緊張の糸を切らして倒れるのではないかと皆が危惧し始めたその時だ。

フェイが動いた。

動いたと言っても、駆け出したわけではない。その場で両手を空に向け、万歳のポーズを取るとフェイは疲れたように言った。

「あー。止めだ止め! 降参。降参するぞ」

その言葉に、観衆は勿論、シンも唖然としてフェイを見詰めた。剣を鞘に納めたフェイはシンに歩み寄りつつ言う。

「お前が足手まといにならず、一人でも戦えるって事はわかった。下手したら近衛騎士の中にお前より弱い奴がいるんじゃないかってくらいだ。一緒に戦う仲間としては充分合格圏だ」

そう言いながら、フェイはシンの頭にぽんと手を載せた。背が高いだけに、大人が子どもの頭を撫でるような格好になってしまっている。シンとて、特に背が低いわけではない筈なのだが……。

その状態が気に入らないのか、シンは少しだけ不満そうに視線を上げてフェイを睨み付けた。

「いつの間に戦いから試験に変わったの? あと、戦いの間に随分手を抜いてるようだったけど、それで本当に私の力を量れたのかな?」

「自分で言っていただろうが。俺も陛下も、見たかったのはお前が俺を倒すところじゃなくて、お前が一人でも充分戦えるかという点だ。それからな……」

これ以上褒めるのは癪だとでも言わんばかりの顔で、フェイはシンの頭をわしゃわしゃと撫でくりながら言った。

「確かに相手が女だから、手抜きはした。それは認めるぜ。けど、手を抜いたのは力加減だけだ。その他の面は一切手を抜いちゃいねぇ」

「やっぱり手を抜いてるんじゃない」

フェイの手を払いのけながら言うと、フェイは「けっ」と口を尖らせた。

「手を抜いたって、一般的な騎士と同じぐらいの威力はあったはずだぞ? 俺の一番の自慢は腕力だからな」

そう言って、フェイは自らの袖をまくって見せる。腕の太さは普通の男の二倍ぐらいはある。確かに、力はかなり強そうだ。

「俺は自分が魔法を使えねぇからって、「遠くから攻撃するなんて卑怯だ」なんだとほざいたりはしねぇ。使える物はとことん使うべきだ。腕力の代わりに魔力を使うってのもありだろ。お前の魔法は、腕力や体力の劣る部分を補って余りあるものだと俺は思った。それに、戦闘中の判断も悪くねぇ。なら、遺跡についてくるのに文句を付ける筋合いは無ぇ」

「さっきまで戦ってた人間にそこまで褒められると、何か気持ち悪いね」

苦笑しながらシンが言うと、フェイは「何ぃっ!?」と目を剥いた。その顔にシンは笑ったが、その直後に急に顔をしかめた。

「……っ!」

「……おい、どうした!?」

「シン!?」

慌ててリノが駆け寄ったところで、シンはその場に膝をついた。右手で治った筈の左肩を抑え、額には脂汗を浮かべている。

「どうして!? 魔法で治した筈じゃ……」

「だから……私の魔法じゃ止血程度にしかならないんだって……」

弱々しく苦笑するシンに、リノとフェイは顔を青くした。

「じゃあまさか……出血が止まっている程度にしか治っていないのに動きまわってたって事!?」

「馬鹿かお前! 早く休め!」

「休めって言ったって……」

ここは王城の中庭兼修練場だ。身を横たえて楽に休めるような場所ではない。そうシンが言おうとすると、フェイはじれったそうに叫んだ。

「あーっ! 面倒臭ぇっ!!」

叫ぶや否や、フェイはシンを担ぎあげて走り出した。リノが慌ててその後を追う。

「ちょっと! 一体どこへ……!?」

「兵士用の医務室だ! そこへ行けば清潔なベッドもあるし、薬もある!」

そう言って修練場から走り出つつ、フェイは王に言った。

「陛下、失礼ながら先に退出させて頂きます! 遺跡にはシンが回復次第すぐ向かわせて頂きますので、それまでに食料と、シンに新しい服を頼みます!」

無礼討ちにされてもおかしくない言葉をその場に残し、フェイはあっという間に修練場から姿を消した。そして、二分も経たないうちに今度は医務室で姿を目撃されている。回復魔法で傷を完全に治した後、体力を回復させる為だけにシンをベッドに落ち付かせてリノは言う。

「本っ当に呆れた! こんなになるまで戦うくらいなら、さっさと降参して王都残留を受け入れれば良かったじゃないの!」

いつもと同じ調子で怒鳴りつける幼馴染に、シンは苦笑した。顔は貧血の為に少々蒼褪めてはいるが、脂汗はひいている。

「けど、見た目ほど深い傷じゃ無かったでしょ? フェイさんが手を抜いて攻撃してくれたからかな?」

「フェイで良い。お前にさん付けなんかされると、何か企んでそうで気持ちが悪ぃからな」

先ほど「気持ち悪い」と言われた事への意趣返しなのか、フェイはニヤリと笑って言った。冗談が通じたのか、シンもニヤリと笑って返す。そんな二人の遣り取りについていけないと思ったのか……リノは軽く溜息をついてから、フェイに体の正面を向けた。

「あの、フェイさん……シンをここまで運んで頂いて、ありがとうございました。お陰で、大事に至らずに済みました」

そう言って深々と頭を下げるリノに、フェイは慌てて手を振った。

「い、いやいや! 俺こそ嬢ちゃんの友達を痛い目に遭わせちまって……」

どうやら、フェイは今のように自分が丁寧に扱われる事に慣れていない様子だ。まぁ、普段は王や大臣に命令される立場であるわけだし、仕事上言葉を交わすのは兵士や騎士といった男がほとんどなのだろうから、無理も無いだろうが。

「いえ、半分はシンの自業自得ですから」

薄ぼんやりとフェイの様子を観察していたら、リノからそのような言葉が飛び出てきて、シンは思わずがくりと項垂れた。

「リノ……その言い方は無いんじゃないかな……?」

「だって、そうじゃない。遺跡か、ミラージュか、あの三人か……何にこだわっているのか知らないけど、シンが行くって言い張らなきゃ、こんな事にはならなかったでしょ!?」

「それはそうだけど……」

シンが言い淀んだところで、リノは再びフェイに視線を向けた。そこで、ハッと目を見開く。

「あら……フェイさんも怪我をしてるじゃないですか! それもあちこち……」

そう言えば、フェイはシンの魔法に対して特に防御するでもなく突っ込んできていた。怪我をしていなかったらそれはそれで怖い。

二人を観察するように見るシンは悠長なものだが、当の本人達はそうも言ってはいられないらしい。リノはフェイの手を取って、すぐさま回復の魔法をかけようとした。すると、フェイは慌ててその手を引っ込める。頬が少し赤らんでいる事を後で冷やかしてみたら、そのまま先ほどの戦いの第二ラウンドが始まってしまうだろうか。

「手を出して下さい。それに、他の傷も……治療をしないと。化膿したらどうするんですか?」

「いやいや、これくらい慣れっこだからな! そ、それに……嬢ちゃんの回復魔法は雨や風が発生するだろ? 室内でそれはまずいからな! うん!」

こちらはもう平気だから外に出ろ、と言いたいが、とりあえず面白いのでシンは黙って様子を見続ける事にした。すると、リノは困ったように周りを見渡しながら言う。

「じゃあ……消毒だけでもしておきましょう? 幸い、ここは医務室ですし……」

それだけ言うと、リノはフェイを押して薬品棚のところまで連れていく。巨体のフェイが頬を赤らめて恐縮しつつ小柄なリノに消毒されている様は、見ていて滑稽ですらある。湧き上がる笑いを噛み殺しながら、シンはリノとフェイに声をかけた。

「フェイが頼んでおいてくれた新しい服に着替えたらすぐに出発しようか。トーコク遺跡に、異世界の人達との友好を深めにさ」








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