光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―
11
「思ったんですけど……別に「この世界を滅ぼしに来た」なんて宣言しなくても良かったんじゃないですか?」
唐突に飛び出したチャキィの言葉に、リアンは瞬時に渋面を作り上げた。
「だって、そうじゃないですか。いきなり滅亡宣言をしたりしなければ向こうだってここまで警戒しなかったでしょうし、こちらから攻撃しなければ手出しはしなさそうな人でしたよ?」
そう言ってチャキィは木の実を口に放り込み、すっぱそうに顔をしかめる。どうやら、独特の酸味がクセになってしまったようだ。
「リアンは慣れ合いとか隠し事とかだまし討ちとかが大嫌いだからね。何事にも真正面から全力で向き合いたがるっていうのかな?」
「どうせ最後は滅ぼすのだから、仲良くする必要は無い。最初から相手をガンガン削っていこうってワケですか? それで返り討ちにあってたら世話が無いですよ」
呆れたようにチャキィが呟くと、ウィスも苦笑して「本当にね」と同意した。一対二になってしまったリアンは不機嫌そうにそっぽを向く。
「……ところでさ、チャキィ」
「はい、何ですか?」
表情を硬くして名を呼ぶウィスに、チャキィはお日様を連想させる笑顔を浮かべて振り向いた。邪気払いでもされているかのような気分になりながら、ウィスは恐る恐る問う。
「今……さらっと「最後は滅ぼす」って言ったよね……? まさか、知ってるの? この調査の本当の目的を……」
「はい、知ってますよ?」
あっさりと言い放つチャキィに、ウィスとリアンは目を丸くした。
「この世界に来た理由は、表向きは伝説の異世界ミラージュの調査。けど関係者の中でもごくごく一部の人しか知らないその本当の目的は、もしミラージュとボク達の世界が酷似していた場合は、この世界を滅ぼして優秀な人材はボク達の世界に連れてきてしまう。そしてボク達の世界の一層の繁栄を図る……ですよね? 何で滅ぼすのかとか、世界なんてどうやって滅ぼすのかとか、ボクは知りませんけど。それで、ウィス先生とリアンさんはその先遣隊。ミラージュが本当にボク達の世界と酷似した世界なのかを調査して、可能なら優秀な人材に目星を付けたり、滅ぼせる町を適当に滅ぼして後発隊の負担を減らす、と。……違いますか?」
まるで軍隊を主軸とした芝居の参謀役を演じているかのような身振り手振り口振りでチャキィは問うた。それに対し、ウィスとリアンは開いた口が塞がらない。
「チャキィ……君……」
「何で、そんな事まで……」
「ウィス先生のお役に立ちたくて、全力で調べ回っちゃいました!」
一見健気な台詞だが、あっけらかんと言い放てるほど簡単に調べられるような内容ではない。これだけの事を調べる為に苦労しただろうし、危ない目にも遭っただろう。なのに、調べ上げた結果、援けたいと思う人が異世界とはいえ世界を滅ぼそうとしているとは……。
「……何とも思わないの? その……僕達が世界を滅ぼす片棒を担ごうとしてるって知って……」
「そりゃあ、びっくりしましたよ? けど、ウィス先生が自ら望んで滅ぼそうとしてるわけじゃないじゃないですか。それに……」
「それに?」
リアンの問いに、チャキィは「てへっ」と笑いながら言った。
「人が増えてボク達の世界が繁栄すれば、裕福な人が増えておひねりも増えるかもしれないじゃないですか」
その答を聞いた瞬間、ウィスとリアンは前のめりにずっこけた。流石に、その発想は無かったのだろう。
「お前……今の発言と、さっきのウィスがお前達に金よりも価値がある物をくれたという発言……何となく矛盾すると思わないか……?」
呆れた顔でリアンが言う。すると、チャキィはにこやかに笑って言った。
「それはそれ、これはこれ、ですよ。知識はお金より価値があるって思ったのは本当ですけど、お金があるにこした事は無いじゃないですか」
「……まぁ、そうかもしれんが……」
何となく言葉を濁すリアン。態度が軟化してきている様子を見ると、チャキィと仲良くなりつつあるのではないかと思えてくる。ひょっとしたら、先ほどの木の実の食わせ合いとその後のどつき合いが功を奏したのかもしれない。本人達は認めないかもしれないが、そうだとしたら自分も怒鳴り付けた甲斐があったというものだと、ウィスはふと思った。
「そうだ! ミラージュに住む人達は皆優秀でした、って言って、こっちの世界の人全員をボク達の世界に移住させちゃえば良いんですよ。土地の広さにはまだ余裕があるんですし。そうすれば、誰も死なずに済みます。ですよね? ウィス先生!」
さも名案であると言うように顔を輝かせるチャキィ。そんな教え子の誇らしげな顔を見て微笑みながら、ウィスは首肯した。
「そうだね。けど、それは次善の策かな? 最善の策はこの世界を滅ぼさず、皆が今まで通りの生活を続ける事ができるようにする事。違うかな?」
ウィスの問いかけに、チャキィは「あ」と声を上げた。
「そう……ですね。そうです! 皆が今まで通りでいられるのが一番です!」
そう言って大玉の上でぴょこぴょこ跳ねるチャキィを眺めて苦笑し、リアンが前を指差した。
「今その話をしても意味が無い。それよりも、着いたぞ」
指された先には、今までにない開けた場所があった。広場と言うには広過ぎる。ひょっとしたら、小さな町一つ分くらいの面積はあるのではないだろうか。
そんな開けた場所の中央には、巨大な塔がそびえ立っている。巨石を積み上げる事で造られたその塔は、高さが百五十メートルはあるだろうか。巨大な円筒形の塔の側面には螺旋を描くように階段が築かれ、頂上へと登る事ができるようになっている。更に目を凝らしてよく見ると、塔の外壁に使われている巨石には一つ一つに丁寧に古代文字が刻みこまれている。
「すごい……。けど、この塔がどうしたんですか?」
塔の高さに圧倒されつつ、チャキィが問うてきた。ウィスは、外壁に刻まれた文字を一つずつ丹念に調べながらもその問いに応じる。
「僕や他の学者達の研究、それとその研究した文献自体に間違いが無ければ、この塔を利用して僕達の世界へ戻る事ができるはずなんだよ」
「因みに、この塔が俺達の世界と何ら関係の無い遺跡だった場合、俺達は元の世界に帰る事ができなくなる。ウィス達の研究が間違っていない事を祈るんだな」
リアンの言葉に、チャキィはぎょっと目を見開いた。
「なっ、何ですかそれ!? それって、世界を滅ぼすとかいう以前の問題じゃ……いえ、ボクはウィス先生を信じますよ! ウィス先生が間違ってるはずはないんですから! それよりも、祈るのはボクじゃなくてリアンさんの仕事じゃないんですか? 仮にも神官でしょう? 仮にも!」
「仮にもを強調しなくても神官だ。残念な事にな」
暗示をかけるように力強く言うチャキィとリアンの会話に苦笑しつつ、ウィスは次々と石を調べ、次第に階段を上っていく。リアンとチャキィも、それに続く。チャキィが大玉に乗ったまま階段を上っていく様にリアンが唖然とした。最早器用と言うレベルを超えている。
どれほどの時間、そうして調べながら上っていっただろうか。ふと顔を上げれば、空は赤く染まっている。赤い光に照らされながら、いつしか三人は高くそびえる塔の頂上へと辿り着いていた。
塔の頂上は思った以上に広々とした造りだった。円形のその場所には、恐らく大人が三百人は余裕で入りそうだ。床は石畳となっており、この石にもまた文字が刻みこまれている。そしてこの屋上の中央には、直径三メートルほどの丸い台座が設えてあった。見る人が見れば、祭壇と見えなくもない。階段を三段だけで上れるこの祭壇らしき台座の中央にはやはり丸い石盤がはめ込まれている。そしてその石盤には、塔を築きあげている石と同様に古代の文字が刻みこまれていた。ただし、こちらにはこれまでとは比べ物にならないほど細かい文字がびっしりと刻まれているのだが。
「何ですか、これ? 碑文って奴でしょうか?」
「この塔が碑と言えるかどうかはわからんが、まぁそんなところだ」
首肯しながら、リアンはウィスの方を見る。
「どうだ、ウィス? 読めそうか?」
「勿論」
言いながら、ウィスの右手人差し指は既に刻み込まれた文字の上を滑っている。その様子に半ば見惚れながら、チャキィは問うた。
「何て書いてあるんですか?」
その問いに、一通り読み終えたらしいウィスは顔を上げ、にこりと笑いながら答えた。
「うん、これにはね……この塔の使い方が刻まれているんだよ」
「使い方ですか!?」
頷きながら、ウィスはリアンとチャキィの顔を交互に見る。
「この塔と僕達の世界を繋ぐには、この塔に魔力を流し込まなきゃいけないみたいだ。けど、僕には魔力が無いし……」
すると、待ってましたと言わんばかりにチャキィが手を挙げた。
「はいはいはい! ボクが魔力を流し込みますよ! どれぐらいの魔力が必要かわかりませんけど、ウィス先生の為ならいくらでも!」
言いながら、既にチャキィは祭壇の上に登ろうとしている。だが、チャキィが登る前に一足飛びで祭壇に飛び乗った者がいる。リアンだ。
「いや……この役目は俺が引き受ける」
きっぱりと言い切るリアンに、チャキィは頬を膨らませた。
「えーっ! 何ですか、それ!? 良い恰好しぃして、人の出番を盗らないでくださいよぉ!」
その抗議に、リアンは大きく溜息をついた。少しは考えろと言いたげだ。
「お前の魔力が強いであろう事は認める。だがな、だからこそお前は控えていろ。もしこの世界の奴らが追い付いてきたらどうする? 邪魔をされたら? 俺は魔力が尽きていても剣で戦えるが、お前は魔力が無くなったらただの大道芸人だろう? それに、奴らと戦闘になった場合、お前の魔法が無いのは正直痛い」
思いもよらないリアンの素直な物言いにウィスもチャキィも目を丸くした。そしてチャキィは、祭壇に足をかけつつ苦笑する。
「リアンさんにそこまで言われたら、譲らない訳にはいかないですね。けど、ボクもここにいますよ。ウィス先生とリアンさんの傍にいます」
「うん、それが良いね」
そう言ってどこか嬉しそうに頷くと、ウィスは表情を引き締めてリアンに視線を向ける。
「それじゃあ、リアン……始めるよ」
「あぁ」
頷きながら、リアンはその場に跪き石盤に手をかけた。その様子に、ウィスはこくりと頷いて見せる。
「そう……そこから魔力を流し込むんだ。例えば、回復魔法を使う時、傷口に集中的に魔力を流し込むように。魔法を使う時と同じ要領でやれば良いと、石盤には記されてる」
ウィスの言葉に、リアンは静かに頷いた。とてもそうは見えないが、やはり緊張しているのだろうか。いつもよりも一つ一つの所作が慎重だ。
やがて、石盤にかけられたリアンの右手が白く輝き始めた。体内の魔力が右手に集中し始めているのだろう。それに続くように、石盤の文字が薄らと緑色に光り始める。
「次は」
リアンの問いに、ウィスはいつもよりも早い口調で答を紡ぐ。リアンと同じくらい……いや、それ以上に心臓が早く脈打っているのがわかる。元の世界に戻れるか否かがかかった緊張の為か。それとも、古代遺跡の力の復活にただ興奮しているのか。口が渇いて仕方が無いが、それすら気にする余裕が無い。
「詠唱を……塔の力を発動させる為の詠唱をするんだ。僕が今から唱える言葉を追ってくれ」
「唱える言葉って……何を言えば良いのか知ってるんですか、ウィス先生!?」
驚き、思わずチャキィは問うた。するとウィスは、緊張を消せないままながらも笑顔を作って言う。
「気付かなかったかな、チャキィ? 詠唱すべき言葉は、全てこの塔に記されていたよ」
「えっ……?」
チャキィが言葉を詰まらせ、リアンも思わず面を上げた。そんな二人に、ウィスは言う。
「塔の壁面に使われた石……それに、この場所の床に使われている石畳にも古代の文字が刻まれているよね? あの文字を全て繋ぎ合わせるとこの塔を利用する為の詠唱が完成するんだ。ちょっと……いや、かなり長いけど頑張ってね、リアン」
ウィスの言葉に、リアンは無言で頷いた。それにウィスも頷いて返し、口を開く。
「それじゃあ……いくよ。我、故ある世界を求め天への階を欲す=c…」
「我、故ある世界を求め天への階を欲す……」
ウィスの言葉とリアンの言葉が交互に紡ぎ出されていく。祭壇を取り囲む石畳に記された文字が、薄らと緑色に輝き始めた。