光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





10





「お前達か。ヒスティが最優先で謁見を行うようにと紹介状を持たせ、馬車に乗せてまで急いで寄こした学者というのは」

王立博物館を訪ねてから約二時間後……シンとリノはこの世界を統べる王への謁見を許され、謁見の間で畏まっていた。

博物館を訪ねたのは、確かにシンの言う通り近道≠ナあったと、リノは思う。シンの「ミラージュが現れた」という話を受付の人間から伝え聞いた博物館長のヒスティ・ドゥーワはすぐさまシンとリノを館内の研究室へと招き入れてくれた。そしてシンから事の次第を聞いたドゥーワ氏は王への紹介状を書き、一秒でも惜しいと言わんばかりに馬車まで出してくれた。

王城内に存在する歴史編纂室の室長に任じられているというドゥーワ氏の紹介状には想像以上の力があったらしく、王城に着いてから話はトントン拍子で進み、こうして半日もしないうちに謁見が叶うという事態になっている。もっとも、官位だけではなくドゥーワ氏の人柄や実績、更に今日は他の重要な謁見が無かったらしいという運の良さもトントン拍子謁見が実現した要因だろうが。

「はい。私はシン・トルスリアと申します。海沿いの町トーハイに居を構え、学者と称し遺跡の調査、神話の研究を行っている者です。こちらは私の古くからの友人で、リノ・クラドール。トーハイの治療院で働く、治癒術師です」

「学者に、治癒術師か。それが一体、何用で謁見を願い出た? それも、ヒスティに急ぎの紹介状を書かせてまで……」

王に問われ、シンは面を上げると一歩前へ進み出た。

「恐れながら、申し上げます。この度私達が謁見を願い出ましたのは、この世界に破滅の危機が迫っていると知ったからです」

シンがそう言った途端、謁見の間に居並ぶ者達から失笑が漏れた。いきなり「世界の破滅」というのはスケールが大き過ぎたのだろう。恐らく、この場にいる者全てがシンの言葉を頭のおかしな人間の戯言であると思っているに違いない。だが、そんな周りの態度は意にも介さずシンは王に語り続けた。

「とる物もとりあえず急いで王都へ出向きましたので、この話はまだほんの一日前の事になります。私達の住む町トーハイの海辺に、突如町の周辺では見掛けないモンスターが出現しました」

「ふむ、見掛けないモンスターとな。……海か空を渡って別の土地から流れてきたのだろうか?」

王が顎鬚を弄びながら呟いた。それに対し、シンはふるふると首を横に振る。

「いえ、モンスター達は皆ウルフ系で、飛行は勿論長時間の遠泳もできない種であったと思われます。トーハイは周りを崖と海に囲まれており、空と海を渡る能力の無い生物は入口からしか町に入る事ができません。それなのに、モンスター達は町の誰にも気付かれる事無く町の最奥である海辺に姿を現した……」

そこまで言ったところで、シンは一旦言葉を切った。そして、息を吸うといよいよ例の名を告げるべく続きの言葉を吐き出した。

「不審に思い辺りを見渡したところで、空に不審な闇が拡がっている事に気付きました。そして、その闇の中に町のような物、人やモンスターのような陰が見える事にも。その時に、思ったのです。あれは神話に登場する異世界……ミラージュだと」

その単語が出た瞬間、周囲から堪え切れないと言わんばかりに噴き出す音が聞こえた。シンは周りを睨み付けると、はっきりとした大きな声で言う。

「嘘や誇大妄想だとおもうのであれば、トーハイへ人を遣わして頂きたい。トーハイの上空には未だにミラージュであると思われる闇が拡がっています。ひょっとしたら、今この時も続々と向こうからモンスター達が攻め寄せているかもしれない……!」

「……シン、といったな。つまりお前は、トーハイの町上空に伝説の世界ミラージュが現れ、モンスター達はそこからやってきたと……そう言いたいわけか?」

「仰るとおりです、陛下」

王の下問に、シンは力強く頷いた。そして、ここからが本題だと言わんばかりに語調を強める。

「そしてその考えを裏付けるように、ミラージュと仮定した闇から人間が出てきました。ウィスとリアンと名乗ったその二人は、私達に攻撃を仕掛け、言いました。「この世界を滅ぼしに来た」と……」

辺りは、水を打ったように静まり返った。実際に二人出てきたという情報が、急に話をリアルにしたのかもしれない。

「それで……私にどうしろと言うのだ?」

謁見を求めてきたからには、何か王の力を使うべき仕事があるのだろうと王は問う。その問いに、シンは頷いた。

「はい。まずは、トーハイに軍を派遣して頂きたく存じます。今後ミラージュから増援がやってきたとしても、そこに軍隊がいればすぐに対応する事が可能です。それから、もう一つ……私はこれから、ウィスとリアン……それから、その後もう一人増えたチャキィという子どもを含めた三人を追ってトーコク遺跡に向かいます。その際、何人か武人を貸して頂きたい。私もある程度の魔法と剣術は嗜んでおりますが……やはり限界があります。特に私は腕力で劣る部分がありますので、力が強く接近戦を得意とする方をお貸し頂けるとありがたいのですが……」

「トーコク遺跡? 何故行き先がトーコク遺跡だとわかる? その三人が遺跡に向かうと言ったのか?」

王の問いに、シンは首を横に振った。

「いえ。ですが、あの三人のうち、リアンという神官服を纏った青年はダメージを受けていました。回復魔法を使う事はできるようですが、戦闘でも魔力を消費した事を考えれば短時間で完全に回復する事は難しいでしょう。……となると、移動できる距離は限られてきます」

「トーハイからだと近いのは……王都か、中継都市セツファン。そのどっちかよね?」

リノの言葉に、シンは「そうだね」と頷いた。

「けどそれは、町の話でしょ? 町以外にも、人間が向かう場所はいくらでもあるよ。それに、私があの三人なら、町には行かないな。この世界を滅ぼしに来ただなんて、ある意味敵しかいない場所に少人数でやってきたようなものなんだよ? 町にいたら、何かの拍子でバレた瞬間に四面楚歌になっちゃわないかな?」

「そう……かも……」

少し考えながらも、リノは肯定した。リノだけではなく周囲も納得したのを確かめてから、シンは言葉を継いだ。

「トーハイから王都やセツファンに向かうのと同じぐらいの時間で辿り着ける場所に、古界の森があります。森の中なら身を隠すのは容易く、上手くすれば木の実を採って食料を得る事もできます。それでなくても古界の森は天然のダンジョンと呼ばれるような場所です。腕に自信があり、尚且つ追手をまきたいのならこの森は持ってこいだと思います。それに、古界の森にはトーコク遺跡がある……」

「先ほどから度々その名が出てくるが……何故その者達はトーコク遺跡に向かおうとするのだ? そもそも、トーコク遺跡とは一体……」

困惑気味の顔をした王に、シンはできる限り解り易く伝えようと、いつもよりもゆっくりとした口調で語り出す。

「トーコク遺跡とは、有史以前より古界の森に存在していたと言われる塔です。古界の森からトゥルギ山脈を越えて西へ進んだ場所にあるカホン遺跡と並んで、世界最古の建築物と言われています。恐らくは、同年代に造られたのでしょう。

トーコク遺跡とカホン遺跡は、その外観が非常によく似ています」

ここまで言ったところで、シンは一度言葉を切り、周囲を見渡した。今のところは、まだ全員が話についてこれている様子だ。

「では、トーコク遺跡とカホン遺跡は一体何の為に造られたのか? 最近の研究では、この二つの遺跡は古代の連絡塔であったという見解が出されています」

「連絡塔?」

どこからか聞こえてきた問いに、シンは頷いた。

「そう、連絡塔です。古代史に登場する狼煙台に類似した姿から、この塔は何かをどこかへ伝える手段として建築されたと考えられます。では、そのどこかとは?」

教師が生徒に質問するように、シンは周囲に問い掛けた。誰からも、答は出てこない。

「単純に考えれば、それはトーコク遺跡とカホン遺跡を繋ぐ為の連絡塔だと言えます。この世界は一つの大陸からできていますが、中央に巨大な湖……リルンベ湖があり、更にその南北には峻嶮なトゥルギ山脈と、渡航を許さないホウツ氷海、トゥルギ山脈以上に険しく寒いルプー雪山がありますからね。緊急時に伝令を飛ばしても、相手方に着くのにかなりの時間を要してしまいます。ですが、狼煙や光で信号を送りあえるのであれば、一瞬で連絡を取る事ができる。」

「……その通りだ。今後、連絡塔を建設するよう検討しよう。しかし、単純に考えれば、とは?」

怪訝な顔をして王が問う。シンは、ここからが本題と言わんばかりに声に力を込めた。

「世界の東側と西側で連絡を取るためであれば、わざわざ森の中に塔を建てる必要はありません。木々やトゥルギ山脈が邪魔をして、相手の塔が見えなくなってしまいますからね。リルンベ湖の東岸と西岸に建てた方がよっぽど理に適います。実際、トーコク遺跡からカホン遺跡を見る事はできません」

「何と……」

「ならば塔の連絡先とは? この疑問が湧いて出た時、学者達は昔からの伝統行事に目を付けました」

そう言って、シンは天井を仰ぎ見た。天井にはステンドグラスでできた天窓が設置され、柔らかい光を謁見の間に落としている。

「恐らく、この場にいる殆どの方が一度は経験をされていると思います。……子どもの時に参加しませんでしたか? 願いを書いた紙片を燃やし、焚き上げるお祭りが、どこの町にもあったと思います」

その発言に、何人かの者が昔を懐かしむような顔をして頷いた。中にはばつの悪そうな顔をしている者もいるが、願い事を「世界征服」にでもしたのだろうか。

「この伝統行事は、元々は空の上にあるとされる神々の世界に天候の安定を願う祈祷文を煙に乗せて届ける神事であったとされています。そして、今や神話や童話の中だけ登場するこの神々の世界の事を、人々はこう呼んでいます。……ミラージュと……」

どこからか、ごくりと唾を呑む音が聞こえた気がする。そこでリノは、初めて辺りがすっかり静まり返ってしまっている事に気付いた。もう、シンの言葉に対して笑っている者は誰一人としていない。

「恐らくトーコク遺跡とカホン遺跡は、神々の世界と思われていたミラージュにこちらの意思を伝える為の連絡塔。あの三人がミラージュから来たと言うのであれば、きっと自分達の世界に報告をしようとするでしょう。しかし、みたところトーハイに現れた闇はかなり高度のある場所に存在している為、あそこを通って向こうへ戻る事は難しいと思われます。それでなくても、あれだけの騒ぎを起こした町に再び入るのは容易ではありません」

「だから、本当に連絡が取れるかどうかはわからなくても、古代の連絡塔であるトーコク遺跡に行くだろうと……そういう事か」

王の言葉に、シンは頷いた。

「ミラージュが実在した以上、連絡塔もミラージュに繋がる機能を持っていると考えた方が良いでしょう。もっとも、トーコク遺跡とカホン遺跡が連絡塔として使われていた建物である、という仮説が間違っていなければの話ですが」

そこまで言って、シンはホッと息を吐いた。流石に長々と喋り続けて疲れたのだろう。

「……ミラージュか……。神話でしか聞いた事のなかった世界が、まさか実在するとはな。しかし……何故ミラージュの者達はこの世界を滅ぼそうとする?」

「実在したからこそ、今日のように民話や神話として残っているのでしょう」

シンはさらりと言った。

「伝説や民話によれば、昔はこの世界の人々とミラージュの人々は頻繁に二つの世界を行き来し、交流していたとの事です。先に出たトーコク遺跡やカホン遺跡の存在が、その名残でもあると言われています」

遺跡に関する話は、先ほどの説明で聞かされたばかりだ。流石にすぐに頭の中で結び付いたのか、何人かの人間がうんうんと頷いた。

「最初にミラージュへと行った人々は驚いたそうです。そこには、町も人も、何もかもが自分達の世界と酷似している世界だった。あまりの接点の多さに、鏡の中に迷い込んでしまったのではないかと錯覚した人々は、その世界の事をミラーズ≠ニ呼ぶようになりました。この名前が時が経つにつれて変化し、現在のミラージュという名前に変化したのだと言われています」

それは初めて聞いた。いつしか授業を受ける子どもの気分になりながら、リノはシンの話に耳を傾けた。

「トーハイに現れた彼らもまた、この世界の事をミラージュと呼んでいました。恐らく、向こうの人々もこちらへやってきた時、鏡の中に迷い込んだような感想を覚えたのでしょう。そうして人々は互いの世界を行き来し交流していたが、何らかの理由で次第にその交流は薄れていった。そしてついには完全に交流が途絶えてしまい、いつしか異世界の存在は神話、伝説となった。……そんなところでしょう。元々は交流をしていた彼らが何故この世界を滅ぼそうとするのか……それは現時点ではまだわかりません……」

そう言ってシンは大きく息を吐き、今度こそ話を終わらせた。王は低く唸ると、険しい顔をシンに向けて言う。

「にわかには信じ難い話だが……現にミラージュが現れ、更にそこからやってきた人物が攻撃を仕掛けてきたとあれば軽視するわけにもいくまい。……わかった。トーハイに軍を派遣しよう。それから……シン」

「はい」

王の呼び掛けに、シンはまっすぐに王の目を見て答えた。王は、迷う事無くはっきりとした声で言った。

「トーコク遺跡へ行くのに、武人を貸してほしいのだったな。……フェイ」

「はっ!」
王の呼び掛けに、一人の男が進み出た。大柄で髭を蓄え熊のような顔をしたその男は、一見すると武人と言うよりも山賊と言った方がしっくりくる風貌だ。

「この男は、フェイ・チェンフィー。強く勇敢な、私の護衛剣士だ。フェイ、シンについてトーコク遺跡へと向かえ。シンと共に戦い、世界を滅ぼすなどとほざく若造どもに一泡吹かせてくるのだ」

すると、フェイは少しだけ不満そうな顔をして王に言った。

「陛下。俺がトーコク遺跡へ行って、生意気なガキどもに一泡吹かせてくるってのに異存はありません。ですが、この女と共に戦うってのが気に食わねぇです。魔法と剣術を嗜んでるっつったって、女は女です。しかも、本職は戦士じゃなく学者ときている。戦いの場では足手まといにしかならねぇ」

「だが、相手の顔を知っているのは、この場ではシンとリノだけなのだぞ。お前だけが行ったところでどうにもなるまい」

すると、フェイはムキになったように言う。

「トーコク遺跡なんか、滅多に人が行くような場所じゃありません。顔がわからなくても、遺跡にいる奴を締めあげればまず間違いは無ぇでしょう。万が一を恐れるのなら、その女どもに人相絵を描かせれば良いんです。そうすれば、間違って関係無ぇ奴を攻撃しちまうなんて事にもなりません」

フェイに言われ、王は「ふむ……」と考えた。

「フェイはああ言っているが、どうする、シン? 確かに人相絵があればお前達の案内が無くとも何とかなるであろうし、私としては兵士でも何でもないお前達にこれ以上危ない橋を渡らせるのは気が引ける。異存が無ければ、フェイの言う通りにしようと思うのだが……」

「いえ、私もトーコク遺跡に行かせて下さい」

迷う事無く言い切るシンに、王とフェイは面食らった顔をした。

「確かに危険かもしれませんが、それ以上にミラージュから来た彼らの事、彼らが向かった時トーコク遺跡がどうなるのか……学者として知りたいと思う気持ちが強くあります。私は彼らと戦った経験がありますし、足手まといにはならない自信があります。誰が何と言おうとも、私はトーコク遺跡に同行させて頂きます」

その発言に王は困ったような顔をし、リノは戸惑った。そして、フェイは顔を真っ赤にしている。どうやら、我慢が限界のようだ。

「駄目だ駄目だ駄目だ! 女連れで戦う気にはならねぇ! どうしてもついてくると言うなら、俺を倒してからにしろ!」

倒したらフェイが遺跡に行けなくなってしまって本末転倒ではなかろうか。そんな考えがリノの頭を過ぎったが、如何せん、フェイの剣幕が怖過ぎて発言ができない。すると、成り行きを困り顔で見ていた王が苦笑しながら言った。

「このまま意地を張り合っていても時間の無駄だ。ならば、こうしよう。シン、フェイ、今から二人には試合をしてもらう。武器も魔法も使用を許可した、実戦とも言える試合だ。シンがこれに勝ったら、フェイはシンの戦闘能力を認めて同行を許可する。フェイが勝ったら、シンは自分が足手まといになると認めてミャコワンに残留する。それで良いな?」

「えぇっ!?」

王の提案に、リノは思わず声を上げた。だが、当の本人であるシンは落ち着いたもので、冷静に「はい」と返事をしただけで微動だにしない。その様子が益々気に食わないのか、フェイは肩を怒らせながら食いつかんばかりの勢いで言う。

「面白ぇ! 女と言えども容赦はしねぇからな! 覚悟しておけ!」

どうやら、リノが口を挟む隙は無さそうだ。まぁ、どうせ負けたところでシンの事だから王都をこっそり抜け出し勝手に遺跡へ行くのだろうが。どうにも歯止めがきかなくなった展開に、リノは「何でこの人、こんなにガラが悪いのに王様の護衛剣士なんかやれてるのかしら」とあらぬ事を考え始めた。







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