光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





08





古界の森、と呼ばれる森がある。トーハイの南西に位置し、地図上の実に六分の一を占めるこの巨大な森はその名の通り大昔――有史以前から存在する天然のダンジョンとも言える場所である。

シダ植物が迷路のように鬱蒼と生い茂り、森を闊歩するモンスターの中には魔法を使える種まで存在する。準備をする事無く足を踏み入れれば、まず生きて出る事はできない。

そんな森を、ウィス達三人は今ざくざくと歩み続けている。

「行けども行けども、ずーっとおんなじ景色ばっかりですね。飽きませんか、ウィス先生?」

器用に大玉に乗ったまま移動をしつつ、チャキィが問い掛けた。大玉に乗った分高いところに手が届くからか、木の実を手当たり次第にもいでは口に放り込んでいる。

「こういう場所だしね。それに、一本でも道を間違えたら迷って死ぬかもしれないと思うと、とてもじゃないけど飽きたなんて感想を抱く余裕は無いかな。あ、チャキィ。その実はすっぱいから食べない方が……」

「……もう一息早く教えて欲しかったです……。ところで、神官リアンは大丈夫なんですか? 大丈夫そうに見えないんですけど」

口をすぼませ涙目になりながらチャキィが問う。顔が真っ青で、足元はおぼつかなく、呼吸が浅く速い。訊くまでも考えるまでもなく、大丈夫ではない状態にしか見えない。

「そうだね……リアン。ここまで来ればそうそう追手も来ないと思うよ? そろそろ強がるのはやめて、休憩しない?」

「……」

返事は無く、リアンは無言のまま太い木の根に腰を下ろした。その行動を「是」の返事であると受け取ったウィスは、困ったように言う。

「やっぱり、あと何回か回復魔法を使った方が良いんだろうけど……僕は魔法が全然使えないし。……チャキィ、君、回復魔法は?」

「残念ながら、補助魔法は一切使えないです」

申し訳なさそうに言うチャキィに「気にするな」と言いながら、ウィスはリアンを見る。

「……となると、自分で回復してもらうしかないかな。チャキィ、木の実をいくつか採ってくれる? 食べれば魔力が少しは回復するかも……」

「荷物の中に食料もあるだろう。それで良い」

ウィスの言葉を遮るように、リアンが言った。すると、ウィスはそれを窘めるように言う。

「駄目だよ、食料は有限なんだから。こういう食料を調達できる場所では極力その地の物を食べて、節約しないと」

「そういう事なら覚悟して下さいね、神官リアン。食らえ! 超絶すっぱい木の実ー!!」

ガキ扱いされた事を未だに根に持っていたのか、大玉から飛び降りたチャキィが嬉々としてすっぱい木の実をリアンの口に押し込もうとする。鬱陶しそうにその手を叩き、木の実を奪い取ると自らの手で口に放り込む。すっぱい果汁に顔をしかめながら、リアンはウィスに言った。

「節約と言うなら、まずはこのガキを帰したらどうだ? 一人減れば、その分食料が長持ちするぞ」

「そういうわけにはいかないよ。僕達の世界とこのミラージュの行き来は、今のところ一方通行なんだよ? 帰りたくても帰れないって、リアンもわかってるだろ?」

「それを解決する為にトーコク遺跡に行くんだろうが。大体、さも当然のように付いてきているが……そもそも何でこのガキはミラージュに来たんだ? お前の教え子だろうと大道芸人だろうと、この件には全く関係が無いだろう」

「あ」

リアンの言葉に、ウィスとチャキィは顔を見合わせて声を上げた。そう言えば、「話はあとで」と言っておきながらまだ何も説明を聞いていない気がする。それを思い出し、ウィスは改めてチャキィに尋ねた。

「そうだよ。チャキィ、君……何でミラージュに? 大道芸の仕事は?」

「大道芸の仕事は、休業中です。ウィス先生を援けたいって言ったら、団長は快くボクを送り出してくれました」

「援ける? 僕を?」

困惑した顔で更に問うウィスに、チャキィはにこりと笑って頷いた。

「はい! ウィス先生は、ボク達の一座が孤児院に巡業に行った時、空いている時間を使ってはボク達にも勉強を教えてくれましたよね? 読み書きに計算、それに簡単な歴史や法律、魔法学まで」

「うん、知識は多いに越した事はないと思ったからね。けど、それぐらいなら別に僕以外の大人も……」

答になっていないチャキィの言葉に内心首を傾げつつ、ウィスは頷いた。すると、チャキィはふるふると首を横に振る。

「そんな事ないです。今まで出会った大人の人達は、誰もボク達に勉強なんか教えてくれませんでした。みんな、大道芸人の子どもは大道芸だけやっていれば良いんだ、って態度で。一座の中には、読み書きくらいはできた方が良いって言ってくれる人も大勢いたんですけど……みんな、自分の読み書きの能力に自信が無いのか、結局誰も教えてくれないままで……」

溜息をつき、チャキィは情けなさそうな顔をした。何に対して情けないと思っているのかまでは、その顔からは読み取れない。満足に読み書きできない一座の大人に対してか、読み書きも学べない自分の出自に対してか、それとも自分達を蔑視するような人間が存在する世界に対してか……。

「けど、ウィス先生は違いました。孤児院は貧しいから見物料が出せない代わりとして勉強を教えてくれた。先生は大道芸の見料代わりのつもりだったかもしれません。けど、ボク達一座の子ども全員が学校に通う事を考えれば、それはとてもボク達の芸だけで見合うような額じゃない。ウィス先生は、決して邪魔にはならないからと、ボク達にお金よりも価値のある物をくれたんです。ボク達はそれが、とても嬉しかった……」

「……」

その言葉に、ウィスもリアンも口を出さない。ただ、チャキィの喋るに任せている。

「だからボク、いつかウィス先生に恩返しをしたいと思っていたんです。そしたら最近、他の一座から流れてきた噂で、神殿がミラージュの存在を確認し、近々調査に出向くらしいという話を耳にしました。ウィス先生は孤児院で勉強を教える傍ら、学者として古代遺跡や神話の研究をしていましたよね? なら、先生がこの調査に大きく関わるかもしれない。そこでボクの魔法が役に立てばと思い、神殿に向かおうと思ったんです」

「……まさか、ミラージュ調査の話が芸人一座に漏れていたとはな……」

すっぱい実を咀嚼しながら、リアンが苦々しげに呟く。すると、チャキィは胸を張って自慢げに言った。

「ふっふーん。大道芸人は仕事で色々な場所へ行きますからね。通常巡業、イベントのゲスト、慰問……お城や神殿だって例外じゃありませんから、実はそこらの役人よりも国家機密情報を知ってたりするんですよ」

「……わかった。以後ゴドの神殿には大道芸人一座の立ち入りを禁止するよう奏上しておく」

溜息をつきながらリアンが言うと、チャキィは不服そうな顔をする。

「何ですか、それーっ! 元はと言えば、機密情報を軽々しく廊下で喋る人がいけないんじゃないですかーっ! 部外者に聞かれたくないなら全部書面にするか、会議室でしか話さないようにするルールを作ったらどうなんです?」

リアンの顔が益々苦々しげに歪む。勝ち誇った顔をしてから、再び顔を真剣なものにしてチャキィは言った。

「さっきも言いましたが、ボクがウィス先生を援けに行くと言ったら、団長達は快く送り出してくれました。ボク達が読み書き計算を覚えた事で手伝えるようになって、書類の仕事が楽になったみたいで……。団長達大人も、先生に何かお礼をしたいと言っていましたから。だから、ボクの仕事の事は全然心配しなくて良いんですよ」

「単に無駄飯食らいの厄介払いができて喜んでいただけじゃないのか?」

仕返しと言わんばかりにリアンが言い、チャキィが何度目かわからない不満げな顔をする。宥めるように二人の間に入り、ウィスはチャキィに向き合った。

「ここに来た理由はわかったよ。けど、僕としてはやっぱり君に危ない事はさせたくない。帰れるようになるまでは一緒にいてもらうけど、無茶はしないようにね?」

「はい!」

あっという間に笑顔になったチャキィにウィスは苦笑し、リアンは溜息をついた。

「まぁ、確かにあれだけの攻撃魔法が使えるのなら確実に戦力になるだろうからな……仕方が無い。……天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る。その御慈悲を滴に宿し、幸無き傷を癒し給え……キュア・ドロップ」

癒しの雨が降り注ぎ、リアンと周囲の草木を濡らしていく。雨が降り止む頃にはすっかり顔色の良くなったリアンは立ち上がると、ウィスとチャキィに向かって言った。

「無駄な時間を食った。さっさとトーコク遺跡に向かうぞ。それから……」

ちらりと、リアンはチャキィにまっすぐ視線を定める。

「? 何ですか、神官リアン?」

怪訝な顔でチャキィが問うた瞬間、リアンは素早く足を運び、手の中に余っていた木の実をまとめてチャキィの口に放り込んだ。

「ふぁぁっ!?」

強烈なすっぱさにもがくチャキィを見ながら、リアンは意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「さっきのお返しだ」

「ボクは木の実を口に入れるまでは至ってないじゃないですかぁっ! お返しと言うなら、ボクだってお返ししますよ!」

言いながら、更なる木の実を採集しようとチャキィは大玉に上る。すると、それを阻止しようとしたのか……リアンがチャキィの大玉を足で蹴り飛ばした。バランスを崩して大玉から落ちそうになったチャキィは素早く地面に飛び降り、リアンを睨みつけた。

「何するんですか、大人気無い! ウィス先生のお友達だと思って我慢していましたが、もう許しませんよ! お手玉、火の玉、火炎玉!」

「森の中で火炎系の魔法を使う奴があるか、このクソガキが!」

チャキィが詠唱を始め、リアンが剣を抜く。喧嘩をするにしても、せめて取っ組み合い程度にしておいてくれないものか……。呆れ返って溜息をつき、ウィスは二人を怒鳴りつける為に大きく息を吸い込んだ。







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