僕と私の魔王生活











「なんで、って言われても……なんでかしらね?」

 メトゥスの問いに、優音は少しだけ首を傾げて言った。

 なんでかしらね、と言ったが、実際のところ、理由は何となくわかっている。わかっているが、これを相手に言ったところで理解してくれるとは思えない。……と言うよりも、「なんで」というのはこちらの台詞ではないだろうか、と優音は思った。

「あなたこそ、その危ない剣を、なんで人に向けているの? 何がしたいの?」

 そう問うと、メトゥスは「うっ」と息を詰まらせる。

「なんでも何も……僕は魔王ですから……」

「魔王だったら人に剣を向けるの? 魔王だから人に剣を向けるの? そんな曖昧な動機で動いて良いの? 仮にも王の肩書きを持っているのに」

 容赦ない言葉に、メトゥスは「うぅ……」とたじろぐ。言い返す言葉がパッと思い付かず、既に泣きたくなっている。

 頑張れ、頑張るんだ。ここで退いたら前に進めない。そう己に言い聞かせ、メトゥスはなんとか踏ん張った。

「魔族は人間界に侵攻したいんですよ。その手始めに、一人見せしめに殺したいんです。そして貴女はその見せしめ……魔族が初めて殺す人間に選ばれたんですよ。だからこうして剣を突き付けられているんです。……こう言えば納得してくれますか? してくれないでしょう?」

 半ば自棄になって言ってみた。こんな理由で納得するわけがない。獲物に選ばれた人間ならば、尚更だ。

 しかし、優音は「なるほど……」と呟いた。

「一応理由はあるわけね。説明としてかなり苦しいし、大多数の人間は納得しないでしょうけど、人間と魔族の違いがあるわけだし、その辺の差異はあって仕方なしってとこかしら」

 一人で勝手に納得している。何なんだ、この人間は……と思いながら、メトゥスはため息を吐いた。

「とにかく、そんなわけで。僕は今から、貴女を殺します。この剣を少しでも動かせば、貴女の頸動脈は切断されて、鮮血が噴き出すんですよ? 少しぐらい、抵抗しなくて良いんですか?」

 抵抗して、少しは人間味を見せて欲しい。でないと、正直今の状況は怖い、とメトゥスは思う。

 本音を言えば、逃げられるものなら逃げて欲しい。だが、それは難しいだろう。メトゥスが彼女を人間の世界へ送り返さない限り、彼女が逃げ切る事は不可能だ。

 複雑な想いで優音を見詰めるメトゥスに、彼女はくすりと笑った。

 口許は笑っているが、目は笑っていない。そんな顔で、彼女は言う。

「このまま貴方に殺されるか、それとも抵抗と立ち回りを試みるか。どちらでも良いわ。どちらでも私が望む道だもの」

 そう言って、彼女は眼前の刃を見据えたまま、微笑んだ。今度は、目が笑っている。

 メトゥスはただ、剣を突き付けたまま、唖然とするしかない。

 どういう事だ? 何故彼女は、こうも簡単に命の危機を受け入れている? 望む道とはどういう事だ?

 混乱するメトゥスに、優音は「そうね……」と呟いた。

「一応、あなたは私に剣を向ける理由を教えてくれたものね。ここで私は黙り込むのは、何となくフェアじゃなくて嫌だわ」

 そう言う彼女の顔は、再び目が笑わなくなっている。

「正直なところ、死にたいって思ってたのよ。ここ何年も、ずっと」

「……え?」

 優音の言葉に、メトゥスは息を呑む。そんな彼に、優音は自嘲気味に言った。

「生きるのに疲れちゃったのよ。大きな問題を人生で抱えた事は無いけど、特に夢や目標があるわけでもない。器用貧乏で手広く色々できるけど、決め手が無くていつでも便利な穴埋め要員。毎日家と会社の往復。好きな人はいない。真面目に生きるのが馬鹿らしくなる事ばかりが起こるけど、今更不真面目になんて生きられない。疲れて、こんな人生早く終わって欲しいって何度願ったかわからない。けど、幸か不幸か健康体で、病気はおろか健康診断に引っ掛かりすらしない。かと言って自分から死ぬのも負けたような気がして嫌。殺してくれるなら、万々歳だわ」

 そう言ってから、優音は「けど……」と継ぐ。

「抵抗して立ち回りを試みるのは面白そうだな、と思うのよね。漫画とか小説とか、物語をそこそこ読んできたからかしら? 勝つのは無理でも、運が良ければそれなりに面白い立ち位置になれると思わない? 物語で言うなら、敵に釈然としない物を植え付ける役どころ。結構美味しいと思わない?」

「既に釈然としない気持ちでいっぱいいっぱいなんですが。そこまで色々言えるのに、なんで日常生活では言わないんですか」

 疲れた顔をしてメトゥスが問うと、優音は「だって」と言った。

「どの道死ぬんだと思ったら、とりあえず最期くらいは好きにやらないと自分の人生割に合わないと思っちゃったのよね」

 早い段階でそういう応対に切り替える事ができていれば、これまでの何倍も人生を謳歌できたのではないだろうか、この人。

 そんな事を考えつつ、妙に納得した気がして。メトゥスは思わず頷いた。

 完全にではないが、この人間は恐らく、病んでいる。病む一歩手前、と言えるかもしれない。

 生きる事に飽いた、倦んだ。だが、自ら死ぬ気も起きず、流れに身を任せているうちに気力や感情も少しずつ欠落していった。

 それがどういったわけか、メトゥスが剣を向けた事が切っ掛けで、妙な感じで覚醒しようとしている……のだろうか。

 正直、殺そうとしたら「殺してくれるなら万々歳」「抵抗したらそれはそれで美味しい役割」などと言われる魔王がいて良いものだろうか。いや、恐らく良くない。

 かと言って、じゃあ殺すのはやめるので人間の世界に帰します、というのも魔王らしくない。

 では、殺さないでおき、この魔族の世界を一人彷徨わせるか? ……それはそれで、喜ばれてしまいそうで困る。正直、臣下も困ると思う。

 それに、だ。

 釈然としないとは言え、病みかけていた人間が持ち直しかけている。この状況に、実はメトゥスは心中密かに喜びを感じてもいた。

 魔王らしくないとは言え、メトゥスの行動が切っ掛けで一人の人生が救われつつある。魔王としてこれまで魔族の誰の役にも立てずにいたメトゥスが、初めて誰かの役に立てたのではないかと感じ始めているのだ。

 なのに、その救われつつある者がこのまま放置される事で死んでしまったら、なんか、悲しい。元の世界に帰す事で、再び病んでしまったら、と思うと、それもまた、悲しい。

 どうすれば良い? と、メトゥスは考えた。剣を構えた体勢のまま考えた。かなり真剣に考えた。

 どうすれば彼女を再び病ませる事無く、殺す事も無く、己の魔王としてのなけなしの面子も保つ事ができる?

 こうして考えている間に逃げられるんじゃないかと思わなくもないが、幸か不幸か優音はメトゥスを警戒しているのかどうでも良いのか、動く気配が無い。だから、考える時間はそれなりに確保できた。

 そして、かなりの時間考え続けて。メトゥスは遂に結論を出した。そしてそれは、魔王が導き出した結論としては、いささか耳を疑うものだった。

「こうしましょう。僕は貴女を殺しませんし、元の世界にも帰さない。そして、僕が住む魔王の城で、一緒に暮らしてもらいます」

「……は?」

 初めて、だろうか。優音の感情が動いたように思える。

 ここで一気にたたみ掛けようと、メトゥスは唇を湿した。

「僕は魔王ですから、まずは人間を苦しませなければいけないんです。けど、貴女は一般的な方法では苦しむどころか喜んでしまうらしい。だから、僕の城に住んでもらうんです。魔族ばかりの中に人間が一人きりという肩身の狭い思いをしてもらいます。何なら、掃除とかの労働もしてもらいます。ちなみに、僕は魔王でこの世界では一番発言権があって、貴女は僕によってこの世界に連れてこられた人間ですから、誰にも拒否権はありません。僕がそうすると言ったら、そうするんです」

 一気にまくし立てて、メトゥスは「はー……」と息を吐いた。その様子に呆けながらも、優音は呟いた。

「……まぁ、元の世界に戻らなくて済むなら、それもアリかもしれないわね……」

 アリなんだ。そう言い切れてしまう程、今までいた世界が嫌なんだ。

 驚きを通り越して、呆れた顔でメトゥスは優音を見た。その顔があまりにもまぬけ面だったから。優音は、思わずクスリと笑った。

 その顔が、何だか可愛くて。メトゥスは更に呆けた顔になった。見惚れたとも言う。

「それで? 具体的に私は、何をすれば良いの?」

 問われて、メトゥスは「あー……えー……」と曖昧な言葉にならない声を発した。如何せん、優音を殺さない、病ませない、魔王としてのなけなしの面子を保つ、の三点しか考えていなかったため、何をさせれば良いのかなど何も思い付かないままだ。

「とりあえず、僕と一緒に来てもらいまして……」

「それはもう聞いたわ。どういう体で連れ帰るの?」

「……と、言いますと?」

 問うと、優音は呆れた顔をする。

「さっきの私を連れ帰る理由、どうせ苦し紛れに即興で作ったんでしょう? 殺すはずだった人間を連れ帰って、あなたの臣下とやらに何て説明するつもり?」

「……あ」

 まるで考えていなかった。それが伝わったのか、優音は更に呆れた顔をする。

「じゃあもう、これでどう? 人間の世界を支配するために、まずは敵となる人間を知り尽くす必要がある。魔王の城で飼って、生態を観察する。人間の世界を調べていて理解できない事があれば説明させる。それだけで納得してくれるとは思えないけど、何も考えずに帰るよりはマシでしょう?」

「まったくもって、仰る通りです……その設定でお願いします……」

 情けないと思いつつ、メトゥスは優音に頭を下げた。そんなメトゥスに、ため息を吐きながら優音は問う。

「ところで、いい加減あなたの名前を教えてくれない? それとも、魔王だから名前を知られるわけにはいかなかったりするわけ? まさかこの流れで、魔王様と呼べ、なんて言わないわよね?」

「……あ、はい。僕もその呼ばれ方は遠慮したいです。……そうですよね、名前もまだ名乗ってなかったんですよね……」

 メトゥスの方は、事前に色々と調べていたため、優音の名を知っていた。だから、既に互いが互いの名を知っているものだという気になっていた。

 咳払いをして、「失礼しました」と呟く。

「僕は、メトゥス、と言います。この魔族の世界にはファミリーネームがありませんので、これが僕の名前の全てです、ナカハシユーネさん」

 そう言うと、優音は「ふぅん」と呟いた。

「薄々そんな気はしてたけど、やっぱり私の名前は把握してるのね。けど、さん付けは止した方が良いんじゃないの? 示しがつかないんじゃない?」

 一々、指摘が的確だ。そう思いながら、メトゥスは「そうですね……」と呟いた。

「では、ユーネ、と呼んでも良いですか? 僕の事も、メトゥス、で良いですから」

「示しがつかないんじゃないの、って指摘、聞いてた? 私があなたを呼び捨てにしたら、結局示しがつかないでしょ」

「そうかもしれませんが、そこは『魔族に反抗的な態度を取る人間を捕らえて観察する事で、今後似たような人間が現れた時の対処法を考える』みたいな感じの設定でお願いします。『殺せば済む』みたいな事を言われたら、奴隷にする人間が足りなくなるから駄目だとでも言っておきますから」

 あとはなけなしの魔王の威厳で何とかします。そう言い切ったメトゥスに、優音は「わかった」と頷いた。

「かなり心許ない気がするけど、とりあえずそういう事で良いわ」

 優音のその言葉に、メトゥスはホッとした顔をする。いつの間にか、構えていた剣は下ろしていた。いつ、どうやって下ろしたのかも覚えていない。それだけ、彼女との会話に集中していたという事か。

 頷き、メトゥスは優音に向かって右手を差し出した。

「それじゃあ……不便をおかけする事もあるかと思いますが。これから、よろしくお願いします、ユーネ」

 差し出された右手に、優音は少し戸惑う様子を見せた。それから、躊躇いがちに彼女も右手を差し出す。

 緩く握手を交わしながら、彼女は呟くように言った。

「えぇ……よろしく、メトゥス」











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