僕と私の魔王生活











 メトゥスと優音が魔王の城に着いた頃、空は薄らと白み始めていた。

 魔族の世界、魔王の城というからどんなおどろおどろしい世界と城なのだろうと優音は思っていたが、空が白んで明るくなり始めた辺りを見渡してみれば、元の世界の森と大きな差は無い。ただし、元の世界でもこの規模の森に一人で入れば、遭難は必至だろうと思う。鬱蒼としていて、〝何か〟が住んでいそうだと思わせるには充分だった。

 魔王の城は、大きかった。

 国内屈指のテーマパークに聳えている城型施設は勿論、以前海外旅行で訪れたヨーロッパの本物の城よりも大きい。敢えてヨーロッパ系統の城とばかり比較しているのは、魔王の城の見た目がそれに近いからだ。優音が知っているそれらの城と比べて、城を形作っている石が黒ずんでいるような印象はあるが。

 全体的に黒ずんでいて影を背負っているようで、ついでに辺りの空気も朝である事を差し引いても湿っているように思えて。その辺りは、少々魔王の城っぽい。ただし、魔王の城と言われて思い浮かべる城を比べると、ややさっぱりしている気もする。

 上空では、カラスらしき鳥の群れがギャアギャアと姦しく鳴いている。暗いうちは鳴き声が聞こえなかった事を考えると、魔族の世界でも鳥は夜が苦手らしい。

 ひと際体が大きい一羽が、群れを離れて舞い降りてきた。それに気付いたメトゥスが「クロ」と短く声をかける。どうやらこの大きなカラスらしき鳥、クロという名前らしい。安直だと思わなくもないが、言ったところで何がどうなるわけでもないので黙っておく。

 カラスらしき鳥――クロは差し出されたメトゥスの右腕にふわりと留まる。黒々とした羽根には艶があり、肉付きが良い。素人目にもわかるほど、美しい姿だった。

 メトゥスの腕に落ち着いたクロは、くるりと首を巡らせて、メトゥスに顔を向ける。そして嘴を開くと、カラスのような見た目からは想像できない美声で言った。

「おい、メトゥスの坊ちゃんよー。その娘っ子はどうした? 殺すんじゃなかったのか? お前、一人でできると言っといて、結局最初の獲物を殺す事もできなかったのかよ。え?」

 渋くて良い声をしているのだが、口は悪い。そんなクロに、メトゥスは目を白黒させながらも言う。

「ちっ、違いますよ! 殺そうとしたんですが、どうにもこの人、普通の人間と何か違うし、ついでに反抗的ですし! こういう人間が多いようならこの先面倒だと思ったので、まずは城で飼ってみて、生態観察をしようと思ったんです。行動パターンとか弱点とかがわかれば、この先の侵攻が楽になるでしょう?」

「捕虜って事か? じゃあ、なーんで拘束してねぇんだ? その娘っ子、拘束されてねぇのに、逃げようとする素振りも見せねぇじゃねぇか」

 しまった、そう言われればそうだ、と。メトゥスは心の中で舌打ちをした。いくら何でも、捕らえた相手を拘束すらしていないのは不自然過ぎる。ユーネも、あれだけスパスパ指摘していたのに、なんでよりにもよってこんな大切な事を指摘してくれなかったのだろうか、という考えが頭をちらりと過ぎったが、そもそもは殺すはずだった捕虜からそんな指摘が出てくる事を期待する事自体がお門違いだと気付き、首を横に振る。

 そんなメトゥスの横で、優音はジッとクロの様子を見詰めている。何を考えているのか、その表情からは汲み取れない。

 思考が読み取り難い優音と、目を白黒とさせているメトゥスと。そんな二人を交互に見比べてから、クロは馬鹿にするような声でメトゥスに言う。

「この娘っ子、どうにも感情が希薄みてぇだな。……って事は、お前の事だから、どーせこんなところだろ。殺そうとした娘っ子が予想に反して大した反応を見せねぇものだから、これをこのまま殺すのは魔王としてどうなんだろう、とか余計な事考えてるうちに色々と余計な情報まで取り込んで、情も相まって殺せなくなった。違うか?」

 付け焼刃の設定が、ろくに使う場面も無いままに剥がれ落ちていく。何でそこまでわかるんだ、と言いたげに、メトゥスは顔をくしゃりと歪めた。すると、クロは呆れ返った声で言う。

「何年お前の使い魔やってると思ってんだ? お前が何考えてるかなんてお見通しだっての。あと、カラスの賢さナメんじゃねぇぞ」

 ここで優音は、「あぁ、この鳥はカラスに似た何かではなくてカラスなのね」と場違いな事を考える。自分でも何故ここまで冷静でいられるのかわからず、不思議なぐらいだ。

 そして、ぼんやりと己を見詰める視線が気になったのだろう。クロが、優音に視線を向けた。そして、値踏みするようにじっくりと彼女を観察する。

 その値踏みするような目が、次第に訝しげになり、最後は首を傾げるまでに至った。

「……クロ?」

 不思議そうなメトゥスの呼びかけに、クロは「いや……」と呟く。

「何でもねぇ。それよりも、メトゥス。この娘っ子、城で飼うっつーんならまぁ別に反対はしねぇんだがな」

「え、反対しないんですか?」

 驚くメトゥスに、クロは「うるせぇ」と一喝する。

「とにかく、だ。これだけは今すぐ考えろ。この娘っ子、城のどこで、どう飼うつもりだ? 牢に繋ぐのか? 豚小屋にでも放り込むのか? はたまた、客室に軟禁でもするのか?」

「え、普通に客室のつもりでしたけど……」

 瞬時に、クロの嘴がメトゥスの額を襲った。

「あ痛っ!」

 額を押さえて呻くメトゥスに、クロは「ケッ」と言う。

「馬鹿かお前は。この城に最後に客が泊まったの、何年前だと思ってるんだ? 宿泊客の予定でもなきゃ、客室の掃除なんてろくすっぽやりゃしねぇんだぞ、召使いは。数日かけなきゃ、誰ぞが泊まれるような状態じゃねぇぞ、どの客室も」

 城の主なら部屋の状態ぐらい把握しておけ馬鹿、とクロに言われて、メトゥスは申し訳なさそうに頭を掻く。

「けど……そうなると、どうしましょう? 牢や豚小屋は論外ですし、かと言ってユーネを住ませても良さそうな部屋は……」

「言い出したお前が真っ先に〝飼う〟って言わなくなるのかよ。……まぁ、良い。別に住めりゃあ良いんだろう? なら、客室以外にもあるじゃねぇか」

「……え、どこですか?」

 首を傾げて問うメトゥスに、クロは再び「ケッ」と言う。

「お前の部屋に一緒に住ませりゃ良いだろうがよ。魔王の部屋だけあって広いし、同じ部屋なら生態観察もし放題だ。そうだろう?」

「えぇっ!」

 途端に、メトゥスが顔を真っ赤にして叫んだ。何故彼が真っ先に叫んでいるのだろう、とぼんやり考えながら、優音は事の成り行きを見守っている。

「だっ、駄目ですよ! いくら捕虜という体だからって! ユーネは女性ですよ! 男と女が同じ部屋に住むなんて! 何かあったらどうするんですか!」

「寧ろ何かしろよ、魔王なんだから」

 ジトリとメトゥスを睨みながら、クロは無情な事を言う。

「こっちは人間界に侵攻しようとしている魔王で、相手は捕虜にした人間。基本的に魔王や魔族ってのは残虐で冷酷で非人道的なのが定番で、それを求める者も少なくない。何を躊躇う事があるんだ? 力尽くで手籠めにして、一晩中啼かせてやるぐらいの事はしてみろよ」

「サイテーですよ! その発想はサイテーですよ、クロ!」

 顔から赤みが一切引かないまま、メトゥスは必死にクロを罵っているが、クロの方はどこ吹く風だ。あぁ、これは本当に……魔王らしくない。

 しかし流石に、魔王なのに無害そうとはいえ男女同室下手したら同衾は避けたい、と優音は思考を巡らせた。

 この様子なら、メトゥスは何もしなくとも何もしてこないだろう。とりあえずは、クロに卑猥な煽りを止めさせる事さえできれば良い。捕虜の体で来たとは言え、この様子なら口を挟む余地はありそうだ。

「……この魔王、勢いに任せて同意なしに事を済ませたら、後で罪悪感でいっぱいになって自殺しかねないと思うんだけど。使い魔としてそれは良いの?」

 試しにそう言ってみると、クロは「ぐっ……」と息を呑んだ。どうやらこのカラス、口は悪いがメトゥスに対してそれなりの愛着はあるらしい。死なれたら嫌だ、という感情が、クロが言葉に詰まった事で生まれた間から伝わってくる。

 そしてクロは、コロッと掌……否、羽根を返した。

「……メトゥス。良いか、この娘っ子の事が気に入ったとしても、同意なしに手を出したりするんじゃねぇぞ? お前、そういうガラじゃねぇからな!」

「出しませんよ、何言ってるんですか! ……と言うか、僕の部屋にユーネが住むのは確定なんですか?」

「他に無いんだから、仕方無ぇだろう。嫌ならさっさとこの娘っ子を殺すか、人間の世界に戻しちまえ」

 そう言われてしまっては、反論ができないのだろう。メトゥスは情けない顔で「わかりましたよ」などと言っている。そして、恐る恐る優音の方を見た。

「……そういうわけで、ユーネ。ユーネには僕の部屋に一緒に住んでもらいます。室内での身の安全は僕が保証しますけど、その……部屋の中を見て、笑わないでくださいね……?」

「そういう事言うなら、普段から片付けとけ、馬鹿!」

 クロの言葉に肩を竦め、メトゥスは間が悪そうに優音を見る。そして、何を思ったか苦笑すると、両腕を広げ、優音に言った。

「えっと、改めまして……魔王(ぼく)の城へようこそ、優音。これから魔族に囲まれて生活するようになって、苦しい事もたくさんあるかもしれませんが……後悔、しないでくださいね?」

 そう言って、初めて魔王らしくニヤリと笑う。どこか無理をして作っているようなその笑顔に、優音も口元だけでニヤリと笑って返して見せた。

「……上等だわ」

 どんな生活でも、きっと元の――人間の世界での生活よりも、自分にとってはマシなはずだ。直観でそう感じながら……優音は、挑むように魔王の城に向かって一歩、踏み出した。












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