平安陰陽騒龍記~父娘之巻~




















京の西半分に位置する右京は、東側の左京と比べるとやや治安が悪く、荒れた邸が多い。人が出ていき荒れた邸が増えたから治安が悪くなったのか、治安が悪くなったために人が出ていき荒れた邸が増えたのかは、定かではない。

そんな右京にある、荒れ果てた邸のうちの一つ。弓弦達は、そこに連れて行かれた。三人とも後ろ手に縛られ、塗籠の中へと追いやられる。

「……龍の姿に転じる事ができれば、こんな輩どもなど取るに足らない存在でございますのに……」

悔しそうな声で、弓弦が言う。ここのところ、龍脈から神気を補充する機会が無かったのだろう。龍の姿になるには、力が足りぬようだ。

弓弦の横では、紫苑が額に青筋を浮かべている。末広比売はぐずぐずと泣きながら、何度も「おとうしゃん、刀海のおじしゃん……」と頼りになる者達を呼んでいた。

そして、その様子を眺めながら人攫い達は……。

「……やべぇ。酔ってたとは言え、何で昼間っから人攫いなんてやっちまったんだ……」

どうやら全員がこれまで酔っていたらしく、今になって全員が青褪めていた。

恐らく、人攫いや夜盗の類は普段から行っているのだろう。そして全員で飲んだくれ、酔った事で気が大きくなり、いつもなら人目を忍んでやるような悪事を、白昼堂々大衆の目が集まっている中で行ってしまった、と。

「絶対顔、見られてるよな……」

「右京の方に逃げてきたのも、目撃されてるよな……」

「検非違使来るかな……来るよな、多分……」

男達は口々に不安を言い合い、そして全員で頭を抱えている。その様子に、弓弦と紫苑は本気で呆れ返った。

「……栗麿以上の馬鹿って、この世に存在したんだね……」

「まことに……。栗麿めとは、また種類の違う馬鹿のようでございますが……」

囁いたつもりだったのだろうが、紫苑は声が大きい。加えて、男達は現在己の仕出かした所業で不安を感じ、神経がやや過敏になっている。残念ながら、二人の話し声は男達に聞こえてしまったようで。

男達の目が、凶暴な光を帯びた。その光は、彼らが自暴自棄になっている事を嫌でも教えてくれる。

「どうせ捕まるなら、最後に美味しい思いをしておくか?」

「やるか?」

「犯すか」

目だけで彼らは、そう語った。それに気付かぬ弓弦と紫苑ではない。自分達の置かれた立場を改めて理解し、身を強張らせた。

男達の血走った視線と、薄汚い手が三人に迫る。身を捩らせて何とか躱すが、手の自由を奪われ、既に塗籠に追い詰められている身。男達の毒牙にかかってしまうのも、時の問題だ。

再び、男達の手が迫ってくる。弓弦と紫苑は思わず目を瞑り、末広比売が泣き叫んだ。その時だ。

「ふごふっ!?」

空気を思い切り吐き出すような声を発しながら、男が一人吹っ飛んだ。男は勢いよく柱に激突し、ズドンという音がする。

そして、吹っ飛んだ男がそれまで立っていた場所に、見慣れた姿が現れた。

瑠璃色の水干を纏った、大人と比べるとやや小柄な体躯。ぼさぼさの髪の毛を首元で括っている。

「葵様!」

「葵!」

「おとうしゃん!」

名を呼ばれ、葵が弓弦達の方へと向き直った。その髪は燃えるような赤色で、目も赤みを帯びた茶色へと転じている。極めつけに、「大丈夫?」と問う代わりに、「ん!」と唸った。現在、勢輔が主導権を握っているようだ。

「な、何だこいつ!?」

「検非違使……じゃねぇな」

「何だこの色……。ひょっとしてこいつ、化けも……」

「そこまでだよ」

男達が葵に向かって暴言を重ねようとしたのを、制止する声が降りかかった。その声に、紫苑が「あっ!」と嬉しそうな声をあげた。視線を巡らせれば、弓弦も顔を明るくする。

「父様!」

「父上様!」

二人の声に応えるように、惟幸と荒刀海彦が屋内へと上り込んでくる。男達がたじろいだ瞬間、更に三人の男が倒れた。背後から倒したのは惟幸の式神、明藤、暮亀、宵鶴の三人だ。

式神達は男達にはそれ以上目もくれず、難無く弓弦達三人を惟幸達の元へと導いた。娘達を背後に庇い、葵、惟幸、荒刀海彦の三人が人攫いの男達を睨めつける。

「さてと……僕の娘に、随分と怖い思いをさせてくれたみたいだね……」

「我が娘を辱めようとは……その罪、到底許せる物ではないな」

「……」

葵がどう思っているのかだけは、勢輔が表に出ている事からわからない。……が、その目は怒りに満ちており、それを宥める様子も無いという事は、葵自身も相当立腹しているという事か。

「ちょ……父様? 目が怖い、よ……? そんなに怒ってたら、また鬼がぞろぞろ来ちゃったりとか……」

「あとから全部調伏するから、心配要らないよ」

紫苑に向かっている時だけ優しい笑顔になるのが、逆に怖い。

荒刀海彦は腰から黄金造と思わしき太刀を抜き放っているし、勢輔が表に出ている葵は勢いをつけるべく何度も右足で床を蹴っている。

惟幸が数珠を取り出し、男達に向けて突然印を切った。

「臨める兵、闘う者、皆陣破れて前に在り!」

「って、人に向けてやっちゃって良いの、それ!?」

良くないと思います。……と、いつもなら言ってくれるであろう葵は、今現在惟幸と一緒になって激怒している。恐らく、勢輔の力を借りずに彼自身が戦うとなれば、彼も惟幸と同じような行動を取る事だろう。

紫苑の問い掛けは、誰からも答を得る事無く。宙へと消えた。その間に、強烈な衝撃波が発生し、男達へとぶつかっていく。屋内に、悲鳴が響き渡った。それを合図に葵と荒刀海彦が突進し、男に体当たりして突き飛ばし、あるいは太刀で男の腱を斬る。

男の数が一人二人となった時、葵の目と髪が黒くなった。だが、それは戦いを終えたためではない。

これまでとは打って変わって怒りを消した無表情のまま、葵は懐から短剣と一枚の符を取り出した。手早く符を短刀の柄に巻き付け、そして叫ぶ。

「疾く伸びよ! 急急如律令!」

叫ぶや否や、短刀の刀身が一気に伸びた。刃は太刀ほど長さになったところで伸びるのを止め、それを葵は構える。荒刀海彦も太刀を構え直した。葵と同じ術を使ったのか、いつの間にか惟幸も太刀なのか元は短刀なのかわからぬ刃を構えている。更に、男達を惟幸の三式神が取り囲んだ。

明らかに、やり過ぎだ。

「……弓弦ちゃん。これ、止めれると思う?」

諦めきった表情で紫苑が問えば、弓弦は静かに首を横に振る。紫苑は「だよね」と力無く呟き、その横では末広比売が無邪気に葵達の応援をしている。

「ひぃぃぃっ! 悪かった! 悪かったから!」

「もうその女どもに手は出さねぇよ! だから助けてくれっ!」

悲鳴をあげる男達を、葵達は静かに睨んだ。そして、三人、声を揃えて叫ぶ。

「誰が許すか!」

そうして、三人全員が一気に床を蹴る。ひときわ大きな悲鳴が、辺りに響き渡った。

そんな中、紫苑達は……。

「父様、葵ー? 殺さないようにねー?」

「父上様、葵様。今後の体力を考え、あまり無茶をなさいませぬよう」

「おとうしゃん、刀海のおじしゃん、これしゃん、がんばれー!」

釘だけ刺しておき、あとは諦めて傍観に徹しているのだった。









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