平安陰陽騒龍記~父娘之巻~
10
妙に静かな簀子縁で、隆善と虎目、おまけに栗麿はこれまた静かに酒を飲んでいる。表情は、全員ぎこちない。
「あの、瓢谷……? 紫苑達が心配は心配なんでおじゃるが……止めなくて良かったんでおじゃるか、あれ?」
沈黙に耐え切れなくなったのか、栗麿が口を開いた。隆善はいつもの癖か栗麿をひと睨みし、それから「あぁ……」と唸るように呟いた。
「別に構やしねぇよ。面倒事を起こしたりしなけりゃな」
「いや、もう充分面倒事になっている気がするでおじゃるよ?」
珍しく栗麿がおかしな点を指摘している。それに対して隆善は
「俺が巻き込まれたりしなけりゃ、面倒事には含まねぇ」
などと言っている。栗麿が納得のいかない顔をしていると、彼は更に「まぁ……」と呟いた。
「あいつらもたまには、発散する場が必要だろうしな」
「発散……でおじゃるか?」
首を傾げる栗麿に、隆善と虎目は声を揃えて「考えてもみろ」と言う。
「おみゃー……葵が本気で怒っているところ、今までに見た事あるかにゃ?」
「……無いでおじゃるな。葵は優しい子でおじゃるから」
だから先ほどの葵の様子を見て酷く驚いた、と栗麿は言う。
「じゃ、惟幸が怒り狂ってるところはどうだ?」
隆善に問われて、栗麿は少しだけ考えた。そして。
「それも無いでおじゃるな。鬼に対して厳しかったり、葵や紫苑が無茶をした時に怒っている様なら見た事があるでおじゃるが……周りへの被害が甚大になりそうな怒り方をするところは、見た事が無いでおじゃる」
すると、隆善は「だろう?」と呟き酒を口に運んだ。
「あいつらは基本的に、くだらねぇ事で怒るのが下手なんだよ。特に、葵な。あいつは人が好過ぎて、大抵の事は相手の事情を考慮し許しちまう。ついでに、何かあると気の短い俺や紫苑が先に怒り出すから、あいつは怒る機を失しがちだ」
「自分が短気で怒りっぽいっていう自覚はあったんでおじゃるか……」
「うるせぇ、黙って聞け馬鹿」
短い言葉で栗麿を黙らせ、隆善は話を続けた。
「まぁ、そんなわけだからな。本人に自覚は無くても、葵は結構色んな物を己の内に溜め込み過ぎてる。毎晩のように鬼に襲われて睡眠を削られ、元服からも京からも逃げたっつー負い目を感じている筈の惟幸もな」
惟幸が負い目を感じているかどうかは不明だ。負い目を感じる程度には責任感を持っていて欲しいという隆善の願望だろうか。
「荒刀海彦はどうにゃんだろうにゃー。葵や惟幸と違って、怒りを感じたら即座に発散するタイプだけどにゃー」
「常に葵の中にいる状態で、滅多に自分の好きなように動けねぇんだぞ?」
「……麿なら、耐えられないでおじゃるなぁ……」
とにかく、あの三人は普段溜め込んでいる鬱憤をこの機に発散した方が良い。全員でそう結論付け、再び静かに酒を飲み始めた。
「っつーか、荒刀海彦が全力で暴れたら、どうにゃるんにゃ? 今は葵の髪をすき込んだ紙で作った形代を憑代にしているが……荒刀海彦が暴れれば、当然形代が持つ葵の気配は……」
「薄くなる。最終的に体力切れならぬ気配切れで、顕現解除。荒刀海彦の魂魄は形代から離れて葵の元へ……ってとこだろうな」
弓弦には悪いが、どの程度暴れれば限界が来るかの実験にはなるか。そう言って、隆善は酒の残りを飲み干した。そしてすぐに注ぎ足し、黙々と飲み続ける。どうやら、これ以上喋る気は無さそうだ。
二人と一匹は揃って、黙々と飲み続ける。気のせいだろうか。どこからか、男の叫び声が幾色も聞こえたように思う。
何も聞かなかった事にして、今後あの親馬鹿達をくだらない事で怒らせる事が無いようにしようなどとぼんやり考えつつ。二人と一匹はただひたすら、酒を飲み続けた。
(了)