アフレコ倶楽部大宇宙ボイスドラマノベライズ
平安陰陽騒動記
2
「化け物……ですか?」
ところは、とある中流貴族の姫君が住まう邸。心地よい風が吹き通る寝殿で、帳台座するこの邸の主に向かい。依頼があると呼び出された瓢谷隆善は、眉をひそめた。すると、御簾で姿を隠した女主人に代わり、帳台の前に控えていた女房が激しい勢いで首を振る。
「はい。昨夜、この邸の者達で月を愛でていましたところ、熊ほどもある大きさの、蜘蛛の化け物が……。もう、恐ろしくて恐ろしくて! ……そこで、近頃巷で評判の陰陽師、瓢谷隆善様に、何とかして頂けないかと思いまして……」
女房の言葉に、一瞬だけ隆善が面倒臭そうな顔をしたであろう事は、想像に難くない。隆善の背後に控えている紫苑には、その顔が見えるようだ。
「それで……被害は? どのような……」
「はい、その化け物が姫様に襲い掛かった時には、どうなる事かと思ったのですが……あわやというところで急に向きを変えて、引き返して行きまして。これはきっと、姫様が毎日お経を唱えていらっしゃるから、仏様が助けて下さったのでございますねぇ」
女房の話は、自己完結しているように聞こえる。そろそろ隆善が
「あ、では調伏などしなくても問題はございませんね。それでは」
などと言って立ち上がり、本当に帰ろうとしてしまうのでは……と紫苑が不安に思い始めた頃だ。
「ですが、また襲われるような事になった時、次も無事に済むとは限りませぬ」
御簾の向こうから、落ち着いた女性の声が聞こえた。どうやら、この邸の主である姫君の声だ。
「邸の者達も怯えております故、瓢谷様にあの化け物を探しだし、退治して頂きたいのでございます」
「姫様も、このように仰っておられます。勿論、お礼は致しますので……瓢谷様、それに、お弟子様も。何卒、当家を……姫様をお救いくださいますよう、お願いいたします!」
姫に直訴され、女房に頭を下げられて。どうにも断り辛くなったらしい隆善は、姫達には気付かれぬほど小さく微かな声と動作で、ため息をついた。
「わかりました。それでは、まずは邸の中を拝見しとうございます。その化け物が、何か痕跡を残していないか……調べてみようと思いますので」
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あまり期待はしていない、やや気の抜けた様子で、隆善と紫苑、そして虎目は、邸の中を探索した。水瓶の中を覗いてみたりしながら、紫苑は首を傾げる。
「それにしても……師匠。何でその化け物、途中で帰っちゃったんでしょうね? 別に、何か邪魔が入ったわけでもないみたいですし……」
「さぁな。……それよりも、紫苑。これ、何かわかるか?」
何かを見付けたらしい隆善が、右手を紫苑に突き出してくる。その手の上に載せられた物を見て、紫苑は眉をひそめた。
「……これ……虫の翅、ですか?」
隆善の手に載せられていた物は、薄くて透明な物だった。紫苑の答は正しかったのだろう。隆善が、頷いた。
「だが、ただの虫の翅じゃない」
「え?」
目を丸くして、紫苑は再び虫の翅を見た。だが、何がどう違うのか、紫苑にはわからない。
「……何だろ。虎目、これ……普通の虫の翅と何が違うか、わかる?」
すると、虎目は、翅の近くで鼻をフンフンと鳴らし、そして臭そうに顔を顰めた。
「ふぅむ……呪術に使った臭いがするにゃ。それも、かにゃり臭い」
「呪術? 虫の翅で、呪術って……それって……」
「蠱毒、だな」
頷き、隆善は翅を指先で弄んだ。
「因みに訊くが、紫苑。蠱毒が何なのかは、わかってんだろうな?」
「え? ……あ、いやー……えへへ……」
バツが悪そうに頭を掻く紫苑に、隆善は、今度は隠す事もせずに大きく深いため息を吐いた。そして、虎目を見る。
「……おい、虎目」
「にゃんでオイラが……」
抗議をしかけて、するだけ無駄だとでも思ったのか。虎目もため息をついた。
「まずにゃ、蠱毒が毒の一種っぽい、という事は、にゃんとにゃくわかるにゃ?」
「うん」
紫苑が頷いたのを確認してから、虎目は言葉を続けた。
「作り方は、聞くだけにゃら、とっても簡単にゃ。まず、たくさんの虫を捕ってくる。次に、壺とかに捕ってきた虫を全部突っ込み、蓋をする。それだけにゃ」
「……それだけ?」
思わず、紫苑は声をあげた。それから、「ん?」と首を傾げる。
「でも、狭いところに虫をたくさん閉じ込めたりしたら、喧嘩をしたり、共食いをしちゃったりするんじゃ……」
「それが狙いにゃ」
胸糞悪そうに、虎目は吐き捨てた。
「密閉空間の中で、虫達は戦い、弱い相手を食ってしまうんにゃ。勝った虫には、負けた虫の恨みつらみがどんどん蓄積されていく。そして、最後に残った最強の一匹には、一緒に閉じ込められていた虫達全ての恨みが溜まっているっていう寸法にゃ。……これが、蠱毒」
特に訂正する点は無かったのだろう。隆善が頷き、補足するように口を開いた。
「この蠱毒って奴は厄介でな。虫自体が強力な呪力を持った鬼になる事もあるし、これを材料にして呪いをかける事もある。……因みに、毒って奴は、材料の草の調合法を変えれば薬にもなるが、この蠱毒は薬にはなり得ねぇ。相手を傷付ける事にしか使えねぇシロモノだ」
「そんな物が、何で……」
紫苑の疑問に、隆善は「さぁな」と言って首を横に振った。
「ま、気配を辿ってみりゃあ、こんなモンを使った、ふざけた野郎のところまで行けるだろ。……行くぞ」
そう言って隆善は虫の翅を持ったまま、門の方角へと歩き出す。紫苑と虎目は、それを慌てて追った。