アフレコ倶楽部大宇宙ボイスドラマノベライズ
平安陰陽彷徨記
3
「女の子なんだから、ねぇ……。なるほどなるほど、そういう事か」
りつの姿が完全に見えなくなってから、盛朝はどこか意地の悪い笑みを浮かべて言った。その表情に、惟幸は居心地の悪そうな顔をする。
「な、何だよ盛朝。何でそんなにニヤニヤして……」
「惟幸。お前……実は今まで、ずっと明藤をりつに憑けてただろ」
「な……!」
盛朝の発言に、惟幸は絶句した。顔を赤くしたり青くしたりしながら、口をパクパクと開閉させている。
「なんで……」
やっと絞り出した言葉にも、盛朝のにやけ顔を収める力は無い。
「明藤が、話すのは初めてとか言ったから気付いたんだ。なるほどなぁ……どんな憑け方をしたのかは知らねぇが、明藤が陰から誘導してやれば、京のどこを歩いているかもわからない俺達のところへりつを来させる事も、他の奴らが俺達を見付ける事ができないようにする事もできるよな。それこそ、旦那様が惟幸を探す占いを邪魔する事だって」
「そ、そんな事して、一体何になるってのさ……」
惟幸は警戒する姿勢を取るが、盛朝はそれを意に介しない。
「りつは俺達……いや、惟幸を見付ける事ができる。けど、他の奴らにはできない。……となれば、俺達へ毎日飯を届けるのは必然的にりつの仕事、って事になる。……そうだろ?」
「……そうだね」
惟幸は、素直に頷いた。
「お邸に戻ったら、毎日りつが飯を届けに来てくれるって幸せが無くなっちまう。……違うか?」
「……違わない」
観念したように、惟幸は頷いた。そこで、盛朝は首を傾げる。
「わかんねぇな。たしかに届けに来てもらう事は無くなるけど、お邸に戻れば毎日、好きな時にりつに会えるじゃねぇか。りつはお邸で働く、下女なんだからよ」
「けど……邸に戻れば……」
「……何?」
顔を曇らせた惟幸に、盛朝は何やら、剣呑なものを感じた。
# # #
夕闇の中、風が吹き渡る。小路を歩く人は、今や誰一人としていない。皆、己の家へと帰っていったのだろう。
うすら寒さを増したその場所で、惟幸はその場に蹲り、泣きそうになるのを堪えている。その横では、盛朝が困ったように頭を掻いていた。
「……だから、僕は……」
「帰れる可能性があっても、帰ろうとしない、か……」
「うん……」
惟幸は頷き、そしておずおずと顔を上げた。
「ごめんね、盛朝。僕が我儘を言わなければ、盛朝もさっさと邸に戻れるのに……」
すると、盛朝は笑った。笑って、惟幸の背中をパン! と叩く。
「何言ってんだ。俺はお前の従者だからな。お前のいる場所が俺の職場であって、別に俺自身がお邸に戻りたいわけじゃねぇんだ。だから、お前に考えがあって戻らねぇって言うなら、俺はそれでも構わねぇ」
「盛朝……」
惟幸の顔が、少しだけホッとしたように緩む。それに微笑み返してから、盛朝は顔をキッと引き締めた。
「言っとくけど、俺は今のままで良いと言っているわけじゃねぇからな。今お前がやっている事は、問題を先送りにして、逃げているって事に変わりはねぇ。……りつの事を諦めてお邸に戻るか、それとも、それ以外の方法を見付けるか。人生ってのは、方違えするみてぇに、嫌な事を避け続けるわけにはいかねぇんだ。……俺の言っている事、わかるよな?」
「……うん……」
そう、返事をして。惟幸はまた俯いた。
――惟幸様!
「……っ!?」
不意に、背中に悪寒を覚え、惟幸はガバリと身を起こした。これまでの消沈ぶりからは想像もできぬ勢いに、盛朝は目を見開く。
「惟幸? どうした?」
「今……りつの声が聞こえた気がして……」
そう言う惟幸の声は、震えている。カチカチと、歯が鳴った。尋常ではないその様子に、盛朝は眉をひそめる。
「りつの? ……りつが帰ってから、もう随分経つぞ。まだ声が聞こえる場所にいるわけが……」
「けど、聞こえたんだ!」
言ってから、惟幸はヒュッと息を吸った。立ち上がり、呼吸を整えて。努めて冷静に話そうとはしているが、顔色が悪い。
「……りつに、何かあったのかもしれない」
盛朝の顔にも、緊張が宿り始めた。だが、険しい顔をしながらも、惟幸を安心させるため、希望的観測を口にする。
「けど……りつには明藤を憑けたじゃねぇか。明藤が憑いてりゃ、ちょっとやそっとの災難なんて……」
「そうなんだけど……でも、何だかもの凄く嫌な予感がするんだ。……明藤じゃ対処しきれない、何かが起こったのかも……」
「な……」
流石に、盛朝も絶句した。そうこうしているうちに、遂に落ち着いている事ができなくなったのだろう。
「りつ……りつっ!」
りつの名を呼び、惟幸が駆け出した。盛朝が制止する手も、間に合わない。
「惟幸っ!」
盛朝が呼ぶ声は、惟幸の耳に届かない。あっという間に、黄昏の闇の中へと消えていく。盛朝は、「くそっ!」と毒づいた。
「無事でいてくれよ、りつ!」
そう、呟き。そして盛朝も、惟幸を追って駆け出した。