平安陰陽騒龍記 第三章









30









夜になり、やっと全員が起きた状態で顔を合わせた。

やっとと言っても、たった一日ぶりの事。それなのに、随分長い時を経たような気がする。

何があったかの報告を兼ねて皆で夕餉を取り、その後は何となく解散して好きなように一夜を過ごす事となる。

そして気付けば、葵、弓弦、紫苑に虎目、そして栗麿という顔ぶれで、囲碁の総当たり戦をやっていた。

隆善と惟幸、盛朝は、女木の誘いに応じて、少し離れた場所で月を眺めながら酒を酌みあっている。

「……って言うか、にゃんでおみゃーはニャチュラルにこっちに混ざってるんにゃ……?」

呆れた様子の虎目の視線を気にする事無く、栗麿は現在葵と対戦中である。尚、石の色は栗麿が白で、葵が黒。現在、盤面はほぼ白で埋まっている。

「意外過ぎる……」

栗麿圧勝中の盤面を、紫苑が何とも言えないという顔で見詰めている。弓弦も同様だ。

「ふっふっふ。遊びの一つもできなければ、この厳しい社会を渡り歩いていくのも難しいでおじゃるからなぁ。こう見えて、囲碁と双六、蹴鞠はそれなりにやってきたでおじゃるし、笙と篳篥もまぁまぁできるんでおじゃるよ!」

勝ち誇った様子の栗麿に、葵は素直に「すごい……」と呟いた。横では弓弦が、どうでも良いと言いたげな顔をしながら盤面を見詰めている。何とか葵が形勢逆転できる筋は無いかと探しているようだ。

「おぉっと、弓弦! 良い手を見付ける事ができても、葵への助言は駄目でおじゃるよ! これは麿と葵の、一対一の男の勝負でおじゃる!」

「遊びで何言ってるんだか……。葵、弓弦ちゃん? 遊びなんだから、少しぐらい相談しても良いんだからね?」

「っつーか、おみゃーが実は囲碁が強い事はわかったけどにゃ。子ども相手にここまでやらにゃくても良いんじゃにゃーか? いくらにゃんでも、大人気にゃさ過ぎじゃにゃーか」

「何を言っているんでおじゃるか! 子ども相手だからこそ全力を出して、世の中は甘い事ばかりではないという事を教える必要があるんではないでおじゃるか!?」

「今の葵に、これ以上の厳しさは要らないから」

「いいや、寧ろ全力で相手をしなければ、葵に失礼でおじゃる! 葵は、いつも全力で頑張っている子でおじゃるから、こっちも全力でぶつかるのが礼儀なんでおじゃる! 麿流の!」

「おみゃー流は要らにゃーわ!」

『遊びができるのはわかったが、この馬鹿の職能はどうなのだ? 子ども相手に手加減を知らぬ様子を見ていると、とても有能には見えぬが』

『まぁ、仕事はいまいちでも、愛嬌があってノリが良ければ、案外世の中渡っていけたりするもんだしねぇ』

『だからと言って、遊びで子ども相手に全力を出すのもどうかと思いやすけどねぇ……』

皆が口々に好き勝手を言ううちに、次第に葵の顔が複雑そうに歪んでいく。終いには、少しだけ頬を膨らませるまでに至った。

「あの、紫苑姉さんに虎目、栗麿? それに導方達も。流石に、そこまで子ども扱いされたくないんだけど……」

そう言った途端に、全員の目がにやりと笑ったのを葵は見逃さなかった。そして同時に、「あ、まずい」と思う。何がどうまずいのかは言い表せないが、とにかくまずい。

第一声は、紫苑からだった。

「だって、子どもじゃない。年上のボクが師匠に今でも子ども扱いされるんだから、弟の葵はもっと子どもでしょ?」

「子どもにしか聞こえない、稚日女尊の呼びかけに二度も引っ掛かったでおじゃるしなぁ」

「一概には言えにゃいとは言え、一般的にゃ大人は、頭を撫でられて大っぴらに喜んだりはしにゃいんじゃにゃいかにゃー」

『甘えたいって意思表示を、何度もしてやしたしねぇ』

「うぅ……」

反論する事ができず、葵は思わず呻いた。その内で、荒刀海彦が深い溜め息を吐いている。

『葵、この件では完全にお前の分が悪い。これ以上厄介な事になる前に、子どもであると認めて引いておけ』

荒刀海彦の言葉に、葵は首を傾げた。分が悪いのはわかるが、厄介な事とは?

それは、すぐに葵の理解するところとなった。

「あ、けど完全に子どもってわけでもないみたいだよね。鳥辺野で、ボクは背を向けてたから見てないんだけどさ」

「あー……真っ赤ににゃってたにゃー。たしかに、子どもだったらあの場面であんにゃに真っ赤ににゃったりしにゃーわ」

紫苑と虎目の言に、葵は「ぴぎゃあ」と小さく呻いた。何を言われているのか、わからないわけがない。鳥辺野で、不可抗力で弓弦を抱きしめてしまったあの時の事を言われているに違い無い。

ちらりと横を見れば、弓弦の頬も赤く染まっている。

嫌な予感がどんどん増していき、葵は密かに、誰にも気付かれぬよう弓弦の手を取って軽く握った。弓弦が少し驚いたような顔を向けてくると、葵は視線だけで外を見てみせる。それに対し、弓弦も視線だけで頷いた。

「何? 何何? 何でおじゃるか? 真っ赤って何の話でおじゃる? 麿にも詳しく聞かせて欲しいでおじゃるよ!」

栗麿が、空気を読まずに詳細を尋ねてきた。……いや、これは寧ろ空気を読んでいるのか。葵にとっては、余計な事に他ならないが。

栗麿が興味を示した事に、紫苑と虎目がニヤリと笑う。これは、完全に年下……と言うよりも子どもをからかって遊ぼうとする時の、悪い大人の表情だ。

これ以上は、まずい。

そう判断した葵は、弓弦の手を強く握り直すと、思い切り立ち上がる。引っ張られるようにして、弓弦も一気に立ち上がった。

「弓弦、逃げよう!」

一声叫ぶや、葵は弓弦の手を引いて簀子縁に飛び出し、そのまま一目散に走り始める。葵に手を引かれるに任せて、弓弦も走り出した。

「あ、逃げた!」

「お、何でおじゃるか? 駆け落ちでおじゃるか?」

「やっぱり、青いにゃー」

にやにやと笑いながら、紫苑と虎目、それに栗麿も立ち上がり、簀子縁へと出る。そして、葵達の後を追って駆けだした。

「葵っ! 弓弦ちゃん! 待ちなさいっ!」

「甘酸っぱい話、麿も知りたいでおじゃるよぉぉぉっ!」

「いっぱい心配させたんだから、少しぐらいは遊ばせるにゃ!」

血の繋がらない姉を含む悪い大人達は、楽しそうな顔のまま、全力で追い掛けてくる。笑顔なのが、余計に怖い。

そんな彼女達から、葵達は必死に逃げる。だが、必死に逃げながらも、葵と弓弦の顔もどことなく、楽しそうに緩んでいた。












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