平安陰陽騒龍記 第三章









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「ごっ……ごごご、ごめん弓弦! いや、俺じゃないよ? やったのは俺じゃないけど、なんかもうとにかくごめん!」

「いえ、その……今まで父上様であった事は存じていますので、お気になさらないでくださいませ……」

ぱっと体を離し、顔を夕暮の空を思わせるほど赤くしながら、葵と弓弦がそれぞれあたふたと言葉をかけ合った。

それを見て、周りはにやにやと妙に嬉しそうな顔をしている。

『いやぁ、二人とも元に戻って良かったなぁ』

「真っ赤だけど、青いにゃー」

『いやもう旦那、やましい事をしたわけでなし、そこまで焦らなくても良いんじゃないですかい?』

『あの、その……ごちそうさまです』

周囲の言葉に、葵が再び「ぴぎゃあ」と短く叫ぶ。そしてその内では、荒刀海彦の魂魄が頭を抱えて「本当にあれで良かったのか……?」とぶつぶつ呟いていた。

そんな中、紫苑と盛朝に前線を任せたらしい惟幸が余裕を余裕を湛えた笑みを浮かべて葵達の許へと下がってきた。

「葵、それに弓弦も気が付いたんだね。どこか、おかしいところは無い?」

そう言って、惟幸は葵と弓弦の頭を交互に撫でる。葵はくすぐったい気持ちになる反面、内側からぴりぴりした空気が伝わってきていて気が気ではない。

どうやら荒刀海彦が、弓弦の頭を撫でる惟幸に軽く敵意を抱いているらしい。羨ましがっているとも言う。

「さて……葵と弓弦が正気を取り戻したという事は、ここからが本番だよ。……あの鬼女を説得するんだよね?」

鬼女の半分を形成している神馬の魂魄。その息子である野駆比古に、この騒動を収束するよう説得をしてもらう。その野駆比古が憑代とするのは、鬼女が気にかけている様子がある葵。この組み合わせであれば、鬼女が聞く耳を持ってくれる可能性はある。

葵は頷くと、内に宿った野駆比古に意識を向ける。

「……というわけなんだけど……野駆比古、お願いしても良いかな?」

『もちろんです。母を説得する機会を与えて頂き、感謝いたします!』

頷き合い、体の主導権は葵から野駆比古へと譲渡される。

葵の髪が平時より色素の抜けたような檜皮のような色へと変わり、目は緑がかった黒色へと転ずる。気のせいだろうか、心持ち髪の量が増えてぼさぼさ具合に磨きがかかっているように思える。

一見、普段の葵と変わらない。だが、たしかに違う。周りにそう思わせる姿となった葵……野駆比古は、ゆっくりと鬼女の方へと歩んでいく。

そんな葵を補助しようとでも考えたのか、弓弦が葵の後を追おうとする。それを、惟幸が片手で制した。

「弓弦。葵の事を心配して、力になりたいと思うのはわかるよ? けど……悪いけど、弓弦には他にやってもらわなきゃいけない事がある」

「私がやる事……でございますか?」

怪訝な顔で、葵の事を横目で何度も気にしながら、弓弦は惟幸の顔を見る。惟幸は頷くと、そこかしこでぼんやりと鬼女の事を見ている子ども達を示した。

「この子達を、安全な場所へ。見たところ、十人を少し超えるぐらいかな? これだけの人数を、鬼女から遠ざけて、危険な目に遭わないようにできるのは弓弦だけだよ」

ぼろぼろとは言え、葵には陰陽の術もあれば短刀で戦うすべもある。いざという時には荒刀海彦達の力を借りる事もできる。だが、この子ども達には戦うすべも身を守るすべも、何も無い。それどころか、鬼女の呼びかけに反応してしまい、自我すら確認できない状態だ。何かあった時、逃げる事すらしないだろう。

ならば、無理矢理にでもこの場から引き離さなければならない。どうやって? 子ども達を物のように運ばねばなるまい。

それができるのは、龍の子であり、正体を表せば空をも飛ぶ事ができる弓弦だけだ。

納得したのだろう。弓弦は悔しそうに唇を噛みながらも、頷いた。

きっと、納得した今でも、本当は葵の方へ行きたくて仕方がないのだろう。だが、子ども達を安全な場所へ移せるのは弓弦だけだと言われて、無視ができる弓弦ではない。それに、子ども達が危ない目に遭えば、きっと葵が悲しみ、悔しがる。

その気持ちを汲んだのだろう。惟幸が、優しく笑って言った。

「大丈夫。葵は無事に帰ってくるよ。弓弦が、葵の無事を願っているからね」

言霊をのせるように、ゆっくりと、優しい声で。その惟幸の言葉に、弓弦は再度頷いた。その目に、今度は葵への未練は無い。

「参ります」

静かにそう言うと、弓弦は瑠璃色の龍へと姿を転ず。それを確認して、惟幸が鋭く叫んだ。

「明藤、暮亀、宵鶴!」

呼びかけに応じ、彼の式神である三名……女官姿の明藤、老爺の姿をした暮亀、武人姿の宵鶴が姿を現す。それらに、惟幸は視線だけで指示を出した。惟幸が言わんとする事を正確に理解した式神達は、呆けている子ども達を次々に弓弦の背へと運んでいく。ついでに、虎目もその背に載せられた。

やがて、全ての子ども達を背に載せ終り。弓弦は空高くへと舞い上がった。鬼女がどのような奥の手を隠しているか知れないが、あの姿から空まで届くような何かを持ち合わせているとは考えにくい。

これで、子ども達を人質に取られる恐れは無くなった。

惟幸はひとまず安堵の息を吐くと、視線を葵へと移す。

野駆比古が表に出た葵は紫苑と盛朝の横を通り過ぎ、鬼女の眼前へと足を踏み出す。

鬼女の視線と、葵と野駆比古の視線と。三つの視線が、絡み合った。











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