平安陰陽騒龍記 第三章









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鳥辺野には、いくつもの墓が並び、その下には故人が埋葬されている。だが、火葬されて骨となった後に埋葬された者は、この地に眠る亡骸のうちのほんの一握りにしかならない。

亡骸を火葬するには少なくない燃料が必要で、それを用立てる事ができるほどの財産を持つ者だけが火葬を施して貰える。あとの者は、良くて土葬。夜中にこっそりと捨てていかれ、晒されているうちに風化したり、鳥に食われたりと……風葬、鳥葬にされる。

そして、いつしか葬送地には晒された亡骸の骨が散乱し、その骨もやがて風化して地に還っていく。

つまりこの地には……死んだ者の想いがそこかしこに染みついており、その分陰の気も強い。陰の気が強いという事は……鬼や妖の力が強くなるという事。

そのような地に、穂跳彦達は足を踏み入れた。

そして、彼らが追ってきた弓弦と他の子ども達は……墓の連なる区域の中央まで歩を進めると、ぴたりと足を止めた。

林立する墓と、自生している木々と。それらの陰から、女が姿を現した。あの鬼女だ。

狙い定めた敵の出現に、一同は緊張した面持ちで身構える。だが、鬼女は戦闘態勢に入りつつある彼らよりも、集まった子ども達に幸せそうな視線を注いでいる。

「あぁ……今夜もまた、こんなにたくさんの坊や達が帰ってきてくれた! なんと……なんと嬉しい事でしょう!」

感極まった様子で声をあげ、鬼女は子ども達を抱き寄せる。そして、一人一人の頭を丁寧に撫で、頬ずりをして、忙しなく愛情を注いでいる。何も知らない者が見れば、多くの子ども達を愛し大切にする、母親の姿にしか見えない。

だが、それは虚構であると、追ってきた者達は知っている。

『穂跳彦、一瞬で良い。替われ! 奴を我が娘から引き離す!』

体内で荒刀海彦が怒鳴り、葵の目が一瞬で金色に変わる。葵の右腕に蒼の鱗が生えそろい、鋭い爪を生やした龍の腕となる。

『我が娘を離せ、稚日女!』

半身は馬の魂魄であるとはいえ、名を呼ばれたからだろう。鬼女は子ども達から意識を逸らし、声のした方へと振り向いた。それと同時に、荒刀海彦――龍の腕が、鬼女を襲う。鋭い爪は鬼女の衣を裂き、紙のように白い腕が露わになる。

荒刀海彦の爪は衣だけではなく肉も切り裂いた感触があったのだが、血は流れない。……いや、全く流れないではない。ただ、赤黒くどろりとした血の塊が、流れ出ると言うよりは絞り出されたかのように、地に落ちた。

『あー……こりゃ、鬼に転じる際に、死骸を憑代にしたかな。神の荒魂が憑いて鬼になった事で表面は綺麗になってるけど、中身は腐った死体のままみたいだ』

「表面は取り繕えても、中身は腐ったまま……まさにこの女そのものだな」

弓弦をはじめとする子ども達と鬼女の間に体を滑り込ませた荒刀海彦が、弓弦を背に庇いながら吐き捨てるように言った。その様子に、紫苑が「ちょっと!」と怒声を発する。

「葵の顔で過激な言葉を使わないでよ、荒刀海彦! 葵に変な影響出たらどうすんの!」

「む……すまん……」

「当の葵は今鬼女の術中で、どんにゃ発言をしても聞こえてにゃさそうだけどにゃー」

軽い言葉を交えているうちに、荒刀海彦の前に紫苑と惟幸、盛朝が並び立つ。

「さて。それじゃあ後は、僕達に任せて」

「葵と弓弦ちゃんの事は頼んだよ? 荒刀海彦、虎目!」

言うや、紫苑が数珠を構えて駆け出した。そして、鬼女との距離が目と鼻程になるや、懐から取り出した符を何枚も同時に投げ付ける。

「疾く爆ぜよ! 急急如律令!」

唱えると同時に、紫苑は素早く元の位置へと跳び退る。符は派手な閃光と音を放ちながら、鬼女の周囲で全て爆発した。

「おい、紫苑……何だありゃあ……」

開いた口がふさがらぬ様子で盛朝が問うと、紫苑は振り返って、輝くばかりの笑顔で言う。

「華火爆散符(かかばくさんふ)! 虎目に聞いた未来の娯楽を参考にして考えたんだよ!」

既にそういう符があるわけではなく、完全に紫苑独自の符であるようだ。後方で、虎目が呆れた顔をしている。

「……まさか、花火の話からあんにゃ危険にゃ物を作るにゃんて……。紫苑には、おちおち娯楽の話もできにゃいにゃー……。って言うか、にゃにが〝葵の前で過激にゃ言葉を使うにゃ〟にゃ。紫苑の行動の方がよっぽど過激じゃにゃーか……」

「たかよし……礼儀作法とかお淑やかさも身に着けさせるって約束はどうしたのさ……」

惟幸は額に手を当てて深い溜め息を吐いているし、盛朝も頭を掻きながら苦笑している。そして当の紫苑はと言えば……華火爆散符の出来に満足したのか、目を輝かせて両の拳を握りしめている。親の願いは何処へやら。淑やかさなど影も形も見受けられない。

そんな凶悪な紫苑の呪符攻撃を受けても、相手は鬼で、そもそもが神だ。そうそう簡単に倒されてくれるはずも無く、呪符から発せられた炎と煙の幕間から、鬼女はその姿を現す。

現れた時は普通の女にも見える姿であったのに、今は髪が白くなり、鋭い爪と牙、角が生えている見紛う事無き鬼の姿となっていた。

多少傷付いてはいるものの、どれもそれほど深刻な傷ではないように見受けられる。

「えぇ、嘘でしょ……。腕の一本はやったと思ったのに……」

「……紫苑。今度うちに帰ってきた時には、りつも交えてちょっと話をしようか……」

流石に娘の素行と発言内容と将来を案じたらしい惟幸が、真面目な顔で紫苑に言った。

「惟幸、気持ちはわからないでもないが、まずはこの鬼女を何とかしないといけないだろう? ……どうする?」

盛朝に静かに諭され、惟幸は気を取りなおして「そうだね……」と呟いた。

「腕一本、とは言わないけど、髪か、爪か……彼女の一部が手に入らないかな? 少しあるだけで、色々と捗ると思うんだけど……」

髪や爪は、陰陽師……いや、呪術を扱う全ての者にとって、個人情報の塊だ。それは、鬼や神でも例外ではないらしい。

「髪か爪か……わかった」

呟いて頷くなり、盛朝は今まで手を掛けていただけの柄を強く握りしめ、一息に太刀を鞘から抜き放った。そして、構えたかと思いきや間髪入れずに力強く地を蹴り、鬼女に肉迫する。

鬼女は慌てて鋭い爪で顔を庇ったが、いかに鬼と言えど、流石に爪よりも太刀の方が硬くて強い。鈍い色をした太刀は鬼女の爪をへし折り、更には風に靡いていた長い白髪を絡め取る。盛朝が少し手首を捻っただけで、その白髪は容易に切り取られた。

「おのれ、何をする!」

「さぁな。〝これ〟で何をするつもりなのかは、俺には見当がつかないんでね」

恐ろしい顔で鬼女が噛み付こうとすれば、盛朝はそれをするりと躱す。そして、軽口を叩きながら後ろへ下がると、今しがた手に入れたばかりの爪と髪を、後ろ手で惟幸に手渡した。

「これで良いんだな?」

「上等。あとは少しだけ、時を稼いでくれる?」

惟幸の言葉に、盛朝はにやりと笑って振り向かないままに言う。

「言われなくても!」

「ボクも加勢するよ、盛朝おじさん!」

勇ましい紫苑の申し出に、盛朝は苦笑すると「よし」と言った。

「じゃあ紫苑、さっきの符はまだあるか? あるなら……」

視線を素早く動かし、それだけで場所の指示を出す。

「そこに投げる事、できるか?」

「余裕!」

力強く頷くと、紫苑は懐から十枚ほどの華火爆散符を取り出し、扇状に広げて構える。虎目が「まだあんにゃに持ってたのか……」と開いた口が塞がらない様子で呟いているが、お構いなしだ。

「いくよ、盛朝おじさん!」

「おう、任せたぞ!」

盛朝が応じるや、紫苑は鬼女の真上、右横、ついでにどう投げたのか背後に符を投げ付け、景気よく次々と爆発させていく。

ただ一方を残して逃げ場を失った鬼女は、紫苑が起こした爆発に誘導されるように左――鬼女から見て右側へと身を逃す。そこへ、待ち構えていたように盛朝が太刀を一閃させた。

鬼女が叫ぶ。

耳を覆いたくなるその声に眉一つ動かす事無く、惟幸が何枚もの紙を空へと投げ上げた。形代だ。そして華火爆散符によって発生した炎に照らされたそれをよく見れば、小さな爪が括りつけられている。爪を括りつけているのは、白い髪だ。そう、どちらも先ほど、盛朝が鬼女から斬り落とした……。

「疾く遂行せよ! 急急如律令!」

素早く印を切り、声高らかに形代へと命じる。形代はすぐさま空高くへ舞い上がり、京へ、京の向こうへ、散り散りに去っていく。

「一体、何を……!」

盛朝に斬られた腹を押さえながら、鬼女が惟幸を睨む。その視線を真正面から受け止めながらも涼しい顔をして、惟幸は言った。

「いなくなった子ども達を探しに行ったんだよ。上手い事神域に隠したみたいだけど、隠した当人であるあなたの髪や爪があれば、話は別だからね。隠し場所を突き止めて、あとはたかよしに任せるよ。たかよしなら、陰陽寮に働きかけてそこから陰陽師を何人も動員してもらう事もできるだろうし、そこから武士達に力を貸してもらう事も可能だしね。今なら、もっと位階の高い女木少輔もそばにいるし」

これまでにいなくなってしまった子ども達の捜索と救助は、隆善と女木に任せる。惟幸達はここで鬼女を倒し、今ここにいる子ども達を無事に親元に返せれば良い。

「ただ、あなたをただ倒すだけじゃ納得しない子達がいるからね。ちょっと難しいけど、できれば話し合いの場を設けたい」

その申し出に、鬼女はくっと喉を鳴らした。

「話し合い? 坊や達を奪い、ここまで痛めつけて、話し合いをしたいと? ……ふざけるな!」

鬼女が、轟と咆えた。聞く耳を持たぬ様子に惟幸はため息を吐き、紫苑と盛朝は顔を増々険しくしている。虎目は、鬼女の気迫にやや腰が引け気味だ。

「こうなると、説得には野駆比古と葵に出て貰わないといけないかな……」

惟幸の呟きに、一同は何となく納得する。野駆比古は鬼女の半分を構成している神馬の魂魄の息子だ。だが、野駆比古だけでは恐らく足りない。何しろ鬼女は、女木邸に入る事までしたにも関わらず、野駆比古が憑いた布食を気にかける事がなかったのだから。

だから、夕暮時の女木邸でも鬼女が気にかけていた葵も話に加わる必要がある。しかし、葵は現在鬼女の術中。ついでに、弓弦も術中だ。仮に葵の術が解けても、弓弦も正気に戻らなければ葵がそちらを気にして仕方がないのでは、という懸念もある。

「まずは、葵と弓弦に正気を取り戻してもらう必要があるか……」

そう呟いて、惟幸はちらりと背後を見る。

そこには、未だ自我を取り戻さない弓弦の肩を、荒刀海彦が表に出ている葵が掴み、必死に揺さぶっている姿があった。











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