平安陰陽騒龍記 第三章
13
「……で、何があったって?」
手をぱんぱんとはたきながら、隆善は引き摺ってきた栗麿に頭上から声をかけた。外に放置する事も考えたが、外聞が悪いので仕方なしに敷地内へ入れたらしい。
問われた栗麿はと言えば、外で紫苑と隆善に大分手酷くやられたらしく、襤褸のような有様で呻いている。
「ちょっとカッコ付けたかっただけでおじゃるよぉ……。最近気になってる姫君が、気にしてたんでおじゃる。最近子どもが急に消えてしまう怪事が続いているようだけど、まだ小さい弟が同じようにいなくなってしまったらどうしようって……」
「それで? 栗麿が事件を解決して、その姫君に良いところを見せようとした、と?」
紫苑がまだ苛々が収まらぬ、という顔で問うと、栗麿は起き上がり、胸を張って「そうでおじゃる!」と言う。
「……と言ってもなぁ……怪事は今のところ、まだそれほど多くの人が知っている話というわけじゃないんでしょう? って事は、解決したところで、〝誰が解決したのかは〟噂に上らない気がするんですが……どうやって、天津様の活躍をその姫君に伝えるつもりだったんですか?」
盛朝の素朴且つもっともな疑問に、栗麿はうぉっほんと胸を張って答えた。
「それは勿論、式神を使って噂を流し、人知れず姫に伝わるように……」
「……と言うか、栗麿? その姫君が怪事を気にしてるって、どうやって知ったの?」
どこか面白そうな顔をしながら、今度は惟幸が問いを投げた。今までの話を聞く限り、栗麿とその姫君は今のところ仲良くお話しをできるような仲まで進展していない印象だ。それどころか、姫君の方は栗麿の事を知ってすらいない可能性だってある。
「それは勿論、姫君の邸に式神の黒耳(くろじ)を常駐させて……」
そこまで言って、栗麿はハッと我に返った。その話が本当なら、つまり。
「まぁた懸想した姫の邸に式神を仕掛けてストーカーしてたってわけ!? サイッテー!」
「お前がそうやって中途半端に齧った知識で半端な式神作って妙な事に使うせいで、怪事だ不吉だとうちに泣き付いてくる奴がどれだけいると思ってんだ! 人の仕事増やして自由に使える時間潰してんじゃねぇよこの馬鹿栗!」
爆発した二人に怯える事無く、栗麿はムッとした顔をする。
「何でおじゃるか、何でおじゃるか、その言い方はぁっ! 最近は舞い込んできた依頼の半分は紫苑や葵に丸投げしてるではないでおじゃるかっ! それに、そうやって泣き付かれて仕事が増えた結果、瓢谷は知名度が上がってお礼も貰えて、葵達の養育費が潤沢になっているでおじゃろう!? なら、怒るどころか、瓢谷は逆に麿に感謝するべきでおじゃるっ!」
「うっせぇ! 揚げ足取ってんじゃねぇぞ、このストーカー野郎!」
どんどん加熱していきそうなやり取りに、葵は困ったように頬を掻いた。惟幸と盛朝は苦笑しているし、弓弦は呆れ顔で極力栗麿に関わらないように距離を置いている。このままでは、今日のうちに何も事が進まなくなりそうだ。
「あー……って言うか、師匠に紫苑姉さん……栗麿が何をやったかも知らないうちに、ここまで徹底的にやり込めたんですか……?」
事情も知らずにやったとなると、やり過ぎ感が否めないほどの襤褸具合である。
「だって、いきなり大路を人の三倍はありそうな大蜥蜴と並走してたんだよ!?」
徹底的に痛めつけておかないと、その巨大な蜥蜴のような式神が何をやらかすかわかったものではなかった、と紫苑は訴える。以前にも似たような事は何度もあった。それ故に、説得力がある。
「だからって! ここまでボコボコにしなくても良いではおじゃらぬか! そう思うでおじゃろう、葵!」
そう言って葵の方を向いてから、栗麿は「ん?」と首を傾げた。
「葵、こんな昼日中に、まだ寝間着で、夜具の中でおじゃるか? 調子が悪いんでおじゃる?」
そう言って、栗麿は心配そうに葵の顔を覗き込む。
「むー……顔色が良くないでおじゃるなぁ……。夏風邪でおじゃるか? 暑くなってきたとはいえ、明け方とか、冷える時もあるでおじゃる。あまり薄着でいては駄目でおじゃるよ?」
「……栗麿が……まともな事を言ってる……」
唖然とする紫苑に、栗麿は再びムッとした。
「失礼な事を言うなでおじゃる! ……と言うか、化け猫! どうにもいつもと勝手が違い過ぎると思ったら化け猫がしゃしゃり出てきてないではおじゃらぬか! 何だって今日はこんなに静かなんでおじゃる!」
栗麿の言葉に、一同は「そういえば」と虎目の方を見た。いつもなら真っ先に栗麿に食って掛かる虎目が、今日はずっと静かなままだ。
「……虎目? どうしたの?」
黙り込んでいる虎目の顔を覗き込むようにして、葵が問うた。その心配そうな顔をちらりと見て、虎目は増々身を縮こまらせる。
どう接すれば良いのかわからず葵が眉根を寄せているうちに、その目が次第に赤いものへと変わった。その色で、葵の体の主導権を穂跳彦が握ったのだと、周りの者は理解する。
「なーんて言うかさ……虎目、落ち込んでるんじゃないか? さっきからずっと下向いてるし」
穂跳彦が葵の口でそう言うと、虎目から「う……」と声が聞こえてきた。どうやら、図星か、それに近い状態であるらしい。
「そう言えば、化野からここに来るまでの間、ずっと元気が無かったな? 俺達が着くまでの間に、何かあったのか?」
盛朝に問われ、虎目は言い難そうに口をもごもごと動かす。
「……言っちまえ。その方が、お前も葵も、楽になるぞ」
隆善に言われ、それでもしばらくの間、虎目は躊躇していた。だが、やがて意を決したように葵の方を見ると、しおれたような声で言う。
「……何も、できにゃかったんにゃ……」
何もできなかった。葵の様子がおかしく、化野に向かって一心不乱に歩き続けていた時にも。あの鬼女にされるがままになっていた時も。戦闘で傷を受けた時も、鳥が鬼女に殺されそうになった時も、葵が意識を失い連れ去られそうになった時も。
止める事も、戦う事も、逃がす事も。何もできなかった。ただ、見ているしかなかった。
「いつもにゃら、惟幸か隆善が傍にいる。紫苑がにゃんとかしてくれる事もあるにゃ。けど……オイラには、何もできにゃかった。それが、不甲斐無くて……悔しくて……」
何が保護者だ。何が未来千里眼だ。保護のできない保護者があるか。肝心な時に役に立たない未来予知に、何の意味がある。
そう言って、虎目は更に体を縮めて、丸くなってしまう。猫だと思えばおかしくない姿だが、今の虎目だと不憫さが募るばかりである。
そんな虎目の頭を、葵は優しく撫でた。
「そんな事無いよ。虎目がいてくれて良かったって、俺は思う」
そうして、少しだけ視線を上げた虎目に「だって……」と葵は言葉を継ぐ。
「俺、何があったかほとんど覚えてないからさ。虎目がいてくれたお陰で、今回の怪事に関する情報が色々と手に入ったんだし。虎目がいなかったら、今も何が起きたのか皆わからないままで、頭を抱えてたと思う。……ですよね、師匠?」
葵の言葉に、隆善は「まぁ、そうだな」と頷いた。
「荒刀海彦達が憑いてるとは言え、子どもが消えるっつー怪事に葵と虎目だけで当たらせたのは俺の差配がまずかったな。今回みてぇに葵が操られた上に荒刀海彦達が替わる事もできねぇ事態も、想定しておくべきだった」
「あんな事態になってても、虎目は葵を見捨てて逃げずに、葵の傍についててくれたよね。それで充分なんじゃないかな。……ねぇ、葵?」
惟幸の言葉に、葵は迷わず即座に頷いた。その様子に、虎目は「にゃあ……」と小さく鳴く。
その鳴き声に、ひとまずこれで虎目は大丈夫だろう、と一同は安堵する。そして、揃って栗麿に視線を向けた。
「……で? ストーキングして得た情報から怪事を解決しよう、って思ったところまではわかったけど。それが何であんな風に大蜥蜴の式神と大路を並走するなんて事になってたわけ?」
「それは、そのう……」
栗麿は、もじもじしながら手を組んだり解いたりしている。可愛くない。
「……にゃににゃに……? 怪事は子どもに起きるから、まずは子どもを用意しにゃければと思った? だけど流石に本物の子どもを使うのは人道的にまずいと思って? そこらに落ちてた子どもの鼠や雀の死骸を集めて、蠱毒を作ったと。でもって、それを媒体にして式神を作ろうとしたら、大失敗して……鬼が……?」
気を持ち直したらしい虎目が、最初こそ馬鹿にした顔で何かを読み上げるように言っていた……のだが。顔が次第に険しくなり、声が苦々しいものになっていく。
「ふぉぉぉっ! 化け猫、何で知ってるんでおじゃるかぁぁぁぁっ!?」
「こっちは早く話を進めたいんにゃ! おみゃーがいつまで経っても言いそうににゃいから、隆善達に更に絞られてゲロった未来を見てみたら、べこぼこににゃったおみゃーがこう言ってたんにゃ!」
「最終的には言うつもりだったでおじゃる! まだ心の準備ができてないのに、何で言ってしまうんでおじゃるかぁぁぁぁっ!」
「言わにゃいでいるわけにゃいにゃ! あと、化け猫って言うんじゃにゃーわ!」
「うっさいでおじゃるよ、化け猫!」
「化け猫言うにゃと言ったのが理解できにゃかったのか、この馬鹿!」
「理解しようとどうしようと、化け猫を化け猫と呼ぶのは麿の自由でおじゃるよ、この化け猫!」
「にゃんだとこの馬鹿!」
「化け猫こそ、麿の事を馬鹿と呼ぶなでおじゃる!」
「馬鹿を馬鹿と呼んで何が悪いんにゃ馬ー鹿!」
「化け猫!」
「馬ー鹿!」
「化け猫!」
「馬ー鹿!」
「化け猫!」
「馬ー鹿!」
「化け……」
「いい加減にしろよお前ら」
隆善が額に青筋を作りながら、栗麿と虎目に拳骨を喰らわせる。それとほぼ同時に、外からずずん……という地響きが聞こえてきた。
「……おい、馬鹿。お前まさか……」
隆善が顔を引き攣らせながら、栗麿を睨み付ける。栗麿は、頭を押さえながら「ふぉぉぉ……」と呻いた。
「撒ききれなかったでおじゃるぅぅぅ……」
つまり、大失敗して生み出してしまった鬼は生み出しっ放しで、調伏せず野放しにしていたという事である。これには、流石に葵や惟幸も二の句が継げない。
惟幸が、困ったような顔をして立ち上がった。
「とりあえず、僕が片付けてくるよ。葵には悪いけど、話の続きはもう少し待っててくれるかな? あ、盛朝。手伝ってくれる?」
「わかった」
そう言って、惟幸と盛朝は外へと出ていってしまう。
……制止役がいなくなった。
隆善は指で音を鳴らしているし、紫苑は右の拳を左の掌に叩きつけている。弓弦と虎目は、じとりと栗麿を睨み付けている。
これはどう見ても、これからひと嵐来る。
そう悟った葵は弓弦に目配せをすると、惟幸達が戻ってくるまでの休憩、と己に言い聞かせながら夜具を頭まで被った。