平安陰陽騒龍記 第三章



















一度外に出て、履物を履いて厩へと向かう。その間に、葵達は何人もの下男や端女とすれ違った。

すれ違って様子を見ているうちに、葵はある事に気付いた。

「ここの人達、みんな楽しそうに働いてるよね」

そう言ってみれば、虎目が「たしかに」と頷いて見せる。

「それに、にゃんだかこの邸の人間……皆が皆、小奇麗にゃ恰好をしているにゃー。他人(ひと)ん家(ち)の台所事情に口を出す気はにゃーが……この女木って少輔、こう見えて蓄財の才があったりするのかにゃー……?」

「役目上、瓢谷殿よりは多く禄を賜ってはいるだろうけれど、贅沢できるほどではないよ」

小声で話したつもりの葵と虎目だったが、しっかり聞こえていたらしい。女木が苦笑しながら言った。思わず首を竦める二人に、女木は「ほら」と言う。

「僕一人だけが綺麗な衣を着ていても、面白くないじゃないか。周りの者皆が綺麗な服を着ていれば、邸中どこを歩いていても目を楽しませてくれる。……そう思わないかい?」

だから、この邸で働く者には高直でなくともそれなりに品質の良い布が与えられる。針の扱いが得意ではない者は、雇われてまず男女の区別無く針仕事をこなす事ができるよう叩き込まれる。

布を邸の者達に気前よく与える分、食事は質素にするという。だが、肉体労働をこなしている者達の食事は必要以上に質素にしない。

「腹が減っては戦はできぬって言うしにゃあ」

「ご飯抜きになった時の力仕事、きついもんね……」

納得して頷き、再び厩へ向けて歩を進める。そして、その前に立った時、葵は思わず「わぁっ」と歓声をあげた。

厩なので当たり前だと言えば当たり前だし、そもそもそれを目的にして来たわけだが。数頭の馬が、繋がれていた。茶色い馬に、黒い馬。葦毛もいる。どの馬も大人しそうだ。

その中に、斑模様の仔馬がいる事に気付き、葵は駆け寄った。仔馬はいきなり近寄ってきた葵を怖がる様子も無く、しばらくにおいを嗅ぐようにしていたかと思うと、葵の胸に頭をこすりつけてきた。

「わっ、わっ!」

『おうましゃん、あまえんぼ!』

葵と、葵の内の末広比売が楽しげに声をあげる。そして、仔馬が頭をこすりつけてくる力に負けて、葵は思わず後ろに倒れ込んだ。

そして頭の位置が低くなった途端に、仔馬は葵の髪に食い付いた。

「えっ、ちょっと? いたたたたた……!」

よっぽど痛いのだろう。涙目になって叫ぶ葵と仔馬の様子に、女木は「おや、珍しい」と目を瞠った。

「布食(ぬのはみ)が布と食べ物以外を口にするとはね」

「布食?」

不思議そうな顔をする虎目に、女木は「うん」と頷いた。

「この馬の名だよ。この子は何故か、人の衣を口にするのが好きでね。いつも誰かしら、衣を噛まれて悲鳴を挙げているんだ。初めて市で見掛けた時からそうだったな。僕と同じように布が好きな馬なんて面白いからね。その場で買い付けたんだよ」

「ほぉう……」

「感心してないで助けてよ!」

頭を噛まれ続けている葵が悲鳴をあげ、そこでやっと女木と虎目は葵と布食を引き離した。

それは良いのだが、頭はすでに布食のよだれでどろどろである。女木が、笑いを堪えながらも馬の非礼を謝罪した。

「すぐそこに井戸があるから、洗ってくると良いよ。体を拭う為の布も、すぐに持っていかせるからね」

「ふぁい……」

馬のよだれの臭いに顔を顰めながら、葵は立ち上がった。示された井戸の方へと足を向ければ、通りかかった下男が察したように憐れむ顔を向けてくる。どうやらこの布食の噛み癖は、女木の誇張ではなく相当のものらしい。

隆善の代行とは言え、何故己はこのような目に遭っているのだろうか。何となく腑に落ちない気持ちを抱えながら、葵は井戸への足を急がせた。











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