平安陰陽騒龍記 第二章
25
「そこの人達、ちょっと待ったぁぁぁっ!」
力の限り叫びながら、葵は松明を持った男達に駆け寄った。
その声と足音に男達が振り向く。誰もかれもが、手には抜身の太刀や短刀。凶悪そうな面構えでない者が一人も見当たらない。想像通り夜盗であったようだ。
「なんだぁ、この童は? どこの稚児だ?」
「貧相な面ぁしてるが、全体的な見た目はまぁまぁだな。売りゃあ酒代くらいにはなるだろ」
夜盗達の言葉に、葵は複雑そうな顔をして肩を落とす。
「……俺はあの発想に怒れば良いのか、自分の価値が酒代分くらいしか無い事を嘆けば良いのか、どちらだと思う……?」
「そこで、己の価値を見出せにゃい、奴らの目の無さに怒りを覚えるって事ににゃらにゃいあたりが、葵だにゃー……」
隆善や紫苑、ついでに栗麿なら、「この自分にその程度の価値しか見出せないなんて、お前の目は節穴か!」ぐらいは言ってのけるだろう。
「……おい、あの童の連れてる猫、今……」
「喋った……」
葵と虎目が言葉を交わしたその短い間に、夜盗達に動揺が広がった。そこで葵は、「あ」と気付く。
いつも話をしているから意識していなかったが、虎目は人間の言葉を喋る猫だ。葵達にとっては日常的な事であっても、世間的には有り得ない事であって。つまり、夜盗達からすると虎目は。
「ばっ……化け猫だ! あの童、化け猫を連れてやがる!」
あぁ、これが本来の反応なんだな、と葵は思わず唸った。その懐では、虎目が毛を逆立てている。
「化け猫言うにゃ! 人の言葉を解し、未来千里眼を持つオイラに失礼にゃ!」
「ぎゃあぁぁぁっ! 化け猫が怒ったぁぁぁっ!」
夜盗達は、栗麿のように「化け猫を化け猫と言って何が悪い」などと言い返してはくれない。ただ、恐慌状態に陥ってしまうのみだ。
「……このまま、怖がって逃げてくれれば良いね」
葵はぼそりと、小さな声で虎目に囁いてみる。だが、虎目は不服そうな顔をしながら首を横に振った。
「世の中、そんにゃに甘くにゃーわ……」
虎目の言葉を裏付けるように、夜盗達が手の中の短刀や太刀を葵に向けて構えだした。どうやら、化け猫を怪しげな童ごと斬り捨ててしまえという方向性のようだ。
虎目の目が険しくなり、懐の中から葵に叫ぶ。
「葵、今すぐ構えるにゃ!」
ハッと顔を上げ、葵は短刀を目の前に振りかざす。本来は短刀だが、術の影響で今は太刀ほどの刃を持つ。
術で伸ばした刃は、実は本当の鋼は本来の短刀部分のみだ。それ以上の長さは、葵の術で辺りの霊気や神気を寄せ固めた物。
故に見かけ倒しで、生きている者を傷付ける事はできない。霊気の刃で触れる事ができるのは、いわゆる生きていない物。
太刀と刃を交える事はできる。植物や建物、地面に刃を突き立てる事もできる。霊や鬼を斬る事もできる。ただ、生きている者を斬る事だけができない。
その事が相手に知られてしまえば、葵は一気に不利になる。とにかく、誰も怪我をしないように時を稼げれば良いのだ。夜盗達をけん制しつつ、適当な間合いを保ちたい。
つらつらと思考を巡らせているうちに、夜盗達から刃が飛んできた。葵はそれを、太刀ほどの長さを保ったままの短刀で受け止める。ギン、と鈍い音がした。
幾筋もの刃を、葵はたった一振りで受けたまま、必死で踏ん張る。ずりずりと足が地を滑っていくのを感じながら、葵は苦し紛れに虎目に声をかけた。
「虎目……俺はこの後、どうすればこの場を切り抜けられる……?」
「……葵の体力を考えるとあまり勧めたくにゃい方法だが……荒刀海彦に力を貸して貰うのが、一番手っ取り早いにゃ。今の葵でも受け切れるにゃら、荒刀海彦の腕力が加わるだけで随分楽ににゃるはずにゃ……!」
「なら……!」
葵は素早く記憶を辿り、そして「あれだ」と呟いた。
「荒刀海彦、前に俺が、弓弦と買い物に行った時があったよね? 重い荷物がたくさんあって、俺と弓弦で荷物の奪い合いになった……」
『あったな。……あの時ほどの力加減で良いのだな?』
その問いに、葵は頷く。「それで充分」と呟き、そして夜盗達を睨めつけた。
「この童……さっきからぶつぶつと何を……」
「油断するな。化け猫を連れているような童だ。ただの童じゃねぇぞ!」
夜盗達は声をかけあい、連携を強めようとする。だが、それは無駄な事だと、彼らはすぐに思い知る事となる。
轟と風が巻き起こり、瞬く間に夜盗達の刀剣は全て弾き飛ばされた。
「……は?」
呆けた顔で、夜盗達は顔を上げる。
そこにいるのは、相変わらず懐に虎目を潜り込ませたままの葵が一人いるばかり。右手に太刀を一振り構えているのみだ。少なくとも、夜盗達にはそのように見える。
そんな彼らに、葵は刃を構えたままの姿勢で優しく声をかけた。
「えぇっと……いきなり戦う事になっちゃったから、ちゃんと確認しないままだったんだけど……この邸に押し込もうとしていた……で、良いんだよね……?」
まともな答えは期待していないが、一縷の望みをかけて問う。だが、やはり夜盗達は答えない。全員の刃を弾いた葵の――正確には荒刀海彦の剛力と、あからさまに人外である虎目に怖れを抱いている様子だ。腰が引けて、誰一人として口を開こうとしない。
葵は困ったように頬を掻き、そして刀を持つ手を下ろした。構えを解けば、あるいは話を聞いてくれる状態になるかもしれない。
「駄目にゃ、葵! 刀を構え直せ!」
突如、虎目が叫んだ。
「え?」
葵の視線が虎目へと向く。その隙に、夜盗の一人が短刀を構えて葵に突っ込んできた。もうひと振り、隠し持っていたのだ。
葵は咄嗟に虎目を懐から引っ張り出し、放り投げる。空になった懐に、短い刃が突き刺さった。
「かはっ……」
空気と血を吐き、葵は後ろへと倒れ込む。その様子に、刃を突き刺した男は震えながらも嬉しそうに仲間の顔を見た。
だが、仲間達の顔は晴れない。それどころか、青褪めている。
怪訝な顔をする男に、仲間の夜盗達は彼の後ろを震えながら指差した。男は振り向き、ぎょっと目を剥く。
葵が、短刀を腹に突き立てられたまま立ち上がっていた。その髪は雪のように白くなり、目は血のように赤くなっている。穂跳彦だ。
「……っつー……」
本当に痛そうに唸りながら、穂跳彦は葵の腹に突き刺さった短刀を無造作に抜いた。傷口から血が噴き出るが、それはあっという間に収まっていく。穂跳彦の力で、傷口がみるみるうちに塞がっているのだ。
傷が塞がり、主導権を戻したのか、葵の髪と目が次第に元の黒い色へと戻っていく。葵は腹をさすると、はー……と深い溜め息をついた。
「刺されて大怪我するし、穂跳彦に助けて貰ってまた体力消耗したし……それでなくても皆の反対振り切って来てるし……俺、これ後からどれだけ怒られるんだろ……。着物に穴も開いちゃったし……」
「自業自得にゃ。危うく死ぬところだった事に比べれば、安いもんじゃにゃーか」
顔を険しくしながら戻ってきた虎目に、葵は申し訳なさそうな顔で「そうだね」と頷く。
そんな彼らの様子に、夜盗達は腰を抜かした。
「な……な……」
「刺されても、平気な顔していやがる……」
「化け物……化け物だ……っ!」
その言葉に、葵は「え」と呟いた。
「……化け物? 俺が……?」
少し傷付いた顔をして呟けば、夜盗達は「そうじゃねぇか」と口々に叫ぶ。
「童の癖に妙な大力だわ、化け猫と親しげに話すわ……挙句、刺されても涼しい顔してるなんざ、普通じゃねぇ! 化け物じゃなきゃ、何だってんだ!」
「いや、その……たしかにちょっと普通じゃないかもしれないけど……」
困惑しながらも、葵は一歩夜盗達に近付く。だが、夜盗達は「ひっ」と短い悲鳴をあげて後ずさった。
「近寄るな、化け物!」
「俺はまだ死にたくない!」
「来るな! 来るなぁぁぁっ!」
必死に葵を拒否するその姿に、葵は胸がちくりと痛んだような感覚を得る。事情を知らぬ、取るに足らぬ者達の言葉だというのに。
雲行きが怪しいと見たのか、虎目が葵の肩に飛び乗った。そして、頬をぺちりと叩く。
「葵! にゃーんも知らにゃい連中の言葉にゃんか気にするにゃ! ……って言うか、こいつらに言われる筋合いは無いにゃ! 人の邸に押し込んで、相手を殺してでも財物を奪おうにゃんざ、人のする事じゃにゃー! 姿は人でも、こいつらの方がよっぽど化け物にゃ!」
「……うん」
頷き、葵は大きく息を吸って吐く。気持ちを切り替えて、刃を構え直した。
しかし、最早夜盗達の恐慌は収まらない。葵への怖れ、押し込みが上手くいかなかった事への怒り、彼らが普段住む世界からは想像もできなかったであろう事態による混乱。それらが渦巻き、火山の如く噴火しそうになっている。
「これは……まずいにゃ」
「うん……この気配……鬼達が好むものだよね。このままだと……」
言い終わらないうちに、ぐおぉぉぉん……と低い唸り声が遠くから聞こえてきた。獣の声ではない。もっと大きく、そして凶悪なものの声だ。声は、次第にこちらへと近付いてくる。
「……やっぱり……」
「来たにゃ……」
葵は顔を険しくし、夜盗達に背を向ける。がら空きになった背中に、混乱した夜盗の一人が先に弾かれた太刀を拾って斬りかかった。
だが、その太刀は葵の背を傷付ける事は無い。キン、という甲高い音を響かせるだけに終わった。
葵が、刃を背に回し、夜盗の太刀を受け止めている。首だけを巡らせて、真剣な眼差しで言った。
「落ち着いて。いっそ、この場で寝ちゃうぐらいのつもりでいて。……じきに、ここに鬼が来るから」
その言葉に、夜盗達は目を見開く。暗くてわかり難いが、顔が青褪めている者もいるようだ。
やがて、ずん、ずん、という腹に響くような音が聞こえ始める。ぐおぉぉん……という獣とも違う低い唸り声がどんどん近付き、頭を揺さぶられるようだ。
ずん! とひと際大きく地が鳴り、揺れた。そして、人の背丈の三倍はあろう大きな影が、いくつも月明かりに照らされて現れる。
影には、角がある。目を凝らせば、牙もある。爪は鋭く、目は鬼灯の如く赤く血走っている。
鬼だ。
夜盗達が葵や虎目を恐れる感情につられて、鬼達が引き寄せられたのだ。
数は両手で数え切れぬほど。鬼を引き寄せてしまう惟幸がいない場でこれだけの数の鬼を見るのは、末広比売が生まれたあの時以来だろうか。
「ひ……ひぃぃぃ……!」
夜盗達は腰を抜かしたまま――一度は立ち上がった者も再び腰を抜かして――がたがたと震えている。まずい……と、葵は密かに舌を打った。
「いくら夜盗でも、見捨てる事なんてできないし……。惟幸師匠みたいに、たくさんの人を守りながらこれだけの鬼を相手にするなんて、俺にできると思う……?」
「……オイラ的には、無理に決まってるから、夜盗にゃんか見捨ててとっとと逃げろ、と言いたいところだけどにゃー……」
そもそも、これだけの鬼が集まってきてしまったのだから、逃げる事自体が難しい。それなら、どちらにしても戦うより他は無い。
「まぁ、荒刀海彦の力を借りにゃくても、本来葵はそれにゃりに強いはずにゃ。真面目に修行してきたからにゃ。紫苑とあの馬鹿も検非違使庁に向かってるだろうし。時間稼ぎだけにゃら、にゃんとかにゃるんじゃにゃーか?」
「……ありがと!」
何とかなる。葵なら何とかできる。そう言ってもらっただけで、心が勢い付いた。
一体の鬼が葵達を見付け、鋭い爪の生えた手を唸らせる。葵はそれを紙一重で躱すと右手に刃を構えたまま、左手を懐へと突っ込んだ。呪符を取り出し、「疾っ!」と短く叫んで投げる。
呪符は勢いよく飛び、鬼の首元で破裂する。鬼は、聞く者に寒気を覚えさせる雄叫びを上げた。
それを聞き流しながら、葵は再び左手を懐へと突っ込む。抜き出した時には、数珠がその手首に巻き付いていた。刃を持つ右手と、数珠を巻き付けた左手。それらを構えて、葵は力強く笑って見せた。
「それじゃあ……応援が来るまで、頑張ろうか……!」