平安陰陽騒龍記 第二章









23










夜になり、惟幸の庵の横で、再び弓弦が龍の姿へと転じた。

葵は歩いて帰ると主張したのだが、弓弦は「今は、いつも以上に体を大事にしてくださいまし」と言って譲らない。紫苑と虎目、惟幸にも同じように言われ、結局葵が折れたのだった。

「けど、弓弦も疲れているんじゃないの? ここのところ、あまり眠れてないみたいだし……」

そう言えば弓弦は首を横に振るが、全く疲れていないという事は無いだろう。先にも惟幸に指摘された通り、この庵には頻繁に鬼が襲い掛かってくる。その音が気になって、慣れた者以外はゆっくり休む事ができなかったのだ。例外の一名を除いて。

「……私としては、栗麿めは歩いて帰っても良かったのではと思うのでございますが」

冷たい龍の眼差しに、栗麿がたじろいだ。しかし、これしきでめげる栗麿ではない。ここでめげるぐらいなら、ここまで馬鹿ではない。多分。

「あれだけ鬼が出るとわかっている夜道を一人で歩くのは怖いでおじゃるっ! かと言って、鬼と化した瓢谷が待つ京に、昼間のうちに一人で帰るのも怖いでおじゃるっ!」

なりふり構わず、じたじたと両腕を振り回す。はっきり言って、非常に見苦しい。

しかし、栗麿はこういう時に限って心得ているようで。ジッと葵の方に視線を寄せた。懇願するような眼差しに葵は苦笑し、弓弦の方を見る。

「できれば、栗麿は早く帰った方が良いと思うんだ。出仕を十日もしてないわけだし、遅くなればなるほど隆善師匠の怒りが強まりそうだし。……ほら、隆善師匠の怒りが勝ち過ぎて、邸で穢れが発生しちゃっても困るしさ」

人が死ねば、穢れが生じる。人でなくとも、生き物が死ねば、穢れが生じる。死なずとも、血が流れれば穢れが生じる。病に罹っても、穢れが生じる。

穢れが生じた家の者は、最低でも七日、穢れの内容によっては幾十日も物忌みをしなければならなくなるのが京の常だ。

隆善自身はそれほど穢れを気にしないし、

「穢れたら祓えば良いだろうが、祓えば」

 と言い切ってしまう。しかし、世間はそうはいかないのだ。ただでさえ、ここのところ葵が寝込む事が多く、世間の常識で考えれば、邸には穢れが発生し続けている。

隠していても、依頼に来た公達やら戯れに遊びに来た上司やらが

「どうやら瓢谷家では誰かが寝込んでいるようだ」

 と気付き、誰かに話してしまうため、隠し通す事はできない。そんな状態で、ここで更に別の穢れを発生させるわけにはいかない。

陰陽師の邸に複数種類の穢れが発生し続けているなど、世間体が悪過ぎる。己のせいで隆善の世間からの印象が悪くなってしまうのは、申し訳が無さ過ぎる。……と、葵は説いた。

すると、弓弦は諦めたように首を振る。

「葵様が肩身の狭い思いをなさってしまうのでは、仕方がございません。不本意に不本意を重ねるかのような話ではございますが、此度はそれを耐え忍び、栗麿めも京へ運ぶ事と致しましょう」

不本意という感情がちっとも忍んでいないが、ひとまず弓弦は了承してくれた。そこで一同は夜になるのを待ち。その間に惟幸が隆善に、今夜葵達が帰る旨をしたためた文を送った。そして、今に至る。

来た時と同じように紫苑が葵と虎目を庇うようにして弓弦に跨り、弓弦の尾の先に縄を結わえて、その先を栗麿に結び付ける。

「何なんでおじゃるか、麿のこの扱いはっ!? 吊るす気満々ではおじゃらぬかっ!」

「文句があるのであれば、この夜道をさっさと一人で帰ればよろしいのです」

冷たく言い放つ弓弦に、栗麿は即座に黙り込んだ。このような扱いを受けても、一人で帰るのは嫌であるらしい。

見送りに出てきた惟幸、りつ、そして盛朝に葵は頭を下げる。それと同時に、弓弦が宙へと浮かび上がる。そして、京へ向かって今回も猛烈な勢いで前進し始めた。

二度目の葵と紫苑、虎目はともかく、栗麿は初めてだ。しかも、吊るされている。

「ふぉ!? ふぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

泣き叫ぶような声を発するが、そのために弓弦が勢いを緩めてくれるという事は無い。尾を引くように残された栗麿の声の余韻に、惟幸とりつ、盛朝は顔を見合わせ。そして誰からともなく、思わず両手を合わせたのだった。










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