平安陰陽騒龍記 第二章
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更に三日が経った。葵の内に安住の地を得た勢輔は、ぎこちないながらも末広比売や穂跳彦と打ち解けつつある。荒刀海彦の事はまだ少々怖がっているようだが、何かを問われれば頷いたり、首を振る事ができるようにまでなった。
そして、葵の体も本来の調子に戻りつつある。たっぷりと食べ、眠り、動ける時には少しずつ動くようにしていれば、元々それなりに鍛えていた体はすぐに回復してくれる。
「動けるようになった事だし、そろそろ京に戻った方が良い。ここだと、しょっちゅう鬼が襲いに来る音がしてゆっくり休めないだろうし」
惟幸の言葉に、葵は頷いた。惟幸の庵は、毎晩とは言わないが頻繁に鬼が惟幸を狙って襲撃してくる。惟幸がさっさと退治してしまうため危険性は感じないのだが、いかんせん、うるさい。
くたくたに疲れ切っている時にはそれほど気にならなかったのだが、元気になってくると逆に音が気になり始める。実際、葵の看病で留まっていたこの十日ばかりの間に、弓弦、紫苑、虎目はいまいちよく眠る事ができなかったらしく、今も少し眠そうな顔をしている。
こんな生活を二十年近く続けてきた惟幸とりつはと言えば、慣れもあってそれほど気にならなくなっているらしい。ただ、鬼が出る度に対処を迫られる惟幸は、暇さえあれば朝寝坊や昼寝をしているとの話だが。
「向こうの方が夜は静かだし、結界に関してはたかよしの方が強力な物を張れるからね。それに……栗麿もそろそろ出仕しないとまずいんじゃないかな?」
苦笑して、惟幸は栗麿に視線を遣った。
……そう。特に看病の役に立つわけでもないのだが、栗麿もまだいたのである。曰く。
「今一人で京に戻ったら、絶対に瓢谷に殺されるでおじゃる……」
との事である。勢輔と対峙する際に、最悪の邪魔をしてしまったという自覚はあるらしい。そして、それを理由に隆善が激怒している事も、ここに居ながらにして悟っているようだ。
尚、ここに留まった事で、弓弦、紫苑、虎目からは既に散々に罵倒され、制裁を受けている。……が、それでも一人で京に戻って隆善と顔をあわせるよりはましであるらしい。
「……と言うか、父様甘過ぎ! 栗麿のせいで余計に大変な事になって、葵があんな事になっちゃったんだよ!? なのに、怒りもしないで、十日間も泊まらせてあげるなんて!」
憤激する紫苑に、惟幸は「けどねぇ……」と苦笑する。
「紫苑達があれだけ怒ってたら、僕まで怒る気が無くなっちゃったしねぇ」
たしかに、惟幸が怒った事で、紫苑達が葵に怒る気が無くなったのだ。その逆も、また然りである。
「それに栗麿、話し相手としては楽しいし。それに、泊まっている間、庵の中をあちこち掃除してくれて、りつが大分助かったみたいだしさ」
「おみゃー……隆善の邸は何だかんだと逃げてきたのに、惟幸の庵は掃除するんにゃ……?」
「こっちは、これを切っ掛けに永久にこき使われる、なんて展開にはならなそうでおじゃるから」
堂々と開き直って言う栗麿に、虎目達はくはぁ……とため息を吐く。その様子に苦笑しながら、惟幸が手をひらひらと振った。
「たかよしも、もうそんなに怒ってないんじゃないかな? 僕からも、とりなしの文を送っておいたし」
「とりなしの文、ですか?」
葵が首を傾げると、惟幸は「うん」と頷いた。
「侘び代わりに、って栗麿がしっかり掃除してくれた事、ちゃんとたかよしに報告しておいたからね」
「え」
びしりと、栗麿が固まった。それはそうだろう。栗麿は、隆善に言い渡された掃除を一切やっていないのだ。それなのに惟幸の庵は自発的に掃除したという事が伝われば
「ほぉう。俺の邸の掃除からは逃げたのに、惟幸の庵はてめぇから掃除したってのか。良い度胸じゃねぇか」
などと詰め寄られるに決まっている。それも、悪鬼のような形相で。
「ふぉ……ふぉぉぉぉぉ……」
がたがたと、栗麿が震え始めた。その様子に、流石に紫苑達も同情を禁じ得ない。
「……父様ひょっとして……実は栗麿に対してもちゃんと怒ってる……?」
「え? 何が?」
惟幸の表情は、にこにこと笑っていてその裏が全く読めない。本気で良かれと思って隆善に掃除の件を報告したのか、怒っているので懲らしめのために報告したのか、非常に判断がし難い。
「……いつも師匠が言ってる事だけどさ……ボク、今の父様見て、納得したかも……」
「……ですね」
「だにゃ」
「私も、納得致しました」
顔を見合わせ、そして声を揃えて言う。
「……本当、良い性格してる……」