平安陰陽騒龍記 第二章
17
「葵様……葵様!」
弓弦の悲痛な叫び声が響く。
声に気付いたのか、惟幸と盛朝が駆け付けた。そして、ぎくりと顔を強張らせる。
「葵……?」
「何てこった……そんな……」
二人は、呆然と呟く。その横で紫苑は無言のままへたり込み、虎目と栗麿は、只々その場を見詰めているしかできない。
皆が、黒焦げとなった葵の身体を取り囲み、呆然と立ち尽くした。
そうしているうちに、どれほどの時が経っただろうか。葵の身体から、きらきらと白い光が発され始めた。
「え、何……? これ……」
紫苑が目を丸くし、呟く。光は次第に強くなり、その中で葵の身体に変化をもたらし始めた。
まず、焼け縮れていた葵の髪が元の真っ直ぐな髪質に戻り、代わりに色が真っ白になった。そこから、顔の火傷が治っていき、胸、腕、足、手と、どんどん傷が消えていく。
最後には、全ての火傷が治り、ただ水干が焼け、炭で汚れただけにしか見えない姿となる。そして、葵の目がゆるゆると開いた。赤い。
「……穂跳彦……?」
そう、問うように呟いたのは、誰だったか。
「ぎりぎり……何とか、間に合ったねぇ……」
消え入りそうな声で喋ったのは、葵の声をした穂跳彦だ。倒れる寸前に、体の主導権を譲り受けたらしい。
「葵の火傷は……穂跳彦が?」
惟幸の問いに、穂跳彦は力無く頷く。
「そう。……ほら、因幡の白兎の話……復習しただろ? 大国主神に助けられたオイラは、蒲の穂の上に寝転がる事で体が元通りになった……。いくら何でもさ……綺麗な真水で洗って蒲の穂の上に寝転がるだけで、瀕死の傷が治るなんて……凄過ぎると思わないかい?」
「つまり……おみゃーは元々、傷の治りが早い体質……もしくは、そうなるための特殊にゃ力か何かを持っている。……そういう事かにゃ?」
「そう……。勿論、大国主神の助言があったから……傷が悪化せずに済んだり、治りが更に早くなったり……」
その驚異的な自己治癒力が、葵の体の主導権を握った事で発揮された。体の火傷は尽く治り、こうして切れ切れながらも喋れるまでになっている。
一同がそれを理解し、安堵の息を吐く。その様子に苦笑して見せると、穂跳彦は辛そうに目を細めた。
「……ごめん……体力、そろそろ限界。あと、よろしく……」
その言葉を最後に、赤い目は完全に閉じられる。惟幸が急いで口元に手を遣れば、微かながら呼吸を感じる事ができる。眠っている事が確認でき、一同は改めて安堵の息を吐いた。
そして、眠っている葵を盛朝が背に負い、一同はその場を後にした。皆が思う事は、ただ一つだ。
一刻も早く惟幸の庵に戻り、葵に休息を取らせてやらなければならない。