平安陰陽騒龍記 第二章









14










「行ったか……」

次第に遠ざかり、夜闇に融け込んでいく弓弦の姿を眺めながら、隆善はぽつりと呟いた。

「……で? てめぇはいつまでそこでこそこそと覗き見してるつもりだ?」

ぎろりと、隆善は見えない筈の築地塀の外を睨み付けた。築地塀の向こうから、「ひっ!」という短い悲鳴が聞こえてくる。

いつまでも陰から出てくる様子が無いため、隆善は鬼のような形相を作りながら築地塀の外へと足を運ぶ。そこには、予想通り栗麿が蹲っていた。

「何の用だ? 夜間清掃なんざ頼んでねぇぞ?」

「だから! 何で麿が瓢谷の邸を掃除しなきゃいけないんでおじゃる!?」

鼻息荒く抗議する栗麿に、隆善は「はっ!」と鼻で笑った。

「どうせ、てめぇの邸にいる間、また猪が襲ってきたらどうしようとか考えて怖くなったんだろうが。……で、ここまで来りゃあひとまず安心だし情報も入るだろうと踏んで来た……と。だが、来てみりゃお前が唯一の癒しだとか言ってる葵は出掛けたところ。仲良く喧嘩できる虎目と紫苑も、目の保養になる弓弦も同様。邸に俺しか残らないと知って、姿を現そうかどうしようか決めかねているうちに見付かった……そんなところじゃねぇのか?」

栗麿が、「ぐぐぅ……」と息を詰まらせる。どうやら、図星のようだ。隆善は馬鹿にするように――否、完全に馬鹿にした顔でわざとらしくため息を吐き、見下した笑みを浮かべた。

「保護して欲しけりゃ、少しは役に立ちやがれ。それでなくても、お前には葵が寝込む羽目になったっつー負い目があるはずなんだからな。お前が役立てる可能性がある事なんざ、掃除ぐらいしかねぇんだ。だから、俺の邸を掃除しろ」

「い……嫌でおじゃる! ここで瓢谷の言う事を聞いて掃除をしたりしたら、なし崩し的に今後永久に使われ続ける気がするでおじゃるぅぅぅ!」

青褪めながら叫ぶ栗麿に、隆善は「ほぉう……」と唸った。顔が悪鬼のように歪んでいる。

「よくわかってんじゃねぇかと言いてぇところだが、つまり借りを踏み倒す気かこの野郎。あと、近所迷惑だろうが。叫ぶんじゃねぇよ」

近所迷惑と言うだけに、隆善はいつものように声を張らず、淡々と言葉を紡いでいる。だからこそ、余計に怖い。

「ひ……ひ……」

ずざっと、栗麿は後ずさった。すると、すぐに同じだけの距離、隆善が間合いを詰めてくる。その顔は、本当に楽しそうで。まるで獲物を追い詰め、とどめを刺す前に嬲って楽しむ肉食獣のような……。

「ひぃぃぃぃぃっ!」

本日一番の大声を発し、遂に栗麿は踵を返して走り出した。その後ろ姿に、隆善は舌打ちをする。

「逃げやがった。相変わらず逃げ足の速い……」

そこまで呟いたところで、「ん?」と眉を顰めた。頭の中を、先の虎目の言葉が過ぎっていく。

「にゃんでどちらに行っても、あの馬鹿が現れるフラグが立ってるにゃ……!?」

その言葉を頭の中で何度か繰り返し、言葉が意味する事を考える。そして、唐突に。

「あー……」

どことなく居心地の悪そうな、間延びした声を発した。ぼりぼりと、立烏帽子越しに頭を掻き、弓弦が飛び去っていった方角を見る。

「そういう事か……」

そう言うと、隆善はしばらく空と、栗麿が逃げていった方角を交互に見た。そして。

「……まぁ、良いか。これもある意味修行だと思わせときゃあ」

そう、無責任な言葉を呟くと、くるりと体の向きを変え、邸の中へと戻っていく。

それから少しして、瓢谷邸から白い鳥が飛び立ち、弓弦達が向かったのと同じ方角へと飛んでいった。









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