平安陰陽騒龍記 第二章









12










三日の時が過ぎた。既に起き上がり、今までのように動き回れるようになった葵は寝ていた間の分を取り戻すかのように働き回り、そして飯を食べている。

「そう言えば葵……最近よく食べるようになったよね。……あ、元々結構食べてたけど、それ以上に」

空になった葵の椀に強飯を注ぎ足してやりながら紫苑が感心した様子で言うと、葵は少々恥ずかしそうに肩を竦めた。

「それが……荒刀海彦やすえと行動するようになってから、妙にお腹が空くと言いますか……」

その言葉に、虎目が「あん?」と首を傾げた。

「どういう事だにゃ? 葵が食べた物を、内側で荒刀海彦達が食べてるって事ににゃるんか?」

「いや……霊魂たる我らに、食事は必要無い」

椀と箸を持ったまま、荒刀海彦が表に姿を現した。飯を一口食べ、咀嚼して満足そうに飲み込むと、口を再び開く。

「だが知っての通り、私が目覚めた事、末広比売や穂跳彦を迎え入れた事で、葵の体力は消耗が激しくなっている。激しくなった分は、補給せねば体が保つまい?」

「たくさん食って体力を蓄えても、すぐに消費してまたたくさん食う必要があって……って事か。燃費悪過ぎだろ、お前ら……」

呆れた様子で羹を口に運ぶ隆善に、荒刀海彦はムッとした。羹を食べ、少し落ち着いた様子を見せてから淡々と反論を口にする。

「仕方があるまい。ただの霊魂ならいざ知らず、我らは皆、由来が神代まで遡る存在だ。体に宿せば、その分体に負担がかかるのも道理……」

「かと言って、出て行く気も無ぇんだろ? だったら、頻繁に出てこねぇで、普段は引っ込め。お前が出てくると、その分消耗して腹が減るぞ」

言われて、荒刀海彦は素直に引っ込んだ。元の表情に戻った葵は、苦笑しながら残りの飯をかき込む。そして、飯粒一つ残さず食べ終えると、「さて……」と呟いて立ち上がった。

「葵様?」

首を傾げる弓弦に、葵は己の膳を持ち上げながら「うん……」と呟いた。足を曲げ伸ばし、体の状態を確認している。

「そろそろ調子が戻ってきたし……片付けたら邸の外に出て、あの大猪を探そうかな、と思って」

「はぁ!?」

紫苑が素っ頓狂な叫び声を発し、横にいた虎目がうるさそうに目を眇める。

「どうして? わざわざ!? その大猪って、葵の中の穂跳彦を狙ってるんでしょ? じゃあ、葵が外に出たりしたら危ないじゃない!」

「けど、そんな事言ってたら、俺、いつまでも邸の外に出れませんし」

苦笑し、「それに……」と呟く。

「あの大猪が、何で穂跳彦を狙うのか……その理由が知りたいなー……なんて……」

「知的好奇心だけで危険に向かっていては、命がいくつあっても足りのうございます! 父上様の力を使っても止める事ができなかったのでございましょう? それでなくても穂跳彦を新たに迎え入れ、消耗が激しくなっている筈……外に出るのはおやめくださいませ!」

そう言って、一呼吸置くと更に強い口調で言う。

「それでも外に出たいと仰るのであれば……その大猪、私が退治して参ります。大猪がいなくなれば、安全に出歩く事もできましょう? その時までは、邸から出るのを堪えてくださいませ!」

「そうそう! ボクも弓弦ちゃんを手伝うから! だから葵、今はやめておこう? ね?」

「けど……」

どこか不満げに、葵は俯いた。そんな彼を見ていた隆善が「ふむ……」と唸る。そして、椀と箸を置いて再び視線を葵に向けた。

「葵」

「? はい」

葵は膳を置いてその場に座り、背筋を伸ばした。隆善は腕を組み、考えながら問う。

「あの大猪も、お前ん中に迎え入れるつもりか?」

「……」

葵は黙り込み、弓弦と紫苑、虎目の顔がサッと強張った。

「……葵?」

「葵様……」

「そんにゃ事したら、自殺行為にゃ。……本当にそんにゃ事考えてるわけじゃにゃーよにゃ?」

葵は俯き、そして「ごめん」と呟いた。

「今のままじゃ、あの猪が何で穂跳彦を追い掛けていたのかわからないから……話そうと思ったら、まずは話せる場に来てもらわないと……。それに、何となく……なんだけど。……あの大猪を、ずっと一人にしちゃいけないような……そんな気がして……」

「そりゃ、そんな危ない猪、放っておいちゃいけないと思うけどさ……」

紫苑が言うと、葵は「そういう事じゃないです」と言って苦笑した。そして、唸りながら頭を掻く。

「何て言えば伝わるのか……けど、俺もはっきりと理解してるわけじゃないですし……」

うんうんと唸る葵に、弓弦も、紫苑と虎目も、顔を見合わせて困惑している。そんな弟子と居候達を眺め、隆善が「わかった」と呟いた。

「とにかく、葵はもう一度その猪と対峙しねぇと、納得できねぇ事があるんだな?」

「……はい」

頷く葵に、隆善は文筥と文机を座ったまま引き寄せつつ、「じゃあ」と言う。

「どうせ対峙するなら、まだ安全そうな場所でやれ」

「……安全そうな?」

「そんな場所があるのでございますか?」

葵と弓弦が不思議そうな顔をすると、隆善は文を書きながらニヤリと笑う。

「手配はしといてやるから、惟幸んトコに行ってこい。あそこなら、何かあった時に惟幸が手を貸してくれるだろうし、周りに邸も無ぇから徒人(ただびと)を巻き込まずに済む。……だろ?」

「結局惟幸に丸投げとか……隆善……色々あって面倒ににゃってきてにゃーか……?」

呆れた様子の虎目に、隆善は「さぁな」と言って文を書き終える。書き終えた文を鳥の形に畳み、息を吹きかけるとそれは生きた鳥のように翼を動かして宙を飛び始めた。そして、あっという間に空の彼方へと消えてしまう。

「今、文でお前があいつんトコに行く事は伝えておいた。いつでも、好きな時に行ってこい。ただし、充分に気を付けろ」

言われて、葵は神妙な面持ちで頭を下げた。

「……ありがとうございます、隆善師匠」

最早口出しは無用と見たのか。弓弦が諦めたようにため息をついた。そして、「ならば……」と床に置かれていた膳を持ち上げ、葵に持たせる。

「弓弦?」

「行くなら、人通りの無い夜がよろしいでしょう。……夜であれば、大猪と対峙する事無く、安全に惟幸様の元へと向かう方法に心当たりがございます。その準備をして参りますので、葵様は、後片付けをなさってくださいませ。その後は、存分に休息して力を蓄えられますよう」

淡々と言われ、葵は思わず頷く。それを確認すると、弓弦はさっさと部屋を出、邸も出て、いずこかへと出掛けてしまった。

後に残された者達は顔を見合わせ、そろって首を傾げたのだった。










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