平安陰陽騒龍記 第二章





















あの、問題の三日前。じりじりと強い暑気が襲ってくる中、栗麿は自邸の寝殿で、だらしなく伸びていた。

庇が強い日差しを防いではくれているものの、熱気は容赦無く襲い掛かってくる。家人が打ち水をしてはいるものの、あまり効果は感じられない。こんな時、身分の高い家の者であれば氷を氷室から取り寄せ、砕いて甘葛をかけて食べる事で暑気払いもできよう。しかし、栗麿の身分では、そうそう口にできるような代物ではない。

「うー……」

だらしのないうめき声が、口から漏れる。ごろりとうつぶせになり、両手で畳を叩いた。

「瓢谷も紫苑も、容赦が無さ過ぎでおじゃるよーっ!」

その叫び声に、打ち水をしていた家人達が「あぁ、またか」と苦笑する。ある者など、「本当に懲りないですよねぇ」などと口走っている。主人に対する忠誠心など、微塵も有りはしないようだ。

ここ数日、栗麿はいつものように懲りる事無く、意中の姫君が住まう邸に式神を忍び込ませていた。そして、それに気付いた姫君邸の家人達が気味悪がり、近頃巷で評判の陰陽師である瓢谷隆善に相談してしまった。

よりにもよって隆善は、一番弟子の紫苑と、瓢谷邸に居候している化け猫の虎目まで伴ってやって来る。栗麿の企みはあっさりと見破られ、隆善、紫苑に完膚なきまでに叩きのめされ、ついでに虎目から罵詈雑言を喰らいまくった。それが、半刻ほど前の事である。

隆善に鉄拳を喰らい、紫苑に術をぶつけられ、青あざになってしまった箇所は濡らした手巾で冷やす事によって大分痛みが引いてきた。しかし、痛みは引いても悔しさは引かない。代わりに、やる気が引いている。

「うー……暑いでおじゃるぅぅぅ……」

暑さが、ますます栗麿のやる気を奪っていく。栗麿は、何の気無しにごろごろと床を転がった。ごとりと畳から落ち、それでも転がり。そして、階から落ちた。

「……痛いでおじゃるぅぅぅ……」

頭やら鼻やらを抑えて蹲る主人に、家人達も呆れ顔だ。栗麿は落としてしまった烏帽子を慌てて被り直しながら、ふと視線の先を見る。

視線の先には、階の奥。簀子縁の下。しっとりと湿り、涼しそうな薄暗い空間が、そこにはあった。

「おぉ。何やら、涼しそうでおじゃるなぁ……!」

そう呟くと、栗麿は烏帽子を落とさないように気を付けつつ、もぞもぞと縁の下に潜り込んでしまった。家人達は、呆れを通り越して失笑している。

縁の下は、予想通り涼しい。ほぉ、と息を吐いて、栗麿は満足気に頷いた。

「良い心地でおじゃる……。ここで考えていれば、次に失敗しないための、良い作戦が思い浮かびそうでおじゃるなぁ……」

そう、独り呟いた時。ふと、視界の片隅で、白い物がもごもごと蠢いているのが見えた。どうやら、小さな動物か何かのようだ。

「おぉう。一体、何が我が家の下に迷い込んできたんでおじゃるか?」

興味本位で近付き、そこで栗麿はハッと息を呑んだ。薄暗闇の中。白い小動物の更に向こうに、何やら大きな物がいる。ぶふぉ、ぶふぉ、という鼻息らしき音が聞こえてきた。

栗麿は、ごくりと唾を飲み込みながら後ずさる。表からわずかに差し込んでくる光で、地面に穴が空いているのが見えた。……という事は、あの大きな何かは、土竜だろうか? いや……。

「土竜にしては、でか過ぎでおじゃるぅぅぅっ!」

叫び、慌てて縁の下から這い出る。声に驚いたのか、白い小動物も飛び出した。すると、それに触発されたように大きな何かも動き出す。

栗麿、小動物、大きな何かの順に飛び出し、後はただひたすら走るだけだ。

「ふぉぉぉぉぉぉっ!」

先ほどまでの気だるさはどこへやら。もの凄い勢いで栗麿は走り出す。途中で家人が靴を投げて寄越し、しかも見事に足にはまった。手慣れた様子である。

そんな主人の奇行に慣れ切っている家人達も、砂埃を上げながら突進する何かには驚いたようで、誰もがじりじりと後退していく。誰も、栗麿を助けようとする様子は無い。

そんな家人達はおろか、小動物や大きな何かがどのような様子かも気にする暇など無く、栗麿は走り続けた。

脇目も振らずに走り続け、そしてどこだかの大路に飛び出し、更に走って幾分か経った頃。

「ちょ……ちょっと、栗麿!? どうしたの!?」

栗麿にとっては天の援けとも思える声が、聞こえてきた。











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