平安陰陽騒龍記













38













白い、白い。霧と光が混ざり合ったような白い空間で、葵は目を開けた。

この場所には、この数刻で何度も来た。荒刀海彦が表に出て葵の身体を使用している間は、いつもここで待機している。

「この場で会すのは、初めてだな」

横から聞こえてくる声に、葵は首を巡らせた。男が、一人立っている。歳は、隆善や惟幸と同じぐらいだろうか。絵巻物でしか見た事のないような古い意匠の衣服をまとい、黒い髪を角髪(みずら)に結っている。

「荒刀海彦!」

名を呼び、駆け寄って。葵はまじまじと荒刀海彦の顔を見た。

「? 何だ。私の顔に、何か付いているか?」

「いや、そうじゃなくて……いつも、交代する時は慌ただしかったり、俺に余裕が無かったりしたから。荒刀海彦の顔をちゃんと見るの、初めてだなって思って」

荒刀海彦は面白そうに「ほう」と呟いた。

「それで? 初めてじっくりと私の顔を見た感想はどうだ?」

「うん……思ったよりも若くて、びっくりしたかな」

「それは、私の声や気配が老けているという事か。……確かに、生まれてこの方数百年。人間から見れば長寿なのだろうが……」

少しだけ傷付いた顔をして、荒刀海彦は不機嫌そうにする。

「雑談をしている余裕は無いぞ。こうしている間にも、お前の身体には負担がかかっているのだからな。今だって、このように私達が会しているという事は、傍から見ればお前は意識を失っているような状態だ。急がなければ、目覚める事ができなくなるぞ」

急な話題転換に、葵は少しだけ表情を引き締めた。辺りを見渡し、探す。

「おろちの仔は……」

「あそこだな。……あまりの小ささに、私も驚いた」

荒刀海彦が顎をしゃくったその先に、二つか三つほどの年頃の子どもが座り込んでいる。

この空間に呼ばれた魂魄は、宿主である葵に伝わり易い姿を取るらしい。だから荒刀海彦も、人間に変化した場合の歳や身体能力などを認識し易い姿をしている。

目の前の子どもも、言われなければおろちとはわからぬ姿だった。そもそも、八岐大蛇の仔であるはずなのに、首が一つしか無い。膝を抱え、ぼろぼろと涙を流しているその姿は、人間の子どもそのものだ。

おろちの仔は、長い黒髪や裳が濡れるのも構わずに、ぼろぼろぼろぼろと涙を流し続けている。

「……女の子だったんだ……」

そう。目の前に座るおろちの仔は、女の子の姿をしていた。人間ならば、元気な子に育つよう願って男の子に女物の服を着せる事もあろうが、おろちの仔だ。見た目通りの性別だと考えても良いだろう。

葵は、何も言わずにおろちの仔の傍へと歩み寄った。近付くにつれ、押し殺したような嗚咽が聞こえてくる。そして、消え入りそうな声も。

「う……えぐ……ひっく……。お、とうしゃん……。おかあしゃん……」

葵は、ハッと息を呑む。おろちの仔が何を望み、何故泣いているのかがわかってしまったから。そして、それは葵の力ではどうしてやる事もできない事だったから。

「顔も知らぬ亡き親を求めて、泣き続けているわけか。……私達には、どうしようもないな……」

諦めろと言うように。荒刀海彦が葵の背後へと身を移した。その気配におろちの仔はぴたりと泣くのをやめ、首を巡らせる。そして葵と荒刀海彦の顔を見ると、「ヒッ……」と悲鳴を上げ、顔を引き攣らせた。

その様子に、葵と荒刀海彦は「あ」と呟いた。思えば、二人は先ほどまでこのおろちの仔の首を痙攣させたり、腹を内側から引き裂いたりしていた。あの暗く慌ただしい中で顔は認識していなかったとしても、気配はわかるだろう。餌として食われた葵はともかく、荒刀海彦は散々おろちを痛めつけたわけで。そんな荒刀海彦の気配を感じて、おろちの仔が恐怖を感じるのも無理は無い事で。

二人がそれに気付いた時には、時既に遅く。おろちの仔は火が点いたように大きな声で泣き出した。









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