平安陰陽騒龍記












33













『あの若造……惟幸と言ったか。十二年前に力量のある術師だとは思ったが、あれほどとはな』

「えっ……。あ、荒刀海彦!? ……あ、そうか。荒刀海彦が表に出てる時、俺の声も荒刀海彦には聞こえてたもんね」

荒刀海彦の声が聞こえてきた事に驚き、納得し。葵は走りながら頭を掻いた。その横では虎目が一瞬何事か、という顔をしたが、葵の言葉から何が起きているのかを察したらしい。落ち着いた表情に戻って、走っている。周りでは時折、惟幸の式神達が何かと戦っている。鬼や、その他の妖しの物達だろう。

『周りの視線が気になるのであれば、頭で話すすべを習得する事だ。まぁ、今から練習したところで、おろちの末と戦うのには間に合わぬだろうが』

声を出さずに会話ができれば、作戦を話し合ったところでばれる事が無いだろうに、と、荒刀海彦は声だけでため息をつく。葵は、走りながらも項垂れた。

「ごめんね、荒刀海彦。憑代の俺が、もっとしっかりしてて、器用で、強ければ……荒刀海彦ももっと楽に戦えたのに……」

『謝るな。謝らなければならぬのは、私の方なのだぞ。勝手にお前の身を憑代とし、お前の身に負担を掛け。今こうして、お前を危険に晒そうとしている。本来であれば、お前には全く関わりの無い事だというのに……。私の力が足りぬばかりに、お前を巻き込んだ。……済まぬ、葵』

「荒刀海彦……」

しばらくの間言葉を探し。そして葵は、首を横に振った。

「ううん……巻き込んでくれて、良かったよ。荒刀海彦がいなければ、俺はそもそも、十二年前に死んでたかもしれない。憑代にならなければ、師匠達に育てられる事無く、どこかに里子に出されていたかもしれない。そうなったら、みんなと会う事もできなかったんだよ、俺」

葵は走りながらも、過去を振り返る。隆善や惟幸には時にしごかれ、時に守られ。紫苑や虎目と過ごすと、振り回されはするが寂しくなかった。栗麿の起こす騒動に巻き込まれる度、何かが少しだけ成長できた。

「師匠達や紫苑姉さん、虎目に栗麿。荒刀海彦が俺を憑代にしなければ、俺はみんなとの思い出を作れなかった。それに、荒刀海彦の憑代になったからこそ、弓弦とも会えた。……荒刀海彦とも」

『葵……』

荒刀海彦が次の言葉を探す前に、葵は「だからさ……」と言葉を紡いだ。

「頑張って、おろちの仔を斃そうよ。そうすれば、俺はこれからも、みんなとの思い出を作っていける。弓弦や、荒刀海彦との思い出も……」

荒刀海彦は、一言だけ。「そうだな」と呟いた。その言葉に、今までのような威圧感は無い。幾分か、優しい響きが感じられる。

それだけの事で、葵は体が軽くなった気がした。自然と足に力が入り、走る速度が上がっていく。

坂を上り、野を駆ける。弓弦とおろちの仔がいるであろう場所は、もうすぐだ。

『葵』

荒刀海彦の呼びかけに、葵は「うん」とだけ返した。足が止まる事は無い。

『私は……お前を憑代にできて、良かったと思う。お前以外の人間を憑代としていたら、人間の脆弱な身体で戦えるだろうかと不安になっていただろう。……お前が憑代なら、私は不安無く戦える』

返事は、しない。ただがむしゃらに走り続ける。

行く先から、今までに感じた事の無い邪気が漂ってきた。……否、感じた事はある。十二年前に、一度だけ。頭が覚えていなくとも、身体が覚えている。

背筋に悪寒が走り、それで葵は確信した。

おろちの仔が、生まれたと。








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