平安陰陽騒龍記














28















最後まで言い切る前に一同がシンと静まり返り、葵は己がまずい事を口走ったと悟った。しばらく気まずい沈黙が続いたのち、最初に何とか我を取り戻したのは、意外にも紫苑だった。

「あ、はは……。そう、だよね。まだ葵がやれるかどうかを聞いてなかったよね。……うん、ボク達だけで勝手に盛り上がってたら駄目だよね。……ごめんね、葵」

「麿なら、龍の力を得て京を滅ぼそうと企むおろちと戦う……なんて展開は燃え上がって俄然やる気になるでおじゃるが……そうでおじゃるなぁ。葵は瓢谷や化け猫と違って優しいでおじゃるから。いつもは妖しの物や、麿の生み出した式神と堂々と戦っているでおじゃるが、本当は戦いたくないんでおじゃろう? ましてや、あの八岐大蛇の仔なんて、怖いと思ってもおかしくないでおじゃる」

「にゃにをドサクサに紛れて、オイラや隆善をけにゃしてるんにゃ、おみゃーは。……まぁ、怖いのは仕方にゃーわにゃ。子どもの頃に植え付けられたトラウマが、そんにゃに簡単に消えるわけにゃーわ。おろちの仔や、そこに辿り着くまでの蛇達の事を思えば、怖くもにゃるにゃ」

「荒刀海彦殿に身体の主導権を預けて恐怖を和らげても、身体への負担を考えるとなぁ。自分の命がかかってたら、誰だって怖いもんだ。仕方が無い」

隆善と弓弦は、何も言わない。その沈黙が、余計に葵の緊張を煽ってくる。

「……葵」

やがて、隆善が口を開いた。いつになく真剣で、いつになく抑揚の無い声音だ。

「……はい」

葵が恐る恐る返事をすると、隆善は葵の目を真っ直ぐに見詰めてきた。葵は思わず視線を逸らそうとするが、何故か逸らせない。

「……怖いのか?」

短い問いに、葵は黙って頷いた。その様子に隆善は「そうか」と淡白に頷く。

「何故、怖い?」

「……蛇が……」

そこで葵は言葉を切り、生唾を飲み込んだ。気を抜くだけで、意識を手放しそうになる。それほどに、緊張している。

「蛇達が小路を埋め尽くしているのを見た時、どうしようもなく気分が悪くなって、立ち上がる事も、呼吸する事すらままならなくなって……」

隆善は、口を挟まない。頷く事もせず、ただ葵の話を聞いている。

「今思うと、あれは……怖かったんだと思います。さっき師匠が言ってたように、覚えてもいない子どもの時の経験が原因なのかもしれません。心の臓が、これ以上は無いぐらいに速く脈打って……俺の知らない誰かから、逃げろ逃げろと叫ばれてるみたいで……」

逃げろと言うのであれば、それは荒刀海彦ではあるまい。考えられるとすれば、警告を発したのは葵自身か。

「また……ああなるかもしれないのが、怖いです。もしまたあんな事になったら……俺は、今度こそ耐え切れなくて……狂ってしまうかもしれない。狂って、師匠達や荒刀海彦が懸命に戦おうとしてるのを邪魔してしまったら? そう考えると怖くて……俺が動いて大丈夫なのかなって……。けど、最初から荒刀海彦が表に出たりしたら、おろちの仔が出てくる前に力尽きるかもしれないし……」

「……」

隆善も、周りで話を聞いていた紫苑達も、言葉を発しない。ただ、弓弦だけが膝を進め、両手を差し出すと葵の顔を自分へと向けた。

次の瞬間、パン、という乾いた音が部屋の中に響き渡った。

「……え?」

何が起きたのか一瞬理解できず、葵は目をまたたいた。その眼前で、頬を叩いた手を袖の中に戻すと、弓弦はキッと葵を睨み付ける。

「何を弱気になっておられるのですか? 父の憑代となれるほどの力と器を持ったあなた様が、蛇如きを恐れてどうなさいます!」

葵と、周囲の者達が唖然としている中、弓弦は更に言葉を続けた。

「確かに、おろちの仔は手強い相手にございます。そこに鬼や妖しの物、群れをなした蛇達が加わるとあれば、尚更でございましょう。ですが、おろちの仔以外はここにいる皆々様が引き受けて下さるご様子。それだけでも、父が単身戦いに赴いた時よりも好条件にございます」

「……」

それでも葵は言葉を発しない。

「……考えてもみてくださいませ。おろちの仔が生まれ、止める者の無いまま思いのままに暴れれば……結局は皆死んでしまうのです。……どうなさいますか? このまま邸に籠り、死ぬる時を待つか。それとも、戦いに赴き、皆が生き残る可能性を残すか!」

「! それは……」

葵が言いかけた時、塀の外から悲鳴が聞こえた。どこからか「蛇が……蛇がっ!」という叫び声も聞こえてくる。

「ちょっと……これって……」

紫苑が腰を浮かせ、隆善と盛朝が視線を交える。

「……たかよし様」

「あぁ。どうやら、向こうは葵の決断を待ってくれる気は無ぇらしい。……ま、当然だわな」

言葉に迷う葵の前で、弓弦はすっくと立ち上がった。

「……弓弦?」

何とか声をかけた葵の顔を、弓弦が見る事は無く。

「まずは、私が先行致します。……葵様。ご自身がどうなさるのか……よくよくお考えくださいますよう……」

言うや否や、弓弦は部屋を飛び出し、塀を飛び越えた。

「弓弦! ……っ!」

追い掛けようと立ち上がるが、酷い立ちくらみに襲われ、葵はその場に座り込んでしまった。やはり、まだ体力が戻っていない。

「ちょっ……弓弦ちゃん! いくらなんでも、一人じゃ危ないよ!」

紫苑が葵の代わりに立ち上がろうとし、それを盛朝が制止する。

「俺が行く。龍の仔の足に、人間の俺が追いつけるかどうかはわからないが……。紫苑は、葵の事を頼む」

そう言って、盛朝もまた邸を飛び出していく。それと入れ違いに、舎人が一人、門の中へ飛び込んできた。

「瓢谷様! 瓢谷様はご在宅ではございませぬか!?」

「何事だ!」

隆善が姿を見せると、舎人は少しだけホッとした顔をしてから、泣きそうな声になる。

「大内裏に、大量の蛇が……! 陰陽寮に所属する陰陽師は急ぎ参内し、主上と内裏を守れとのお達しにございます!」

「こんな時に……いや、こんな時だからこそ、か」

舌打ちをすると、隆善は一旦葵の部屋に戻り、事情を葵達に話す。

「そういうわけだ。悪いが、俺はお前達を守ってやれそうにねぇ。あとはお前らの判断で、好きなようにしろ。……一応、この邸には結界が張ってあるからな。蛇や、鬼はそうそう簡単には入れねぇ。怖いんだったら、この邸から出るな。良いな?」

それだけ言うと、隆善は衣冠を整え、舎人を引き連れ。足早に内裏へと向かっていく。後には、葵と紫苑、虎目、それに栗麿が残った。








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