平安陰陽騒龍記
27
弓弦は、少し戸惑うように。だが、嬉しそうに頷く。
「お久しゅうございます、父上様。父上様が消息を絶たれて十二年……大人達から父上様の話を伺う度、父上様を誇りに思い、お会いしたいと願っておりました……!」
「……嬉しい事を言ってくれる」
顔をほころばせ、荒刀海彦は弓弦を手招くと優しく抱きしめた。……葵の身体で。
「うあっ……あ……あっ……!」
「ふぉぉうっ! 葵の奴、やるでおじゃるなぁ! ……あ、でも、今の中身は親父なんでおじゃったな」
紫苑が顔を赤らめ、栗麿が面白い物を眺めるような顔をし、盛朝はヒュウと口笛を吹き。隆善と虎目は反応に困る顔をしている。
「人目の無いところでやれ」
「……葵、意識があれば役得だったのににゃー……」
「む? この憑代の意識であれば、今はちゃんと覚醒しておるぞ? 私が表に出ているだけで、ちゃんとこの場での話は聞いているし、今何が起きているのかも把握しているはずだ」
その言葉に、場が水を打ったように静まり返った。
「……え? って事は……その、今、葵は……」
「うむ。意識だけだが、顔を真っ赤にしてやめろと脳裏で騒いでおるわ」
煩そうに溜息をつき、そして荒刀海彦はいたずらっぽくニヤリと嗤う。
「つまり、憑代の意識が表に出ていても、私はお前達の話を聞く事が可能というわけだ。……憑代が煩いからな。そろそろ私は、下がらせてもらう」
そう言って、荒刀海彦は目を閉じた。次にまぶたが上がると、その瞳はもう金色の物から黒色へと変わっている。そして、葵の顔が紅葉の如く真っ赤に染まる。
「うわっ! たっ……ご、ごめん、弓弦っ!」
声を裏返らせて弓弦から身体を離し、そこで力尽きたかのようにぺしゃりと床に倒れ込む。
「葵様!」
慌てて弓弦が身体を支え、葵は再び身体を起こした。そして、ハッとして周囲を見る。今度は、場にいる全員がニヤニヤとしながら葵の方を見ていた。
「ちょっ……何ニヤニヤしてんですか、師匠! 紫苑姉さんに、盛朝さんも! 虎目も栗麿も、こっち見ないでよ!」
慌てる葵に、一同は余計にニヤニヤとしてしまう。
「あー、青いにゃー」
「真っ赤だけど、青いでおじゃるなー」
「惟幸とりつがくっついた頃の事を思い出すなー」
「葵も年頃だもんねぇ」
「夜はほどほどにしておけよ。あと、やるなら邸の外へ行け。……まぁ、その身体じゃあ、今日は無理だと思うが」
「皆して何言ってるんですか! 特に、隆善師匠! 俺はそんな……やかましい!」
突如、葵の声と目、そして腕が荒刀海彦に切り替わった。今度は腕だけに鱗が生えている。顔は、葵のままだ。目の前に龍の腕を振り下ろされた一同は、思わず姿勢を正す。
「……何だ。下がるんじゃなかったのか、荒刀海彦」
不満そうに言う隆善を、荒刀海彦はぎろりと睨み付けた。
「憑代の意識が表に出ていても、話を聞く事はできると言ったろう。憑代をからかうのは勝手だが、そこに我が娘を巻き込むでないわ!」
あまり血色の良くない顔で怒鳴る荒刀海彦に、隆善は両手を挙げた。
「わかった、わかった。良いから、元の葵の姿に戻って、身体の所有権を葵に返してやってくれ。このままじゃ、疲労でまた倒れかねねぇ」
頷きながら、紫苑達も両手を挙げている。それを確認してから、荒刀海彦はフン、と鼻を鳴らすと目を閉じた。すると腕から鱗が消え、葵の身体は三度床へと倒れ伏す。
「葵様……大丈夫でございますか? 父が何度も姿を現しました故、お身体への負担が……」
「……今のは辛かったけど、思ったよりは大丈夫。龍化って言うか……身体が変わらなければ、荒刀海彦の意識が表に出ても、負担はかからないみたい……」
そう言って弱々しくも笑う葵に、弓弦はホッとした表情を見せた。そして、二人揃ってハッとして。周囲の人間に顔をめぐらせる。荒刀海彦に釘を刺されたからか、一同は何も言わない。……が、まだニヤニヤしてはいる。
「……」
何となく気まずくなり、葵と弓弦は気持ち座る距離を離した。
「さて、面白ぇモンを見て堪能したところで、本題に戻るか」
そう言って、隆善は葵の頭をくしゃりと撫でる。慣れない師匠の行動に葵は目をぱちくりとさせたが、抵抗はしない。少しだけ、照れ臭そうだ。
「さっきの話でもわかると思うが、荒刀海彦に拾われるまでの間に、ガキだった葵に何かがあったのは確かだ。恐らく、おろちの仔を誕生させるために湧いて出た蛇どもに恐怖を感じる事もあったんだろう。さっき、蛇達が出てから葵の様子がおかしくなったのは、これが原因の一つじゃねぇかと、俺は思ってる」
「にゃるほど。記憶は無くても、身体はその恐怖を覚えていた。そして、大量の蛇を見た事で、十二年前の恐怖がフラッシュバックした。その結果が、あの突然の不調というわけか」
「蛇達を目の当たりにし、その気配を感じた事で、葵様の中に眠っていた父が覚醒しようとした、という事もあるでしょう。極度の動悸と、龍脈に繋がる井戸の水を執拗なまでに求めたのは……内からの求めに応じ、無意識のうちに父を覚醒させようとしたからかと存じます」
言われてみれば、そのような気もする。不調を起こした時に、前にも似たような経験をした気がした。そう感じたのは、間違いではなかったのだ。葵は、十二年前にも同じような境遇に置かれていた。
「……ま、蛇が出てきたら不調になるっつーのは、いっそ荒刀海彦に丸投げしちまえば良いだろう。あいつが葵の身体の主導権を握っておけば、蛇に対する恐怖でどうにかなっちまう事は無いだろうからな」
「……けど師匠。荒刀海彦が表に出て戦うと、その分葵に負担がかかっちゃうんですよ? 蛇と戦って、鬼とかとも戦って。それからおろちの仔とも戦うんじゃ、葵の身体が持つかどうか……」
「話を聞く限り、十二年前に荒刀海彦殿がおろちの仔を斃せなかったのも、おろちの仔と戦う前に蛇や鬼達と戦って消耗してしまったからですしね。それが、まだ身体が出来上がりきってもいない葵となっちゃ……いや、例えば憑代がたかよし様や惟幸だったとしても、本来の身体を失っている荒刀海彦殿がどこまで戦えるか……」
「……ま、そこはまわりがフォローするしかにゃいだろうにゃ。隆善、盛朝、紫苑に弓弦。それに、もしかしたら惟幸も。これだけいれば、有象無象の鬼やら蛇やらはにゃんとかにゃる。葵と荒刀海彦は、おろちの仔だけに集中すれば良いにゃ」
「……麿を忘れているのではおじゃらぬか、化け猫?」
「にゃんでおみゃーを戦力に数えにゃきゃいけにゃーんにゃ。あと、化け猫言うにゃ!」
「ちょ……ちょっと待ってよ!」
トントンと進んでいく話に、葵は慌てて待ったをかけた。一同の視線が自分に集まったところで、葵は困った顔をする。
「あの……何か俺と荒刀海彦がおろちの仔を斃しに行くって事で話が進んでますけど、俺……まだやるとは一言も……」